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その翌日、ビーバートンという昔ビーバーが生息したらしいという街でガソリンを補給した後、ジェナの提案でルート99ウエストに乗り、ここから南西の『マックミンヴィル』へ行くことになった。
そこには、実在した大富豪ハワード・ヒューズの若き頃を描いた映画「アビエーター」にでも出てきた、有名な飛行機があるそうだ。
それは映画で使われたものじゃなく、ハワード・ヒューズが実際に制作した世界最大の木造飛行機の事である。
映画は観た事があったので、ちょっと好奇心が疼いた。
「あの飛行機の名前、なんだっけ」
信号が赤になり、ブレーキを踏みながら、俺は思い出そうとしていた。
「ハーキューリーズ」
ジェナが教えてくれたが、なんかピンとこない。
英語ではそう発音するけど、日本語だとヘラクレスになる。
「でも、ニックネームはなんたらグースとか」
「スプルース・グース」
「そうそう、それ!」
「あっ、青だよ、ジャック」
考え込んでたので、信号が青に変わった事に気づかず、後ろからクラクションを鳴らされて、慌ててアクセルを踏んだ。
そうだった、スプルース・グースだ。
スプルースは木の種類の名前で、クリスマスツリーやギターの素材になったりする木だ。
グースはガチョウ。
「映画ではスプルース・グースって呼ぶと、レオナルド・ディカプリオが演じたハワードは怒ってたから、それからハーキュリーズって呼ばなくっちゃって思った」
ジェナはもしかしたら映画に影響されやすいのかな。
そんな事も訊けないまま、俺は車を走らす。
ハイウェイの時と違って、街の中を抜ける道路だから信号が多くて、絶えず引っかかってしまう。
街並みも、大型ショッピングセンターがたまにあって、小さなローカルな店が並んで、あまり都会ではない。
かといって、緑が広がる田舎でもない。
ポートランドばかりに観光地が濃縮されて、こっちは何もなさそうだ。
ジェナにそれを言うと、首を横に振られた。
「こっちはワイナリーで有名だよ。ブドウ畑が広がって、ワインテイストができるところが多数ある。ワイン好きにはたまらないと思う。オレゴンは特に、ピノ・ノワールで有名。約北緯45度だから、フランスと同じくらいでブドウの育ちがいいんだって」
「へぇ、ジェナはワインにも詳しいんだ」
「両親が好きだから。ジャックはワイン好き?」
「俺はあまり飲まないから、味の良さがわからない」
ビールの時と同じだ。
オレゴンはお酒好きにならないとわからない部分がある。
逆に、ビール、ワインが好きだと魅力ある州なのだろう。
「私は甘い白ワインが大好き」
「リースリングかな。あれ? でもまだ未成年だよね」
「あっ、ちょっとだけ、親が買ったワインを味見しちゃったんだ。ほんとに舐めた程度だよ」
「別にいいよ。警察にいう訳じゃないし」
「でも、親が子供にお酒を飲ませると、ばれると捕まっちゃうんだ。だから、私の両親のためにも内緒にしててね」
「わかった。わかった」
お酒ぐらい、俺だって味見程度に未成年の時に飲んだ事がある。
梅酒だってお酒だけど、家で梅酒を作った時、日本人は水で薄めて子供にも飲ませてないだろうか。
甘くておいしいから、アルコール入ってても飲めちゃうんだよな。
お正月の御とそだって、子供でも縁起物だからってお酒のまされたりする。
そのことをジェナに教えたら「羨ましい」って笑いながら返ってきた。
「ほんのちょっとなら問題ないさ。昔はもっとひどくて、お酒とたばこの自動販売機があって、誰でも買えるようになってたんだ」
「ほんと?」
「今はそれはできなくなった。それでも子供って好奇心からあの手この手で手に入れてるから、日本はあまり厳しくないかも」
「子供はついついお酒やたばこに手を出したくなっちゃうんだろうね。だけど、オレゴンはそこにマリファナが入っちゃう」
「カリフォルニアもそうだけど、合法になったね」
「うん、オレゴンなんて自分で育てられるんだよ。3株まで栽培許されてるんだから」
「ホームメイド?」
「うん。目立たないところだったら、家に植えてもいいの。今マリファナが合法になる州が増えてるけど、自分で育てられるのはオレゴンだけ」
「うわぁ」
「ジャックは吸った事ある?」
「ええ、ない、ないない」
「折角のチャンスなのに」
「何がチャンスだよ。日本人は、アメリカで合法でもマリファナを所有したことがばれると、日本で捕まっちゃうんだ」
「そうなの。でもばれなきゃいいんでしょ」
「それはそうだろうけど、でも、いいや、俺、煙草吸わないし」
「ジャックって真面目なんだ」
ワインから何の話をしてるんだろう。
そうしているうちに、ニューバーグという街の近くまでやってきた。
俺たちが行こうとしているマックミンヴィルの街の少し手前だ。
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「マックミンヴィルまではもうすぐだけど、このニューバーグっていう街には、ワイナリーの他に、一つだけ有名観光名所があるんだ」
ジェナが言った。
「何があるの?」
「ハーバード・フーバーって知ってる?」
「知らない。有名な人なの?」
「アメリカでは有名というのか、一応学校で習うと思う。第31代大統領」
自国の総理大臣の事も遡ったら良くわからないのに、アメリカの大統領の事は尚更わかるわけがない。
まあ、昔の有名どころだったら、ワシントン、リンカーン、ルーズベルト、ケネディ。
近年だったら、ブッシュ、クリントン、オバマ、そしてトランプくらいなら知ってるけど。
