君が居ることで、僕は幸せだ。
だから、僕も君を幸せにしたい。
これからも、ずっとずっと一緒に居ようーー。
共に人生を歩んで行こう。

「うわぁ〜これ完全、今カノさんの歌だよね」
「あの人、今までの彼女の全部曲作ってたんじゃない?」

進級・卒業公演のイベント会場のステージでは凪があま〜い歌を気持ちよさそ〜うに歌っている。今回は一人ではなく、バンドとして参加しているようだ。何なら近くで彼女がキーボードを弾いている。
演奏中、時々彼らは見つめ合って、微笑み合っていた。
とてもお熱いことだ。

「ウケる」

凛は低い声で笑ってしまった。
横から七海の少し乾いた笑い声が聞こえてくる。

「あはは……凛も強くなったね」
「でしょー?」

凛は悪戯っぽく微笑んだ。

「おーい、もうそろ舞台袖に行くぞー」

響に声を掛けられ、二人は舞台袖へと移動した。
少し狭い通路では凪と彼女とお互いを突き合い、楽しそうに話をしている。
そんなカップルなんてお構いなしに凛はどんどんと大きく横を通り過ぎようとした。

「お疲れ様でーす!舞台班通りまーす!」

凛は凪に満面の笑みで微笑みかける。
イチャイチャは外でやってください。心の中でそう思った。
舞台袖に着くとそこには真っ黒な格好をした尾崎先生が立っていた。
少しだけ袖から覗くと、これから始まる舞台を待ち望んでいる観客でいっぱいだった。

凛は途端にワクワクする。少し、高校生の劇団時代を思い出したからだ。
前は上から降りてくる緞帳があるホールでやっていたから、隙間から仲間たちと一緒に覗いてたっけーー。

「次の演目はーー」

作品紹介のアナウンスが入り、いよいよ舞台が始まる。
凛は白いワンピースの衣装の裾を少し掴み、準備をした。
今回は最初から出番があるのだ。暗転中に移動する為、転ばないように気をつけなくてはならない。

「それではお楽しみください」

アナウンスが終わると会場全体が暗闇に包まれた。

「よし、凛行ってこい」
「はい!行ってきます!!」

尾崎先生に言葉で背中を押される。
後ろを振り向くと、尾崎先生が、七海が、響が、高原先生が、莉子や美桜、岳、クラスのみんながーー。
幼き私がーー、笑顔で見送ってくれた。

闇の中に私は突き進んだ。
一筋の強い光が真っ直ぐな線を描いて黒い板の上を突き刺した。
その光の中に私は居る。私が居るーー。

少女は静かに美しい瞳を開いた。



【透明でも夢を見ていた】

透明人間になりたい。そう本気で思ったことがある人は居るのだろうか。
もし、仮にそんな人が居るのだとしたら、私はその人のことをバカだと思う。

透明人間になんて、何一つ良いことはない。

だって、当の透明人間の私が思っていることなんだから。
誰にも認識されない。存在に気づいてもらえない。
他者に認めてもらえない。それは普通の人間にだって、辛いことだろう。
だが、普通の人間は普通に生きていれば必ず誰かのその姿を見てもらえる。
誰かから生み出されて、育てられて、支えられて人生を謳歌する。

透明人間の私にはできないことばかりだ。

普通になれば、仲間外れにならないし、みんなに認識されて、認めてもらえてーー初めて、生きていると実感できる。
だけど、この冷たい世界は異物の透明人間には優しくない。

「誰か助けてよ」

そう叫んだことは何度もあった。
誰にも聞こえないって分かっていた筈なのに心が苦しくて、寂しくて、誰かに聞いて欲しい。そう願って、叫び続けた。
だけど、その努力は無駄だということに気づいてしまった。
透明な私のことは誰も見てくれないし、生きている価値がない。

