日中、トゥイーリが国の歴史や近隣諸国の情勢、貴族のことなどを勉強している間、マレはクローゼットの中に入り眠っているようだった。
 
 勉強が終わる気配を感じるのか、家庭教師たちがいなくなるとマレはクローゼットのドアをがりがりとひっかき、トゥイーリにドアを開けてもらい出てくる。
 そこから夕食までの短い時間と湯あみを終えてから眠るまでが占い師としての勉強時間になる。

 最初は集中力の高め方を勉強した。が、トゥイーリが集中しようとするとマレが膝の上に乗ったり、ワンピースのリボンにじゃれたりと邪魔をしてくる。
「……!!!!」
 トゥイーリは声を出さずに抗議するが、マレは、
「どんな環境でもすぐに集中できるようにならないといけません、にゃ~」
 と、おどけた口調で言いつつ、さらに激しくちょっかいを出してくる。

 やっと気にならなくなったのは半年ほど経った頃だった。
「だいぶできるようになってきましたね。どんな環境でも集中力を高めていかなければ占い師として正確な答えを導きだすことはできません」
「占い師かぁ……」
 トゥイーリが口を尖らせながら呟いたのを見たマレは、
「……まぁ、ご不満な点があると思いますが、何かあって自立するためには知識を身につけることが大事です」
「そうですね」
「あぁ、そうだ今日は夕食にトゥイーリさまの大好物を用意してもらえるように厨房に連絡しておきました」
「それは嬉しいけど、どのように連絡しているの?」
 マレは一日の大半をクローゼットの中で過ごしているはずだ。
「それは秘密でございます、にゃ~」
 おどけた口調でしれっと答えるマレ。
 トゥイーリは肩をすぼめ、夕食を待つことにした。
 そして、大好物の鶏肉の香草焼きが出てきたことに驚いた。

 集中力を高めることに時間が掛からなくなってきたある日、マレが突然、人間に変身した。
「えっ?マレ?えっ?」
 トゥイーリが普段はみせない慌てぶりを見て、マレは、こほん、と咳払いをすると、
「はい、人間に変身することができます」
 トゥイーリは呆然と人間に変身したマレを観察する。
 身長は高く、体は細いほうだが、洋服から出ている腕を見るとそこそこ筋肉がありそうな体をしている。髪は肩までの長さでグレー。目の色は猫の姿と一緒で明るい緑色の目。鼻筋はすっとしていて口は薄め。かなり整った顔立ちの人間だった。
 ぼんやりと見ていると、こほん、と咳払いが聞こえ、
「さて、勉強を始めますよ」
 その声にトゥイーリは現実に戻り、
「はい」
 と短く返事をした。
 マレは懐から年季のはいったタロットカードを取り出すと、
「では、今日からタロットカードを使っていきます。とはいえ、まずはタロットカードの意味を覚えていきましょう」
 と話しテーブルの上にカードを並べていく。
「カードは全部で78枚です。大アルカナが22枚、子アルカナが56枚になっています。それぞれのカードが正位置か逆位置になるかで答えが変わっていきます」
「……」
「最初から全部覚える必要はありません。少しずつ覚えていましょう」
「……はい」
 トゥイーリはつい、疲れた声を出してしまった。

 占い師としての勉強を始めて7ヶ月が過ぎた頃、マレから、
「一度、外に出てみませんか?」
 と言われた。
「外?どういうこと?」
「外、というか、城下町ですね。庶民がどのように食事をしているのか、仕事をするのか知らないでしょ?」
「仕事?」
「そうですね……人は食事をしたり、物を買うときはお金が必要です。そのお金を得る手段が仕事なのです」
「なるほど……」
「王城の中にいると、そういったことは目につきません。城下町へ行き、どのように人がお金を得て、使うか、その目で確かめることが今回の目的です」
「わかりました」
「そうですね……日曜日は勉強がお休みですよね?」
「はい」
「それなら、日曜日、昼食を食べたあとに城下町に行きましょう」
「はい、わかりました」
「あっ、このことは侍女をはじめ、お城の皆さんに内緒にしていてくださいね」
「なぜですか?」
「みなさんに知られてしまうと、ゆっくりと街中をみることができないからです」
「そうなの?」
 あまり納得していなそうな顔でトゥイーリは頷いた。

 そして、2日後の日曜日の昼食後、人間に変身したマレはトゥイーリと一緒にクローゼットに入り、外に行けるような洋服を選んでいる。
 マレはその中から、淡い黄色の飾りのない長袖のAラインのワンピースを手にとり、トゥイーリに渡す。
「この中では一番シンプルで、庶民が着ていても違和感のない洋服です。1人で着替えられますか?」
 そう聞かれ、きょとんとしたトゥイーリは
「着替えはいつも1人でやっています」
 と答え、マレの前で着替えだした。その姿を見たマレは慌てて、
「あっ、ちょっと待ってください!クローゼットから出ますので!」
 と足早にクローゼットから出て行った。
(なんでだろう?)
疑問に思ったが、そのまま素早く着替える。
「マレ、着替え終わったわ」
 トゥイーリの声に恐る恐るクローゼットの中を覗き込み、着替え終わったのを確認してからマレは入ってきた。
「トゥイーリさま、これからは人の前では着替えずに、どこか隠れてから着替えてください」
「なぜですか?」
「人前で着替えることは、恥ずかしいことだからです」
「?????」
「さて、出発しましょうか?」
 納得してないのはわかっていたが、強引に話題を切り替え、クローゼットの中のあのドアから外に出る。