「で、その大統領は何をしたの?」
「戦後、マッカーサーに会いに日本にも行った事あるらしよ。歴代大統領には尊敬されてたみたいだけど、当時の国民には人気なかったみたい。だけど、私も説明できるほどそんなに知らないんだ。ただ、フーバーが11歳の時にこのニューバーグに引っ越して来て、その一時住んでた家がまだここにあるの」
「ああ、そういう事か」
「そこに越してきた時、ナシを初めて見たらしく、珍しくて美味しかったからナシばかり食べてたらお腹壊して、それからナシを食べなくなったんだって」
「庭にナシの木が生えてたの?」
「多分そうなんじゃないかな。庭は草木が茂って、家庭栽培とかできそうな広さ。トイレが外に設置されてて、その庭の端にあるから、ナシ食べた後はそこに篭ってたんだろうね」
「まだそのトイレもあるの?」
「部屋の装飾品も家具も含めて全部残ってるよ。かわいいビクトリア調の白い家で、保存状態もいい。今はフーバー・ミンソーン邸って呼ばれて、博物館になってる」
「たくさんアメリカ人が訪れるの?」
「それが、なぜかオランダ人が多いらしい」
「なんで?」
「なんでも、第一次世界大戦の時、フーバーは食糧難だったオランダを助けた命の恩人だとかで、オランダでは崇められてるんだって」
「へぇ、それでオランダ人がわざわざ見に来るんだ。すごいな」
「ほんとすごいと思う。ワインとそれ以外何もないようなところに…… あっ!」
「どうしたの?」
「あった」
「何が?」
「ニューバーグには全米でもトップレベルなレストランがある」
「そうなの?」
「うん、フレンチコース料理だけど、確かシェフのお兄さんが日本に住んでたことがあって、それで日本料理のこと知ってその影響も受けてるって」
「良く知ってるね」
「一度行った事あるんだ。誕生日の時、両親が連れてってくれた。そしたら、そこのシェフが最後に出てきて、ケーキプレゼントしてくれて、その時、そんな話を直接聞いたんだ」
「そこ、そんなに美味しいの?」
「うん、すごい高級で味もサービスも最高だし、料理の見栄えも芸術的だった」
「なんていうレストラン?」
「ペインティッド・レイディ」
「それ、レストランの名前?」
「そう。だけど、値段もそれなりに高いから、気軽に行けるようなレストランじゃないんだ。レストランの見かけは普通の一軒家みたいんなんだけど」
名前も印象的で、なんだか興味が出てきた。
そうしているうちにそろそろ目的地が近づいて来た。
何もない、ただ広い荒野とでもいうのか、無駄にある土地に挟まれた道路が暫く続いていたが、そのうち一機の旅客飛行機が見え、その側にそれ以上に大きい建物が並んでいるのが見えてきた。
近づいても、ただ広い場所と大きな建物のせいで、飛行機がおもちゃのように見えてしまう。
そこが、スプルース・グースのある『エヴァーグリーン航空宇宙博物館』だった。
3
建物もでかいけど、駐車場も広い。
そんな大きなものをポンと建てられる土地がとにかく一番大きい。
周りはそんな同じサイズの博物館がいくつも建てられそうに、ほんとに巨大。
その敷地内に入れば、おもちゃみたいに、本物の飛行機がポツポツ置いてあった。
施設も大型博物館が向かい合って二つとその間に映画館が一つ。
周りが何もないから、これだけでかいのに全然目立ってない景色が不思議と地味。
しかし、その施設を全部見ようと思ったら、かなりの時間を費やしそうだった。
「今日はここで一日がつぶれそうだから、先に宿をブッキングした方がいいかも」
俺が言うと、「そうした方がゆっくりできるね」とジェナも同意してくれた。
俺は早速スマホでこの辺りの宿を探す。
すぐさま、この施設の近くでそれなりの値段で泊まれる宿を見つけ、やっぱりここでも二つ部屋を取った。
建物の入り口に向かえば、その正面玄関の隣に、結構年をいった人たちで集まったブラスバンドがいた。
「なんかあるんだろうか」
「多分、ボランティアとか、または特別な事があって、集まってるんだと思う」
これだけ大きい博物館だから、いろんなイベントや何かのグループをサポートしたりするのだろう。
音合わせをしたのち、急に静まり、そして力強い音が響き渡った。
アメリカ国歌だ。
なんかかっこいいと思っていたら、周りの人たちが全員立ち止まり、右手を胸に当ててその演奏を黙って聴き出した。
ジェナですら、同じポーズをして聴いている。
正直「ええ」っと驚いた。
まるで、パブロフの犬のように、国歌が演奏されると、それが当たり前に行われている。
俺もすべきなんだろうか。
でも俺、アメリカ市民じゃないし。
一人だけ浮いているように、結局、嘘でも真似することができずに、ただ突っ立ってアメリカ国歌を聴いていた。
周りが気になり、人々の顔を見回したが、誰もが静かに尊重して自国の国歌を聴いていた。
なんだかそれが、アメリカの国力にも思え、すごく圧倒された。
それが終わると、拍手喝采が起こり、呪縛が解けたように人々はまた動き出した。
「なぜ、みんなアメリカ国歌が流れると、胸に手を置いて立ち止まるんだ?」
俺は不思議でならなかった。
「うーんと、習慣かな。これは幼稚園の頃からそういう風に習うの。朝、国旗を見て胸に手を当て、星条旗に忠誠を誓ったりするし」
Pledge of Allegiance──忠誠の誓い──というそうだ。
ちなみに全文はこうである。
I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands one Nation,under God,indivisible,with liberty and justice for all.
