椅子に座って、久世と向かい合う。
あらためてまじまじと眺めた久世の顔は、やっぱり悪くないと思った。
鼻筋も通っているし、顎の形も良い。人目をひくような華やかさはないけれど、これといった欠点もない。主張が少なく地味な分、たぶんメイクをすれば、抜群に映える。
考えていると、ふいに身体の奥のほうが疼いた。
空気が少し喉を通りにくくて、口の中が渇く。指先が震えそうになる。
だけどまったく、不快な感覚ではなかった。ひどく心地良い、緊張だった。
久世のほうも緊張した様子で、ぎゅっと目を瞑っている。握りしめた拳を膝の上に置いて、身体を強張らせている。
恥ずかしいのか、少しうつむきがちになっていた彼女の頬に、左手で触れた。軽く上へ向ければ、よりいっそう緊張したように、彼女の肩に力が入る。
息を吐く。それから右手に持ったアイライナーのペン先を、ゆっくりと彼女の目元へ近づけた。
睫毛の根元に押し当てたそれを、目頭から目尻へ向けて、慎重に引いていく。そうして少しずつ小刻みに、ラインを描いた。
睫毛の際を埋めるようにラインを引き終えたあとは、中指の腹で軽くぼかす。さらにその上に、かぶせるようにシャドウをのせた。
どのぐらい時間が経ったのかは、よくわからなかった。
気づけば息も潜めるようにして、俺はただひたすら、手を動かしていた。
「……できた」
ぼそっと呟けば、久世がゆっくりと目を開ける。視線がぶつかる。
瞬間、息が止まりそうになった。
できたのは、本当に基本のアイメイクだけ。それでもそこにいたのは、さっきまでとは違う顔をした久世だった。
「ほんとに? ……ど、どう、かな?」
おずおずと訊ねられたけれど、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。
ただ黙って、ポケットから手鏡を取りだす。そうしてそれを、久世のほうへ向けた。
「わあ……!」
久世は目を見開いて鏡を凝視する。その頬がゆっくりと上気して、表情に歓喜が満ちるのを、俺は呼吸も忘れて、ただ見つめていた。目に焼きつけるように、じっと。
胸の奥から熱いかたまりがこみ上げてくる。息ができない。
「すごい、すごいね! なにこれ、私じゃないみたい!」
興奮したように久世が大きな声を上げる。その声にまた、身体が熱くなる。
久世は鏡から目を上げると、まっすぐに俺の顔を見た。そうしてこちらへ身を乗りだすようにして、
「ほんとにすごいよ! こんなに変わるなんて思わなかった! すっごいきれい! 成田くん天才?! ほんとすごい!」
まくし立てる彼女の赤くなった頬とかすかに潤んだ目から、俺は思わず目を逸らした。
これ以上見ていると、なんだか窒息してしまいそうで。
「……でも、ごめん」
「へ、なにが?」
小さく呟けば、きょとんとした声で聞き返される。興奮のせいか、どうやらなにも気づいていないらしい久世に、
「アイシャドウ、水色じゃなくて茶色にした」
「え? あ、ほんとだ。なんで?」
「俺も初心者だし、水色難しそうで自信なかったから。まずは無難な色でやってみたくて」
「なるほど、そっか、ぜんぜんいいよ! 茶色もすてきだね!」
本当になにも気にした様子はなく、あっけらかんと久世は笑う。その声を聞いているうちに、気づけば自然と、言葉がこぼれていた。
「……でもいつか、ぜったい水色にも挑戦するから」
「え、ほんと?」
「うん。もう少し、自信がついたら」
「ありがとう。うれしい!」
ふわりと顔をほころばせた久世が、ふいに、「よかったなあ」と噛みしめるような声で呟く。
「なにが?」
「昨日、成田くんがここに来てくれて。こんなにすてきなメイクをしてもらえるなんて、思ってもみなかったもん」
「……そういや昨日、久世はなんでここにいたの?」
「そりゃあもちろん、寝ようと思ってー」
恥ずかしげもなく返されたのは、だいたい予想のついていた答えだった。
なんだか急に力が抜けて、俺はため息をつくと、
「あんだけ授業中寝てんのに、昼休みも寝る気だったのか」
「授業中寝ないように、昼休みに寝ておこうと思ったんだよー」
「けっきょく授業中も寝てんじゃん、いつも」
今日の授業も、久世は全六限中みっつは爆睡、ふたつはそもそも教室にいなかった。つまり真面目に受けていたのは、一限だけ。いくら勉強をあきらめているからといって、よくもそこまで不真面目になれるものだと、つくづく思う。
「なにしに学校来てんだよ、毎日」
あきれた呟きが、つい、ぽろっと口からこぼれた。
意味なんてない、軽口のつもりだった。
だけど俺の言葉を聞いた久世は、一瞬、真顔になって俺を見つめた。え、と思った次の瞬間には、もう笑みが戻っていたけれど。
「……私ね」
だけどその笑みは、今までの笑みとは少し、色味が違って見えた。呟くようなその声も、なぜだか、はじめて聞くような気がした。
その見慣れない笑みのまま、久世はゆっくりと言葉を継ぐ。
