その翌日、モーテルの部屋に備え付けられた電話の音で目が覚めた。

 時計を見れば、早朝5時を過ぎたところで、早すぎる。

 眠いまま受話器を取れば、ジェナからだった。

「おはよう、そろそろ出発するよ。準備はいい?」

「えっ? 今から? 早すぎる」

「遅いかもしれないよ」

「はっ?」

 朝起きたばかりの英語は辛い。

「とにかく早く支度して。ロビーで待ってるから」

 電話はそこで切れた。

 俺は仕方なく、身支度にとりかかった。

 寝ぼけた顔をしてフロントデスクに向かえば、すでに支払いを終えたジェナがすっきりとした笑顔で俺を出迎えてくれた。

 「グッドモーニング、ジャック」

 元気のいいジェナの声。

 それで我に返った。

 そうだ、俺ジャックだった。

 俺たちの一日はまた始まろうとしている。


 ハイウェイ101号線から26号線へと進路変更し、俺たちはポートランド方面へと向かった。

 朝ごはんも食べずに急かされ、ひたすら山間を走る。

 初夏らしく、木々の若葉が瑞々しくつやつやしている。 

 ずっと周りに緑しかない景色が続いてる中、突然、森を開拓した広大な土地に、大きなロッジの家が出現した。

 『CA18MP』と看板が出ていた。

 フロンティア時代みたく、カーボウィや猟師が出てきそうな雰囲気がする。

 辺鄙な場所ながら、造りが凝っていてしっかりとした建物だった。

「あっ、あれ? キャンプ18っていうレストラン。この辺じゃ有名。レストランここしかないもん」

 ジェナが教えてくれた。

「そこでブレックファースト食べよう。開いてるみたいだし」

「だめ、時間がない」

 車の時計はまだ7時を過ぎたところだった。

 また戸惑って運転してる俺にジェナが知らせる

「もうすぐ『Jewell』だから」

「ジュエル?」

 宝石かと思ったら地名だった。

 レストランを過ぎて暫くすると、右に曲がる道路が見え、それはハイウエィ103号線へ続いている。

 そこを行けと言われ、言われるままに進路を変更する。

 Jewellまで9マイルという看板の矢印に沿って、走って行った。

 ひたすら山の中を進むだけで何もない。

 カーブしている最中、向かいから大木を何本も積んでいる大きなトラックとすれ違った。

 長くて大きなそのトラックに圧迫され、ぶつかりそうにハラハラしてしまう。

 そのうち103号線は終わってしまい202号線に変わってしまった。

 どこまで行くのだろうと思ったその時、ジェナが前方を見て叫んだ。

「いる!」

 ジェナが「ラッキー」とキャッキャして興奮している。

 何がそんなに嬉しいのだろう。

 周りは緑の大草原。

 そのただっ広い緑の草原の中に、茶色いものが集合してしてかたまっているのが見えた。

 良く見れば、動物の群れだった。

 遠くからでもわかるくらい、あれだとかなりの数が居る様子だった。

 そのまま、車を走らせば、数人、双眼鏡を持って遠くの群れを見ている様子に気が付いた。

 そして同じように俺たちも車を停めて、その人たちの側に行った。

「あれ、何?」

「エルクよ」

「エルク? エルクって何?」

「鹿の一種」

「えっ、あれが鹿? うそだろ。牛くらいありそうだけど」

 そこには『Jewell Meadows Wildlife Area』と書かれた看板があった。

 ここは野生動物の保護区らしい。

「こんなにたくさん見られるのはラッキー」

 ジェナが言うには、朝早くだとこうやって草原に姿を現すらしい。

 だから、急かしてたんだ。

 これを俺に見せるために。

「オレゴン、すごいな」

「あれ、食べられるんだよ」

「えっ!?」

「ここで狩猟したらもちろん捕まるけど、エルクはハンバーガーやソーセージになったりする」

「食材になるのか」

 どんな味なんだろう。

「これだけ居たら、たまに車ではねられたりしないんだろうか」

「野生動物の事故は結構ある。いわゆるロードキルだよね。州によったら、事故で轢いてしまった動物は食べてもいいって法律がある。オレゴンも2019年1月1日から法が施行される」

