6
ポートランドは端から端まで歩けるほどの大きさではあるが、さすがに何ブロックも歩いて、また元に戻るとなると疲れるので、バスを利用して北へと向かった。
一日乗り放題のチケットはバスにも適応される。
途中、昨日素通りしたチャイニーズゲートの前をまた通り、危ないイメージがすでに出来上がってただけに、そこからあまり離れてない場所で降りた時はなんだか不安になった。
一分ほど歩いたところで、長蛇の列ができていて、人が沢山いる様子に随分ほっとした。
古ぼけたビルに並ぶ観光客。
何があるんだと思ったら、ジェナもその列に並びだした。
「ここは何?」
「ブードゥドーナツ」
「ブードゥってあの悪魔崇拝の?」
「そう、とてもすごいドーナツが一杯あるの。これもポートランド名物だから」
建物の角に、変なキャラクターが描かれたピンクの看板が掛かっていた。
ブードゥ教でピンを刺して呪いを掛けそうなキャラクターだ。
なんとも滑稽でいて、不気味な看板だった。
沢山買ったのか、ピンクの箱を抱えて店の中から出て行く人がいる。
こんなにも人が並んで買いたいなんて、余程美味しいドーナツなんだろうか。
一つくらい食べてもいいかと軽い気持ちで並んでいたが、いざ店に入って見たら、そのド派手さに驚いた。
店の中が奇抜に趣味悪い。
ドーナツも色取り取りに雑なデザイン。
ベーコンまでのってるのもある。ひたすら甘そう。
24時間営業と知って、二度びっくり。
「噂では日本にも進出するとか言ってるらしいけど」
ジェナが半信半疑に言った。
「えっ、これが日本にも来るの?」
三度びっくりだった。
話のネタに、ベーコンがのったドーナツを買ってみる。
ジェナは、ブードゥ人形のを買っていた。
これがここでは一番人気らしい。
ご丁寧に、棒状のプレッツェルで胸が突かれていて、そこからイチゴのジャムがでてくる。
悪趣味。
変なドーナツだと、怖々と口にほうりこんでみた。
やっぱり甘い。これは日本人向けじゃないと思う。
日本にきても珍しさで最初は買いに来るだろうけど、途中で飽きられそう。
でもジェナは美味しそうに食べてるし、味覚がやっぱりアメリカンなんだろう。
思わず顔を見合わせて、お互い笑ってしまった。
いい経験になりました。
ドーナツを平らげた後、ジェナは言いにくそうに俺に提案した。
「あのね、ジャックは日本人でしょ。それで、やっぱり見てほしい所があるの」
「なんでも見るよ」
「でも、日本人にとったら、それは怒るかもしれない」
「えっ、怒る? どうして」
「とにかく、行こう。すぐそこだから」
腕時計の時間を気にして、ジェナは歩き出した。
それは『NW 2nd Ave』を2ブロック程、北に向かって歩いたところにあった。
知らなければ素通りしそうに、通りに面したゴシック調の建物の中にあった。
ガラスの窓に『Oregon Nikkei Legacy Center』と書かれている。
かつて太平洋戦争が起こった時、アメリカに移民した日本人が強制収容されてしまった。
ポートランドにもたくさん日系人がいたが、全て、本当に全ての日本人が最悪な条件の収容所に無理やり入れられてしまった。
そういう事があったとはなんとなく知っているが、ここにはその収容された当時の資料が展示されていた。
あの当時は仕方がなかった──などとは軽く言えない歴史がここには刻まれている。
俺は恵まれて楽しくアメリカ留学したが、アメリカには日系人に過酷な時代があり、辛い歴史として残っている。
いくら戦争で日本人が憎いといっても、すでに市民権を持ってアメリカ人として生きていた日本人までもが全てを奪われて収容された。
人種問題も関係していたのがあきらかだ。
そのミュージアムは外見も目立たず、あまりにも小さい。
営業時間も午後三時までって短すぎる。
まるで勤勉で真面目で控えめな日本人気質のように、それでいて静かにそこで何かを伝えようとしていた。
「いくら戦争をしたからと言っても酷いよね」
収容所の住居を再現したセットを見ながらジェナがぽつりと呟く。
