スライムのよろず屋さん ~すごいけどすごくないお店に今日も遊びに行きます~

「ゆきだるまを、つくります!」
 スライムさんは言った。
「へ?」

 私は思わずよろず屋の外を見てしまった。
 空気は冷たいけれども、ここ数日、雲がほとんどない晴れの日が続いている。

「雪、降ってないよ?」
「ふっふっふ、えいむさん。ぼくを、だれだとおもってるんですか?」
「スライムさん」
「ちがいますね。すごい、すらいむですよ!」
 スライムさんは、カウンターの上にあった箱を、ぽんぽん、とやった。

「えいむさん。ゆきだるまというのは、なにでできていますか?」
「雪」
「では、ゆきは、なにでできてますか?」
「えっと、水、かな」
「そうです! つまり!」
「つまり?」
「こおらせればいいんです!」
 スライムさんはまた、カウンターの上にある箱を、ぽんぽん、とやった。

「その箱はなんなの?」
「こおりのませきが、はいっています!」
 スライムさんはにっこり笑った。
「え? それはまた、大変なことに……」
 私はスライムさんが氷づけになってしまった一件を思い出していた。

「だいじょうぶです。こんどはあんぜんです」
 そう言ってスライムさんが用意したのは、バケツに入った水だった。
 魔石を、金属のお皿に置き、それをひもでつるして水につけ、すぐ引き上げる。
 スライムさんがやると大変なことになりそうだったので、私がやってあげた。

 魔石はちゃんと、凍る前に引き上げられた。
「これでできあがりです!」
「これで?」
 まだふつうの氷に見える。

「これを、けずります」
「削る?」
「そうです。ゆきをつくるのはむずかしい。ですがぼくのみたてでは、こおりをきちんとけずればゆきになる」
「みたて、ってなに?」
「えいむさん、よろしく!」

 私はバケツから出した氷を、スライムさんが用意した謎の装置に入れた。
「ゆきつくりきです!」
「雪作り機?」

 氷を置く場所は、上から押しつけるようになっていて、横についている取っ手を動かすと、氷もぐるぐる回るようになっている。
 氷の下側になっている部分には刃がついていて、削れるようになっているみたいだ。

 回してみると、シャリシャリ音を立てながら氷のかたまりが回る。
 氷の下の穴から、削れた氷が出てくる。
 置いておいた器に、削れた氷が山盛りになっていった。

「どんどん削れてるよスライムさん!」
「そうですね!」
「でも、雪っていうより、削れた氷だね」
「そうですね……」

 器にたっぷりとたまった氷。
 手にとって固めてみると、いちおう、雪だるまっぽいものができあがるけれども。

「なんかちがうよね」
「そうですねえ。ちょっと、かたいですね」
 雪だるまというより、氷だるまという感じだった。
「でもこれはこれで、きれいだね」

 雪より、すこし透き通ったところがあるので、きらきら光って見えた。

「うまくいきましたね! ゆきつくりきのおかげです!」
「雪作り機って、雪を作るものなんだよね」
「そうですよ」
「なにに使うの?」
 私には、雪だるまをつくるくらいしか思いつかなかった。
「それは、ゆきをつくるんですよ! そりとか、あそびますよね!」
「ソリ?」

 私は、小高い丘に雪が積もってできた道を思い浮かべた。
 ソリで一気に滑り降りるととても気持ちがいい。

「でも、これでそんなにたくさん作るのは大変じゃない?」
「たいへんでも、やる。それがしごとです……」
「それが仕事なんだ……」
「そうです……」
 スライムさんはうつむいた。
 ずらりとこれをならべ、たくさんの人たちがぐるぐると回し、大量の雪を作る。
 大変だ……。

 私はできあがった氷をさわってみた。
 とても細かくて、すぐ溶けてしまう。
 なんだか食べたらおいしそう……。
 と思ったけれども、味がないだろう。
 やめておこう。


「こんな形かな?」
「いいですね!」
 それから私は、スライムさんといろいろな雪だるまをつくって遊んだ。
 よろず屋に行く途中、お店の外になにか置いてあるのが見えた。
 近くで見ると、それはソリだった。

 大きなソリで、大人がならんで座れるくらいの座席があった。
 そしてそのソリには、馬車を先導する馬のように、馬よりも小さな動物がつながれていた。
 頭には変わった角がある。
 まっすぐではなくて、枝がのびるように複雑な形だった。