日本語に訳せば、『私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います』ということだそうだ。(ウィキペディアより引用)
朝からクラス全員で、これを唱えられると、とても迫力ありそうだ。
これぞアメリカ。
自分の国を誇りに思ってない俺は、一体……
「ジャック、中に入ろう」
国歌演奏が終わると、次はどこかで聴いたような明るいメロディが奏でられた。
もう一度演奏されてるバンドを振り返ってから、俺はジェナの後を追った。
「ねぇ、ジェナ、ホームスクールでも、家でああいう事するの?」
チケットを買うために列に並んでるジェナの後ろから話しかけた。
「私は途中からホームスクールに変えたの。だから小学生の時は普通に学校に通ってた」
「なんで途中で変えたんだ?」
「えっと、それは、学校で習う事以上の事を習いたかったから。もっと自由に、できるだけ沢山の事を」
「すごいな、ジェナ。ものすごく勉強したんだ」
「でも、そうせざるを得なかっただけなの」
「えっ?」
何か矛盾した答え方のように聞こえた。
学びたいと思ってるのに、そうせざるを得ないって、やりたい事やれて、やらされたっていう風にとれる。
また俺の英語力がないせいなのか。
どういう意味か確認したくても、背中向けてるジェナに、それ以上訊けない雰囲気がした。
4
建物の中は倉庫を巨大にしたシンプルな作りで、飛行機だらけだった。
天井からもぶら下がり、すごい数の飛行機が、そのまますっぽり屋内に入っている。
どれだけ、この建物は大きいのだろう。
感覚が麻痺してしまった。
あの世界最大の木造飛行機、スプルース・グースも、奥でその姿を見せていた。
操縦席にも入れるらしいが、別料金をとられ、それが高いので、俺たちは外から堪能した。
一度しか飛ばなかったが、でかすぎて飛べるような代物に見えず、例え一度でも飛べてよかったと思ってしまう。
それが浮いただけと皆から言われても。
「すごいね」
「うん、すごいね」
そんな言葉しかお互いかわせなかった。
一つ一つ、ゆっくりと見ていく。
周りにはまだまだ、色んな物がある。
空を飛ぶモノならなんでもあるように、ロケットまであった。
月に着陸した時の乗り物や宇宙飛行士を表現しているものもある。
本物の月の石や、宇宙服。
その宇宙服は昔のタイプから最近のタイプを比べたりして、これで宇宙に行ったのかと感慨深い。
また、NASAというロゴがかっこいい。
こういう宇宙や空をテーマにしたものは、夢があってワクワクしてくる。
シミュレーションで飛行機の操縦をまねる事もできて、そこは人気があってやりたい人で塊になっていた。
アメリカの大きな国旗が、天井からぶら下がり、それが憎らしいほどスマートに飛行機とマッチしてかっこいい。
普通に見に来た俺ですら、ひたすらかっこいいとしびれてるくらいだ。
飛行機好きだと悶えるくらいに楽しい場所だろう。
全て本物なのだから。
色々と圧倒されてるうちに、知らずと、見る順番がずれて、ジェナは他の所に行って、離れてしまった。
その間に、俺はスマホで気になる事を検索し、少しだけ自分の希望を取り入れてみる。
それが上手く行きそうだと、隠れて喜んだ。
これはジェナには内緒にしておいた。
施設内には食事を提供する場所が土産物と並んで角にあり、結構な数のテーブルが設置されていた。
俺たちは休憩も兼ねてそこで軽くお昼を済ませた。
ジェナと向かい合ってテーブルについてゆっくりする。
人が見学している様子を俺は見ながら、ポテトフライをつまんだ。
ジェナはソーダに刺さったストローを手でいじりながら、話しかけた。
「アビエイターが上映された時、ここ、すごい数の人が来たらしいよ」
「みんな、スプルース・グース目当てで?」
「そうだろうね。それで一気に知名度があがったんだろうね。映画でもちゃんとその機体は出て来たし、操縦して成功したところまで紹介されてたから、本物があったら、見てみたいって興味が出てくると思う」
「俺も、見られてよかった。あれ、やっぱりすごい飛行機だ。どうやってここまで運んだのかが気になる」
「ほんとだ。それに、この建物の中にどうやって入れたんだろう」
「あっ、そういえば、あんな大きな入り口はない」
「色々とすごいよね」
「ほんとすごい」
こうやってテーブルを囲んでジェナと会話してると、デートしてるみたいだ。
たまに見つめ合ってしまうと、ドキッとしたり、コロコロ笑うジェナが可愛く思える。
だけど、時々瞳に陰りが見えて、俺は困惑することがある。
そこに、話が噛み合わなくなったり、俺の英語力の限界が加わると焦る。
ジェナは一体何を秘めているのか理解したくて、俺はじっと見つめてしまった。
「どうしたの、ジャック?」
「ジェナって、なんか俺に隠してない?」
何気に訊いただけだったが、ジェナの表情が強張った。
「どういう意味?」
「別に深い意味はないんだけど、ジェナにはジェナにしかわからない事があるのかなって思って」
ジェナは落ち着いて微笑んだ。
でも俺にそれが何かを話す気はないらしい。
俺は元々ストレンジャーだから、そこまで深入りしてはいけないのかもしれない。
もし、深入りしてしまったらどうなるのだろう。
一緒に旅行をしているだけで、半分は深入りしているだろうが、もう半分は知らない方がいいかもしれない。
「さっさと食べて、次行こう」
俺は深く考えるのがいやで、残っていたソーダを一気に飲んだ。
俺たちにはまだまだ見るところがたくさん残っている。
この日のほとんどを飛行機を見る事に費やした。
でも、俺が変な事を訊いたからなのか、ジェナは少し口数少なくなっていた。
5
飛行機を十分堪能した俺たちは、マックミンヴィルの街の中心部へと向かった。
予約を入れてる宿も、その周辺にあったので、ついでに見ておこうというくらいに立ち寄った。
適当に車を停め、街を散策する。
こじんまりとした、あまり活気のない街並み。
でもまとまりがある一昔前のアンティークな雰囲気に見えたのは、街全体のビルが高くなく、街路樹が多く、そこに歴史があるようなホテル、ビストロやアイスクリームショップなどが並んでいたからだと思う。
適当に歩いている時、ブロックの角、ちょうどUSバンクの看板の下に、ベンジャミンフランクリン──銅像──がくつろいで座ってるベンチがあった。
「時は金なりの人だ」と俺が言うと、ジェナは「100ドル札の人」と言った。