「でももう過去は変えられない。だからこんな過ち二度と繰り返さないようにしなくっちゃ」
ありきたりだけど、それ以上言えなくて、俺はしんみりとしていた。
他にどんな言葉を用いて、言えばいいんだろう。
こういう話題も俺は苦手だ。
「移民してきた日本人って、それこそ苦しんでアメリカで必死に生きてきたんだろうなって思う。正直、こういう事ってアメリカの学校ではあまり教えないから、知らない人もいるんだ」
「でもジェナは知ってた」
「知らなければならないと思った」
「偉い」
「でも、ほんとはね、映画がきっかけだったの。『Come See the Paradise』(邦題:愛と哀しみの旅路)って知ってる?古い映画だけど、日系二世の女性とアメリカ人男性が恋に落ちる話。実話を元に作られてて、そこで強制収容の様子が出てきたの」
きっかけはなんであれ、日系人のアメリカでの歴史を知ろうとするところが素晴らしい。
俺なんて、そういう事は何となく歴史の一つとして知っていても、詳しい事までは興味なんてなかった。
自分がアメリカにきても、アメリカの日系人について知ろうとも思わなかった。
彼らが一生懸命になってアメリカで築き上げたもの。
これらは日本人も忘れちゃならないと思う。
少なくとも、当時の日系人が写った写真は、アメリカで必死に生きようとしている姿が見受けられた。
過酷で条件が悪い場所であっても、何かを見つけ希望を見いだそうとしている姿は、大切な何かを教えられている気分になった。
この先しがみついてでもやらなければならないような覚悟が、この日系人たちから見えた。
辛いのに希望をもってるような──
「あっ、シルバーライニング……」
「えっ? シルバーライニング?」
シルバーライニングは英語のことわざだ。
「うん、なんか辛いのにそこから良い部分もあるって希望を忘れないものが見えた」
「あっ……」
ジェナの目が潤みだした。
それを隠そうと少し顔を横にして、息を整えてから俺を見つめニッコリと微笑んだ。
「そうだよね。どんなにつらくても希望はどこかにあるって信じて頑張るってことだよね。シルバーライニング。いい言葉だね」
ジェナもどこか心に響いたみたいだった。
実際、辛い思いをしてきた人には場違いな言葉かもしれない。
うまく英語で、強制収容についても語れないけど、これだけは言える。
「ここへ連れて来てくれてありがとう、ジェナ」
「私こそ、一緒にきてくれてありがとう」
歴史を知ることは、過去を責める事でもない。
でも、そこから学ぶ事がある。
いつかどこかで、俺のようなものにも、何かを訴えて気づかせてくれるだけの力があった。
それはアメリカ人のジェナにも影響を与えるくらいに。
あまり、色々と考えを巡らせたら、却って口先だけの偽善者になりそうな気がした。
「そろそろ、行こうか」
俺たちと入れ違いに、数人のアメリカ人たちが入って来た。
すれ違いざまに、目が合ったので「ハーイ」って声を掛けた。
相手も笑顔で挨拶してくれ、とても気持ちがよかった。
そこを出た俺たちは、ウィラメット川に向かって歩いた。
色んな橋が見渡せ、川沿いに桜の木が植えられて、犬を連れての散歩やランニングにはもってこいの場所だった。
春には日本のような桜がこの川沿い一面に咲くらしい。
その一部分に石碑が建てられて、ここを『ジャパニーズ・アメリカン・ヒストリカル・プラザ』と呼んでいた。
日系アメリカ人の歴史を忘れないようにと作られた場所だった。
過去の変えられない歴史を、この先も伝えなければならない思いでここは作られた。
冷たい空気の中、言葉にできない思いがしんみりとさせる。
ポートランドは色んな面を持っている。
「ポートランドの街って素敵だね」
俺が言った時、ジェナは「That's right」と答えた。
「だから私は大好き。歴史も含めて、この風景、街並み、この景色、全てを忘れたくない」
俺たちは一緒に周りの景色をしっかりと見つめた。
俺も忘れたくない、ジェナと二人で見たもの全てを。