 外はきれいな青空が広がり、夏の終わりの暑い時期なのに、風が吹いていて気持ちよかった。
 マレはあたりを確認しながら、外壁のドアを開けて建物がたくさんある場所に出た。
「ここは貴族が住んでいる屋敷街となっているので、あまり人が通りませんが、王城の外壁から出たことが分かってしまうと二度と外に出られなくなりますので、慎重に行動してください」
 トゥイーリがこくりと頷いたのを確認したマレはトゥイーリの右手を繋ぎ歩き出した。
 王城の外壁沿いに歩き角をまがって南のほうに行くと だんだん人の気配を感じてきて、賑わうところに出てきた。
「ここら辺が王城の南側で市場などがあるところです」
 マレの説明を聞いてあたりを見回してきょろきょろしてしまう。
 トゥイーリは自分の部屋ではみたことのないくらい人がたくさんいることにびっくりしていて、呆然としていた。
「トゥイーリ?大丈夫か?歩けるか?」
 マレはトゥイーリの右手を軽く引くと、その動作に我に返ったのか、
「あ、うん、人がいっぱいいて、賑やかね」
 マレはきょろきょろとするトゥイーリを見ながら、
「そうだ、今日は、父親と娘の買い物という設定だから、お父さんと呼ぶように」
「なんで?」
「関係を説明するのが煩わしい……」
「……はい」
「よし、では買い物をするか?」
「買い物?」
「そうだ。城の中、部屋に籠りっきりなら、どのように食べ物や小物をそろえたりするか知らないだろ?」
「はい」
「今なにか必要なものはあるか?」
「う~ん……ないかな?」
「とりあえず市場の中を歩くか?」
「はい!」
 トゥイーリの元気のよい返事で街歩きがスタートした。

 トゥイーリが最初に市場に足を踏み入れた区画は食べ物が置いてあり、マレが食べ物の名前を教えながら歩く。
 食べ物の区画を通り過ぎると、洋服や布地が売っている区画に出た。
「わぁ、これかわいいです!」
 トゥイーリが目にしたのは、日常、出かけるのに使えそうな小さな肩掛けのカバンだった。
 革製品で、茶色のシンプルな作りだが、かぶせ蓋のボタンが透明のガラスでできている。
(これのどこが、かわいい?)
 マレは心の中でつぶやく。
「では、これを買って、次の街歩きで使えばいい」
「また街歩きしてもいいの?」
「もちろんだ。店主、これを」
「おう、まいどあり!お嬢ちゃん、これを選ぶなんて目が高いね!」
 その言葉にマレを見て、
「目が高い?」
 と聞いた。マレは言葉を選びながら、
「……よい商品を選ぶ能力が高い、ということだ」
「へぇ~」
「お嬢ちゃん、すぐに使うかい?」
 トゥイーリはまたマレを見上げる。マレはトゥイーリの視線に気づきこくりと頷くと、
「そうだな、すぐに使うから、そのままでいい」
 マレはお金を支払い、カバンを受け取ると、肩掛けのベルトを調整しトゥイーリの左肩に掛けた。
 トゥイーリはそのカバンをまじまじと見つめたあとに顔を上げ笑顔で、
「お父さん、ありがとうございます!」
 と言った。その光景に店主は
「かわいい娘さんだな。いくつなんだ?」
「6歳になった」
「そうか、お嬢ちゃん、お父さんの言うことをよく聞いて、元気に育つんだぞ。そして、またこの店で買い物してくれよな!」
 トゥイーリは意味がわからず、きょとんとしているが、マレは笑顔を浮かべて、
「ありがとう、またくる」
 と話し、街歩きを再開した。

 トゥイーリは嬉しそうな顔でカバンを見ながら歩いているせいか、人にぶつかりそうになっている。 
「前を見て歩け」
「あっ、ごめんなさい」
と言ったそばから、またカバンを見ている。
「ああっ、もう」
 マレは呆れた声を出し、トゥイーリを抱っこして市場を歩くことにした。

 一通り見終わって、食べ物を売っている区画に戻ってきた。
「もう家に帰るから、お菓子でも買って帰るか?」
「うん!それなら、さっき見たあそこのお店のクッキー食べたいです!」
 トゥイーリが指さしたのは、クッキーをばら売りしているお店で若い女性がたくさんいるところだった。
 マレはちょっと気後れしたが、決意を固め、その群れの中に入る。
「どれにする?」
 たくさんの女性に囲まれ気まずい思いをしながら、トゥイーリが選びやすいようにクッキーの種類を見せる。定番の丸い型や、星型、ハート型、花型、いろんな種類が並んでいる。
「えっと、あの星型のクッキーとその隣の茶色のハート型のクッキー!」
「わかった。店主、星型とチョコレートのハート型のクッキーをそれぞれ5枚ずつ包んでくれ」
「あいよ!」
 店主は紙袋に、ぽいぽいと入れていく。それをお金と引き換えに受け取り、トゥイーリに手渡す。
「まいどあり!またきてな!」
「はい、またきます!」
 小さな女の子が一生懸命に答えている姿にほのぼのとした空気があたりを覆っていた。
 マレは頭を軽く下げながら女性陣の包囲網を抜けると、往来の邪魔にならないところまで歩き、トゥイーリを下ろす。
 トゥイーリが持っているクッキーの入った紙袋をカバンの中にしまい、そのまま手をつないだ。
「さぁ、帰るぞ」
「……うん」
 あれ?と思いトゥイーリを見ると、疲れたのか、半分眠りそうな状態だった。
 マレは再び、トゥイーリを抱っこすると、
「疲れただろ。家まで眠っていても大丈夫だ」
「……うん」
 と言って、マレの左肩にこて、と頭をのせてそのまま寝息を立てた。
 マレは起こさないよう気を付けながら王城へと向かって歩いて行った。
6歳頃から占いの勉強を始めて、時折、マレと城下町に行ったり、机の上に出していたタロットカードを見たジュリアに占いをねだられて占断してみたりと、日々、穏やかに楽しく過ごしているうちに8歳になった。