「あぁ、私って何で、生まれてきたんだろう。どうして、生きているんだろう……」

雨が強く降りしきる街中を歩いても誰も気づいてくれない。
周りの人たちは傘を差して、私の横を通り過ぎる。
どんどん、雨音が激しくなってきた。

雨は嫌いじゃない。
何かいつも惨めな気持ちになっている私に寄り添ってくれている気がするから。
逆に太陽は嫌いだ。いつも私を嗤っているかのように見えるからだ。

死ぬなら、こんな雨の日が良い。
あ……。

「今、チャンスじゃん」

私は今、赤信号を行儀良く待っている。
待たなくて良いんだ。唐突にそう思った。
どうせ、誰にも見えしない。
元々、見えていないんだから、今ここで死んでも誰も悲しまないし、迷惑もかけない。

「よし、行こう」

何も戸惑いはなかった。だって、しょうがない。
この世界で生きている意味を感じれないのだから。
私は一歩、足を前に動かして進む。
横から車が来ている。よし、ちゃんと終われる。ちゃんとーー。

「あの、まだ赤信号ですよ?」
「え?」

初めての出来事に戸惑う。そんなどうして……。
後ろを振り返ると、男の人が私の手を掴んでいた。心配そうにこちらを見ている。
自然と涙が出てきた。乾いていた心に潤いを与えてくれた。

「泣いているんですか?」
「違いますよ。雨が……」

私は笑って答えた。初めて、誰かと話をした瞬間だった。

これは私を見つけてくれた彼と決して過ごす筈のなかった青春を送り、関わりの中でぶつかり合い、沢山のことを知り、そしてーー。

私が彼の太陽になるまでの物語だ。

「私はあなたの太陽になりたい」

青年役の響としばし微笑み合った後、舞台を照らす照明はロウソクの火を消すかのように静かに沈黙した。
暗闇の中から、沢山の拍手が巻き起こり聞こえてくる。その合図をきっかけに世界はまた明るく照らされ、舞台の上には出演者が全員横一列に並んでいた。
観客の前で深いお辞儀をする。

「ありがとうございました!!!!」

観客の拍手は鳴り止まなかった。
凛は見事、透明人間の主人公を演じ切れたのだ。劇中は何も考えていなかった。
ただ、舞台の上で生きていただけだ。

最高の終わりの舞台だったなぁ……もうこれ以上は良い演技はできないだろう。
今回は沢山に人に助けてもらえた。良い思いをさせてもらえたんだ。
よし、終わろう。
凛は静かに優しく微笑んだ



舞台は無事に終演を迎え、凛は七海と共にバックヤードで休憩をしていた。
すると、そこに尾崎先生がやってくる。

「凛、少し良いか?」
「どうしましたか?」
「どうしても凛に話したいって言うファンが居てな」
「ファン?」

良く見ると尾崎先生の後ろには制服を着ていて、大人しそうな女子高生が一人立っていた。緊張しているのか、とてもソワソワしている。

「お前たちとは被らないが、今年の四月に入ってくる後輩だ」
「あ、あの!!凛先輩!」

未来の後輩は両目は潤ませながら、凛を見上げていた。

「どうしたの?」
「凛先輩の演技、物凄く感動しました!すごい……上手く言えないんですけど……雨が降っている筈ないのに凛先輩の周りには悲しそうな雨が降っていて、胸が締め付けられて……心がドキドキワクワクしました!私もあなたみたいな演技ができるようになりたいです。あなたの演技に救われましたーー!!」

その大人しそうな女子高生に思わず、色々な人の姿を重ねて、思い出してしまった。

ーーおねぇちゃんのえんぎみて、たのしいってなった!たのしませてくれてありがとう!!!
ーー中嶋凛ちゃんだよねーー?さっきの舞台の演技、すごく感動しました!ファンです!!
ーー目の前の世界が変わったんです!!