ポートランドは端から端まで歩けるほどの大きさではあるが、さすがに何ブロックも歩いて、また元に戻るとなると疲れるので、バスを利用して北へと向かった。
一日乗り放題のチケットはバスにも適応される。
途中、昨日素通りしたチャイニーズゲートの前をまた通り、危ないイメージがすでに出来上がってただけに、そこからあまり離れてない場所で降りた時はなんだか不安になった。
一分ほど歩いたところで、長蛇の列ができていて、人が沢山いる様子に随分ほっとした。
古ぼけたビルに並ぶ観光客。
何があるんだと思ったら、ジェナもその列に並びだした。
「ここは何?」
「ブードゥドーナツ」
「ブードゥってあの悪魔崇拝の?」
「そう、とてもすごいドーナツが一杯あるの。これもポートランド名物だから」
建物の角に、変なキャラクターが描かれたピンクの看板が掛かっていた。
ブードゥ教でピンを刺して呪いを掛けそうなキャラクターだ。
なんとも滑稽でいて、不気味な看板だった。
沢山買ったのか、ピンクの箱を抱えて店の中から出て行く人がいる。
こんなにも人が並んで買いたいなんて、余程美味しいドーナツなんだろうか。
一つくらい食べてもいいかと軽い気持ちで並んでいたが、いざ店に入って見たら、そのド派手さに驚いた。
店の中が奇抜に趣味悪い。
ドーナツも色取り取りに雑なデザイン。
ベーコンまでのってるのもある。ひたすら甘そう。
24時間営業と知って、二度びっくり。
「噂では日本にも進出するとか言ってるらしいけど」
ジェナが半信半疑に言った。
「えっ、これが日本にも来るの?」
三度びっくりだった。
話のネタに、ベーコンがのったドーナツを買ってみる。
ジェナは、ブードゥ人形のを買っていた。
これがここでは一番人気らしい。
ご丁寧に、棒状のプレッツェルで胸が突かれていて、そこからイチゴのジャムがでてくる。
悪趣味。
変なドーナツだと、怖々と口にほうりこんでみた。
やっぱり甘い。これは日本人向けじゃないと思う。
日本にきても珍しさで最初は買いに来るだろうけど、途中で飽きられそう。
でもジェナは美味しそうに食べてるし、味覚がやっぱりアメリカンなんだろう。
思わず顔を見合わせて、お互い笑ってしまった。
いい経験になりました。
ドーナツを平らげた後、ジェナは言いにくそうに俺に提案した。
「あのね、ジャックは日本人でしょ。それで、やっぱり見てほしい所があるの」
「なんでも見るよ」
「でも、日本人にとったら、それは怒るかもしれない」
「えっ、怒る? どうして」
「とにかく、行こう。すぐそこだから」
腕時計の時間を気にして、ジェナは歩き出した。
それは『NW 2nd Ave』を2ブロック程、北に向かって歩いたところにあった。
知らなければ素通りしそうに、通りに面したゴシック調の建物の中にあった。
ガラスの窓に『Oregon Nikkei Legacy Center』と書かれている。
かつて太平洋戦争が起こった時、アメリカに移民した日本人が強制収容されてしまった。
ポートランドにもたくさん日系人がいたが、全て、本当に全ての日本人が最悪な条件の収容所に無理やり入れられてしまった。
そういう事があったとはなんとなく知っているが、ここにはその収容された当時の資料が展示されていた。
あの当時は仕方がなかった──などとは軽く言えない歴史がここには刻まれている。
俺は恵まれて楽しくアメリカ留学したが、アメリカには日系人に過酷な時代があり、辛い歴史として残っている。
いくら戦争で日本人が憎いといっても、すでに市民権を持ってアメリカ人として生きていた日本人までもが全てを奪われて収容された。
人種問題も関係していたのがあきらかだ。
そのミュージアムは外見も目立たず、あまりにも小さい。
営業時間も午後三時までって短すぎる。
まるで勤勉で真面目で控えめな日本人気質のように、それでいて静かにそこで何かを伝えようとしていた。
「いくら戦争をしたからと言っても酷いよね」
収容所の住居を再現したセットを見ながらジェナがぽつりと呟く。