 ある日の夜、マテウス国王とエリアス第一王子との晩餐に呼ばれ、一緒に食事をしたあと、自分の部屋に戻る時に自分の出生の一端を知る出来事があった。

 いつもは侍女のジュリアと迎えにきた国王付の近衛たちと一緒に戻るのだが、その日に限ってジュリアは用事があり仕事を休んでおり、また、ここまで連れてきてくれた国王付の近衛も見つからなかったため、ひとり王城の中を帰ることにした。

 7歳の頃から始まった、国王と4歳年上の第一王子との食事会は月に2度ほどあったため、何度か往復する機会もあり、一人でも帰れる道だと思ったのだ。

 その帰り道、間もなく自分の部屋だと安心したトゥイーリの耳に聞こえた声があった。
「あの部屋の娘は自分の母親だけではなく、前国王も呪い殺した」
「今の国王も呪い殺そうとしている」
「王族の子息でもないのに、なぜここにいるのか」
 憎悪に満ちた声に立ち止まり、あたりを見回してみたが、人の気配は感じられなかった。
(私が、自分の母親を殺した?国王を呪い殺す?)
 トゥイーリの心に疑問が浮かぶが、誰に聞けばいいのだろう?
 もやもやとしたものを抱えながら、部屋に到着した。
「トゥイーリお帰り」
 マレはトゥイーリの顔がこわばり、青くなっているのをみて、
「何かあったのか?」
 トゥイーリはどう話せばいいのかわからず考えながら、
「今、帰り道で、王族を殺した娘だと言われたの」
 その一言でマレも表情をなくす。心の中で、
(誰がそんなことを言っているのだ?)
 と疑問が浮かぶが、トゥイーリの悲痛な声で思考が中断される。
「それは本当なの?」
 マレは静かに首を振り、声を振り絞る。
「……それについては、わからないのだ……」
 マレの苦悩に満ちた声にトゥイーリは自分の中で何かがはじけたような感覚を覚えた。
「……自分の母親と前国王を殺し、今の国王も呪い殺そうとしているって……」
 そこまで話した時に、トゥイーリの頬に涙が流れていた。
「どういうことなの?マレは私の身内から頼まれてここにいるのでしょ?なぜわからない、なんて言えるの?」
 マレは俯くことしかできない。トゥイーリの母親がなぜ死んでしまったのか、その理由を探っているが、いまだにはっきりと何が起きたのかよくわからないのだ。
「なぜ私がここにいるのかも知らない。そして、私の両親のことも知らない。なぜマレは何も知らないの?知っていて答えないの?」
 マレはその言葉をただ聞くことしかできない。どこまでのことをいつ伝えるか、いつなら大丈夫なのか、ずっと自問自答していて答えがでていないのだ。
 だけど、この王城で噂が流れているのなら、このまま押し切ることは難しいだろう。
 決意を固めると、マレはふ、と息を吐いてから口を開く。
「……トゥイーリの母親は、アリスィという名前でこの部屋で暮らしていた」
 トゥイーリははっとして顔を上げ、マレの声に耳をかたむけている。
「そのアリスィだが、トゥイーリを産んで10日後に亡くなっていることはわかっている。だが、なぜ亡くなったのか、病死なのか、事故死なのか理由がわからない。今話せるのはここまでしかないのだ」
「そうなの……では、私の父親は誰なの?」
「それについては、今は話せないのだ。申し訳ない」
 ディユ家と王族との密約は反故になったといえ、マレはトゥイーリの父親を認めていない。
「そうなの……」
 トゥイーリは俯いたままつぶやき、そのままベッドに横たわり声を殺しながら泣き始めた。マレは、人間に変身すると、そのままトゥイーリの近くに座り背中をとんとんと軽くたたきあやし続けた。
 しばらくすると、泣き疲れたのか、眠ってしまったようだ。
 マレは起こさないように静かに抱き上げてから、布団をめくりあげ、そこに静かにおろし布団を掛けた。
 部屋の灯りを消して、猫の姿に戻ると、いつものようにトゥイーリのすぐ近くで眠り始めた。

 翌日、トゥイーリは朝食を食べたあと、ぼんやりと外を眺めていた。
 その様子を見てマレは、
「今日から水晶玉を使った占いの勉強を始めましょう」
 マレは人間に変身し、クローゼットの中から両手で包むように布で包まれた水晶玉を持ってきた。
「これはトゥイーリの母親のアリスィが使っていた水晶玉になりますが、浄化し新品同様になっています」
 テーブルの上に円形で透明度の高い水晶が置かれた。
 トゥイーリはその水晶玉をじっと見ながら、
「浄化って何?」
「水晶玉は使っているうちにいろんな念が入ってしまいます。なので、毎日、流水にさらして、よい状態を保つように手入れをするのですが、それが、浄化と呼ばれるものです」
「なるほど」
「今日からはトゥイーリの水晶玉となります。毎日、使ったら浄化をお願い致します」
「あっ、はい」
「よろしくお願いします。さて、水晶玉はタロットカードより手軽に占いができます。確認したいことを頭に浮かべ、水晶を見つめてください。そうするとイメージが水晶玉に現れるのです。最初は時間がかかるかもしれません」
 トゥイーリは興味深く水晶玉を見ている。
「ただし、タロットカードを使った占いでも言いましたが、自分の過去・未来について占うことはできません。自分の願望が現れてしまうので、正確な答えがでないのです。いいですか?」
トゥイーリはこくんと頷いた。

 水晶玉の占いについてはあっという間に習得してしまったトゥイーリにマレは
「城下町で占い師として実践経験を積むか」
 と、一人呟く。
 マレの発言がよく聞こえず、首を傾げたトゥイーリに
「自立するために、お金を稼ぎましょう」
 意味が分からず、きょとんするトゥイーリを横目に見ながら、マレは人間に変身し外出の準備を始めるとトゥイーリにも着替えるように伝えた。

