あの日以来、村松遥の様子がおかしい。あの日、とは彼女が自習室で一人、泣いていた時のことだ。
あれからやたらと目が合う、というか常に見られている気がする。
挙句、授業が終わると帰ろうとする友人に別れを告げ、勉強するわけでもないのに塾を閉めるまで塾に残るようになった。
みんなが帰った自習スペースに、村松遥と監視役の俺だけ。
最初はあの時の発言をネタに金品の要求やテストの問題をあらかじめ教えろ、などと脅されるのかと肝を冷やしたがいくら経っても彼女からは何も言ってこなかった。
あいつは一体、何を考えているのか。
その疑問は突然晴れることとなる。
「荻野先生、村松さんに気に入られてますね」
「は?」
「私、聞いちゃったんです。山本まりさんから。遥は荻野先生のこと好きだからいつも塾に残ってる。だから一緒に帰れなくて寂しいって」
「はぁ……は?!」
問題起こさないでくださいよー、と若い女性の塾講師はニヤニヤと笑いながら指導室を去っていった。完全に面白がっている様子だ。
ぽつんと取り残されて一人。思い返せば、彼女の理由不明の行動は全てたった一つの説明で合点が行く。
村松遥は俺のことが好きだから。
「えぇ……」
しかし、やはり納得がいかない。俺が彼女に好かれる理由になんの心当たりもない。むしろ嫌われる方が自然だ。
そうだ。好きと嫌いは紙一重というじゃないか。
村松遥は俺のことが嫌いだから。
だからずっと監視している。そう考える方が自然だ。山本まりの情報は大人をからかう真っ赤な嘘というわけだ。
どうして女子高生がこんなおじさんを好きになるというのか。そんなありえない可能性を少しでも信じてしまった自分がわからない。
わからないといえば、なぜ、俺はあの時泣いている村松遥に対し、あんなことを言ってしまったのだろうかと今でも考える。
しかし何度考えても、目の周りを赤く腫らし、水々しく潤んだ彼女の瞳が、矢崎によく似ていたから、としか言いようがない。その目を見た時の驚きと懐かしさが大人としての理性を忘れさせてしまったのだ。
矢崎。
高校生の頃に好きだった、いや、今でも好きなやつ。
俺の人生を大きく狂わせた存在でありながら、あいつのおかげで俺の人生が始まったとも言える。
あいつと知り合って、友人になって、親友になって、恋人になれなかった三年間が俺を蝕み、呪い、恋人もできずに連絡が取れなくなった今もどこかあいつの影を追ってしまっている。
そういえば、矢崎も何を考えているのかわからないやつだったな。
「荻野先生」
その声で我に帰ると目の前にカバンを持った村松遥が立っていた。腕時計を見るといつのまにか塾を閉める時間になっていた。真っ暗な窓の外から近くの信号機の青い光が入り込む。
「あぁ、帰るか。お疲れ様」
「荻野先生、今週の日曜暇ですか?」
暇ですかって。確かに暇だが。なんだか嫌な予感がして俺はとっさに嘘をつく。
「あー予定が入ってるな」
「じゃあ来週の週末は?」
「来週もちょっと」
「じゃあ再来週は?」
「ちょ、ちょっと待って。相手の予定を聞く前に、まず要件を話せよ」
要件ってほどでもないんですけど、と村松遥は呟くと何やら思い出したように胸の前でぎゅっと手を握る。
あ、まずい。
「あ、やっぱり……」
「今度、デートしませんか?」
瞬間、信号機は色を変え、黄色い明かりが彼女を照らす。これ以上は危険だ。しかし、彼女の真意を確かめずにはいられない。
「デート……? ど、どうして」
「私、荻野先生のこと好きなので」
嫌な予感が的中したと同時に、俺たちの影が赤く染まった。
あれからやたらと目が合う、というか常に見られている気がする。
挙句、授業が終わると帰ろうとする友人に別れを告げ、勉強するわけでもないのに塾を閉めるまで塾に残るようになった。
みんなが帰った自習スペースに、村松遥と監視役の俺だけ。
最初はあの時の発言をネタに金品の要求やテストの問題をあらかじめ教えろ、などと脅されるのかと肝を冷やしたがいくら経っても彼女からは何も言ってこなかった。
あいつは一体、何を考えているのか。
その疑問は突然晴れることとなる。
「荻野先生、村松さんに気に入られてますね」
「は?」
「私、聞いちゃったんです。山本まりさんから。遥は荻野先生のこと好きだからいつも塾に残ってる。だから一緒に帰れなくて寂しいって」
「はぁ……は?!」
問題起こさないでくださいよー、と若い女性の塾講師はニヤニヤと笑いながら指導室を去っていった。完全に面白がっている様子だ。
ぽつんと取り残されて一人。思い返せば、彼女の理由不明の行動は全てたった一つの説明で合点が行く。
村松遥は俺のことが好きだから。
「えぇ……」
しかし、やはり納得がいかない。俺が彼女に好かれる理由になんの心当たりもない。むしろ嫌われる方が自然だ。
そうだ。好きと嫌いは紙一重というじゃないか。
村松遥は俺のことが嫌いだから。
だからずっと監視している。そう考える方が自然だ。山本まりの情報は大人をからかう真っ赤な嘘というわけだ。
どうして女子高生がこんなおじさんを好きになるというのか。そんなありえない可能性を少しでも信じてしまった自分がわからない。
わからないといえば、なぜ、俺はあの時泣いている村松遥に対し、あんなことを言ってしまったのだろうかと今でも考える。
しかし何度考えても、目の周りを赤く腫らし、水々しく潤んだ彼女の瞳が、矢崎によく似ていたから、としか言いようがない。その目を見た時の驚きと懐かしさが大人としての理性を忘れさせてしまったのだ。
矢崎。
高校生の頃に好きだった、いや、今でも好きなやつ。
俺の人生を大きく狂わせた存在でありながら、あいつのおかげで俺の人生が始まったとも言える。
あいつと知り合って、友人になって、親友になって、恋人になれなかった三年間が俺を蝕み、呪い、恋人もできずに連絡が取れなくなった今もどこかあいつの影を追ってしまっている。
そういえば、矢崎も何を考えているのかわからないやつだったな。
「荻野先生」
その声で我に帰ると目の前にカバンを持った村松遥が立っていた。腕時計を見るといつのまにか塾を閉める時間になっていた。真っ暗な窓の外から近くの信号機の青い光が入り込む。
「あぁ、帰るか。お疲れ様」
「荻野先生、今週の日曜暇ですか?」
暇ですかって。確かに暇だが。なんだか嫌な予感がして俺はとっさに嘘をつく。
「あー予定が入ってるな」
「じゃあ来週の週末は?」
「来週もちょっと」
「じゃあ再来週は?」
「ちょ、ちょっと待って。相手の予定を聞く前に、まず要件を話せよ」
要件ってほどでもないんですけど、と村松遥は呟くと何やら思い出したように胸の前でぎゅっと手を握る。
あ、まずい。
「あ、やっぱり……」
「今度、デートしませんか?」
瞬間、信号機は色を変え、黄色い明かりが彼女を照らす。これ以上は危険だ。しかし、彼女の真意を確かめずにはいられない。
「デート……? ど、どうして」
「私、荻野先生のこと好きなので」
嫌な予感が的中したと同時に、俺たちの影が赤く染まった。