締め切ったカーテンから僅かに零れる夕日がわずかな光源。だが淡いオレンジ色の光は灯りと呼ぶには値しない。浴びたとてノスタルジーと眠気を誘うだけで、今の私にとってはそれで虚無感と劣等感を抱かせる忌むべき光である。
私は薄く目を開けて永い悪夢から醒めたことを確認する。いったいどんな夢を見ていたのかは思い出せないが、汗だくになるほど気持ちが悪かったことは確かだ。足だって何キロ走って来たのかわからないほど重い。
なんなら夢どころかカフェテリアからどうやってこの部屋まで戻って来たのかすら覚えていない。あまりにもナイト様の光と金髪の学生に向けられた侮蔑の眼差しが印象的過ぎて、それ以外のことがすべて霞んでしまっている。
私は気怠るくベッドに倒れこんだまま、蒸れた髪の匂いが染みついた枕に顔をうずめた。手探りでカバンからスマホを取り出してブルーライトの眩しい光に目を細めながら昨日も見ていた掲示板サイトを開いた。
特に理由は無いが、この行動はもはや日課になっている。するとそこには珍しくコメント数が伸びているスレを見つけた。
そのスレではナイト様と同じ事務所に所属するVtuber、比翼つばさ。通称「ツバ姉」に関する内容を話していた。比翼つばさについては詳しくは知らないが、ゲーム配信を中心に活動していると聞いている。
なぜそこまで議論が発展しているのか、親指だけを動かしてページを見ていく。
2021/11/5(金)17:30:08.17
昨日のツバ姉の配信は視聴者に壊された
2021/11/5(金)17:30:42.09
見てないな。何があったの。
2021/11/5(金)17:31:30.56
視聴者参加型のゲームで参加した視聴者がgmだった。
・ゲーム内チャットで好き勝手話す
・やたらとツバ姉のゲーム画面に映りこむ
・一回遊んだら自主的に部屋から抜けないといけないのに一人だけ残り続けた
これが30分以上続く
2021/11/5(金)17:32:47.28
まじかよ。ツバ姉も大変だな
2021/11/5(金)17:34:02.88
ツバ姉は笑って許そうとしてたけどコメ欄は大荒れしてたよ
2021/11/5(金)17:34:31.92
最近はマジでああいう視聴者増えた気がする
2021/11/5(金)17:35:20.02
本人は面白いと思ってるのが余計にタチ悪い。ぜったい中高のガキだろ。
2021/11/5(金)17:35:59.55
ホントそれ。俺たちはツバ姉を見たいのであって視聴者は別にどうでもいいんだよ
2021/11/5(金)17:36:48.31
似たようなことだけどスパチャでも目立とうとするやついるよな。変な名前使ったり長文のメッセージ送ったり
2021/11/5(金)17:37:39.06
それは名前を憶えてほしいとかじゃなくて?
