「先輩! またサボりっすか?」

 うららかな昼下がり、大学の午後の講義をセルフ休校にして喫煙所で煙草をくゆらせていた俺に元気一杯な声が降ってきた。

「その先輩ってのやめろよな、馬鹿にされてる気がすんだよ」
「いやいや、二回も留年して大学に留まり続ける大先輩じゃないですか。喫煙所に住む妖怪って噂になってますよ」
「やっぱり馬鹿にしてんじゃねぇか」

 からからと子供っぽく笑いながら煙草に火をつける女子大生というよりは大学生女子と言った方が適当な彼女。
 
 身長は低く、髪は外はねショート、オーバーサイズの上着とパンツルックに上半身丸々覆うようなデカいリュックサックを背負った彼女を見ながら俺はぼんやりとこの大学生女子との出会いを思い出す。

 俺がこの元気に飛び跳ねる後輩少女と最初に会ったのは四月だった。
 
 四年間みっちり熟成した人間を吐き出し、代わりに新入生という人間未満の猿達を飲み込んだ事で知の養成機関である大学もその本分を忘れなんとなく弛緩した空気を垂れ流す、そんな季節。
 
 留年という忌々しい制度のせいで既存の輝かしき大学生というレールを踏み外してしまった俺は、桜吹雪の花びらが行き場を失って最後は道路脇の排水溝に溜まるように大学構内にある人気の無い喫煙所に流れ着き、やけに重いシラバスを小脇に抱え、時折目の前を通り過ぎる浮ついた人間未満達の笑顔をぼんやりと見るともなく眺める事しかできなかった。
 
 そんな時彼女はふらりと喫煙所に入ってきたのだ。

「大学って思ったよりしょうもないとこっすね」

 開口一番そう言う彼女を俺は無視した。
 ピカピカのカバン、いかにも新生活に向けて買いそろえたような服、きちんとセットされた髪、極めつけは両手で抱えた新入生用のピンクの表紙のシラバス。
 
 まごう事なき新入生、毎年一人か二人は必ず現れる、浮ついた同級生たちを内心見下し必死こいて勉強して入ったはずの大学をけなす事で自分は違う優れた人間だと思い込みたいタイプの凡庸なバカ。

 なぜそのイキりの矛先が喫煙所で一人で呆けている俺に向けられたのかは疑問だが、人より長い大学生活で学んだ処世術の一つにこの手のバカは相手にしないというのがあった。

 俺は無言で煙草の灰を落とすと、わざわざスマホを取り出し画面に目を落とした。
 関わり合いになりたくないという意思表明としては十分だろう。
 そのまま無言を貫いていると次に顔を上げた時には彼女はいなくなっていた。

 次の日、俺はまたしても喫煙所で呆けていた。
 するとふらりと喫煙所に入ってくる小柄な影。

「大学って思ったよりつまんないとこっすね!」

 昨日と一言一句違わぬセリフ。
 必然、俺はスマホを取り出す羽目になり、次に目を上げると喫煙所には自分一人となっていた。

 さらに次の日、またまた俺は喫煙所で呆けていた。
 呆けながら、考えていた。
 二日連続でやってきた新入生の女の子の事を。
 二日も無視されればもう来やしないだろうという気持ちと二日もやってきたのだからどうせ今日も来るのだろうという気持ちが半分ずつで脳内を駆け巡っていた。

 そして呆ける事数十分、やはり彼女は来た。
 しかしその日は様子が違った。
 
 大きなリュックサックから小さな煙草を一つ取り出すと包装のフィルムをてこずりながら全てはがし、その下にある紙包装を目を白黒させながら破り、やっとのこさ一本煙草を取り出し、口をとがらせながらピカピカの百円ライターでその先端をあぶった後、何か安心したようにほとんど煙の入っていない溜息をつき、こう言った。

「ケホッ……大学って思ったよりつまんないとこっすね……」

 その必死さとは裏腹なあまりに滑稽な姿に思わず俺は口を開いた。

「火ついてないぜそれ」
「ほあ! な、なんで⁉ ちゃんとライターで燃やしたのに!」
「息を吸いながら火をつけなきゃダメなんだよ。ほら、ライターやってやるからやってみ」
「は、はい……ヴ! ゲホ! エホ! うえぇぇぇぇ……」
「しっかり肺に入れろよ、ふかしって馬鹿にされるからな」
「誰からっすかぁ……」
「そりゃ喫煙者様にだよ」
「うう……差別されてしかるべき狭量な人種っすね」

 こうして俺はなし崩し的にこの彼女、東雲音羽(しののめおとは)と話をするようになったのだ。

「先輩! 先輩! 聞いてますか?」

 ロマンティックのかけらもない出会いを思い出していると音羽の呼ぶ声で現実に引き戻された。

「ああ悪い、そんで何の話だっけ?」
「谷山浩子は顔がよければ天下取れたかって話っすよ」
「馬鹿だなぁ。あの絶妙にブサイクな顔だからブラックな部分が生々しく聞こえていいんじゃねぇか」
「でもメルヘンな曲や小説はあの顔じゃきつすぎるでしょう……BL同人の作者の顔見てるみたいっすよ」
「バカお前あの顔でメルヘンなんだから趣があるんだろが、美人があんなの書いてる方が俺は嫌だね」
「先輩は美しいものを書いてる人間が少しでも汚い顔してくれてると親近感湧くから安心できるだけでしょ。醜いっすね」

 頬杖付きながら、いっちょ前に煙を吹く音羽。こいつとの会話は一事が万事この調子だ。
 出会ってから約半年、その間季節は変わり、大学もとうに浮つく事を止め、音羽も煙草に難なく火をつけれるようになった。
 しかしその間中身の無い会話以外はしたことが無い。
 お互いに煙草を吸いながら適当な話題を適当な相槌で流していく。
 だから俺は音羽の出身がどこかとか、どんなサークルに入っているかとか、どの学部でどこに住んでいるかなんて全く知らない。いや、知りたくない。
 知らなくても、中身が無くても十分に心地いい。
 それが東雲音羽という女との会話というものだった。