高二の秋
秋の日没は早い。
六時間目が終わった頃には既に太陽は西に大きく傾いていて、十七時を過ぎれば夜の帳(とばり)が降りている。
一年生の二学期から一年間ずっと続けていた榊(さかき)を師匠にした「霊能者修行」は、榊の気遣いで最近早めに切り上げるようになっていた。
秋もすっかり深まった十一月、時計の針は二十時を回ったところ。「あまり遅い時間に女が一人歩きするのは危険だろ」と榊と共に公園を後にした。
この公園は、長年幽霊をやっていてパワーを蓄えた強い霊たちのたまり場になっている。
「稜歩(いつほ)! 榊! また明日ね!」
そう言って手を振ってくるのはポール。英語の村松(むらまつ)先生の守護霊だけど、いつも村松先生にくっついてるのも退屈だからと、こうして夜はふらふら他の霊と遊んでいる。
ちなみに、享年二十歳。日本人の目からは外国人は老けて見えるというのは本当で、三十五歳くらいに見えちゃうけれど。
「うん、またね、ポール」
「ポールは仙道(せんどう)のいい練習台だからな。明日も頼む」
「僕でよければ、いつでもオーケーさ!」
にっと白い歯を見せて笑うポール。陽気なアメリカ人の幽霊だ。
そもそも、なんでわたしが榊に霊能者として弟子入りしてるかっていうと、一年前のわたしは、霊感を持ってることをコンプレックスにして生きていた。
普通に過ごしていてもおっかない霊が見えてしまうことがあるし、そのせいで友だち関係が上手くいかない。その子に変な霊が憑(つ)いてるのが見えた途端(とたん)、自分から距離を置いてしまうから。
でも去年の夏休み前、大きな転機があった。わたしが所属するグループの朋菜(ともな)たちがいじめていた、クラスメイトの女の子が死んだのだ。
世間的には自殺だってことにされてしまったその子は、「本当は自殺じゃない。誰かに背中を押された」とわたしに訴えかけ、それでわたしはその子のために、真犯人を捜すことにした。そこで、わたしと同じく霊感を持っているクラスメイト、榊の力を借りたのだ。
事件が無事解決し、そのクラスメイトが成仏(じょうぶつ)してから、わたしは榊に弟子入りした。榊が持っている強力な霊感を、わたしも身につけたかった。榊と同じように、自分の霊感を磨くことで誰かの役に立ちたいと思った。
だからわたしと榊の関係は、あくまで師匠と弟子。でも、術を教わる時身体が近づいたり、榊の手がふいにわたしの手に触れたりすると、心臓がドキドキと反応してしまう。
去年の夏休み、榊を好きになりかけたことは否定できない。その気持ちには自分なりに区切りをつけたつもりなのに、こうして毎日会っているから、嫌でも榊が格好良く見えてしまう。
実際、二年生から文系と理系でクラスが分かれてしまったわたしたちだけど、文系クラスの榊は女の子にモテまくり、わたしが知っているだけで五人もの女の子から告白を受けているらしい。そのすべてを断っちゃってるんだけど。
榊には、忘れられない好きな人がいる。わたしがいくら榊に惹(ひ)かれても、この想いが報われることはない。
榊と二人、肩を並べて歩き出す。榊が何も言わないので、わたしも黙った。こつこつ、二人が立てるローファーの音が静かな秋の夜の中、大きく響く。こっそり、榊の横顔を盗み見る。
この一年で榊、また背が伸びたんじゃないだろうか。わたしは高校生になってから伸びてないけれど、男の子は十八歳くらいまで身長が伸びると聞いたことがある。高校二年生だから、まださらに伸びるかもしれない。
榊、もっと格好良くなっちゃうのかなぁ。
「コーヒー、飲むか?」
榊が駐車場の前の自販機を指差して言った。
「俺が奢(おご)ってやる」
「え、いいの」
「小遣い、月三千円貰っても、そんなに使い道ないんだよな」
そんなことを言いながら自販機にお金を入れ、コーヒーを二本買って、一本わたしにくれる。コーヒーの缶は熱くて、甘ったるい液体に舌が火傷しそうになった。
でも、こういうさりげない優しさを見せられると、見切りをつけたはずの想いが動き出しそうになる。
「なぁ、そろそろ修行はやめにしないか」
コーヒーを飲んで歩きながら榊が言った。急な提案に、思わずコーヒーが変なところに入りそうになる。
「なんで!?」
「なんでって、もう、高二の秋だぞ。これからお互い、受験で大変じゃないか。修行より勉強の方が大事だろ」
「そうだけど……」