 新しく入荷したのだろうか。

「こんにちはー!」
 私は、寒さを吹き飛ばすように大きい声であいさつして入ってみた。
 すると、カウンターの前にいた、知らないおじいさんが振り返って私を見た。
 白くて長い、ふわふわと大きなひげを生やしている人だった。

「あ、ごめんなさい」
 私が言うと、おじいさんはにっこり笑う。
「ほっほっほ。こどもは元気が一番。ほっほっほ」
 おだやかな人みたいだ。

 カウンターのまわりを見ると、スライムさんの姿がない。
「スライムさんに会いに来たのかい?」
 おじいさんは言った。
「あ、はい」
「ごめんね。おじいさんが終わってからでいいかい?」
「はい、もちろんです」
 私が言うと、おじいさんはまたにっこり笑った。

 見覚えがない人だけれども、どこか別の町から買い物に来たのだろうか。

「ありましたよー! ありましたありましたー!」
 お店の奥の方から声がした。

 私の頭くらいの大きさの白い球体にしがみついたスライムさんが、ごろごろと転がってきておじいさんにぶつかった。
 さいわい、おじいさんはすばやくスライムさんを受け止めていたのでケガの心配はなさそうだけれども。
 スライムさんは、白い球体から、よっこいしょ、と離れた。

「スライムさん、そんなことしてたら危ないよ!」
「あれ? えいむさん? じごくのおにぎり、のちゅうもんを、うけたんでしたっけ?」
「いま来たところだよ!」
 地獄のおにぎりってなに!

「スライムさん、ちゃんとまわりを見ないと」
「いそいでいたので、たしょうのひがいは、やむをえないかと」
「だめでしょ」
 スライムさんに慣れていないおじいさんが、けがをしてしまうかもしれない。

「それはともかく、ごよういしましたよ!」
 スライムさんは、しがみついていた球体をぽんぽん、とやった。

「まふゆのおにぎりです!」
 真冬?
「おお。では、これで」
 おじいさんは、袋をカウンターに置いた。
 チャリ、と中に入っている金属がこすれる音がした。

「だいきん、ちょうどいただきました!」
「まだ見てないでしょ!」
 まだおじいさんがいるのに私はつい、大きな声で、スライムさんのいいかげんな返事を指摘してしまった。

「えいむさんは、きびしいですねえ……」
 スライムさんは、しぶしぶ、カウンターの上に乗って代金を確認していた。
 私たちを見ているおじいさんが笑っていて、ちょっと恥ずかしい。
「では、たしかに」
 スライムさんが言うと、おじいさんは、どこからか出した大きな白い袋に、球体を入れた。

「がんばってくださいね!」
「はいはい。では、また」
 おじいさんは私ににっこり笑うと、お店を出ていった。

「スライムさん、あのおじいさんが買っていったものってなに?」
「まふゆのおにぎりですか?」
「そう」
「あれは、こなぱいのえさです」
「こなぱい?」
「そりをひくんです」
「外の? え、あれに乗って帰るの?」
「そうですよ! あれで、いろんなひとに、いろんなものをあげるしごとを、はじめるそうです」
「なにそれ?」
「おかねもちだそうで、こどもに、おくりものをするそうです」
「ふうん?」
 どういう仕事だろう。

「でも、ソリでしょ? あんまり運べないんじゃない?」
「だいじょうぶです! ぽなぱいは、ちからもちですから!」
「でもソリだから、下が削れちゃうし。あ、雪の日だけ使うってこと?」
「ちがいますよ! もう! じゃあ、みてみたらわかりますよ! まだいるとおもいますから!」

 私は、スライムさんに押されてお店の外に出た。
 さっきまで外にいたのに、あらためて外に出ると空気の冷たさに顔が緊張する。

「え!?」

 ソリが浮かんでいた。

 ちょうど走り出すところで、ぽなぱいに引かれて、おじいさんの乗ったソリが空を走っていた。
 ちょっと離れたところでおじいさんが私たちに気づいて手を振る。
 私も手を振った。
「ぼくも!」
 と言うので、私はスライムさんを頭の上に掲げて、見せてあげた。

「あれなら、おじいさんでもたくさん配れそうだね」
「あのひとは、ぽなぱいを、そだてるかかりのひとですよ!」
「そうなんだ」
 でも私はなんとなく、あの人が贈り物を配ったほうが似合うような気がした。
「あれ?」

