ぼんやりと空を眺めていると、星がキラキラと輝いていた。
珍しく満天の星空だった。
あの流星群の日よりも、はるかに美しい星空だった。
だけど、空に輝く星にさえ、私は星座ではなく3人の関係図を結んでしまう。
そこにポツンと佇む、私の星。
どの星とも結ばれない、小さくて、見つけてもすぐにどれだかわからなくなってしまうような星。
「はあ……」と今日何度目かのため息をついたとき、園田家の扉が開いた。

「あれ?凪咲、今日は早いね」
「え?うん、まあ……」

朝陽はスウェットに厚手のパーカーを羽織っている。
何だかもこもこしていて、やっぱりダサい。
ファッションセンスも、平凡よりちょっと下なのだ。

「星、きれいだね」

朝陽は夜空を仰いでそう言った。
女子にかける言葉選びのセンスとしては、合格だ。
朝陽の言葉に、もう一度空を仰ぎなおした。
しばらく何も言わず、二人で空を眺めていると、いつものように、星空の中に朝陽の声が放たれた。

「告白、したよ」
「……へ?」

私の思考も、心臓も、息も、その一言で一瞬止められた。
でも朝陽は、そんな私を気にもとめていない様子だった。
その続きを、言おうともしなかった。

「……え?で、どうなったの?」
「付き合うことになったよ、……あいつと、彼女」

最後に付け足された答えに、止まっていた私の呼吸がはーっと吐き出されて再開した。

「あいつ、空気みたいにすーっと彼女に近づいていって、歩きながら二人で何か話して、途中彼女が立ち止まって、泣いているように見えたから、僕、泣かせたら絶対許さないって思ったんだ。飛び出していく勇気なんて、僕にはないんだけど。でもその時は、行けそうな気がしたんだ。でも僕が決断する前に、あいつ、めちゃめちゃ自然に彼女の手を握ったんだ。それでそのまま、歩いていった」
「告白するとこ、見てたの?」
「うん、見てたよ。告白して、二人の気持ちが通じ合って、付き合い始めた瞬間」

朝陽は平然とそう言った。
その目は夜空を見ているんだけど、見ているのは星じゃなくて、もっと他の何かを思い描いているようだった。

「朝陽は、それでいいの?」

__「しょうがないじゃん」

いつもの朝陽なら、きっと情けない顔してそう答えるだろう。
だけど私はわかっていた。
朝陽はもう、私の知っている朝陽じゃない。

「ダメだよ」

朝陽は短く、低い声でそう言った。

「あいつ、告白する前に僕に聞いたんだ。ほんとに告白していいのかって。だから僕、言ってやったんだ、「だめ……」って」

「だめ」の声だけ、微かに震えたのがわかった。
その声に、私の心まで震えだす。

「ダメに決まってんじゃん。なんでそんなこと聞くんだよ。ダメに決まってんのに、どうして行くんだよ。僕がダメって言っても行くくせに、なんでわざわざ聞くんだよ。なんで僕の気持ち知ってて告白しに行くんだよ。なんで付き合うんだよ」

そう言いながら、朝陽は膝小僧にうずもれていく。
膝小僧から洩れる朝陽の悲痛な声が、私の胸まで締め付ける。

「なんであいつなんだろう。僕の方が先に彼女のそばにいたのに。出席番号だって前後で、サッカー部で、存在感薄くて、イケメンでもないのに。僕と同じなのに」
「……そう、だね」

思わず小さな声が漏れだした。
同情じゃない。
慰めでもない。
私も、朝陽と同じだから。

どうして朝陽の好きな人は、いつも私じゃないんだろう。
私は幼馴染みなのに、家も隣同士なのに、毎日こうして話しているのに。
朝陽のことは、私が一番よくわかっているのに。
私の体がまた疼き始める。
あの時みたいに、腕を伸ばしたくなる。
そのもさもさとした髪に触れたくなる。
頼りない背中や肩に、そっと触れたくなる。
フェンスの向こうの、特別な人に。

「はあ……カッコ悪」

__イケメンじゃなくても、一生懸命リフティング練習している朝陽はかっこよかったよ。
いまだに下手くそだけど。


「なんか、情けない」

__当たり前の親切を地味にできる優しさがあるの、知ってるよ。
それ、誰でもできるわけじゃないから。


「諦めなきゃって、頭ではわかってるんだよ」

__高校受験のために、パッとしない成績をぐっとあげるための地道な努力をしてたのも見てたよ。
ほんとは頭いいんだよ、使う分野が違うだけで。


「だけどやっぱり、無理なんだ」

__ネガティブなりの諦めの悪さ、嫌いじゃないよ。


私は朝陽のこと、ちゃんと見てるよ。
いつもそばにいるよ。
これからも、朝陽のこと見てるよ。
私は朝陽のこと、特別な存在だと思ってるよ。
だから__

「私が、いるじゃん」
「……え?」
「朝陽のそばには、私がいるじゃん」
「……凪咲?」
「朝陽にはいいとこいっぱいあるよ。それを一番わかってるのは、私じゃん。
小さい頃からずっと一緒にいて、朝陽のことずっと見てきたんだから。だから、そんな恋、もう忘れてさ、もういっそ……私と、付き合っちゃえば?」