あ……見つけられた……。

「ありがとう。頑張ってね」
「はい!ありがとうございます!」

遠ざかって行く未来の後輩の背中に凛は心の中で投げかける。
あなたがどんな学校生活を送るかは分からない。
もしかしたら、トントン拍子で上手くいくのかもしれない。はたまた、中々努力が報われずに苦労するかもしれない。
それでも、自分と夢は見失っちゃダメだよ。自分の目指したいものは明確に、自分自身の軸はしっかりと持って、頑張ってねーー。

あなたの進む道が少しでも明るくありますように。

「ねぇ、七海……」

あぁ、でも私の意志はとてもブレブレだ。見知らぬ女の子に言われた言葉にこんなにも突き動かされるだなんてーー。
凛はぽろりと涙を一粒流しながら、七海に伝える。

「あの子のおかげで、また舞台役者になりたいって思っちゃった。しっかり、諦めた筈なのに」
「うん」

七海は静かに寄り添ってくれる。

「こんな私でも誰かを救えるのかなって、希望を与えることができるんだなって、あの子が教えてくれた。私、まだ演技から離れたくない……続けたい」
「凛の思うままに進めば良いよ。だけど、私は嬉しい!凛の演技大好きだから。硝子細工みたいに繊細で、でもときにはパワフルで強い!そんなあなたの演技が私は大好きだよ」

よし、私はまだ演技にしがみついていよう。
才能はないけど、それでも私の演技を好きって言ってくれる人たちが居るから。
私は演技で伝えたい。今は自分のことを大切にできなくても、いつか優しく抱きしめてあげてね。好きは隠さなくて良いんだよ。隠すと失くしちゃうから。
でも、失くしちゃっても大丈夫。あなたの好きなものは他の誰かが覚えてくれているのかもしれない。そうしたら、きっと本当に好きなものを思い出させてくれる。

「ありがとう。私も七海の演技が大好き!!」

あぁ、沢山泣いて笑ったな。苦しんだな。
でも、今は何だか清々しいや。

「見つけられたよ」
『良かったーー』

地獄の日々が私を育てた。
それはとても強く耐え続けることはできなかったし、心は弱くなってしまった。
だけど、誰かに弱さを見せることは強さなんだと地獄は教えてくれた。
悪いことばかりじゃない。地獄を経験したから、得られた教訓も沢山ある。
地獄で受けたこの心の傷はきっとかさぶたとなって、未来の私を守ってくれるだろう。

私は忘れない。人の心を傷つけるナイフのような言葉も。優しくて心を暖かくしてくれる言葉を私は一生、覚え続けていく。
言葉はときに呪いのように纏わりついてくるけど、大丈夫。
私には暖かい言葉も確かに存在しているのだから。

ーー私は再び舞台の上に舞い戻ろう。それは険しい道かもしれない。だけど、みんなが照らしてくれた。私は舞台の上で生きるよ。もう好きを隠さないように。



卒業式の日ーー。凛は袴ブーツで少しだけ積もっている雪を踏み締めていた。
ふわふわじゃない、かと言って固く凍っているわけでもない微妙な雪はリンゴをかじったみたいにシャリシャリと鳴った。

いよいよ、私も卒業か……学生の身分を剥奪されちゃう……と少し悲しくなる。
卒業式会場のホールに着くと、沢山の卒業生が談笑していたり、写真を撮り合ったりしている。
凛は受付の先生からもらった冊子を見ながら、自分の座る席を確認していた。

「りーん!」
「うわぁ!七海?」
「やっほー」
「綺麗だねーー」

七海は黄色い袴を着ていた。髪の毛も可愛く、クルクルと巻かれアップにしている。
黄色いお花の髪飾りも七海をより美しく魅せていた。

「凛もね!一緒に写真撮ろうーー!」
「そうだね!」

スマホを構えた七海に近づき、画面の中に収まる。
そこには七海の黄色い袴と凛の朱色で華やかな袴が写っていた。
撮った写真を確認すると私は可愛く笑えていた。
自分の笑顔を見れて、途端に嬉しくなる。

「お!みんな綺麗だな〜」

二人の背後には尾崎先生が立っていた。

「先生!」

先生の元へ駆け寄り、凛は改めて彼に卒業公演で自分を主演で選んでくれたこと対して、感謝の言葉を述べた。

「本当にあのときはありがとうございました。きっとあの公演で私が主演に選ばれていなかったら、私は七海たちとしっかり話すこともなかったし、自分を許してあげることもできなかったかもしれません。そしてーー未来の後輩にあんな素敵な言葉をもらえなかった。あの言葉をもらえてやっと、私は思い出せたんです。演技が大好きだったことを。また目指したいって思えたんです」
「そうか。それは良かったーー」