俺たちは彼の隣に一緒に座っておどけ、お互い写真を撮りあった。
銀行がある角にベンジャミン・フランクリンがいると、お金のイメージにぴったりときた。
「アメリカ人は彼の事好きだろうね」
「特に彼の顔が描かれた紙幣が一杯手元にあるとね」
俺も福沢諭吉が一杯手元にあったら嬉しい。
「この街は、これといって見るところはあまりなさそうだね」
ポートランドのダウンタウンを見た後では、俺は少し物足りなかった。
「小さな町だけど、毎年5月中旬の3日間はUFOフェスティバルで賑わうの」
「UFOフェスティバル?」
「1950年にここでUFOが目撃されたことを誇りに思って、1999年から歴史あるマックメナミンホテルで始まったイベントなの」
「ええ、ここでUFOが目撃されたの?」
「そうらしいね」
ジェナは肩を竦め、真実かどうかわからないと困ったように笑っていた。
「どんなフェスティバルなんだろう」
「宇宙人にコスプレしたり、著名人を招いてのショーやパレード、屋台も一杯でるらしい。動物まで宇宙人の格好させられて、それはクレージーで面白いらしい」
「宇宙人って言ったら、ニューメキシコのロズウェルが有名だよね」
「そこもフェスティバルやってるけど、その次に人気の場所がここ」
「へぇ、見てみたかったな。ちょうど終わった後だったんだ」
UFOが現れたというマックミンヴィルの空を俺は仰ぎ、想像力を働かせた。
「あっ、UFO」
「えっ?」
そんな古典的な古い手にもジェナは騙されて、空を見た。
俺がしてやったり! と笑ってると「あっ、ほんとだ。UFOだ」とシレッと返ってきた。
「えっ!?」
俺は空を二度見した。
「メージャルック!」
ジェナが指を差して笑う。
今度は俺が騙された。
『Made you look』
映画『アラジン』の最後にジニーも言っていたセリフ。
『やーい、ひっかかった』てな具合である。
マックミンヴィルの街を散策した後は、宿──ホテルとはまた違う安さが売りもの宿泊施設──に俺たちは到着した。
できるだけ予算を削った旅行を続けてるので、食事も簡単なものが多い。
でも今日はレストランで食べようと、俺はジェナに提案した。
「これだけ案内してもらってるから、今日のディナーは俺が奢るよ」
「いいよ、気にしないで。私もとても楽しんでる。ジャックが一緒に来てくれて最高の旅行」
「いいから、いいから。その代り、今日のディナーは俺が選ぶから。その覚悟で」
「わかった。食べたい物があるのなら、喜んで付き合う」
「よし! それじゃちょっと服着替えてくる」
「えっ、服着替えるの?」
「やっぱりレストランだから」
「でも、私、そんないい服持ってないけど」
「ジェナは何でもいいよ。俺だって、ジャケット一枚、何かの時のために持ってきただけだから、そんなにいい服じゃないんだ。すこしだけきちっとみえるようにっていうくらい」
「わかった。それなら、スカートっぽいの持ってるから、それ着る」
そういえば、ジェナはいつもカジュアルなパンツスタイルだった。
足も長くスタイルもいいから、飾り気のない服でもスタイリッシュに見える。
だから、この日、ジェナが膝までの丈のワンピースを着ているのを見るとドキッとした。
すこしだけ薄らと化粧もして、気を遣っておしゃれしてくれた。
「すごくいいね。そのドレスもとても似合ってて、すごくきれい」
「これドレスじゃなくて、チュニックなんだけど、丈が少し眺めだからワンピースとして着てもいいかなって思って」
ドレス、チュニック、ワンピース、その違いは良くわからないが、とにかく、ふわっとしてすっと足が出ているその明るめの服は、とてもかわいらしかった。
もちろん、ジェナも含めて。
「ジャックもナイス」
ナイスという表現は、とりあえず褒めとけという、とってつけたような感じもするが、俺が気取って腕を突き出すと、ジェナはしっかりと組んでくれた。
「それじゃ、行こうか」
俺はジェナをリードする。
グーグルマップで予め行き先を調べてるから、なんとか目的地につけそうだ。
そんなに離れてなかったので、20分くらいでそこに着いてしまった。
ストリートの端に車を停め、俺はジェナをエスコートする。
精一杯のお洒落をして、二人とも少し背伸びをして大人っぽくふるまっていたように思う。
ジェナが絶対喜んでくれると確信してたので、俺は内心とてもワクワクして、落ち着かなかった。
そして、そこに着いた時、ジェナは思った通りに目を丸くした。
これだけでも、俺は『ヤッター』と心の中でガッツポーズしていた。
6
「ジャック、ここは!?」
優しい仄かなペパーミント色の外壁。
少し紫がかった明るめのあずき色のドア。
洗練されたビクトリア調のシンプルな一軒家。
白いフェンスに囲まれ、周りは草木と花の色のコントラストが美しい。
ポーチのところに、ドアと同じ色をしたレストランの名前が書かれたオーバルシェイプのサインが掲げてあるが、ここがレストランだと知らなければ素通りしてしまいそうに、控えめに、だけど威厳溢れる感じに、それは建っていた。
驚いているジェナの隣で俺も「ここが本当にレストラン?」と半信半疑だった。
「私がこのレストランの名前を言ったから、ここに来たの?」
「うん、すごく興味が出た」
「でもここ、本当に高いよ。他の所に行こう」
「だけど、すでに予約いれてるから」
「ええ!」
躊躇っているジェナの腕を引っ張り、俺は玄関のポーチへ続く階段に足をかけ、そのまま二,三段上った。
ここは紳士に徹してドアに手を掛け、それをゆっくり開けると、先にジェナに家へと入ってもらう。
スマートに俺もその後を続き、背筋を伸ばした。
案内係はドアの付近でスタンバイして、落ち着きを払った態度で歓迎してくれた。
一軒家らしく、入るとすぐに二階に続く階段が目に入った。
一部の壁を取り除き、部屋を改造して空間を広げ、テーブルが置かれている。
落ち着き払った色合いのコーディネートが高級感を出していた。
すでに何組かの客が来て食事をしていた。
予約を入れてると言うと、微笑んでスムーズに二人掛けの席へ案内してくれた。
照明をぐっと落とし、テーブルには小さなろうそくが灯って、可愛らしい花がアクセントに置かれていた。
庭に咲いていた花に違いない。
案内係に椅子を引かれ、ジェナはそろりと座った。
俺が座っても、そわそわとジェナは落ち着かず、心配の眼差しでじっと俺を見ていた。