玄関の温かなライトに照らされた朝陽の目が一瞬大きくなった。
何でもないふりして、明るく勢いつけて言ったけど、本当は恥ずかしくて、心臓はバクバクしていた。
勢いは、勇気だ。
寒いのに、顔だけがかあっと熱くなってくる。
それを表に出さないように平静を装って、私は朝陽の視線から逃げない準備をした。
口元がまだ何か言いたげに、ふるふると震える。
それはもしかしたら言い訳かもしれない。
自分の気持ちを誤魔化す準備なのかもかもしれない。
だから、その口をぐっと結んだ。
これ以上、何も出てこないように。
出てきてほしいのは、もっと、別の言葉。

朝陽はしばらくそのまま固まっていたけど、ふっと鼻から小さく息を吐いて肩をガクンと落とした。

「え? なんでそうなるの?」
「だって、私たち、幼馴染みだし」
「だからって付き合うって……、好きでもないのに?」

真正面から受けたその言葉に、顔中の熱がさーっと引いていくのが分かった。
動揺している自分を誤魔化そうと、私は早口で朝陽に言った。

「幼馴染みの恋愛にはよくあるパターンだよ。好きかどうかわからないなら、一回付き合ってみるパターン。そこから少しずつ相手のこと恋愛対象として見始めて、やっぱり自分の運命の相手はこの人だったんだなって気づく感じ。大切な人は、自分の一番近くにいる的な」

__そんなめちゃめちゃで、チンプンカンプンな幼馴染みのパターン、今までお目にかかったことはない。

「恋愛って、好きから始まるとは限らないでしょ? 幼馴染みの恋はその代表格だよ」
「そういうもん?」
「そういうもんだよ」

「へえ……」と朝陽は私から視線を夜空に向ける。
朝陽はぼんやりと空を眺めるだけで、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
私の鼓動だけが、静かな夜の空気をうるさく揺する。

「でも……」

冷たい空気の中で、朝陽の声が震えた。

「それはやっぱり、違うよ」

朝陽が切なげな目を再び私の方に向けた。

「そういうのって、普通、好きな人でしょ?」

朝陽の目が、少しだけ厳しくなる。

「凪咲は、違うの?付き合うなら、好きな人じゃないの? 誰でもいいの?」

__そんなわけない。

誰でもいいわけないのに。
私には、朝陽しかいないのに。
それはもう、幼馴染みだからじゃない。

「だからそれは、これから好きになっていけばいいんじゃん。私たちもう10年以上一緒にいるし、毎日のようにこうして話してるし、お互いのことよくわかってるし。少なくとも、一目惚れして、まともに話したこともない彼女よりは全然付き合いやすいし、恋に発展しやすいと思わない?」

朝陽は少しぽかんとしていたけど、ふっと大人びた笑顔をせた。
 
「そんなんありえないよ。だって僕たち、ただの幼馴染みだよ」

__ただの、幼馴染み……

「そりゃあ僕たちいつも一緒にいるし、こうやって話したり、中学までは一緒に帰ったりもしてたけど、それはたまたま家が隣同士だからってだけで……。それに凪咲だって、僕と一緒にいて冷やかされたりするたびに言ってたじゃん、「そんなんじゃない」って。「ただの幼馴染みだ」って」

__それは、幼馴染みの恋では定番のセリフじゃん。

「それに、凪咲が親しくする男子って、いつも僕とは正反対の見た目と性格じゃん。同情や慰めで、無理してタイプでもない僕と付き合うことないよ」

__それは、嫉妬してほしかったからだよ、朝陽に。
幼馴染みの恋に嫉妬はつきものだから。

「凪咲は明るいし、誰とでも仲良くできるし、しっかり者だし……美人だし。僕とは全然釣り合わないよ。凪咲は、マドンナだから。僕の手の届く相手じゃない。凪咲が僕と付き合うなんて、僕なんかを好きになるなんて、ありえないでしょ」

朝陽が力なく笑って言った。

「じゃあ、朝陽は?」

私の口から、吐き出された声は思いのほか小さかった。
だけどその声を朝陽はちゃんと拾い上げて、優しい目を私に向けた。

「朝陽は、私のこと、好きだったことはないの?」
「え?」
「朝陽はこの11年、一瞬でも私のこと好きだったことはないの?」

少しずつ強く大きくなる声は、その分だけ震えていた。
カタカタとなる歯を食いしばって、震えを何とか抑えた。
そんな必死な私の姿にきょとんとした顔を向ける朝陽の答えが、私にはもうその表情でわかるような気がした。
朝陽はふっと力を抜いて、穏やかな微笑みで私に言った。