「ええ、轢いちゃった動物食べるの?」

「再利用かな」

 合理的と言えばそうだろうが、自分がうっかり轢いてしまったものを食べるっていうのもなんだか複雑だ。

 しかしあんな牛くらいのサイズを跳ねたら車もかなりのダメージをくらいそうだが、わざとじゃないし、避けられない事故もあることだろう。

 この場合は合掌ということだな。

 それにしても、腹減った。

 別に目の前のエルクを食べたいとは思わないけど、コーヒーとトーストくらいはありつきたかった。


 野生のエルクを目で堪能した後は、再びハイウエイ26号線に戻り、ポートランド方面へ走り出す。

 それ以後、なかなか食べ物を手に入れる店がなく、レストランかと思っても開いてなかったり、街にでるまで空腹を我慢しなければならなかった。

 一時間と少し走ったところで『Vernonia』という町へ行く道が現れ、ジェナの声が弾んだ。

「ヴァーノニア! 『トワイライト』の映画が撮影されたところ」

 ああ、バンパイアと恋する話のアレだな。

 どうやらジェナはその映画が好きらしい。

「あの話は好きで、本も何回も読んだ」

 やっぱり女の子だ。

 話の内容を思い出しているのか、目がとろんとしている。

 噂ではアメリカでベストセラーになって大ヒットしたらしいけど、俺はああいうのは興味ないから、『アハーン』と相槌だけ打っていた。

 俺の態度で伝わったのか、そこへ行くのは薦めてこなかった。

 そこを通り過ぎた後、俺はもっと行きたい場所を見つけ、目が見開いた。

「ディリ―クィーン!」

 俺は叫んだ。

 ハンバーガーやソフトクリームを売ってるファーストフード店だ。

 ちょっと寂れた雰囲気のするデイリークィーンだったが、緑しかない辺鄙な場所に、『DQ』と看板を掲げた赤い屋根のその建物は目立っていた。

「レッツイート!」

 俺はジェナに確かめることもせず、空いている駐車場にすっと入って行く。

「ディリ―クィーンは都心にはないんだよ。いつも田舎で周りにファーストフードがないようなところに店を出すの」

 ジェナは教えてくれるが、ライバルのファーストフード店どころか、家もないし、この辺何にもないじゃないか。

 ちゃんと商売なりたっているんだろうか。

 まあ、ハイウェイをずっと走り続け、俺みたいな腹を空かした奴のためにあるような店だろう。

 それならば、入らないと、誰が入るというのだろう。

 競争相手が周りにないと、店はなんか古ぼけて薄汚かった。

 でもこんなものだろう。

 高級レストランじゃあるまいし、それなりに精一杯、小奇麗にしている感じがした。

 味も特別にここじゃないと嫌という程でもないが、食べ物にありつけるのは有難い。

 そこそこのファーストフードとしてはなかなかなもんではあるが、特にここはソフトクリームを使ったデザート類で有名だ。

 朝からさすがにアイスクリームは食べたいと思わないが、デザートの種類は、ファーストフード店では一番多いので、結構好きな店ではある。

 朝食セットを適当に食べ、とりあえず腹が膨れて落ち着いた。

 食べた後はまたさらに先を進む。

 この辺りまで来ると、周りの景色の見通しがよくなった。

 山間から抜け出た後は、ひたすら緑の草原が続いていた。

 なんとなく北海道の十勝平野みたいだ。

 家もポツポツと出現し出した。

 アメリカの田園ってところだろうか。

 全く開拓されないままに何もない。

「オレゴンってかなり田舎だね」

 思わず言ってしまった。

「田舎を守ってるの」

「守ってる?」

「そうよ、ここだって法がなければ、家が建ち放題になっちゃう。ゾーニングっていうのがあって、家や店を建てる規制の事で、とても厳しいの。この辺りはむやみに家を建てちゃいけないの」

「へぇ、わざと田舎を保ってるのか」

「でもいつかは何かが変わるかも」

 そんな事を聞いたら、この景色は守り続けてほしいと思ってしまった。

 そしてそろそろ街らしい姿が現れ、家もさっきよりポツポツ増えていった。

「ここは『Helvetia』よ」

「ヘルベティア?」

「オレゴンに移住してきたスイス人によって名づけられたの。古代ローマのスイスの名称だって。だからスイスっぽい家が建ってる。ここには超デカサイズのハンバーガが食べられるレストランがある」