榊の言うことはもっともだ。わたしたちは県立トップの進学校、桜ケ丘(さくらがおか)に通っている。毎年何十名もの生徒を有名大学に送り出す桜ケ丘では、進路指導は一年生から始まる。
二年生の秋になった今はいよいよ本格化して、もうすぐ三者面談がある。高校受験で大変な思いをしたのはついこの間のことなのに、また受験。十代って、本当に忙しくて大変な時期だ。
「言いたいことはわかるよ。でも、わたし……」
「でも、なんだ?」
「だって……だってまだ、榊みたいにすごいことができるわけじゃないし……」
一年みっちり修行して、それなりに私も霊能者としての力を磨いた。自分の霊感をコントロールする方法、除霊の方法。悪霊を倒す術はまだパワーが弱すぎて、身につけられていない。
でも、本当にわたしが言いたいのはそんなことじゃなかった。
わたしは、榊と一緒にいる時間を失いたくない。
「悪霊を倒す術がまだ不完全だって言いたいのか?」
わたしの本心を知らない榊が言う。
「悪霊に襲われることなんて、事件や事故に遭うのと同じくらいの確率だ。お前はもう自分の霊感をコントロールできているし、除霊もできる。もう十分だ」
「そう……かな」
「そうだ。それに俺は、冬から塾に通う。いわゆる、冬期講習だな。それが始まったら、仙道の面倒なんか見てられない」
「そ……か」
榊の言い方が冷たいのはいつものこと。榊は基本的にクールで、物事をずばずば言う。要はちょっとした毒舌家なんだけど、既に慣れてしまった。とはいえ、こんなにはっきり、一方的に大切な二人の時間に終わりを告げられてしまうと、悲しくなる。
「仙道は決めたのか? 進路」
「うん……今のところ、情報学部に進もうと思ってる」
「仙道の夢って、システムエンジニアだよな」
「うん」
「頑張れよ、勉強」
「うん……」
そこで改札口に着き、榊と別れた。榊は女子高生の夜歩きを心配して、十九時から一時間の修行の後、いつも駅の改札口まで送ってくれる。
そんな榊をやっぱり格好良いと思ってしまって、でも「師匠」だからこそ、ただの友だちよりもずっと大きな存在だからこそ、胸に秘めた淡い気持ちを伝えることはできない。
秋の日没は早い。
六時間目が終わった頃には既に太陽は西に大きく傾いていて、十七時を過ぎれば夜の帳(とばり)が降りている。
一年生の二学期から一年間ずっと続けていた榊(さかき)を師匠にした「霊能者修行」は、榊の気遣いで最近早めに切り上げるようになっていた。
秋もすっかり深まった十一月、時計の針は二十時を回ったところ。「あまり遅い時間に女が一人歩きするのは危険だろ」と榊と共に公園を後にした。
この公園は、長年幽霊をやっていてパワーを蓄えた強い霊たちのたまり場になっている。
「稜歩(いつほ)! 榊! また明日ね!」
そう言って手を振ってくるのはポール。英語の村松(むらまつ)先生の守護霊だけど、いつも村松先生にくっついてるのも退屈だからと、こうして夜はふらふら他の霊と遊んでいる。
ちなみに、享年二十歳。日本人の目からは外国人は老けて見えるというのは本当で、三十五歳くらいに見えちゃうけれど。
「うん、またね、ポール」
「ポールは仙道(せんどう)のいい練習台だからな。明日も頼む」
「僕でよければ、いつでもオーケーさ!」
にっと白い歯を見せて笑うポール。陽気なアメリカ人の幽霊だ。
そもそも、なんでわたしが榊に霊能者として弟子入りしてるかっていうと、一年前のわたしは、霊感を持ってることをコンプレックスにして生きていた。
普通に過ごしていてもおっかない霊が見えてしまうことがあるし、そのせいで友だち関係が上手くいかない。その子に変な霊が憑(つ)いてるのが見えた途端(とたん)、自分から距離を置いてしまうから。
でも去年の夏休み前、大きな転機があった。わたしが所属するグループの朋菜(ともな)たちがいじめていた、クラスメイトの女の子が死んだのだ。
世間的には自殺だってことにされてしまったその子は、「本当は自殺じゃない。誰かに背中を押された」とわたしに訴えかけ、それでわたしはその子のために、真犯人を捜すことにした。そこで、わたしと同じく霊感を持っているクラスメイト、榊の力を借りたのだ。
事件が無事解決し、そのクラスメイトが成仏(じょうぶつ)してから、わたしは榊に弟子入りした。榊が持っている強力な霊感を、わたしも身につけたかった。榊と同じように、自分の霊感を磨くことで誰かの役に立ちたいと思った。
