どうして?
 大きすぎる哀しみといくつもの疑問に、ただ、打ちのめされることしかできない。
 分かるのは、また、ルキが身を挺してわたしをかばってくれたのだということ。
 そして、この腕の中で、今にも命を落とそうとしているということだけだ。

『決めたよ。次の満月の夜まで、キミを口説きつづけることにする』
 
 ルキ。
 どうして、あなたは、満月の夜にわたしに危機が迫っていることを知っていたの?
 どうして、出会った時に、自分はルキなのだと明かしてくれなかったの?

「真面目な、くせに……どうして……あんな……クズ男の、フリなんかしたの……っ」

 あらゆる感情が押しよせてきて、身が張り裂けそうだ。
 嗚咽が混じってうまく喋れないでいるわたしの背に、彼は、弱々しく手をのせた。

「……ご、めん、ね。そろ、そろ、限界だ。こたえて、あげられる時間も、ないみたい」
「いやっ……!」
「ご、めん……。最期のお願い、聞いてくれる?」
「最期なんて、言わないでっ。ルキのお願いなら、なんでも叶えるから!!」
「あり、がとう。……キス、したいな」

 ぼろぼろと熱い涙をこぼしながら、さらうように、彼と唇をあわせる。
 初めて触れた彼の唇は、甘くて、涙の味がした。
 
「……ララのくちびる、やわらかいんだね。はじ、めて……知ったなぁ」

 ふわりと笑ったルキの身体が、透けはじめる。
 もう、そろそろ消えてしまうのだと、本能的に察した。 

「いや……いや……っ。お願いっ。だれか……っ。だれか、ルキを助けてっ」

 その時、記憶も異変をきたしはじめた。
 今にも目の前から消えていこうとしている彼が誰なのか、曖昧になっていく。
 手から砂がこぼれ落ちるように、消えていく。
 この一ヶ月間、三坂さんの隣を歩いた記憶も。
 前世で、対の天使として、一緒に過ごした記憶も。
 全てが、もう二度と、手の届かないところにいこうとしていた。
 忘れるなんて、そんなの、絶対に嫌なのに。
 どうして、どうして?
 
『書物によると、残虐非道な生き物なんだって。奴らにとってのごちそうは、他の生き物の魂だと言われている』

 まさか。
 ルキが、唐突に、キスをしたいだなんて言ったのは……!

「キミを……ボクに、縛りつけたくは、なかった。幸せになるんだよ、ララ」

 その言葉を最期に、ルキは――わたしの愛した運命の人は、この世界から消滅した。
 わたしの、記憶の中からさえも。

「あ、れ……?」

 わたし、どうして、こんなところで座りこんでいるんだろう……?
 まるで、倒れている人を抱えこんでいたような姿勢で。
 誰かを看取ったかのように、ぼろぼろと泣き腫らして。
 腕の中には、もちろん、誰もいない。冬の夜の冷たい空気だけが虚しく流れている。

「たしか、絵里と飲んでいて……それ、から……」

 なんにも……なんにも思い出せない。
 けれども、なんでだろう。瞳の奥から、涙があふれて止まらない。
 胸に、ぽっかりと穴が空いているような感覚だ。それも、二度と塞がらない大きな穴。
 どうして、こんなに苦しいのかわからない。
 でも、身体を真っ二つに引き裂かれるようなこの哀しみを、わたしは、ずっと昔から知っているような気がする。
 こんなに心が痛いのに、どうしてだろう。
 この哀しみを、一生、忘れてはいけないと思うのは。