 おい、もっと早く言ってくれ。

 ディリ―クィーンよりそっちに行きたかった。

 ジェナに確かめもせず勝手に行動した罰が当たったみたいだった。


 また家の数が増え、どんどん街らしくなって来た時、ジェナが呟いた。

「Hillsboro」

 ここは『ヒルズボロ』というのか。

「ジャックは『コラライン』とか『クボ』とか知ってる? ストップモーションの映画」

「知ってる。『クボ』は日本っぽい作りだったね」

「その制作会社ライカが、ここにあるの。ここで作ったんだよ」

「ええ、そうなの」

 右手に球場らしき、観覧席が見えた。ジェナはそれを指差し「あのボールパークのちょうど後ろ辺り」と言った。

 よくわからなかったけど、そこで映画ができるのかと感慨深くなった。

 オレゴンは結構映画関係の場所が多くて驚く。

 カリフォルニアと比べたら知名度はないから、何もないというイメージだったけど、そうじゃないみたいだ。

 他にもその隣町にはナイキの本拠地があり、全米のトップアスリートたちがここで靴を作りにくるらしい。

 あまりスポーツには興味がなかったので、これもまた「アハーン」と相槌を打っておいた。

 ハイウェイ26号線はまだまだ続いている。

 ポートランドに近づくにつれ、住宅街や大型店舗、車が増えていった。

 途中、電車がハイウェイと並行して通っていった。

 マックスという路面電車とジェナは言う。

 四角い箱のような車両が繋がったその電車は、この街の便利な交通手段となっている様子だ。

「ダウンタウンに行ったら乗れるよ」

 ジェナはそこへ俺を連れて行くつもりらしい。

 3レーンあるハイウェイ。

 ジェナは一番右端に寄せて運転しろと指図する。

「もうすぐポートランド」

 ダウンタウンに近いと言うのに、辺りはまた緑に囲まれている。

 どんな街だろうと色々考えを巡らしていた時、トンネルを目の前にして車のスピードが遅くなり混雑し始めた。

 そして、そのトンネルに入って抜けたら、聳え立つビルが突然目にとびこんだ。

 そこがポートランドだった。

 緑とビルが調和しているこじんまりとした街。

 街の中心なのに落ち着いて見える美しい光景だった。

 ジェナはそれを無視して、そのまま先を行けという。

「大丈夫、後で戻ってくるから。先にゴージと滝を見に行こう」

「ゴージ?」

「キャニオンならわかる?」

「グランドキャニオンのキャニオン?」

「そう、そんな感じ」

「アイシー(ふーん)」

 ハイウェイがいくつも混ざり合った分岐点。

 ジェナに右、左と車線変更を指示されながら、ダウンタウンの周りをぐるっと車で走り続け、立ち並んでるビルを遠目にチラチラ見ながら、先を行く。

 ビルがかたまって街を形成している姿は美しかった。

 ウィラメット川が横切る綺麗な街並み。

 その川の上を11の色んな形の橋が均等な間隔をあけて掛かっている。

 その形も、古いものから近代のものまで、一つ一つが特徴を持っていた。

 前方の右寄りに富士山に似た白い山も現れた。

「マウントフッド。年中スキーができる山」

 尽かさずジェナが説明してくれる。

「年中って、夏も?」

「そうだよ。夏も雪は積もったまま」

「すごいな」

「あそこにはティンバーライン・ロッジと呼ばれるホテルがあって、その外観を『シャイニング』で使用されたの」

 映画の撮影はイギリスでセットを立てて撮ったので、ほんのチョイ役程度の扱いらしい。

「行きたい?」

「ノー」

 目の前にぼんやりと現れているマウントフッドを見ただけで満足して、山にいくのはあまり興味がなかった。

 山は距離をとってみるからこそ、その全体の姿を眺める事ができる。

 いや、ただアウトドア的な事は面倒くさいだけにすぎないが。

 とにかく、この位置から十分マウントフッドの姿を堪能できた。


 空には飛行機が飛んでいる。

 ポートランド国際空港が近いらしい。

 ずっと走り続けたところでまたコロンビア川とご対面。

 これがアストリアへと続いている。

 船が集まる河口付近と違って上流の方は山に挟まれ秘境のようだった。

 雄大な景色に圧倒されつつ、さらにゴージに着いたらそれ以上に感動した。

 コロンビア・リバー・ゴージと呼ばれるその場所一体は、想像以上に絶景だった。

 『ポートランド・ウイメンズ・フォーラム』と称したそのビューポイントからは、山や切り立った谷に囲まれたコロンビア川が一望でき、その先には断壁の上に小さな建物がぽつっと可愛く建っている。

 ひたすら美しく、吸い込まれそうに、自分がちっぽけに感じてしまう。

 昨日の塔から見たアストリアの眺めもすごかったけど、ここは自然が作り出した芸術品だった。

 青い空とのコントラストで立体感が増したこねたパン生地のような雲が、もくもくふわふわと何層にもなって流れていく。

 爽快、爽快、大爽快!

「オレゴンと言ったらこの景色だから」

 何度も来てるジェナもここの景色は特別らしく、じっと目を凝らして見つめていた。 

「エクスキューズミー」

 俺はそこに居た見知らぬおっさんに声を掛け、写真を撮って欲しくてスマホを渡した。

 快く承諾してくれて、俺とジェナは壮大な景色の前に並んだ。

 サンキューとお礼を言えば「君のガールフレンドかわいいね」とウィンクつきで返ってきた。

 リップサービスみたいなもんだろうけど、どう説明していのかわからなかったので、適当に笑ってごまかした。

 ジェナにも聞こえていただろうに、彼女はわざとそっぽを向いていた。

 恥ずかしいのか、それとも間違われて嫌がっているのか、そこのところはわからないけど、俺もまだ学生だし、一緒に居れば、そう見られるのも仕方ないだろう。

 もし、ジェナが写真を撮るのを頼んでいたら、最後に「君の彼氏かっこいいね」っていわれてたんだろうか。

 まさか、日本人丸出しの俺がそんな風に思われる訳ないな。

 スマホに映った自分の姿を見て、笑えてしまう。

「ジャック、あっちにも行こう」

 ジェナに「ジャック」と呼ばれ、俺はまた我に返る。

 すっかり定着してしまった、俺の新しい名前。

 ジャックか。

 少しだけ自分の中に『ジャック』が目覚めたように、俺は元気よく「OK」と返事した。