だからわたしと榊の関係は、あくまで師匠と弟子。でも、術を教わる時身体が近づいたり、榊の手がふいにわたしの手に触れたりすると、心臓がドキドキと反応してしまう。
去年の夏休み、榊を好きになりかけたことは否定できない。その気持ちには自分なりに区切りをつけたつもりなのに、こうして毎日会っているから、嫌でも榊が格好良く見えてしまう。
実際、二年生から文系と理系でクラスが分かれてしまったわたしたちだけど、文系クラスの榊は女の子にモテまくり、わたしが知っているだけで五人もの女の子から告白を受けているらしい。そのすべてを断っちゃってるんだけど。
榊には、忘れられない好きな人がいる。わたしがいくら榊に惹(ひ)かれても、この想いが報われることはない。
榊と二人、肩を並べて歩き出す。榊が何も言わないので、わたしも黙った。こつこつ、二人が立てるローファーの音が静かな秋の夜の中、大きく響く。こっそり、榊の横顔を盗み見る。
この一年で榊、また背が伸びたんじゃないだろうか。わたしは高校生になってから伸びてないけれど、男の子は十八歳くらいまで身長が伸びると聞いたことがある。高校二年生だから、まださらに伸びるかもしれない。
榊、もっと格好良くなっちゃうのかなぁ。
「コーヒー、飲むか?」
榊が駐車場の前の自販機を指差して言った。
「俺が奢(おご)ってやる」
「え、いいの」
「小遣い、月三千円貰っても、そんなに使い道ないんだよな」
そんなことを言いながら自販機にお金を入れ、コーヒーを二本買って、一本わたしにくれる。コーヒーの缶は熱くて、甘ったるい液体に舌が火傷しそうになった。
でも、こういうさりげない優しさを見せられると、見切りをつけたはずの想いが動き出しそうになる。
「なぁ、そろそろ修行はやめにしないか」
コーヒーを飲んで歩きながら榊が言った。急な提案に、思わずコーヒーが変なところに入りそうになる。
「なんで!?」
「なんでって、もう、高二の秋だぞ。これからお互い、受験で大変じゃないか。修行より勉強の方が大事だろ」
「そうだけど……」
榊の言うことはもっともだ。わたしたちは県立トップの進学校、桜ケ丘(さくらがおか)に通っている。毎年何十名もの生徒を有名大学に送り出す桜ケ丘では、進路指導は一年生から始まる。
二年生の秋になった今はいよいよ本格化して、もうすぐ三者面談がある。高校受験で大変な思いをしたのはついこの間のことなのに、また受験。十代って、本当に忙しくて大変な時期だ。
「言いたいことはわかるよ。でも、わたし……」
「でも、なんだ?」
「だって……だってまだ、榊みたいにすごいことができるわけじゃないし……」
一年みっちり修行して、それなりに私も霊能者としての力を磨いた。自分の霊感をコントロールする方法、除霊の方法。悪霊を倒す術はまだパワーが弱すぎて、身につけられていない。
でも、本当にわたしが言いたいのはそんなことじゃなかった。
わたしは、榊と一緒にいる時間を失いたくない。
「悪霊を倒す術がまだ不完全だって言いたいのか?」
わたしの本心を知らない榊が言う。
「悪霊に襲われることなんて、事件や事故に遭うのと同じくらいの確率だ。お前はもう自分の霊感をコントロールできているし、除霊もできる。もう十分だ」
「そう……かな」
「そうだ。それに俺は、冬から塾に通う。いわゆる、冬期講習だな。それが始まったら、仙道の面倒なんか見てられない」
「そ……か」
榊の言い方が冷たいのはいつものこと。榊は基本的にクールで、物事をずばずば言う。要はちょっとした毒舌家なんだけど、既に慣れてしまった。とはいえ、こんなにはっきり、一方的に大切な二人の時間に終わりを告げられてしまうと、悲しくなる。
「仙道は決めたのか? 進路」
「うん……今のところ、情報学部に進もうと思ってる」
「仙道の夢って、システムエンジニアだよな」
「うん」
「頑張れよ、勉強」
「うん……」
そこで改札口に着き、榊と別れた。榊は女子高生の夜歩きを心配して、十九時から一時間の修行の後、いつも駅の改札口まで送ってくれる。
そんな榊をやっぱり格好良いと思ってしまって、でも「師匠」だからこそ、ただの友だちよりもずっと大きな存在だからこそ、胸に秘めた淡い気持ちを伝えることはできない。