大丈夫だから、と微笑んで、ウエイターからメニューを受け取った。
それを見ている間、ウエィターがグラスに水を注ぎだした。
「お飲み物はいかがいたしましょう」
ワインのお薦めをされたが、ジェナは未成年、俺も車を運転するので、断った。
ソフトドリンクは何があるか聞いたら、ホワイトグレープソーダを薦められた。
それなら見かけはシャンパンで、お酒のような雰囲気だけでも味わえそうだ。
それを頼むと、ウエィターは用意しに奥へ引っ込んだ。
飲み物を持ってくる間、俺たちはメニューを見る。
他の店と比べたら高いと言えば高いが、日本円に換算したら決してそんなに高いと思わなかった。
日本の値段設定より若干安い感じがしたのは、日本のフレンチコースの値段が高めだからだろうか。
ワインを飲んだり、キャビアを頼めばそれは高くなるけれど、俺はなんとかなりそうだと余裕の笑顔を見せた。
「無茶するんだからジャック」
「俺だって、折角アメリカに居るんだから、美味しいもの食べたいし、今日は俺に付き合って下さい」
ジェナは遠慮がちに小さくうなずいて、微笑んでくれた。
ろうそくの光は揺らいで仄かに俺たちを照らす。
アメリカ人は、こういう薄暗い光を演出するロマンティックな雰囲気が好きらしい。
俺には暗過ぎて、ちょっと電気つけて! って言いたくなってしまった。
ジェナもちょっと光が足りなかったのか、メニューを見るのに苦労してる様子だった。
メニューは、ミソ、シイタケ、ユズなどところどころに日本の食材の名前が目についた。
英語で料理を説明してるが、全然想像がつかない。
何か質問あるかとウエィターに訊かれても、何をどう質問していいのかもわからなかった。
5種類の料理を選べるコースにしたが、適当に指を差して選んだ。
ジェナがこのレストランを薦めた限り、何が来ても美味しいだろう。
周りのテーブルを遠目に見ても、見た事もない盛り付けで、いかにも豪華な感じがしていた。
後は来てのお楽しみ。
格式ばったレストランで、少し背伸びした俺たちは、運ばれてきたノンアルコールの飲み物を手にして、少し照れながら「チアーズ」とグラスを重ねた。
薄暗い光の中では、ベールに包まれたように空間が狭く感じた。
奥行きがはっきりとみえないからかもしれないが、目の前のジェナしか見えなくなる。
ジェナも同じなのか、俺だけを見ている気がした。
俺たちはその演出に見事に飲まれている。
幻想的に照らされるジェナの可愛らしい笑顔に、俺はドキドキが止まらなかった。
「今日もとても楽しかった」
俺が言えば、ジェナも「私も」と答える。
妙に話題がなくて、言葉が出てこない。
ひたすら笑ってごまかすというそんな初々しさがあった。
ウェイターが料理を運んでくると気がそらされ、緊張感が和らいだ。
テーブルの上に乗せられた料理に暫しくぎ付けになり、その間ウェイターが説明している。
それはよくわからなかったが、妙にでかいお皿の真ん中に、ちょこんと料理が乗っているその様は、何かの芸術作品のようにそれは素晴らしかった。
見て驚き、食べて驚きと、ジェナが言った通り、それは美味だった。
「美味しいね」
「うん、美味しい」
そればっかりの会話が続いた。
ゆっくりと時間が過ぎ、料理も決して急がず、ゆったりと目の前に運ばれてくる。
まさに、優雅な一時を俺たちは過ごしていた。
この雰囲気に乗り、俺はジェナに質問した。
「ねぇ、ジェナはなぜ俺をジャックと呼んだの?」
ナイフとフォークを持って、お肉を切っていたジェナの手が止まった。
「それは、ジャックだって思ったから」
「だから、ジャックって誰なんだ?」
「だからあなたがジャックと思ったから。そう呼んじゃった。もしかしてジャックって名前嫌だった?」
「そんな事ない。実はすごく気に入ってるんだ。そんな風に呼んでもらえて嬉しかったくらい」
そう、俺はジャックという名前がとても気に入った。
俺の長ったらしく言いにくい名前を、アメリカ人によって言いやすいようにもじってつけられたニックネームよりもずっといい。
ジェナの中では何かが反応して、俺にぴったりだと思ってくれたのなら、有難いことだ。
俺はこのまま、ジェナの思うジャックでありたいと願う。
ジェナが俺をジャックと呼んでくれたことで、俺の冒険が始まり、俺の中の何かが変わったような気がする。
アメリカ留学の最後の時を、さらに忘れられないものへと変えてくれた。
人生で一番きままで楽しい旅。
仄かに照らされた優しい暖色の光は夢の中にいるようだった。
俺の向かいに、かわいらしいアメリカン少女。
俺は英語で彼女とデートをしている。
俺自身もなんてすごい事だろうと気が大きくなって行きそうだった。
優越感とでもいうのか、男としての矜持に酔いしれるというのか。
ジェナは一体こんな俺の事をどう思っているだろう。
少しばかりまたスマッグ──自惚れ、独りよがり──になってしまう。
俺がもしこのままジェナの近くにいたいと言ったら、ジェナはその時なんて答えるのだろう。
でも俺は首を振る。
ジェナと一緒に長くいた事で、もしかしたら好かれているのかもと、俺は調子に乗ってしまっただけだ。
俺がもうすぐ日本に帰ることはジェナも承知だ。
そんな去っていく男の事を真剣に考える事もないだろう。
お互いどこかで割り切って……
そんな事を考えている俺をジェナはじっと見ていた。
「どうしたのジャック? 真剣な顔になってる」
「いや、もうすぐジェナともお別れだと思うと、寂しくなったのさ」
ジェナの表情が強張った。
ジェナは俺をじっと見つめ、震える唇で呟いた。
「ジャック、行かないで。私の側にずっといて」
「えっ」
ジェナの瞳が潤んでいる。
まさか、ジェナの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
俺はなんて言っていいのか、自分のそうしたい気持ちと、それは無理だと言う事実がぶつかり合う。
ジェナのストレートなその言葉が俺を縛り付ける。
この場合どういう答え方が一番ベストなのだろう。
そうしているうちに、デザートが運ばれ、ウエィターが説明している間、ジェナはわざとそのデザートに喜んだフリをする。
俺の答えを待たずに、ジェナは食べだした。
1
俺たちは何事もなかったように食事を終え、店を出てからずっと黙ったままだった。
車に乗り、シートベルトをして、俺がエンジンを掛けようとしたとき、やっとジェナが口を開いた。
