二時間のライブで気持ちよく歌声を披露(ひろう)した後は、さすがに疲れ切って控室の椅子で寝てしまった。寝るといってもほんの三十分くらい、意識は失わないまま、目を閉じているだけ。これだけでもだいぶ疲れは取れる。


 瑛士たちは俺と同じく疲れているはずなのに、関係者席で観ていたタレントに挨拶をしたり、櫛笥が用意した弁当を食べていたり、ライブ中に起こった機材トラブルを「あれはあれで面白かったよな」なんて笑い合ってしゃべってたり、楽しそうだ。

瑛士たちは俺ほど売れていないから、その分時間も精神的な余裕もたっぷりある。俺はひとつの仕事が終わっても、その余韻(よいん)を味わうほどの時間を持ち合わせていない。


 起きた後、頭をはっきりさせるためにセブンスターを一本吸った。まもなく櫛笥が「時間です」と言ってくる。


「出待ちの女の子たちがかなり詰めかけています。わかっていると思いますが、笑顔で応じて下さい」

「当たり前だろ、そんなの」


 櫛笥の説教を右から左へ受け流しながら、セブンスターの火を消す。


「なんだよ夏樹、不機嫌モードか?」


 和樹が俺の肩を小突いてくる。別に正式に決まってるわけじゃないけれど、見た目も中身も大人びていて俺とは違った爽やか好青年キャラで売っている和樹は、「バージンブレイカー」のリーダー格だ。


「別に不機嫌じゃねぇし。ちょっと疲れてるだけ」

「ほら、夏樹宛てにこんなにプレゼント来てるぞー。いいなぁー」


 と、恵介が山のような箱や手紙が入った段ボールを突き出す。和樹がリーダー格なら、恵介はバンドのムードメーカー。


「隈がひどいぞ、お前。これ飲むか?」


 琢也がキンと冷えた栄養ドリンクを差し出してくれる。育ちのいい琢也は、五人の中で一番気遣いのできる男だ。


「サンキュ」


 俺は短く言って、栄養ドリンクの蓋を開け、きゅっと一気に喉に流し込んだ。人工甘味料たっぷりの、甘ったるくて少し苦い液体が胃に落ちていく。


「じゃ、行きますか」


 俺が少し生気を取り戻した様子を見て、櫛笥が言った。

 出待ちの女の子たちは、櫛笥が言っていたようにかなりの人数だった。四十人? 五十人? いや百人はいる。二時間立ちっぱなしのライブの後、出待ちまでするファンは本気で俺を好きなファンだ。こういう女の子を大事にしておかないと、今後に関わる。

 ファンは、はっきり言って金だ。俺の仕事は、客にさんざん貢がせて破滅させて自分の売上を上げるホストと大して変わらない。


「夏樹くーん!」

「夏樹くん、こっち見てー!」

「夏樹くん、格好いいーっ!!」


 集まる女の子たちの嬌声に笑顔で応え、櫛笥の誘導に沿って「バージンブレイカー」の五人組は車に向かって歩く。手紙やプレゼントは俺に代わって櫛笥が受け取っていた。

俺に勝手に触ったり近づいたりしちゃいけないことになってるが、中にはそんなこと守らずに身を乗り出してくる女の子もいる。

「夏樹くん、好きです! 結婚してください!!」


 唐突なプロポーズに思わず足を止めてしまった。隣にいるその子の友だちが苦笑している。頬をほんのりピンクに染め、俺を見つめるその瞳がちょっといじらしい。


「マジで? 俺、結婚してても平気で浮気するぞ?」

「それでもいいです! 結婚してくれるだけでいい!!」


 まっすぐな言葉につい笑ってしまった。この子ならほんとに俺と結婚しても、ほんとに浮気しても、しょうがないねって許してくれるかもしれない。

 まぁ、まだ二十二、これから俳優として盛りの時期。結婚なんてまだまだ先のことだけど。


「キャーッ!!」


 布を裂くような叫び声がして、声の方を振り返った。

 横幅五メートルはあるだろう、四角い看板が今まさに俺たち目掛けて落ちてこようとしている。向かいのビルの看板だ。今日は風が強い。ぶううううん、と唸(うな)るような風が、でかい割にうすっぺらい看板をビルから引っぺがす。


「危ない!!」


 櫛笥が叫び、瑛士たちが身を硬くした。女の子たちがわああぁっと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 今まさに俺目掛けて、看板が落ちてこようとしている。

 逃げようとしたら視界の端っこに目を丸くしている女の子がいた。びっくりし過ぎて、身体が硬直しているのだろう。さっき俺に熱いプロポーズをしたこの子は、身じろぎもしない。


「何やってんだよ!!」


 叫びながらその子に覆いかぶさった。ファンは金だ。俺の金は俺が守る。きゃ、と小さな悲鳴が聞こえた。

 ガツン、と後頭部に激しい衝撃が走って、俺の意識はぷつりと途絶えた。