あまい香りにさそわれるように私はよろず屋に入っていった。

 店内では、あまい香りはいっそう強く感じられた。

「こんにちは」
 声をかけてもスライムさんの返事はなかった。
 またよろず屋の裏でなにかしてるんだろうか。

 それよりも私はあまい香りの方が気になった。

 カウンターの上に、白いお皿があり、黒いものが何枚も重なって置いてあった。
 四角くて、うすい、板状のものだった。
 顔を近づけてみると、どうやら香りの元はこれのようだった。

 私は、顔を離せずにいた。
 あまい香りをいっぱいに吸い込んでも、まだ満足できない。
 それくらい、いい香りだった。

 これはお菓子だろうか。
 口に入れたら、さぞかしあまいのだろう。
 味を想像したら止まらなくなってしまった。

 手をのばし。
 かけて、止めた。

 勝手に食べたりしたら泥棒だ。
 それは、スライムさんと私の関係であってもいけないことだ。
 二人の関係だからこそ、いけないかもしれない。

 私は近くの椅子に座った。
 目をつぶってみる。
 すると、あまい香りに包まれていることが強調された。
 なんだかわからない、あの黒い板の上に座って、休んでいるような気になってきた。

 でも、本当にあまいのだろうか。
 そう考えると、急にあまい香りがいやなものに感じられた。

 母がお菓子をつくっているときだった。
 香りだけはあまいのに、なめてみるととても苦い。
 香り付けに使う材料だと言っていたけれど、その苦さを思い出しては、しばらくあの香りが嫌いになっていた。

 この黒い板も、あれの仲間なのかもしれない。

 スライムさんのお店にある、ということもあやしい。

 なにが起きてもおかしくないようなお店に、こんなにあまくておいしそうな香りのするもの。
 そうだ。
 色がまっくろ。
 これはあやしい。

 さすがに、食べてしまったら死んでしまうようなものは、スライムさんが置きっぱなしにするとは思え……。
 なんともいえない。

 死んでしまわないとしても、かなりおかしなことになるかもしれない。

 私は椅子を立って、またカウンターの上のものの、香りをかいだ。

 あまくておいしそうな香りだった。

 気づけば、また顔を近づけていた。

 いけないいけない。

 私はいったんお店の外に出ることにした。

 外に出ると、まだ冷たい空気で頭がしゃきっとした。
 でも頭の中にはまだ黒い板があった。

「あ、えいむさん、いらっしゃいませ!」
 スライムさんがやってきた。

「こんにちは。どこに行ってたの?」
「どこというほどのことでもない、やくそうのようすをみてきました! そうだ!」
「どうしたの?」
「こちらへどうぞ!」

 スライムさんがお店の中に入っていく。
 ついていくと、また、あのあまい香りに包まれた。

「ちょこがあります」
「ちょこ?」
「あまくて、にがいたべものです」
「苦いの?」
 やっぱり。

「にがいより、あまいです。にがあまあまです」
「にがあまあま」
「たべてみてください!」
「うん」

 私は板状のちょこを、小さく割って、口に入れてみた。
 するとたしかに、苦くてあまかった。
 でも、あまさを助ける苦味だったので、むしろ、口の中に広がるあまさが、もっとあまく感じられたような気がした。

「どうですか?」
「おいしい」
 食べ物で、黒くておいしいというのは、私の生活の中ではなかなかない。

「それはよかった! あ、わすれてました!」
「わすれもの?」
「ちょこ、にも、ふうしゅうがあります!」
「風習?」
「そうです! それは、ええと……」

 スライムさんは一時停止して、考えこんでいた。

「豆のときは、投げたよね」
 なにか手助けになればと思って言ってみたら、スライムさんは、ぴょんっ、とはねた。

「それです!」
「それ?」
「なげます!」
「これを?」
「まもの、くるな! といいながらなげます!」
「それ、本当に思い出したの?」
「ほぼまちがいないです!」

 スライムさんは確信に満ちた目だった。


 しょうがないので、私たちはまた、落ちてもよごれないよう、おぼんを用意して、その上にちょこを投げた。

「まものー、くるなー」
「へいわー、こいー」
「まものー、くるなー」
「へいわー、こいー」

 きっとまちがっていると思ったけど、私はちょこが食べられるならなんでもいいや、とひそかに考えながらちょこを投げた。