「ディナーをありがとう。とても美味しかった。またこのレストランに来られてとても嬉しかった」
「どういたしまして。俺も美味しい料理を食べられてよかった。ここの料理、ジェナが言った通り、すごかったよ。サービスも洗練されてたし、アメリカにこんな美味しいものがあるなんて、びっくりだった」
ジェナは明らかに何かを気にして、気まずくなっている。
俺が、あの時の返事をしなかったから怒ってるのかもしれない。
このままうやむやにして良い訳じゃない。
だけど、返事ができないのだ。
どう答えていいのかまったくわからない。
ジェナも俺も会って間もないし、まだどちらも学生だ。
はっきりしても、曖昧でにごしても、結局は離れることが決まっている。
そんな状況で、ジェナの側には絶対にいてやれない。
でも一緒にいたいという気持ちはないという訳でもない。
反対にこれが日本で起こった事ならば、例え相手に強く興味を持ってなくても、きっとその言葉を利用するように簡単にいい返事を返していたことだろう。
自分が去っていく、無理な状況での告白は、簡単に会えない距離のせいで容易く受ける事はできなかった。
いずれ自然消滅の予感がすると自分でも先が読める。
ジェナだって、この状況に飲み込まれて、気持ちが高まっただけだ。
できるだけ冷静に、はっきりいわずとも、自分の言いたいニュアンスが通じるように、俺が去っていく現実だけを考え俺は話し出した。
「えっと、レストランでジェナが言ったことだけど」
ジェナの肩がピクッと反応し、恐る恐る俺に視線を向けた
「俺、嬉しかった。俺も、その、このまま一緒にいられればって思う」
「だったら、一緒にいて」
「でも俺は日本に戻らなければならない」
「そんなのわかってる。でも約束はできるでしょ。またここに戻ってくればいいだけじゃない」
「ジェナも、俺だって、まだ学生だ。学校にいかなくっちゃならないし、簡単にそれができない事わかるだろう」
「離れてる時間が長くなると、私にはもう会いたくないの?」
その言葉は俺の思う的を射ていて、ドキッとしてしまった。
「そんなことない」
──ほんとにそんなことはないんだ。
──だけど距離があるという事はいずれ自然とそうなってしまうんだ。
俺の心の声は言葉にできなかった。
「だったら、私たち、離れててもずっと繋がる事ができるはず」
ジェナの意味することは、遠距離恋愛ということなのだろうか。
それも最初の内はありかもしれないが、俺もジェナも縛り付けて、会えない時を無駄にするなんてただしんどいだけじゃないだろうか。
ジェナだってこれから、大学で俺よりももっといい奴に出会えるチャンスが一杯ある。
完璧に英語を操れない俺は、この先不利な点を一杯秘めている。
ジェナはかわいいし、好かれれば素直に嬉しいが、欲望のままに先を考えない結論をすぐ出してもよいものなのか、俺自身が納得いかない。
俺が黙り込んだその時、ジェナの目がきつくなって俺に感情をぶつける。
「ジャックは、私の事もっと知ったら、絶対に私から離れないはずよ。だってジャックなんだもん!」
まただ。
上手く彼女の英語がしっくりと理解できない。
俺は何かを聞き逃している?
しかも、ジェナはどこか駄々をこねる子供のように、俺にジャックを押し付ける。
一体ジェナのジャックって何なんだ?
ダメだ、これ以上俺は彼女と話し合えない。
でも彼女がここまで俺に執着を見せるなんて、何かがおかしいようで、違和感を覚える。
それは、押し付けるように、俺を縛り付けようとして、それを俺に実行してほしいと願ってるような──もっと違う別の理由。
無理難題とわかっていながら、わざと気持ちをぶつけて、俺を困らせている。
今夜の特別なディナーのせいで、俺がジェナを刺激させてしまったに違いない。
ジェナはそれに甘えて、引っ込みがつかなくなっただけだ。
「とにかく、ジェナ、落ち着こう。今日は少しロマンティック過ぎて、ちょっと気持ちが高ぶったかもしれない」
「……」
ジェナは何も答えない。
でも瞳だけは黄昏の薄暗い中で虚ろに俺を見ていた。
それから目を逸らし俺は車のエンジンを掛けた。
車はゆっくりと動き出し、宿へと向かった。
沈黙をごまかすように、俺はラジオのスイッチを入れたが、気にいらない曲だったのか、ジェナがそれをすぐに消してしまった。
余計に気まずくなり、俺は追い詰められていく。
最後は居た堪れなくなり、俺は弥縫策を講じる。
「もう少し、オレゴンにいるから」
ほんの少しだけ先延ばしになったところで、何も解決しないだけなのに、そういうことしかできなかった。
ジェナは無言だけど、頭の中では色々と考えを巡らせていたと思う。
時々、何かを伝えようとしながら、それを飲み込むようにジェナは体を震わせていた。
宿について自分の部屋のドアに手を掛け、俺に振り向き「グッナイッ」と小さくあいさつした。
同じように俺も「グッナイッ」と返す。
無理して寂しそうに微笑むジェナは、仕方がないとどこかで諦めているようだ。
部屋に入る前に声を絞り出すように小さく俺に言った。
「ジャック、明日は『ティラモック』に行って、そしてジャックが行きたがっていた『キャノンビーチ』に行こう。それでこの旅も終わりにしましょう」
あっさりと終わりを告げられ、俺の方が辛くなった。
「わかった……」
そういうだけで精いっぱいだった。
俺がよかれと演出したことが裏目に出てしまった。
あまりにもあっけない、なんとも後味の悪いそんな雰囲気が俺は嫌でたまらなかった。
2
始まりがあれば終わりがある。
成り行きで始まったこの旅だったが、結局は俺は振り回されただけだったのだろうか。
いや、ジェナのお蔭で十分楽しかったし、このハプニングに感謝したいぐらいだ。
でもなぜ、こんなにも苦しく、切なく、この旅の終わりが悲しいのだろう。
ジェナとの別れは、出会った時からそうなるのはわかっていた事で、覚悟もあったし、今更始まった事じゃない。
それなのに、ものすごくもやもやする。
このままジェナと別れれば、一期一会で終わってしまう、そんな予感がしてならなかった。
なんだか寂しくて仕方がなかった。
ベッドに横たわり、その晩、色んな場所で撮った写真をみていた。
ジェナに撮ってもらった写真に写る俺の表情が、時間が経つにつれ、どんどん豊かになっている。
一緒にジェナと並んで撮った写真の俺は、本当に楽しそうに笑っていた。
ジェナの笑顔も素敵だった。
