「あのアニメ、次回は私の推しが主役の回なんだってー!楽しみ!」
そんなことを言っているのは、大学の友人の愛子だ。愛子は、いわゆる『オタク女子』と呼ばれる部類に入る。そしてアニメを
見ては『○○推し』などと言っている。そんな愛子に釣られて、私もアニメを見るようになった。そういう意味では私もオタク女子
なのかもしれないが、私は愛子が言っている『推し』ということの意味がよくわからなかった。もちろん、アニメを見ていれば
気に入ったキャラクターは出てくる。だが、だからといってそのキャラクターに対して深い思い入れを持つことはない。そばにいる
愛子を例にすると、愛子は推しになったキャラクターの身長、体重から血液型などまで調べて、キャラクターのグッズが出れば
なんであろうと買い揃える、といった具合だ。更には二次創作にまで手をだして、自身で絵を描くことはもちろん、ネット上にある
他の人の二次創作にまで手を出している。それだけならまだ熱狂的なファンだな、で笑って済ませられるのだが、会話をしていると
たまに「ここで○○君なら××って言うかも」と自身の妄想を取り入れて話をしてくるのだ。愛子の推しのキャラがわかっていれば
周りは「そうかもね」で流すことはできるが、知らない人からすると「?」である。だがそれでも愛子は止まらない。そんな愛子を
見て、私はこうはならないぞ、なんて思うことが出来たのである意味反面教師なのかもしれない。
「ねぇ、奈々はあのアニメの推しは誰なの?」
奈々とは私のことだ。愛子にはこういうところがある。自分に推しがいるのだから、周りにも推しがいるはずだ、という前提で話を
勧めてくるのだ。だが、私はそのアニメに推しはいない。というか、今まで推しがいたことはない。
「いやー、あのアニメには推しはいないかなぁ」
「えー、そうなの?それじゃ、アニメ見るの楽しくなくない?」
そんなことはないのに、と思いながらも私は笑いながら適当に「そうだね」なんて相槌を打っておく。確かに愛子のように誰か
一人のキャラクターに思い入れを込めることができればそれはそれで楽しいかもしれないが、そうじゃない楽しみ方だってある。
だがそんなことを言ったところで愛子が聞いてくれるはずもないので、私は言わない。そんな感じで月日が流れていき、