駅で絵里と解散して、一人、夜の道を歩く。
 今日は、美しい満月の夜だ。煌々と光り輝いている。
 夜道を一人で歩くのは、ほとんど一ヶ月ぶりだ。
 最近は、三坂さんが欠かさずに送り迎えをしてくれていたから。
 でも、なぜだか、今日は彼からの返信がなかった。

「三坂さんのバカ」

 会いたかったのに。
 どうして、来てくれないの?
 まるで、恋人に抱くような不満だ。三坂さんは、恋人でもないけれど。
 今までは、一人で歩くことが当たり前だったのに。隣から足音が聞こえないことを、こんなに心細く思う日がくるなんて思いもしなかった。
 何度、携帯を見つめてみても、彼からの返信はない。

「はぁ……」

 ため息までこぼれ出てきたその時、

「おねえちゃん」

 背後から、突然、あどけない男の子の声がした。
 とっさに振り返れば、見覚えのある男の子が所在なさげにわたしを見あげていた。

「君……また、迷子になっちゃったの?」
「……うん」

 たしか――ショッピングモールでも迷子になっていた子だ。
 どうして、こんな遅い時間に、一人で外に出ているんだろう。
 ぽつぽつと街灯はついているものの、ウロウロしていたらそれこそ危険だ。

「危ないよ。早く、おうちに帰ろう?」

 今にも泣き出しそうな男の子をどうにか安心させたくて、手を差し出した。
 少年がわたしの手を握りかえした、その時。
 つぶらな瞳が、妖しく、真紅に輝いて――

「真凛ちゃん!!!!」

 ――勢いよく、体を、突きとばされた。
 尻もちをつきながら、顔をあげたら。
 信じられない、非現実的な光景が、目の前に広がっていた。

「くっっ」
「……っ。貴様……、足止めをしておいたはずなのにっ。下級悪魔の分際で、吾輩の食事の邪魔をするとは良い度胸だ」

 少年のおしりの辺りから伸びた尾のようなものの先端が、三坂さんの胸を、容赦なく貫いていた。ナイフのような鋭い切っ先に、彼が、串刺しにされている。
 
 悪夢のような光景は、それだけにとどまらなかった。

 三坂さんの胸からとめどなく溢れでる血の色――赤ではない。
 人間ではありえない、禍々しい紫色。
 なに、これ……?
 身体が地面に縫いつけられたようになって、動けない。恐怖と混乱とで、骨の髄から震えてくる。この、わけの分からない状況は、なんなの。
 これは、悪い夢? 
 ねえ、お願い。お願いだから、誰かこの悪い夢から、はやく醒まして。

「……っ。この娘の美味そうな魂は、吾輩のものだ。お前は、吾輩には勝てぬ」

 三坂さんは、苦しそうに息をつきながら、不適に唇をつりあげた。

「それ、は……互角に戦ったら、の話だよ」
「っ。なに!?」

 立っているのもやっとであるはずの三坂さんは、自分の胸を貫く鋭い少年の尾を、忌々しげに握りしめた。

「……オレの全てをかけて……お前を、消滅させる!」
「バカな……!?」

 少年が、三坂さんの手から生まれた鮮烈な輝きに、ぎょっとしたように瞳をカッと見開く。

「お前っ……本当に、命懸けの魔力を! ぐっっ。あああああ……っっ!!」
 
 少年は、辺り一面を照らしはじめた強い光に飲みこまれるようにして、消滅した。
 力を使い果たしたというように、三坂さんが、その場に膝をつく。

「三坂さんっっ!!」
「まり、んちゃん。こわ、い……おもいを、させ、て、ごめんね。……間に合って、よかった……っ」

 慌てて駆け寄ると、彼は紫の血を流しつづけながら、それでもわたしに向かってやさしく微笑みかけた。

 その儚げな笑みが、まぶたの裏で、くっきりと【彼】に重なる。
 前にも、泣いていた時に、弱りきった【彼】から微笑みかけられたことがあった。
 そうだ。
 どうして、今まで、気がつかなかったんだろう。
 彼は、三坂玲じゃなかったんだ。

「ルキ……。あなた、ルキなのね……?」

 瞳から、つるりと涙がこぼれる。喉の奥が、情けないぐらいに震えた。
 三坂さんが――ルキが、弱々しく笑う。

「思い、だしちゃったか……。ひゃくねん、ぶりだね……ララ」

 わたしも、野々宮真凛じゃなかった。
 わたしは……ルキの片割れの天使――ララだった。
 
「もう、喋らないで! ルキ……っ。ねえ。血が、血がとまらないっ」
「だい、じょう、ぶだよ。最初、から……こうする、予定、だったから」

 彼は、わたしの腕の中で、いまにも息絶えてしまいそうで。
 ああ。
 どうして。どうして、気がつかなかったんだろう。
 あれほど、目の前に現れたら、すぐに分かると豪語していたのに。
 わたしは、この世界で、一番の大馬鹿者だ。
 運命の人が――ルキが、こんなにも近くにいたっていうのに……!