尾崎先生の声は何故か震えていた。そして、二人から顔を背けてしまう。

「良いかい?もう一度言っておく。傷を知る者は表現の世界では最強だ。だけど、自分は強いとか、真面目だーーと自分の枠を自分で決めつけて自分を縛ってはいけない。弱くても良いんだ。まぁ、もう君たちは分かっていると思うけどね。どれだけ大変でも、忘れないようにーー」

そう言った尾崎先生はこちらを振り向くことなく、どこかへ消えてしまった。
「え、泣いてた?」と二人で顔を合わせる。結局の所、先生が泣いていたのかは確かめられなかったが、でも良い。
先生も素敵な言葉を掛けてくれたことに違いはないのだから。

「あ、凛!七海ー!!」

今度は響が二人に声を掛けてきた。
スーツ姿の彼はいつもより、シャキッとしている。
結局、響は大手芸能事務所を蹴らずに受け入れることにしたらしい。
取り敢えずやって頑張ってみるーーそう宣言した彼の顔はとても勇ましかったのを覚えている。

みんな、これから新しい道に進むんだ。



卒業式が終わり、私は七海と響と一緒に「卒業式」と立派に書かれた看板の前で写真を撮った。
こうやって、二人と写真を撮るのもしばらくはなくなる……。
凛は結局、事務所は決まらなかった。卒業後はバイトをしながら、小さな舞台のオーデションに挑戦してみようかと考えている。
調べると意外とS市でも演劇は盛んなのだと気づかされた。だからしばらくはここでやっていこう。

道のりは長いけれど、一歩一歩進んで行く。
私は絶対に舞台役者になって沢山の人の心を暖かくしたいのだ。

「え!そんな良いとこ住むの⁉︎」
「良いだろ〜めっちゃ部屋綺麗だぞ〜?」

凛は思わず凪の姿をこの瞳に捉えた。
彼もスーツをかっこよく着こなしている。

あなたとは結局最後までお話しできなかったね。
私は正直ーーあなたを恨みました。
嘘をつかれて、裏切られて、何て酷い奴なんだと。
でも、それがあなたなんですよね。私が知らなかっただけで。
あなたは自分が正しいと思う道に進んだだけだ。

私が変えられなかったんじゃない。
そもそも、あなたを変えようとするのは私のエゴだったんだ。
凛はずっと凪に振り向いて欲しい。変わって欲しいと願い続けた。だけど、こんなのは間違ってるよねーー。

私だって、変えられたくないもん。自分が正しいと思う道に進みたいし、自分が大好きなものを胸張って好き!と言いたい。
だから、私も自分が正しいと思う道に進む。

「東京行ったら、今の後輩ちゃんにバレずに遊べるんじゃね?」
「は?そんなことするわけないだろ」
「おー!一途だねぇ〜」

自分が好きなものを追求していこうと思います。
もう、私のことなんか忘れているだろうけど、あなたと一緒に過ごした日々、あなたにされて嫌だったことをなかったことにはできない。
私は楽しかったことも辛かったことも全部、抱えていくよ。

だから、この言葉だけは小さい声でもしっかり言おう。
私はあのとき言えなかったから。

今言う言葉に精一杯の好きを込めてーー、

「さよなら、凪くんーー」

あなたは私のヒーローでした。
誰にも聞こえていないであろうこの言葉は私の決意の言葉だ。
凪くんと出会ったこと、後悔してないよ。
あのとき話しかけてくれて、ありがとう。

嘘だったのかもしれないけれど、一瞬でも好きで居てくれてありがとう。
幸せにしてくれてありがとう。

あなたはあなたでお幸せに。私は私の方で幸せになるんで!!!!

ほんのり暖かい太陽が平等に卒業生を包み込んだ。
行ってらっしゃいーーと笑って言ってくれているみたいだった。

『もう、私は好きを隠さないよ』

そう、その優しい太陽に言ってやった。