 着替えが終わるとすぐに町に行き、ガエウの食堂を見つけて、ちょっとしたテストに合格したトゥイーリはガエウの食堂の一角を借りて占い師アリーナとして経験を積むことになった。
 自分の占いで、人の悩みを解決し、暗い顔をしていた相談者が明るく笑顔になることが嬉しかった。
 自分でも人の役に立つのだと気づいたトゥイーリは夢を持ち始めた。
 そして、夢を実現しようと決心した日に自分の夢をマレに話した。
「王城を出て、占い師として生きていきたい」
 マレはその言葉に驚いた。
「どういうことだ?」
「うん。占い師として、悩みを解消して明るくなった相談者をみるのが嬉しくて。もっともっと喜んでくれる人が増えたらいいなって」
マレは静かに聞いている。
「……あとね、ここにいると、自分の出生についていつまでも悩むことになる」
 トゥイーリは少し俯きながら続ける。
「もう、誰も何も教えてくれないのなら、ここにいる理由はないでしょ?」
 マレは言葉に詰まる。ここでトゥイーリがこの国を出てしまったら、何が起きるのか、想像したくなかった。マレは反対だ、と言おうとした時、トゥイーリと初めてあった夜にアリスィが現れた時のことを突然思い出した。
 あの時、アリスィはトゥイーリに自由に生きろ、と言っていた。だけど……。
「……少し考えさせてくれ」
 と伝えた。
「わかったわ」
 トゥイーリは落胆を声にのせて返した。

 次の日の朝、マレはトゥイーリに
「今日これから出かける、帰りは明日の夜になる」
 と冷たく告げた。
 トゥイーリは驚いて、
「どこに行くの?」
 と聞いた。
「実家に帰る」
 それだけ言い、すぐにクローゼットから外に出た。
 いつもと違い、冷たい態度のマレにトゥイーリは昨日、自分の夢を話したことを後悔した。
 夢を話さなければ、ここまで冷たい態度にならなかったのでは?と自分を責めた。
 トゥイーリは後悔の涙を流し続けた。
 マレは随分と昔は人間だった。

 肉体がなくなったあと、占い師を遣わせた神により、魂のみこの世界にとどまることになった。
 目的は子孫を見守ることだ。

 王家とディユ家の間で生まれた娘が6歳の誕生日を迎えた日に王城に行き、その娘の側で成長を見守る。
 
 ただ、娘が16歳になると、マレは一旦北の山ふもとにあるディユ家にもどり、子の生誕を待ちながら冬眠に入る。
 地上のわずかな気配で目を覚まし、王城に向かう。

 それをずっと繰り返してきた。
 
 アリスィが亡くなったことは冬眠が明けてから、アリスィの母親のラウラから聞かされた。
 聞いた時は後悔しかなかった。
 アリスィの置かれた環境は歴代の娘たちの中で一番悪かった。
 それはわかっていたが、子ができればいい方向に行くだろうと楽観していた自分もいた。
 いつしかその後悔は憎しみに変わり、アリスィを殺した王城へと向かっていった。

 一族の娘を殺した王族に、ディユ家をないがしろにするということはどういう結果になるか、きっちりとわからせたいという思いが胸の中でくすぶっていた。

 昨日のトゥイーリの言葉で、一度は引き留めようと思ったが、復讐の機会が訪れたのだ、と思えた。
 それなら、準備をして徹底的にこの国を壊してしまおう。
 たとえそれでこの国が滅びたとしてもかまわない。

 王城を出て、魂だけになると、そのまま北のディユ家と向かった。

 ラウラは何かを察していたのか、ディユ家の玄関前で待っていた。
 
 ラウラもまた、プラチナブロンドに深い藍色の瞳を持っており、ディユ家の血をひいているのが一目でわかる。

「おひさしぶりです、マレ様」
 地上に降りると、人間に変身した。
「ひさしいな。今日は願いごとがあり帰ってきた」
「はい、わかっています」
 ラウラはすべてを見通していたかのように答え、
「準備はできています。いつでも大丈夫です」
 と頷いた。マレはその言葉を確認すると、ディユ家に入ると、禊ぎをすませ、ラウラと共に神から宣託をうけるため、屋敷の中にある部屋に籠った。
 
 ディユ家での儀式が終わると、約束通りの日程で王城に戻った。

 マレは裏口から王城に入り、トゥイーリのいる部屋へと人間の姿のまま帰ってきた。

 マレと向かい合って座っているが、気まずい沈黙が部屋の中に漂う。
 口を開き、言いかけてはやめて、と何度か繰り返していたトゥイーリは自分の心を奮い立たせ、マレに話しかける。
「あの、マレ、昨日はわがままを言ってごめんなさい」
 マレは苦悩を顔に出していた。
「いや、いいんだ。本当はこのままこの城に居てくれたほうがいい。だけど、そうだな、トゥイーリは何も知らずにここに閉じ込められている。私は事情を知っていても、制約がありすべてを話すことができない。何も知らせずにここに縛り付けておくのも限界だろう。なにより、初めてトゥイーリに会った日の夜にアリスィは、自由に生きろと言った。それなら……」
 マレは最後の迷いを振り切るようにトゥイーリを真正面から見つめ、
「それなら、王城を出るために計画を立てよう。誰にも知られないように」
 マレの目に浮かんだ暗い影にトゥイーリは慄きながら頷いた。
 ルアール国の第一王子のエリアスは朝から心が浮き立っていた。

