「……バカだなぁ」


 呆れながらこぼした吐息と呟きは、果たして誰に向けたものか。自分でもその答えを探りかねたまま、カバンから折りたたみ傘を取り出す。 もう人だかりには目もくれず、すぐさま彼のもとへ向かった。

 祝福の輪から追い出されてしまった彼がいる場所へ。





 選択科目などで利用する特別教室があるだけの第二校舎は、人の気配が少なくてとても静かだった。だから外の雨の音が、わたしの足音よりもよく響いている。

 さっきまでいた第一校舎とは違い、肌に触れる湿り気がない。梅雨特有の蒸し暑さもなく、むしろ寒いと感じるぐらいだ。

 腕捲りしていたワイシャツとセーターの袖を思わず下ろす。

 彼も、この冷たい廊下を歩いた。そう考えると胸がギリギリと痛んだ。

 わざわざ自ら、こんな寂しい空気が漂った場所に来なくてもいいのに……。

 だけど彼は、きっとあの場所にいる。この廊下よりもさらに冷たい場所に、一人ぼっちでいるのだろう。
 描いていたはずの希望なんて、はっきりと砕かれたはずなのに。それでも縋るように、何かしらの救いを求めるように。

 容易く浮かんでしまった彼の姿が不憫で、わたしは目の前に現れた屋上に続く階段を駆け足で上った。

 重い鉄の扉の前に立ち、焦り出した呼吸と鼓動を落ち着かせる。持ってきた傘を胸の前でぎゅっと握り締めて、扉の上部にある小窓から外の世界を覗き込んだ。


「やっぱりいた……」


 雨を落とす空も、すっかり濡れて色が濃くなったコンクリートの地面も。すべてが灰色の世界の真ん中に、彼の背中が見えた。

 ゆっくりと扉を開けると、断末魔のような苦しげで大袈裟な音が響いた。

 さっきまでよりもさらにひやりとした空気がわたしを出迎える。ポツポツと降り続けている雨が、微かな風で校舎に入り込んできた。

 屋上は完全に、雨に支配されていた。

 湿った空気。コンクリートに染み込んだにおい。視界に幾重にも落とされる、灰色の無数の線。
 冷酷な静けさを含み、雨音が空間を埋め尽くす。

 何もかもが雨のものになったその場所に、彼はこっちに背を向けて立ち尽くしていた。しかも、傘も差さずに雨ざらしのままで。

 髪も、体も。全身が濡れている姿は、遠くから見てもわかるほど悲しみに覆われていた。
 いつもならしゃんと伸びている背中も、心なしか縮んで小さく見える。

 ……バカだよ。
 そんなに濡れたって、何も誰も、きみの傷なんて癒してはくれないのに。

 むしろ余計な冷たさに、追い打ちをかけられてしまうだけだよ。

 それでもきっと、彼にとってここが彼女との思い出の場所であるのは変わりなくて。引き寄せられずにはいられないのだろう。

 どんなに残酷なことを、その彼女にされたとしても――。