「でももう過去は変えられない。だからこんな過ち二度と繰り返さないようにしなくっちゃ」
ありきたりだけど、それ以上言えなくて、俺はしんみりとしていた。
他にどんな言葉を用いて、言えばいいんだろう。
こういう話題も俺は苦手だ。
「移民してきた日本人って、それこそ苦しんでアメリカで必死に生きてきたんだろうなって思う。正直、こういう事ってアメリカの学校ではあまり教えないから、知らない人もいるんだ」
「でもジェナは知ってた」
「知らなければならないと思った」
「偉い」
「でも、ほんとはね、映画がきっかけだったの。『Come See the Paradise』(邦題:愛と哀しみの旅路)って知ってる?古い映画だけど、日系二世の女性とアメリカ人男性が恋に落ちる話。実話を元に作られてて、そこで強制収容の様子が出てきたの」
きっかけはなんであれ、日系人のアメリカでの歴史を知ろうとするところが素晴らしい。
俺なんて、そういう事は何となく歴史の一つとして知っていても、詳しい事までは興味なんてなかった。
自分がアメリカにきても、アメリカの日系人について知ろうとも思わなかった。
彼らが一生懸命になってアメリカで築き上げたもの。
これらは日本人も忘れちゃならないと思う。
少なくとも、当時の日系人が写った写真は、アメリカで必死に生きようとしている姿が見受けられた。
過酷で条件が悪い場所であっても、何かを見つけ希望を見いだそうとしている姿は、大切な何かを教えられている気分になった。
この先しがみついてでもやらなければならないような覚悟が、この日系人たちから見えた。
辛いのに希望をもってるような──
「あっ、シルバーライニング……」
「えっ? シルバーライニング?」
シルバーライニングは英語のことわざだ。
「うん、なんか辛いのにそこから良い部分もあるって希望を忘れないものが見えた」
「あっ……」
ジェナの目が潤みだした。
それを隠そうと少し顔を横にして、息を整えてから俺を見つめニッコリと微笑んだ。
「そうだよね。どんなにつらくても希望はどこかにあるって信じて頑張るってことだよね。シルバーライニング。いい言葉だね」
ジェナもどこか心に響いたみたいだった。
実際、辛い思いをしてきた人には場違いな言葉かもしれない。
うまく英語で、強制収容についても語れないけど、これだけは言える。
「ここへ連れて来てくれてありがとう、ジェナ」
「私こそ、一緒にきてくれてありがとう」
歴史を知ることは、過去を責める事でもない。
でも、そこから学ぶ事がある。
いつかどこかで、俺のようなものにも、何かを訴えて気づかせてくれるだけの力があった。
それはアメリカ人のジェナにも影響を与えるくらいに。
あまり、色々と考えを巡らせたら、却って口先だけの偽善者になりそうな気がした。
「そろそろ、行こうか」
俺たちと入れ違いに、数人のアメリカ人たちが入って来た。
すれ違いざまに、目が合ったので「ハーイ」って声を掛けた。
相手も笑顔で挨拶してくれ、とても気持ちがよかった。
そこを出た俺たちは、ウィラメット川に向かって歩いた。
色んな橋が見渡せ、川沿いに桜の木が植えられて、犬を連れての散歩やランニングにはもってこいの場所だった。
春には日本のような桜がこの川沿い一面に咲くらしい。
その一部分に石碑が建てられて、ここを『ジャパニーズ・アメリカン・ヒストリカル・プラザ』と呼んでいた。
日系アメリカ人の歴史を忘れないようにと作られた場所だった。
過去の変えられない歴史を、この先も伝えなければならない思いでここは作られた。
冷たい空気の中、言葉にできない思いがしんみりとさせる。
ポートランドは色んな面を持っている。
「ポートランドの街って素敵だね」
俺が言った時、ジェナは「That's right」と答えた。
「だから私は大好き。歴史も含めて、この風景、街並み、この景色、全てを忘れたくない」
俺たちは一緒に周りの景色をしっかりと見つめた。
俺も忘れたくない、ジェナと二人で見たもの全てを。