 思い人であるトゥイーリに公に会える、毎月に2度しかない貴重な食事会の日だからだ。

 父親のマテウス国王には昨日のうちに仕事が溜まっているだろうから僕一人で行くと伝えていた。

 父親の遠縁にあたる娘の子供であるトゥイーリに初めて会ったのは僕が11歳の時だった。
 とても7歳とは思えないほど、表情は固く、近づくことを許さない雰囲気の女の子だった。
 その後、交流という名目で毎月2度ほど会う機会があったのだが、話してみると知識が豊富で頭の回転がよく、トゥイーリとなら、この国を守り大きくしていけるのではないかと思うようになった。

 また、会うごとに少しずつ表情も和らいで、エリアスの何気ない冗談に笑顔を見せることも増えていき、その笑顔をいつでも見たくて、日々、ネタを探している。

 いつか結婚をしなければならないのなら、トゥイーリがそばにいてほしい、と陛下にも伝えているのだが、国妃として条件を満たしていない、など、何かにつけ断られている。

「殿下、おはようございます」
「テオ、おはよう!」
 9歳年上のテオはエリアスが7歳の頃からそばにいてくれる側近で兄のいないエリアスにとっては頼れる人間だ。
「今日は朝からご機嫌ですね……浮かれすぎて気持ち悪いです」
「しかたないだろ。今日は久しぶりにトゥイーリに会えるのだから」
「そうですね。トゥイーリさまにその気持ちが全く伝わっていないところが悲しいですね」
「テオ……朝から気持ちをえぐらないでくれ」
 エリアスは泣きたくなってきた。
 テオの言う通り、トゥイーリはエリアスの思いに気づいていない。完全な片思いなのだ。
 なんとかこちらの思いに気づいてほしくて、視察に行く度にお土産を購入して渡したり、トゥイーリ付き侍女のジュリアに協力してもらい、城の中で偶然会ったように装いデートをしているのだが効果が全くない。
「殿下」
「なんだ」
「男は度胸です。押し倒して既成事実を作ってしまえばいいんですよ」
 どや顔でいうテオ。
「ん、まあ、王権でなんとでもできると思っているけど、できれば、体だけじゃなくて心もほしいんだよね」
 ほんのり顔を赤くしながら告白するエリアスにテオはにやにやと気持ち悪い笑顔を向けた。
「いつか思いが届くといいですね」
 とにやにやするテオをただ睨むしかないエリアスだった。

 エリアスが浮足立っている頃、トゥイーリはいつものように、窓から入る光で目が覚めた。
(今日の夜、ここから出ていくから懐かしい夢を見たのね)
 マレとの出会い、庶民としての行動、ここを出ていくことを決意するまで。
 長いような短いような12年間だった。

 ベッドから上半身を起こし、少しぼんやりとしていると、ノックの音が聞こえ、ジュリアがお湯の入った桶となぜかマレの食事だけをワゴンに乗せて入ってきた。
「トゥイーリさま、おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます。今日もぐっすりと眠れました!」
「それはいいことです!」
 ジュリアは俯いて笑いをこらえた。そのままクローゼットにはいり、今日の洋服を選んでいる。
 その間にトゥイーリはベッドの上で顔を洗い、タオルで拭き終わった頃にジュリアが淡い水色のワンピースを持って近くにきた。
「今日はこれにしましょう」
 トゥイーリは基本、特別なことがなければ部屋から出て王城の中を歩くことはないのだが、ジュリアが手にしたのは外出用のワンピースだった。
 怪訝な顔をしているトゥイーリにジュリアが、
「今日は国王様と朝食が予定されていますよ」
「あっ……」
 トゥイーリはすっかり忘れていたが、ひと月に2回ほど国王と4歳年上の第一王子と食事をすることがある。それが今日だった。
(明日じゃなくて、よかった……)
 慌てて着替えをすませ、長い髪を後ろでお団子状に結わいてもらい、マレに食事を渡した。その後、浮足立つジュリアの後に続いて部屋を出る。
 ジュリアの浮足立つ理由は、第一王子に会えるからだろう。
 第一王子のエリアスは明るい茶色の髪に同じ色の瞳のとても整った顔立ちをしていて、王城内の侍女や女官、貴族の女性たちにとても人気があると、ジュリアから聞いたことがある。
 そんな第一王子に会えるのだから、浮足立つのもうなずける。

 迎えにきた近衛とジュリアに囲まれるように王城内を移動し王族専属の食堂に向かう。
 目的の場所に到着してドアの前に立っている騎士に名前を名乗った。
名前を確認したあと、食堂のドアをノックして開けてくれた。

「おはよう、トゥイーリ」
食堂に入ると正面に窓があるのだが、第一王子のエリアスはそこに立っており、朝の光を浴びてまぶしいくらいにキラキラと輝いていた。
 後ろにいるジュリアが、ほう、とため息をついていたが、トゥイーリは膝をおり、頭を下げ、
「おはようございます、エリアス様」
「そんな堅苦しい挨拶はいらない、って何度も言っているだろ?」
 窓際から靴音を響かせ、トゥイーリの前に立ったエリアスは頭を上げるように伝えた。
 言われた通り、頭を上げて、エリアスを見上げると、少し微笑んでいるようだ。トゥイーリの右手をとると、そのまま椅子に座らせる。
 エリアスが真向かいの席に腰掛けたのを確認したところでトゥイーリは
「あの、今日は国王様は?」
「ああ、陛下は急な朝議がはいったとのことで、これないんだ」
「そうですか……」
「そうだ、一昨日まで、隣のヴィーレア国に行っていたんだ」
 エリアスは侍従の一人に合図をして、青いリボンが付いた小さな箱をトゥイーリに渡す。
「トゥイーリへのお土産。受け取ってね」
 エリアスはテーブルの上に両手をのせ、その上に顎をのせてにこっと笑いながら、トゥイーリを見つめる。
「いつもお気遣い頂き、ありがとうございます」
 トゥイーリは穏やかな笑顔をかえす。
「あけてみて」
 リボンをほどき、箱のふたを開けると、銀でかたどった花の真ん中に澄んだ濃い青色の石がついたブローチが入っていた。
「これは、ヴィーレア国の花のドイツァを模しているのでしょうか?この真ん中の石はなんでしょうか?」
「うん。よくわかったね。その真ん中の石はヴィーレア国の名産品のカイヤナイトと呼ばれる宝石なんだ。トゥイーリの瞳によく似ているから、どうしてもプレゼントしたくて」
 エリアスの声が弾んでいる。
「貴重な物をありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
 その言葉を聞きエリアスは椅子から立ち上がると、トゥイーリの近くにきて、箱からだしたブローチをワンピースに付けた。
「うん、よく似合うよ」
 エリアスは満足気に頷き、トゥイーリの左手を取ると素早く手の甲にキスをして、椅子に戻った。
「さぁ、食事にしよう」
「はい」
 食事中はエリアスが視察に行ったヴィーレア国の話しを聞きながら穏やかな時間を過ごした。