あまりにも楽し過ぎて、ジェナを傷つけたくないばっかりに、言葉を濁してしまった。
俺はどうすればいいのだろう。
わからないままに夜が明けてしまった。
あまり眠れなかった俺は、ジェナから掛かってきた、部屋の備え付けの電話を受けた時には、すでに身支度を整えていた後だった。
準備ができていたので、俺たちは朝の肌寒い中、出発する。
ジェナは気持ちを切り替えたのか、いつも通り元気に、俺に朝の挨拶をし、前夜の事がなかったように助手席に乗り込む。
一晩寝れば忘れてしまったのか、それとも無理をして元気を装ってるのか、どちらにせよ何事もないように振る舞えるジェナが羨ましかった。
俺の方がいつまでもうじうじとして、わだかまりを持ってよそよそしくなっていた。
それをジェナは見てみぬふりをし、俺に道案内をする。
まるでビジネスのように割り切っている態度は、なんだか却って寂しくもあった。
「ここからは大体一時間半のドライブかな」
ジェナが言った。
「そこには何があるの?」
「そこも飛行機があるんだけど、世界最大の木造格納庫。第二次世界大戦の時に、アメリカ海軍が各地に10あまりの飛行船基地を建設したの。その一つが残ってるんだ。全てが木で造られてるのもすごいし、それが巨大サイズだから、とにかく見事な格納庫。しかも、そこに展示されてある飛行機はほとんど空を飛べる状態で、日本の戦闘機も展示されてる」
「日本の戦闘機?」
「アメリカではオスカーって呼ばれてる。日本名はナカ……ヤマ? ナカ……サムシング」
「ナカジマ」
一式戦闘機『隼』のことだ。
ナカジマと呼ばれるのは開発したのが中島飛行機だからだ。
さほど飛行機に詳しくなくとも、日本の戦時中の戦闘機と聞けば、ゼロ戦と隼くらいは知れ渡っているだろう。
「昨日も飛行機見たところだけど、どうせその近くを通るから、ついでにそれも見た方がいいかなって思って」
日本でも隼を展示している場所は山梨県にある博物館だけだったと、なんとなく聞いた事がある。
それがアメリカにも残ってるなんてすごい。
「その日本の戦闘機は本当に飛べるの?」
「飛べる状態に手入れされてるらしいから、そうなんじゃないかな。興味湧いた?」
「イエス!」
隼に反応した俺は勢いで返事した。
近くまで来たのなら、日本人としてそれは見ておくべきだと思えてならなかった。
気が紛れる何かが現れると、少し気分が収まり、元の状態に戻って行く。
ジェナの計らいは、俺のぎくしゃくに油をさすように滑らかにしてくれた。
それに便乗し、表面上は何もないように振る舞う。
例えそれが一時的なものだとしても、ずっとわだかまっているよりいい。
子供のように駄々をこねたり、大人のように割り切ったりと、ジェナは感情が不安的なときがある。
どっちが本当のジェナなのか、彼女を振り返れば、じっと前を見据えて思いつめていた。
「ん? どうしたの?」
俺の視線に気づくと微笑んだ。
なんて話しかければいいのだろう。
咄嗟にごまかした。
「音楽聴いてもいい?」
「えっ、あっ、もちろんいいよ」
俺はラジオをつけた。
山間で電波が届きにくく、どこをチューニングしても雑音だらけだった。
まさにそれが今のジェナの気持ちを表しているような気がした。
俺は諦めてスイッチを切ると、ジェナは気の毒そうに眉根を下げていた。
いくつかのハイウェイを変更しながら走り、やっと山間から抜けたところで、またあの101号線に来てしまった。
俺が北カリフォルニアからオレゴンに向けて北上してきたハイウェイである。
『ティラモック航空博物館』が見えたところで、ここを通った事を思い出した。
ハイウェイから『Air Museum』と大きく書かれた細長い建物が見える。
まさかあの寂れた巨大なかまぼこ型の建物が、格納庫だとはあの時気が付かなかった。
近くまで行くと、ここも巨大すぎる事に気が付く。
端から端まで歩くだけでも大変そうだ。
ほとんどの飛行機が整備され、まだ飛べるというのにも驚くが、それを保管している建物が全て木でできてることもすごかった。
よくこんなのが戦時中に作られたと思うのと同時、戦時中で鉄がなかったから、木で作るしかなかったのだろうと納得する。
戦時中に作られた格納庫だから、そういう戦争関係の展示も多く、ここは戦いを経験した飛行機が多数あり、勇ましさの陰に悲哀も含まれているように思えた。
そして隼。
日本人の誰がこの飛行機に乗って戦ったのだろう。
その姿を生で見た時、なんだかわけもわからず、ぐっと胸に来るものがあった。
貴重な歴史的な古い資料と、現役にまだ空を飛べる飛行機たち。
かつては戦い、命を奪ったものもあるけど、今は広大な大地で安息している姿が印象的だった。
ジェナがいなければ、本当に素通りしてたから、何も知らずにただ車を走らせてた自分がおろかに思えた。
見えていたのになんだろうと疑問にも思わなかった。
今まで歩んできた自分の人生のようにも思え、なんだか情けない。
これまで必死になって来た事があるだろうか。
ジェナを見れば、展示品に近づき、色々な資料を目を皿のようにして見ていた。
説明文を食い入るように読んでいる。
学校に行かずにホームスクールを選んだくらいだ。
与えられたものだけでは満足いかず、自ら何かを知りたいと常に学ぶ癖がついているのだろう。
俺を求めてくれたジェナを傷つけたくないと、かっこつけたところで、俺はジェナとは釣り合わない劣等感を感じてしまう。
ジェナは祖国を愛し、いいところも悪い所もはっきりと自分の言葉で表現できる。
だが俺は、祖国を蔑ろにし、同じ日本人の前で思い上がって失礼な態度を取り、祖国の事も自分の住んでる土地の事も何も紹介できない。
思わず悲観的になってしまう。
国際人になりたい、他の日本人とは違うんだと意識したところで、その前に土台となる部分が崩れたままだ。
無性に悔しく、腹立たしい。
それとは対照的に、目の前の隼はアメリカの大地でアイディンティティを確立して勇ましく姿をそこにとどめている。
『自分は日本の戦闘機だ』
そんな声が聞こえてきそうだった。
「よほどその戦闘機が好きなのね」
隼の前から暫く動かなかった俺に、ジェナが声を掛けた。
「アメリカで『隼』に会えてよかった」
「ハヤブサっていうの?」
「ああ、隼は英語にしたら『ファルコン』という鳥になる」
「ファルコン!?」
「なんかあるの?」