2021/11/5(金)17:38:51.54
変なことして覚えてもらおうとかやってること炎上商法だよ。純粋に楽しんでる側からしたら迷惑でしかない
2021/11/5(金)17:40:11.80
中には本当にセンスある人もいるけどそういう人はタイミングとか空気が読めてる人だけ
2021/11/5(金)17:40:29.62
結局は自我を持つなってことだよ。俺たちバチャ豚は黙って金払って見るだけでいいんだから
スレはまだ続く雰囲気だったが、私は耐えきれずにスマホの画面を切った。
「自我を持つな……そうだよね」
全く持ってつくづく余すことなくその通り異論はない。
私はナイト様に対して自我を持ってしまっていた。ストーカーのような真似をしてナイト様にも話しかけられて。勝手に一人で舞い上がっていた。
私はナイト様のことが好きだ。
低く優しげな声も虚ろ気な表情も的を得たワードセンスもすべて好きだ。これは恋といっても過言ではない。単なる「好き」だという単純な感情表現では表せないほど私のナイト様へ抱く思いは重く複雑なものになってしまった。
だがそれは自我だ。
視聴者が持ってはいけない感情である。
「バカバカしい」
私は自分に向かって罵倒をする。そしてポケットティッシュから変わった柄の入ったカードを取り出して、それをビリビリに破り捨てた。まだ少しでも縋るような私の未練を完全に断ち切る。
もし私がどこかで私自身を変えられていたなら、もしかしたらナイト様と恋人になれる未来があったのかもしれない。だがその場合、私はきっとVtuber黒岸ナイトの存在は知らなかったのだろう。
またしても私は妄想をしてしまう。イケイケの大学生活を送り、偶然出会ったイケメンが実はVtuberをしていた。最初は友達から始まるもVtuber活動をすることに理解を持った私は黒田くんを支えながら付き合うことになる。学園祭も一緒にまわり、ピンクタイガーのグッズを買いに千葉まで行く。そんな幸せな世界線があったのかもしれない。
甘い戯言は大概に、私は私が歩んできた退屈で灰色な現実へと戻ってきた。
スマホに通知が来てナイト様の配信が始まる。
通知を開くといつものナイト様をデフォルメしたキャラが白馬に乗って右往左往している。その画面を見つめながら私はベッドで横になる。
「あれ……?」
なぜかスマホの画面が淀んでいる。指先で画面をこするが、相変わらず淀んだままでナイト様のキャラの輪郭までもはっきりとしない。
そのとき目尻から耳元まで何か生温かいものがなぞった。
「あ……」
画面がゆがんでいるのではなく、私の目に涙が溜まっていた。これくらい気づけよと呆れたくなるが、私自身どうして泣いているのかも分からなかった。
「情けないなぁ……」
涙を拭っても次々と大粒の雫が涙腺からあふれだしてくる。自分の身体だというのに我慢ができないなんて、まるでお漏らしをしてしまう子供と同じだ。
『皆さんごきげんよう。アイドル系Vtuberの黒岸ナイトです。今日は……』
待機画面が終わってナイト様の配信が始まる。私は涙を無理やり手で押さえて栓をすると、しっかりナイト様へと向き直る。
ファンとしてナイト様の配信はしっかりと見なければいけない。
「いつも、応援しています」
スーパーチャットにコメントを載せて視聴者としての言葉を送った。
私は薄く目を開けて永い悪夢から醒めたことを確認する。いったいどんな夢を見ていたのかは思い出せないが、汗だくになるほど気持ちが悪かったことは確かだ。足だって何キロ走って来たのかわからないほど重い。
なんなら夢どころかカフェテリアからどうやってこの部屋まで戻って来たのかすら覚えていない。あまりにもナイト様の光と金髪の学生に向けられた侮蔑の眼差しが印象的過ぎて、それ以外のことがすべて霞んでしまっている。
私は気怠るくベッドに倒れこんだまま、蒸れた髪の匂いが染みついた枕に顔をうずめた。手探りでカバンからスマホを取り出してブルーライトの眩しい光に目を細めながら昨日も見ていた掲示板サイトを開いた。
特に理由は無いが、この行動はもはや日課になっている。するとそこには珍しくコメント数が伸びているスレを見つけた。
そのスレではナイト様と同じ事務所に所属するVtuber、比翼つばさ。通称「ツバ姉」に関する内容を話していた。比翼つばさについては詳しくは知らないが、ゲーム配信を中心に活動していると聞いている。
なぜそこまで議論が発展しているのか、親指だけを動かしてページを見ていく。
2021/11/5(金)17:30:08.17
昨日のツバ姉の配信は視聴者に壊された
2021/11/5(金)17:30:42.09
見てないな。何があったの。
2021/11/5(金)17:31:30.56
視聴者参加型のゲームで参加した視聴者がgmだった。
・ゲーム内チャットで好き勝手話す
・やたらとツバ姉のゲーム画面に映りこむ
・一回遊んだら自主的に部屋から抜けないといけないのに一人だけ残り続けた
これが30分以上続く
2021/11/5(金)17:32:47.28
まじかよ。ツバ姉も大変だな
2021/11/5(金)17:34:02.88
ツバ姉は笑って許そうとしてたけどコメ欄は大荒れしてたよ
2021/11/5(金)17:34:31.92
最近はマジでああいう視聴者増えた気がする
2021/11/5(金)17:35:20.02
本人は面白いと思ってるのが余計にタチ悪い。ぜったい中高のガキだろ。
2021/11/5(金)17:35:59.55
ホントそれ。俺たちはツバ姉を見たいのであって視聴者は別にどうでもいいんだよ
2021/11/5(金)17:36:48.31
似たようなことだけどスパチャでも目立とうとするやついるよな。変な名前使ったり長文のメッセージ送ったり
2021/11/5(金)17:37:39.06
それは名前を憶えてほしいとかじゃなくて?