 食事が終わり、部屋に戻ったとたん、ジュリアが
「トゥイーリさま、今日もありがとうございますぅ」
 と弾んだ声で感謝の言葉を述べた。
「殿下のまぶしい笑顔が見れて、朝から幸せな気持ちになりました」
「そうなの?では、今日は一日幸せに過ごせるわね」
「はい!他の侍女仲間にも、今日の殿下の表情を余すことなく伝えますぅ」
 と手を胸の前に組んでうっとりとした顔で話している。
「でも、トゥイーリさまはずるいです」
 ジュリアの言葉の意味がわからず、首を傾げる。
「侍女仲間にも殿下のお話しをよく聞くのですが、16歳といえ王族のせいか、笑顔を浮かべていても楽しそうに笑うことはないそうです」
 トゥイーリは無言で話しを聞く。
「それが、トゥイーリさまの前では屈託なくお笑いになられて、楽しそうにお話しをしているんですよ。広い王城の中でも、その表情をされるのはトゥイーリさまの前だけなんですぅ」
 トゥイーリはなんと返していいのかわからず、苦笑いを浮かべた。
「でも、プライベートの家族の前とかではそんな感じになるのではないかしら?」
「はっ、なるほど、殿下にとってトゥイーリさまは家族という認識なんですね」
 ジュリアは首をこくこくと縦にふり、一人で納得して答えを出した後、きりっと侍女の顔に戻り、
「トゥイーリさま、本日は昼食の準備はいらないのですね?」
 昨日、夜の食事の時に昼食はいらないと断っていたので、ジュリアは念押しの確認している。
「ええ、ごめんなさい。読んでみたい本があって、集中して読みたいの」
「わかりました。では、次は夜のお食事をお持ちします」
 ジュリアはマレの食事が終わったのを確認し、皿と桶をワゴンに乗せ一礼して部屋を退出していった。

「ふぁ~疲れたわ……」
「トゥイーリお疲れ様」
 マレがベッドの上から声を掛けてくる。
「今日が定例の食事会だというのを忘れていたわ。このあと少し眠ろうかしら」
 トゥイーリはベッドに近寄り背中からぽすん、と体を沈ませる。
「……いや、まず着替えたほうがいいんじゃないか?」
「あっ…」
 ワンピースにはエリアスからもらったブローチが付いたままなので、あわててはずし箱に戻し、そのままクローゼットに向かう。
 髪をほどき部屋着のシンプルなワンピースに着替え、再びベッドに近づく。
そのままベッドにダイブして、
「というわけで、少し眠ります。マレ、起こしてね……」
 というや、軽く寝息を立て始めていた。
「ちゃんと毛布を掛けろって」
 マレは慌てて人間になり、ベッドのトゥイーリが寝ていないスペースの毛布をまくり、トゥイーリを抱き上げて静かにおろすと毛布を掛ける。
「……重くなったな」
 マレはしみじみとつぶやき、トゥイーリの頭をなでると猫に戻り、トゥイーリの近くで丸くなり、そのまま眠り始めた。
 間もなく午後になる時間。

 ガエウの店に行くためにクローゼットに入り、外出用のワンピースに着替える。
 今日は綿の生成り地のワンピースにし、髪をいつものように頭の高い場所で結わく。
 マレも眠そうにしながらも、にゃごにゃごと言いながら人間に変身している。
 二人とも外套を羽織り、いつものようにクローゼットの中のドアから外に出る。