「普通の高校生に、なりたかったの」
あらためてまじまじと眺めた久世の顔は、やっぱり悪くないと思った。
鼻筋も通っているし、顎の形も良い。人目をひくような華やかさはないけれど、これといった欠点もない。主張が少なく地味な分、たぶんメイクをすれば、抜群に映える。
考えていると、ふいに身体の奥のほうが疼いた。
空気が少し喉を通りにくくて、口の中が渇く。指先が震えそうになる。
だけどまったく、不快な感覚ではなかった。ひどく心地良い、緊張だった。
久世のほうも緊張した様子で、ぎゅっと目を瞑っている。握りしめた拳を膝の上に置いて、身体を強張らせている。
恥ずかしいのか、少しうつむきがちになっていた彼女の頬に、左手で触れた。軽く上へ向ければ、よりいっそう緊張したように、彼女の肩に力が入る。
息を吐く。それから右手に持ったアイライナーのペン先を、ゆっくりと彼女の目元へ近づけた。
睫毛の根元に押し当てたそれを、目頭から目尻へ向けて、慎重に引いていく。そうして少しずつ小刻みに、ラインを描いた。
睫毛の際を埋めるようにラインを引き終えたあとは、中指の腹で軽くぼかす。さらにその上に、かぶせるようにシャドウをのせた。
どのぐらい時間が経ったのかは、よくわからなかった。
気づけば息も潜めるようにして、俺はただひたすら、手を動かしていた。
「……できた」
ぼそっと呟けば、久世がゆっくりと目を開ける。視線がぶつかる。
瞬間、息が止まりそうになった。
できたのは、本当に基本のアイメイクだけ。それでもそこにいたのは、さっきまでとは違う顔をした久世だった。
「ほんとに? ……ど、どう、かな?」
おずおずと訊ねられたけれど、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。
ただ黙って、ポケットから手鏡を取りだす。そうしてそれを、久世のほうへ向けた。
「わあ……!」
久世は目を見開いて鏡を凝視する。その頬がゆっくりと上気して、表情に歓喜が満ちるのを、俺は呼吸も忘れて、ただ見つめていた。目に焼きつけるように、じっと。
胸の奥から熱いかたまりがこみ上げてくる。息ができない。
「すごい、すごいね! なにこれ、私じゃないみたい!」
興奮したように久世が大きな声を上げる。その声にまた、身体が熱くなる。
久世は鏡から目を上げると、まっすぐに俺の顔を見た。そうしてこちらへ身を乗りだすようにして、
「ほんとにすごいよ! こんなに変わるなんて思わなかった! すっごいきれい! 成田くん天才?! ほんとすごい!」
まくし立てる彼女の赤くなった頬とかすかに潤んだ目から、俺は思わず目を逸らした。
これ以上見ていると、なんだか窒息してしまいそうで。
「……でも、ごめん」
「へ、なにが?」
小さく呟けば、きょとんとした声で聞き返される。興奮のせいか、どうやらなにも気づいていないらしい久世に、
「アイシャドウ、水色じゃなくて茶色にした」
「え? あ、ほんとだ。なんで?」
「俺も初心者だし、水色難しそうで自信なかったから。まずは無難な色でやってみたくて」
「なるほど、そっか、ぜんぜんいいよ! 茶色もすてきだね!」
本当になにも気にした様子はなく、あっけらかんと久世は笑う。その声を聞いているうちに、気づけば自然と、言葉がこぼれていた。
「……でもいつか、ぜったい水色にも挑戦するから」
「え、ほんと?」
「うん。もう少し、自信がついたら」
「ありがとう。うれしい!」
ふわりと顔をほころばせた久世が、ふいに、「よかったなあ」と噛みしめるような声で呟く。
「なにが?」
「昨日、成田くんがここに来てくれて。こんなにすてきなメイクをしてもらえるなんて、思ってもみなかったもん」
「……そういや昨日、久世はなんでここにいたの?」
「そりゃあもちろん、寝ようと思ってー」
恥ずかしげもなく返されたのは、だいたい予想のついていた答えだった。
なんだか急に力が抜けて、俺はため息をつくと、
「あんだけ授業中寝てんのに、昼休みも寝る気だったのか」
「授業中寝ないように、昼休みに寝ておこうと思ったんだよー」
「けっきょく授業中も寝てんじゃん、いつも」
今日の授業も、久世は全六限中みっつは爆睡、ふたつはそもそも教室にいなかった。つまり真面目に受けていたのは、一限だけ。いくら勉強をあきらめているからといって、よくもそこまで不真面目になれるものだと、つくづく思う。
「なにしに学校来てんだよ、毎日」
あきれた呟きが、つい、ぽろっと口からこぼれた。
意味なんてない、軽口のつもりだった。
だけど俺の言葉を聞いた久世は、一瞬、真顔になって俺を見つめた。え、と思った次の瞬間には、もう笑みが戻っていたけれど。
「……私ね」
だけどその笑みは、今までの笑みとは少し、色味が違って見えた。呟くようなその声も、なぜだか、はじめて聞くような気がした。
その見慣れない笑みのまま、久世はゆっくりと言葉を継ぐ。
「普通の高校生に、なりたかったの」