2021/11/5(金)17:38:51.54
変なことして覚えてもらおうとかやってること炎上商法だよ。純粋に楽しんでる側からしたら迷惑でしかない
2021/11/5(金)17:40:11.80
中には本当にセンスある人もいるけどそういう人はタイミングとか空気が読めてる人だけ
2021/11/5(金)17:40:29.62
結局は自我を持つなってことだよ。俺たちバチャ豚は黙って金払って見るだけでいいんだから
スレはまだ続く雰囲気だったが、私は耐えきれずにスマホの画面を切った。
「自我を持つな……そうだよね」
全く持ってつくづく余すことなくその通り異論はない。
私はナイト様に対して自我を持ってしまっていた。ストーカーのような真似をしてナイト様にも話しかけられて。勝手に一人で舞い上がっていた。
私はナイト様のことが好きだ。
低く優しげな声も虚ろ気な表情も的を得たワードセンスもすべて好きだ。これは恋といっても過言ではない。単なる「好き」だという単純な感情表現では表せないほど私のナイト様へ抱く思いは重く複雑なものになってしまった。
だがそれは自我だ。
視聴者が持ってはいけない感情である。
「バカバカしい」
私は自分に向かって罵倒をする。そしてポケットティッシュから変わった柄の入ったカードを取り出して、それをビリビリに破り捨てた。まだ少しでも縋るような私の未練を完全に断ち切る。
もし私がどこかで私自身を変えられていたなら、もしかしたらナイト様と恋人になれる未来があったのかもしれない。だがその場合、私はきっとVtuber黒岸ナイトの存在は知らなかったのだろう。
またしても私は妄想をしてしまう。イケイケの大学生活を送り、偶然出会ったイケメンが実はVtuberをしていた。最初は友達から始まるもVtuber活動をすることに理解を持った私は黒田くんを支えながら付き合うことになる。学園祭も一緒にまわり、ピンクタイガーのグッズを買いに千葉まで行く。そんな幸せな世界線があったのかもしれない。
甘い戯言は大概に、私は私が歩んできた退屈で灰色な現実へと戻ってきた。
スマホに通知が来てナイト様の配信が始まる。
通知を開くといつものナイト様をデフォルメしたキャラが白馬に乗って右往左往している。その画面を見つめながら私はベッドで横になる。
「あれ……?」
なぜかスマホの画面が淀んでいる。指先で画面をこするが、相変わらず淀んだままでナイト様のキャラの輪郭までもはっきりとしない。
そのとき目尻から耳元まで何か生温かいものがなぞった。
「あ……」
画面がゆがんでいるのではなく、私の目に涙が溜まっていた。これくらい気づけよと呆れたくなるが、私自身どうして泣いているのかも分からなかった。
「情けないなぁ……」
涙を拭っても次々と大粒の雫が涙腺からあふれだしてくる。自分の身体だというのに我慢ができないなんて、まるでお漏らしをしてしまう子供と同じだ。
『皆さんごきげんよう。アイドル系Vtuberの黒岸ナイトです。今日は……』
待機画面が終わってナイト様の配信が始まる。私は涙を無理やり手で押さえて栓をすると、しっかりナイト様へと向き直る。
ファンとしてナイト様の配信はしっかりと見なければいけない。
「いつも、応援しています」
スーパーチャットにコメントを載せて視聴者としての言葉を送った。