 10月の終わりの穏やかな天候の中、ガエウの食堂を目指した。

「ガエウさん、こんにちは!」
 食堂に到着して、いつものように元気よく挨拶をしたのだが、すぐに固まってしまった。
ガエウの店はこじんまりとしていて20人も入ればいっぱいになる。
 今日の食堂は本当にぎっしりと人が入っていて、アリーナが予想していた以上の人数が目の前にいたのだ。
 確認してみるとアリーナが対応した相談者ばかりで、マレの茶飲み友達の女性陣はいない。
 その様子にほっとしたようなマレが後ろにいる。
「アリーナ、よくきたな!」
 ガエウは朗らかに声を掛けてきた。そして、食堂の中にいる人たちがトゥイーリを暖かなまなざしで歓迎してくれている。
「みなさん……!」
 アリーナは驚きのあまり、入口近くで立ち止まってしまった。
「みんな、アリーナに世話になったから、最後の挨拶をしたい、って言い始めてな」
「そうなんですか?本当にありがとうございます」
 アリーナは嬉しくて涙を流した。
 その様子を見てガエウは
「さぁ、早く席に座ってくれ」
「はい!」
 ガエウに促され店の真ん中に用意された席に座る。
 そこには大皿にのったサラダが置かれていて、取り皿が配置されていた。
「これから温かいものを持ってくるから、少し待ってな」
 とガエウはキッチンに入って、準備を始めた。
「アリーナ!」
 声を弾ませ、抱きついてきた女性はオリビアだった。
 その後ろにはジョルジが笑顔を浮かべて立っていた。
「しばらく会えないと思ったから、ガエウさんにパーティーを開いてほしい、ってお願いしたの」
「そうだったんですか」
 アリーナはお礼を込めてオリビアをぎゅっと抱きしめ返した。
「ありがとうございます」
 何度言っても言い足りないほどだ。
「二人はよくここでご飯食べていたからな」
 ガエウが料理を持ち、こちらに向かいつつ話している。
「アリーナのおかげで常連客がたくさん増えたんだ」
「それは、よかったです」
  アリーナの笑顔をみながらガエウは国の名物料理について説明を始めた。
「この国は山から流れる大きな川が流れていてな。栄養が豊富なのか、この国で採れる野菜は甘いのが特徴なんだ。この国の野菜を食べると、他の国では野菜が食べられなくなるらしいぞ。そんな甘い野菜を使った料理がこの国の名物なのだ。まずは野菜スープだな」
 こと、と目の前に置かれた鍋は透き通っていて、人参、玉ねぎ、蕪などが煮込まれているようだ。
 ガエウは小分けのスープ皿に二人分よそおい、アリーナとマレの前に置いた。
「さぁ、食べてくれ」
 アリーナとマレは、いただきます、と声を出した。
 まず、スープだけを味わってみると、水だけで煮込んだと思えないほどしっかりと味が付いていた。
 具材の野菜も柔らかく煮込まれており、甘さが口の中にひろがる。
「とっても美味しいです!お野菜がこんなに甘いなんて不思議です」
 王城でも食事にスープが出ることはあったが、ここまで野菜の甘みを感じたことはなかったため、感動してしまった。マレも目を見張りながら食べている。
「よかった」
 ガエウは二人の様子にほっとしたような声をだす。
「ほかにも料理を作ったから持ってくるな」
 とガエウは厨房に戻り、鶏肉の香草焼きを各テーブルに置くとまた厨房に戻り、今度は野菜を蒸した皿とチーズが入った小さな器を一緒に持ってきた。
「蒸した野菜にチーズを付けて食べるのもこの国の名物なんだ」
 ガエウの説明を聞いて、食べやすく細長く切ってある人参を手にとり、チーズを付けて食べる。
「人参の甘みとチーズの酸味がよく合いますね!」
 美味しそうに食べるアリーナを見て、周りにいた人たちも近くのテーブルに座り食事を始めた。

「アリーナがこの食堂にきた時は、たしか、8歳くらいだったか?」
 ガエウは目を細めながらアリーナを見る。
「そうですね、8歳になった頃でした」
 遠い目で話すアリーナ。

 この国で占い師は貴族の専属占い師でなければ、街中の店先を借りて占いをすること多い。このため、どこか店先を借りようと人間に変身したマレはトゥイーリを連れて城下町を歩いていた。
 その時に食堂からがっしりとした体躯のちょっと怖い顔をした人が手に看板を持って出てきた。
 意を決してマレはその人に声をかける。
「店主さん、こんにちは」
「はいよ!」
 見かけによらず、普通に話してくれたことにほっとし、
「この店先で占いをさせて頂きたいのですが……」
 と話し始める。
「お兄ちゃんが占い師かい?」
「いえ、この子を占い師として経験を積ませたいのですが……」
「はぁ!?」
 食堂の店主は驚き、男の近くでかたまっている女の子を見た。
「いや、何歳なんだ?」
「8歳になった」
「いや、そもそも、本当に占い師なのか?ディユ家で修行してきたのか?」
「はい、私がディユ家の当主で、この子はどの子よりも能力が高く早めに経験を積ませようと思ったのです」
(いやいや、全部嘘だわ……)
 トゥイーリは嘘を並べ立てるマレの右手をしっかりと握りながら、困惑を顔に出さないようにしていた。
「ふ~ん」
 店主は訝しげに親子をまじまじと見る。と、その時、トゥイーリの左手の二の腕にはめられている腕輪が目に入った。
「おっ、その腕輪?」
「はい、ディユ家に伝わる家宝であり、伝説の占い師が使っていたものです」
「そうかい……なら、ちょっと試させてもらおうか」
 店主はにやりと笑うと
「それじゃ、俺の誕生日を当ててくれ」
 と言った。
「食堂の中に入っても?」
「好きなところに座って占ってみろ」
 店主は店の中に入れて親子を適当に座らせた。
「アリーナ、占いをしよう」
 アリーナはとりあえず、頷いて、水晶玉を取り出し、集中力を高めていく。
 しばらくの沈黙のあと、
「誕生日は11月26日、11時頃に港町のヴェラオンでうまれた」
 店主はひゅ~と口笛を吹くと、
「正解だ。いままで誕生日は当てても時間までは当てたやつはいない」
 トゥイーリはほっとした。的中したことに安堵したからだ。
「よし、ここで占いしてもいいぜ」
 とガエウはにかっと笑った。
 
「なんだか、この前のことのような気がします」
 アリーナはしんみりとした口調になると、ガエウも
「ああ、本当に」
 としんみりとした口調になった。
「くる客みんな最初はびっくりしてたな」
 マレがくすくすと笑っていたが、ふと別の件を思い出して、
「そういえば、最初の頃の相談者でよい結果が出たからと、その後なんの努力もせずに農作物を枯らした人がいたな」
「いましたね……あれ以来、言葉に気を付けるようになりました」
 アリーナはその時のことを思い出す。
 天候不順の年で、農作物の収穫量はどうなるか?と相談があったのでタロットカードで慎重に占った結果、前年並みがやや良いくらいになるだろう、と伝えたところ、畑の世話をほったらかしにしてしまい、結果、前年よりかなり収穫量が少なくなってしまった。
 その出来事があってからアリーナは占いの結果は努力を放棄したら成り立たない、占いはあくまでもアドバイスにしか過ぎない、と話すようになった。
 オリビアもそうだ。相性はいいと占いは教えてくれていたが、その結果に満足して歩み寄らなければジョルジと付き合うことはなかった。
 占いの結果を信じ、それを実現させようと前に進まない限り、何も手に入らないのだ。
「いい経験になりました」
 アリーナはぼそっとつぶやく。