「あるわけないじゃん」

朝陽の口元から、白い吐息がふわっと出てきた。
その吐息は、真っ黒な闇の中にさらさらっと消えていく。

「凪咲だって、僕を好きだったことなんてないでしょ?」

まるで当たり前のように、朝陽は私に聞いた。

「僕たちは、ただの幼馴染みなんだから」

朝陽はまたそう言って、小さな私の、幼いままの恋心にさっと傷をつけた。

「確かに凪咲と付き合ったら、凪咲は自慢の彼女だけど。凪咲には、もっとカッコよくて頭も良くて、優しくて、凪咲をいつも守れるような相手が相応しいよ。僕みたいな地味で、情けなくて、いるのかいないのかもわからないような頼りない男子じゃなくて。そもそも、僕と凪咲は幼馴染みって感じじゃないよね。凪咲が言うような、恋に発展しちゃう関係でもないし。「友達」は……男女間では成立しないって言うし」

__だったら、私たちの関係って、なに?

その答えを、朝陽はおかしそうに笑いながら、さらりと言った。

「結局僕たちは、お隣さん、だね」
「……おとなり、さん」

胸の真ん中を、冷たい風がさーっと貫いていく。
その部分が、かなり痛い。
息が吸えない。
いや違う、息が吐けない。
もうどっちでもいい。
指先から順番にカタカタと体が震え始める。
その震えを抑えようと、私は自分の手を、自分で温めるように力強く握りしめた。
その手を優しく包み込んで温めてくれる人は、こんなに近くにいると思っていたのに。
その相手は、どこかすがすがしい顔で、夜空を見上げている。
切なげな朝陽の目が、目を見張らないと分からないような小さな小さな星をとらえる。
朝陽はまるでその小さな星に囁きかけるように、切ない声で言った。

「僕、やっぱり彼女じゃなきゃ、ダメだな。たとえ好きな人がいても、彼氏がいても、それが友達だったとしても、僕はやっぱり、彼女のことが、好きだ」

さっきまでなかった風が吹き始めた。
その風は私の体や頬を冷たく切り付けるように流れていく。
それなのに、朝陽は顔色ひとつ変えずに、その風に吹かれている。

「どうしてかな、いつもならすぐに諦められるのに。凪咲の一声で、僕はいつだってその恋に線引きしてきたのに。だけど、今回は違うんだ。一目惚れだからかな。一瞬で「この子だ」って思ったからかな。こんなの、初めてだから。僕の人生にもこんな運命的な出会いがあるんだね。そんなの、これからの人生で、もうないかもしれないでしょ、こんな僕に。だから、諦めたくないのかも」

そう言って照れながら笑う。
これもまた、初めて見る朝陽の表情。
私の知らない朝陽が、溢れ出ている。
こんなに一緒にいるのに、私はまだ、朝陽のこと、何も知らない。

「それとも、彼女が好きになった相手が、あいつだからかな」

__朝陽と似ていて、朝陽とどこか違う、しかも全然違う、「あいつ」……だから。

「凪咲だったらどうする?」

不意に朝陽が聞いた。

「好きな人に、他に好きな人がいたら、凪咲だったらどうする?」

穏やかで優しくて弱々しい朝陽の笑顔が、月明かりの下で切なく、寂しげに映る。

「……私は……」

小さく放たれた私の声は、ヒューッと音を立てた風に連れ去られていく。
まるで、その続きを言わせまいと、意地悪しているみたいに。
だから朝陽は、

「なんか寒くなってきたね」

そう言って両手で体をさすりながら立ち上がった。

「凪咲ももう中入りなよ。風邪ひくよ」

そうして私に背中を向けた。
その背中を、私はじっと目で追った。

__朝陽。

その名前を呼びたいのに、呼び止めたいのに、声が出なかった。
喉がぐっと締め付けられて、声が出てこない。
体が震えて、勝手に歯がカタカタと鳴った。
喉元から込み上げるものが鼻の方に向かって、情けなくたらたらと流れ出てくる。
鼻が詰まって、息が吸えない。
濡れた目元が、風に痛い。

「じゃあ、おやすみ」

朝陽の頼りない背中がドアの向こうに消えようとしている。
その背中を追いかけるように、私も立ち上がる。
声にならないのに、心の声ばかりがあふれ出がる。

__私には、朝陽しかいない。
 朝陽じゃなきゃ、ダメなんだ。

イケメンじゃなくていい。
地味でもいい。
優しい爽やか王子様じゃなくてもいい。
頼もしいワイルドな俺様じゃなくてもいい。
もう、幼馴染みじゃなくてもいい。
ただのお隣さんでもいい。
他に好きな人がいてもいい。
諦められなくてもいい。

私の「とくべつ」は、今も、朝陽だけ。

「私は……」

ようやく出せた声に、もう朝陽は気づいてくれない。
それでも私は、声を振り絞る。
諦めの悪さは、きっと、あいつにも、朝陽にも、負けない。

だから私は、それでもやっぱり……

「朝陽が、好き」

扉がパタンと閉まる音が、私のその小さな声に重なった。