「私たちが出会った場所も、ケープ・ファルコンだったから、同じ名前だなって思ったの」
「そういえばそうだったね」
何かの縁を感じる。
俺はなかなか隼から目が逸らせなかった。
ジェナも一緒に見ながら、俺の気持ちを汲み取ろうとした。
「この飛行機、日本人にとったら、大切なものなんだろうね」
果たして、日本人にこの飛行機は大切なものなのだろうか。
でも、ほとんどの日本人は自国の戦闘機がアメリカに残ってる事を知らないだろう。
しかもまだ飛べる状態で保管されている。
大切にしてくれてるのはアメリカ人の方かもしれない。
でもそこに刻まれた歴史は日本人にとったら忘れたらいけない大切な事だ。
それはわかってるけど、今の俺にはそんな事も言える立場じゃなかった。
「そうだね」
相槌程度にそう返事すると、ジェナは俺のスマホを手に取って、隼をバックに写真を撮ってくれた。
3
博物館を出て、さらに車で30分のところ、お昼を回ったところで『Tillamook Cheese Factory』に着いた。
チーズファクトリーというくらいだから、チーズ工場だが、ジェナ曰く、無料で工場内を見学できる人気スポットだそうだ。
その周りに広がるのどかな田園風景の中に牛が一杯いた。
その先に四角い大きな建物がどでーんとあり、それがチーズ工場だった。
なぜかその隣に船まで置いてあった。
モーニングスターと名称されたその船は、今ではティラモックチーズのロゴにも使われている。
昔はこの船に積んでマーケットに運んだそうだ。
それがシンボルとなってここに残り続けていた。
ビジターセンターとかかれたその入り口は、無料とあって、沢山の観光客が訪れていた。
工場内を全体に見渡せるガラス張りにされた高い位置で、見学者は自由にチーズ作りの過程を見る事ができる。
箱ぐらいあるサイズのチーズの塊がベルトコンベアーで流れて、カットされ、最後にパックされるのだが、それが見てて気持ちいい。
ジェナが隣で手を振っている。
流れるチーズの前で立っている、頭に白いギャザーキャップをつけたおじさんが、それに応えていた。
最後に大変な作業だと、額の汗を拭う仕草をわざと俺たちに見せつけた。
そういうコミュニケーションを取るところがアメリカらしかった。
「ここは何度も来てるのよ」
ジェナはニコニコとしていた。
「そんなに来て飽きない?」
「全然飽きないよ。こっちきてみて」
全てを見終わった後、ジェナは下へ下りていく。
そこは土産物売り場に繋がっていた。
そしてチーズの試食ができるように、カッティングされたチーズが一杯用意されていた。
それがあるから、飽きないらしい。
早速俺もご賞味させてもらう。
チーズカードというのを口にいれたら、噛み応えのある歯ごたえにびっくりした。
「何これ」
「酵素で固めただけのチーズの初期の原形。そこからチーズは発酵してちゃんとした形になるけど、これはチーズの赤ちゃん」
「へぇ、初めて食べた。噛んだ時がなんか『キュッキュ』ってする」
「『キュッキュ』?」
「スクウィーク、スクウィーク(squeak)かな?」
「えっ? ねずみがチュウチュウ?」
スクウィークは主にネズミが鳴くときに用いられる単語だった。
キュウキュウもあるけど、伝わらなかった。
噛んだ時にキシッとするような歯ごたえを言いたかったのだが、こういう擬音語の感覚はちょっと英語で説明するのが難しかったので、その後は笑ってごまかした。
土産物屋の隣の場所に足を踏み入れれば、人が一杯いて列をなしている。
そのそばでアイスクリームコーンを持った人がたくさんいた。
ケースの中を覗きこめば、色んな種類のアイスクリームが売っていた。
ここではアイスクリームも作っていた。
「アイスクリーム食べる?」
ジェナが食べたそうにしている。
「先に昼ごはん食べたいな」
時間もいい頃で、俺は腹が減っていた。
他にもホットドッグやハンバーガーなどが売られて、食事もできるようになっていた。
俺はティラモックのチーズが使われたサンドイッチを頼むことにした。
そしてもちろんデザートはアイスクリームだった。
アイスクリームの美味しさの基準はよくわからないが、これはもっちりねっとりとした食感があって、なかなかだった。
しかし、シングルサイズでも、ワンスクープがでかい。
ある人はバナナスプリットを頼んでいて、バナナを縦に切り込んでそこに三つスクープを乗せ、チョコレートかけて、生クリーム乗せて、最後に赤いチェリーを乗せている。
あんなの生で初めてみた。
ジェナと一緒に食べてみたかったかもしれない。
ティラモックには自然に触れられるフォーレストセンターや灯台、滝など見どころは他にもあるが、それぞれ離れた場所にあり、全部は回れないので、チーズ工場を見学した後はキャノンビーチに向かった。
俺が行きたがっていたのを覚えていて、そこを最後にしようとジェナは決めたらしい。
突然の旅の終わりに、俺は複雑だった。
「ここからキャノンビーチまで一時間くらい」
ジェナは時計を見ながら言った。
「そこへ行ったら、俺たちの旅は終わりだね」
「そうだね」
「でも、俺は君のメガネを壊してしまったし、どうやって車を運転して帰るんだ」
「予備のメガネをもってきてもらえるように誰かに頼む」
「そんな…… ジェナの家はどこなんだ」
「ポートランド近郊」
「だったらなぜそっち方面に行った時にメガネを取りに帰らなかったんだ」
「だって、ジャックと一緒に旅行してるって親にばれたら反対されると思ったし、ジャックに迷惑かかると思った」
それもそうだ。
車をここにおいたまま、どうやって家に戻って来たなんてきかれたら、俺の事説明しないといけなくなる。
見知らぬ男と一緒に旅行するなんて、やっぱり尋常じゃなかった。
「なぜ、危険を冒してまで俺と旅行しようと思ったんだ」
「ジャックは全然危険じゃない」
「でも、やっぱり見知らぬ男と二人で急に旅行するなんて危ないことだ」
「危なくなんかなかったよ、ジャックは思った通りの人だった」
「俺の場合、その、たまたまだ」
俺はもちろん間違いなんて起こすつもりはなかった。
でもジェナの行動に圧倒されて、成り行き上こうなって旅を続けた。
だけど一般論からしたら危ない行為だ。
それを言いたいが、一緒に旅行し終わった後では説得力に欠けた。
仕方がなく、その後は黙り込んだ。
そして俺たちはティラモックを後にして、有名な岩のあるキャノンビーチへと向かった。
それが俺たちの旅行の終着点──。