 相談者のその後の話しを聞いているうちに夕方が近づいてきていた。
「ガエウさん、そろそろ時間なので帰ります」
「おお、もうそんな時間か。時間が経つのが早いな」
 ガエウは立ち上がると、食堂の客にむけて、
「名残惜しいけど、そろそろ終わりの時間だ」
 その言葉にアリーナは立ち上がり、ガエウに
「お礼をもう一度伝えたいです」
 と小さな声で話した。ガエウは頷くと、
「最後にアリーナからお礼を伝えたいそうだ」
 食堂のみんながアリーナに注目する。こほん、と咳払いをして
「みなさま、お忙しい時に温かい時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございます」
 アリーナは一礼をする。
「これから西へと旅しますが、時折、こちらの国にも戻り、この食堂にきます。その時、会うことができれば、声を掛けてください。その時に困っていることがあれば手助けできればと思っています。そして2月のジョルジさんとオリビアさんの結婚式には顔を出したいと思います。それまでみなさま、体調を崩されることのないよう、元気でいてください。今日は本当にありがとうございました!」
 食堂のみなさんからの温かい拍手に送られるように、食堂を出る。
 そして食堂を出たあとに、ガエウがそっと分厚い封筒をアリーナに渡した。
「昨日までの場所代だ。旅するなら必要だろ?」
「えっ、いえいえ、これは受け取れません!場所を貸していただいたお礼なのですから」
「場所代以上に常連客をたくさん作ってくれたんだ。だから遠慮せずに受け取ってくれ」
 ガエウの言葉に、迷ったけど、ありがたく受け取ることにした。
「本当にありがとうございます。何回言っても足りないくらいです」
 アリーナは深々と頭を下げた。
「気を付けて行ってこい!いつまでも待っているからな」
 ガエウの明るい声と笑顔に涙が出そうになるのをこらえて
「お世話になりました。いってきます!」
 手を振りながら家路についた。
 ガエウの食堂でみんなから見送りを受けたトゥイーリは王城に戻り、読書をしながら最後の夜をのんびりと過ごしていた。

 いつもの時間にジュリアがワゴンにトゥイーリとマレの食事をのせ、テーブルの上に並べていく。

大好きな鶏肉の香草焼きが出され、噛みしめるようにゆっくりと味わう。

 すべてを食べ終わったのを確認したジュリアは食器を下げていく。
「いつもありがとうございます」
 食器を片付けるジュリアにトゥイーリは声をかける。
 ジュリアはその言葉に首を傾げたが、
「いいえ、トゥイーリさま。なにかあればすぐに声をかけてください」
 と笑顔で返した。
「ありがとうございます。あっ、そうだ。これから本を読むから、明日は夜だけ持ってきてもらえますか?」
「わかりました。料理長にお伝えしておきます。それでは、失礼致します。お休みなさいませ」
「おやすみなさい」
 ジュリアが出ていき、人の気配が無くなったのを確認すると、クローゼットに入り、部屋を抜け出すために隠しておいた荷物をベッドの上に持っていき、最終確認をする。
「こっちも準備できたぞ」
 人間に変身していたマレに声を掛けられたが、
「わかったわ」
 とトゥイーリは声のほうを向かずに自分の荷物を確認している。
荷物の確認を終えると、トゥイーリはクローゼットの中に入り、上はシャツ、下はパンツ、足元は底が平たい黒のブーツという動きやすい服装に着替えた。
「私も準備はできたわ」
 トゥイーリはクローゼットから出るとマレを見て、外に出る準備ができていることを確認すると、ベッドを整え、少しだけ部屋の整頓をした後に部屋の灯りを消した。
 部屋の中は暗闇となったが、クローゼットから光が漏れている。
「さぁ、行くわよ」
 トゥイーリとマレは薄手の外套を羽織り、自分の着替えを入れたカバンをそれぞれ持つ。

 ただ、マレのカバンにはこの部屋で見つけたアリスィがトゥイーリに残した手紙が入っている。
 表書きには、16歳になったトゥイーリへ、と書いてあるので、その年の誕生日に見せようと思ったのだ。
 ただ、不思議なことに、現国王宛の手紙も見つかった。
 旅先からすぐに送ったほうがいいのか、ここに残しておいたほうがいいのか。
 それも考えないといけない。
 小さなため息をついてマレは、
「よし、行こう」
 とトゥイーリを見つめ返し、2人でクローゼットの中に入り、灯りを消すとそのまま外に出た。

 外に出て少し離れたところで王城を一度見上げた。
 つられてマレも王城を見上げる。
 この城を出ようと思った時から4年が経っていた。やっと、知らない国でも半年ほどは何もせずに暮らせるだけの商品を集めた。

 それは、旅に出てもかさばらないよう、絹で織られた布地である。
 この国では割と安価だが、他の国では、そこそこ高値になる、とマレに言われて少しずつ買い集めたものだ。

 それを滞在する国の町の店で売り、お金に換えていく。

(さようなら。ジュリア、何も言えなくてごめんなさい)
 ジュリアに心の中でお詫びを言って、前を向く。
「マレ、行きましょう」
 外套のフードを目深にかぶり、気づけば少し涙が出ていたが、手の甲でぬぐい三日月の頼りない月明りの中、一路西へと向かい歩き始めた。

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