視界が一瞬暗転して、再び視野が戻ってくる。場所は変わってなかったけど、今度は天気が晴れから雪に変わっていた。そのことから、さっきの光景から何日か時間が過ぎているみたいだった。
コートについた雪を払いながら、濡れた靴をどこか楽しげな雰囲気でじゃれあう人たちの波をぬって、由紀はさっきと同じ服装でかけ寄ってきた。
つい嬉しくなって見えない手を上げる。でも、すぐに違和感を感じた。曇りのない笑顔がなくて、代わりに両頬が赤く腫れていた。
「由紀、また叩かれたの?」
僕の問いに、由紀は答えることなく見えない手を掴んできた。かじかんだ小さな手から、冷たさが雰囲気で伝わってきた。
「由紀!」
またしても、由紀のお父さんの怒声が聞こえてきた。一瞬にして硬直した由紀だったけど、つぶらな瞳に小さな光が宿るのを感じた。
と同時に、いきなり由紀は僕の手を引いて走り出した。雪のせいでダイヤが乱れた構内は、帰宅ラッシュと重なって人で溢れていた。その合間を、僕らはお父さんに見つからないように走り抜けていった。
券売機の前に来ると、由紀は赤く腫れた手をポケットに入れて、いつも隠すように持っていた二百円を取り出した。
「パパがいる所だよ」
由紀は行き先ボタンを一つずつ数え、3つ目のボタンを確認すると、慣れない手つきで切符を購入した。
――そうだった。由紀には、他に本当のお父さんがいたんだ。由紀が握りしめていた百円玉は、本当のお父さんに会うための切符を買うためだったんだ
嬉しそうに切符を見せてくる由紀の笑顔を見て、記憶が一気に蘇ってきた。
由紀には、今のお父さん以外に本当のお父さんがいた。そして、本当のお父さんから、何かあった時には会いに来るようにって、お守り代わりに渡されたのが二百円だった。
由紀はその教えを守り、今日まで心の拠り所にしていた。こんな雪の日でも半袖を着させるのだから、今のお父さんからひどい仕打ちを受けているのは一目瞭然だ。
でも、由紀はずっと頑張って耐えていた。いつか、本当のお父さんと再会する日を夢みて。
けど、その頑張りも限界だったみたいで、由紀は本当のお父さんに会いに行こうとしていた。救いを求めるには一番の相手だと、僕は昔と同じ思いを抱いた。
――よっぽど辛かったんだね
あの時と同じようにはねた頭を撫でてあげると、由紀は不思議そうな、でも、嬉しそうな顔で笑ってくれた。
僕はエスコートするみたいに、由紀の手を引いて改札を抜けた。あの時と同じなら、遅れて待機していた電車がちょうど出発するところのはず。
背中に、由紀のお父さんの怒声がまた響いた。でも、追いつかれることはない。あの時、由紀と手をつないで駆け抜けた迷路のようなホームには、ゴールという名の電車が待ち受けてくれているから。
あの時と同じように閉まりかけた電車に飛び乗ると、由紀は両肩で息を繰り返していた。
「よかったね、由紀」
間に合った嬉しさに笑みをこぼす由紀を見て、僕は包み込むように声をかけた。この後のことはまだ思い出せないけど、きっかけがあればまた思い出すかもしれない。
そう考えた時だった。
強烈な頭痛に襲われて、僕は立っていられなくなり、見えない膝を床につけた。
心臓が、経験したことない荒さで乱れ打っていた。胃が、喉を突き破りそうなほどせりあがり、抑えきれない吐き気でまともな呼吸ができない感覚に陥ってしまった。
血流が滝のように頭から下がっているみたいだった。寒くはないのに、全身が痙攣したように震えている感じがした。
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む由紀に、何も答えてあげられなかった。
頭の中に、最大級の警報が過去の僕から発せられていた。
記憶の中の僕が、狂ったように叫んでいた。
この先は、行っては駄目だと――。
コートについた雪を払いながら、濡れた靴をどこか楽しげな雰囲気でじゃれあう人たちの波をぬって、由紀はさっきと同じ服装でかけ寄ってきた。
つい嬉しくなって見えない手を上げる。でも、すぐに違和感を感じた。曇りのない笑顔がなくて、代わりに両頬が赤く腫れていた。
「由紀、また叩かれたの?」
僕の問いに、由紀は答えることなく見えない手を掴んできた。かじかんだ小さな手から、冷たさが雰囲気で伝わってきた。
「由紀!」
またしても、由紀のお父さんの怒声が聞こえてきた。一瞬にして硬直した由紀だったけど、つぶらな瞳に小さな光が宿るのを感じた。
と同時に、いきなり由紀は僕の手を引いて走り出した。雪のせいでダイヤが乱れた構内は、帰宅ラッシュと重なって人で溢れていた。その合間を、僕らはお父さんに見つからないように走り抜けていった。
券売機の前に来ると、由紀は赤く腫れた手をポケットに入れて、いつも隠すように持っていた二百円を取り出した。
「パパがいる所だよ」
由紀は行き先ボタンを一つずつ数え、3つ目のボタンを確認すると、慣れない手つきで切符を購入した。
――そうだった。由紀には、他に本当のお父さんがいたんだ。由紀が握りしめていた百円玉は、本当のお父さんに会うための切符を買うためだったんだ
嬉しそうに切符を見せてくる由紀の笑顔を見て、記憶が一気に蘇ってきた。
由紀には、今のお父さん以外に本当のお父さんがいた。そして、本当のお父さんから、何かあった時には会いに来るようにって、お守り代わりに渡されたのが二百円だった。
由紀はその教えを守り、今日まで心の拠り所にしていた。こんな雪の日でも半袖を着させるのだから、今のお父さんからひどい仕打ちを受けているのは一目瞭然だ。
でも、由紀はずっと頑張って耐えていた。いつか、本当のお父さんと再会する日を夢みて。
けど、その頑張りも限界だったみたいで、由紀は本当のお父さんに会いに行こうとしていた。救いを求めるには一番の相手だと、僕は昔と同じ思いを抱いた。
――よっぽど辛かったんだね
あの時と同じようにはねた頭を撫でてあげると、由紀は不思議そうな、でも、嬉しそうな顔で笑ってくれた。
僕はエスコートするみたいに、由紀の手を引いて改札を抜けた。あの時と同じなら、遅れて待機していた電車がちょうど出発するところのはず。
背中に、由紀のお父さんの怒声がまた響いた。でも、追いつかれることはない。あの時、由紀と手をつないで駆け抜けた迷路のようなホームには、ゴールという名の電車が待ち受けてくれているから。
あの時と同じように閉まりかけた電車に飛び乗ると、由紀は両肩で息を繰り返していた。
「よかったね、由紀」
間に合った嬉しさに笑みをこぼす由紀を見て、僕は包み込むように声をかけた。この後のことはまだ思い出せないけど、きっかけがあればまた思い出すかもしれない。
そう考えた時だった。
強烈な頭痛に襲われて、僕は立っていられなくなり、見えない膝を床につけた。
心臓が、経験したことない荒さで乱れ打っていた。胃が、喉を突き破りそうなほどせりあがり、抑えきれない吐き気でまともな呼吸ができない感覚に陥ってしまった。
血流が滝のように頭から下がっているみたいだった。寒くはないのに、全身が痙攣したように震えている感じがした。
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む由紀に、何も答えてあげられなかった。
頭の中に、最大級の警報が過去の僕から発せられていた。
記憶の中の僕が、狂ったように叫んでいた。
この先は、行っては駄目だと――。