大垣くんだけが傷付くなんて許せなくて……。だから、遠回しに別れることを何度も勧めた。


『たぶん美希は、いろいろ俺のこと心配してくれてるんだろうけど、大丈夫だよ。俺、今、すごく幸せだから』


 でもわたしの言葉では、ちっとも大垣くんの心を動かせなかった。むしろ何も知らない大垣くんは、嘘偽りない真っ直ぐな目でこう言い切るほどだった。

 そしてそのまま、お姉ちゃんはあっさりと結婚してしまった。
 しかも大垣くんにきちんと向き合って真実を告げることもせずに、最低で最悪な方法を選択して。

 二人が付き合っていること。
 大垣くんは本気でお姉ちゃんを好きなこと。
 でもお姉ちゃんは大垣くんを、浮気相手としてしか見ていないこと。

 残酷な真実を、どうしてわたしだけが知ってしまっていたのだろう。


「わたし、だから言ったのに……。別れないと、大垣くんが傷付くだけだって!」


 傘を持つ手の震えが止まらない。

 あんなにもお姉ちゃんが好きで、幸せそうなオーラを放っていたのに。笑顔を奪われて悲しんでいる姿を見るのが、とてもつらい。

 わたしはただ、大垣くんに傷付いてほしくなかっただけなのに……。

 大垣くんの頬に、次々と雫が滑り出す。傘の下で瞳から落ちるそれは、まぎれもなく涙だった。

 わたしたちの足元にある水たまりに波紋ができる。

 一度涙が落ちたことで、大垣くんは堰を切ったように泣き出した。目元を手のひらで覆い隠して、苦しそうに言葉と嗚咽を漏らす。


「……っ、うぅ、ほんと、だな。美希の言うこと……っ、聞いておけば、よかったっ……」

「大垣、くん……」


 大垣くんの肩が小刻みに震える。

 ポツポツと音を立てて、傘やわたしたちの体を叩くように強く落ちる冷たい雨。その音の中に、大垣くんの泣き声がこだまする。

 お願いだから、そんなにも悲しそうに泣かないでよ……。

 そう思ったときにはもう、腕を伸ばして目の前の彼を抱き締めていた。今度は躊躇わなかった。
 手のひらから滑り落ちた傘が水たまりの上に落下して、小さな水しぶきを上げる。

 雨空とわたしたちの間にあった傘がなくなると、聞こえる雨の音が少しだけ変わったような気がした。

 どこか遠くで響く、何もかもを流し去ってくれそうな雨の音。だけどそんなの、思い込みにすぎない。
 相変わらず降り続ける残酷な雨は、大垣くんだけはなくわたしの髪も体も、すべてをその音の中に吸収していく。


「……み、美希?」


 戸惑ったように揺れる声が、わたしの鼓膜を刺激する。

 すぐそばで聞こえるそれがどうしようもなく切なくて、どうしようもなく悲しい。だけど何よりも、大切にしたくなる。

 大垣くんの厚い胸板にぴったりと頬をつけて、その大きな背中を抱き締める腕に力を込めた。