 よろず屋に行く途中、また、お店の外にソリがとめられているのが見えた。
 もしかして。
「こんにちは」

 お店に入ってみると、やっぱりこの前のおじいさんがいた。
「いらっしゃいませ!」
「おや、この前の子だね」
 おじいさんはにっこり笑った。

 カウンターにはカップが二つあった。
「えいむさんも、のみますか?」
 スライムさんが言った。
「なに飲んでるの?」
「おさけのあじの、おさけではないのみものです」
「なにそれ」
「ぼくは、やけざけに、つきあっているのです」
「やけ酒?」
「でもおじいさんは、そりにのってきているので、いんしゅうんてんになります。おさけはいけません」
 聞けば聞くほどよくわからない。

「おじいさんは、失敗してしまったんだ」
 おじいさんが言った。

「子どもたちにプレゼントを持っていってあげたんだけどねえ。断られてしまったんだ」
「断られたんですか?」
 よっぽど変なものを持っていったんだろうか。

「窓から家の中に入っていこうとしたら、ご両親に止められてしまってね。渡せなかったんだ」
「勝手に入ろうとしたんですか?」
「そうだね。驚かせようと思って」
「それはいけませんよ!」
 私はつい、大きな声になってしまった。

「ごめんなさい。でも、他人の家に勝手に入ったら、止められるのは当然だと思います」
「プレゼントを持っていても、かい?」
「はい」
「そうか。実はおじいさんも、薄々は気づいていたんだ」
 おじいさんはカップのなにかを飲んだ。

「でもね。いきなり持っていって、びっくりさせたいんだ。だって先に、これを持っていきます、と連絡してからでは、特別なプレゼントにならないだろう?」
「それはそうですけど」
「でも、いいものを持っていってあげているんだよ?」
「でも、だめです」
「そうなんだよね……」
「だから、やけざけです! おさけでは、ないですが!」
 スライムさんはぴょんぴょん、はねた。

「それは、なんとなくだが……、ソリにのって、プレゼントを持っていく人は、だいじょうぶなんじゃないかと思ったんだ……。なぜかはわからないが、許されるような……」
 おじいさんは、ひとりごとのように言った。

 そう言われると、なんとなくおじいさんの言い分を理解できるような気がして不思議だった。
 勝手に人の家に入ったらいけないのに。

 それに、いけないことだけど、気持ちだけはわかる。
 親への説明があると、ちょっと緊張感がなくなってしまうような気がするというか。
 子どもに秘密にしてと頼んでも、親の考え方によっては、子どもに話してしまうかもしれない。

「そうだえいむさん。きょうは、どんなごようですか?」
「え?」
「むずかしいはなしはあとにして、さきにすませましょう!」
「そうそう。靴下を買いに来たんだけど、ある?」
「あります! むそうのくつした、なんてどうですか!」
「どういうの?」
「はくだけで、そのへんのちからじまんにはまけないような、すごいちからがでますよ!」
「それはいらない」
「いらない!?」
 スライムさんは、目を大きく開いた。

 そのとき、私はひらめいた。

「靴下に入れるというのはどうですか?」
「靴下かい?」
「はい。いらなくなった靴下を、窓の外に飾ってもらって、朝になったらそこになにか入ってたら、うれしいですよね」
「なるほど! そうすれば、家の中に入らなくても平気だね!」
「はい」

 ふだん、靴下に穴が空くことというのはそれなりにある。
 穴の空いた靴下は、はかない。
 すると捨てることになる。
 だからといって、捨てるほどだろうか、とはいつも考えていた。
 それを有効利用できるのは、いいことじゃないだろうか。

「じゃあ、まいにち、くつしたをかざっておくんですね!」
 スライムさんは言った。
「毎日は、ちがうような……」
「ちょうどいい、プレゼントがもらえる日、というのがあったらいいわけだね?」
 おじいさんは言った。
「そうですね」
「なるほど。その日に靴下を飾るといい、という、うわさを流しておくと、いいかもしれない」
「それなら、びっくりするし、直接説明に行かなくてもいいですね!」
「やってみるよ。ありがとう」

 おじいさんは何度も私にお礼を言って、帰っていった。

「さすがえいむさんですね!」
「スライムさんは、靴下をたくさん仕入れるところを見つけておくといいね」
「どうしてですか?」
「おじいさんの行事が定着したら、たくさん売れるよ」
「そうですね! ゆうしゃのくつした、をたくさんしいれます!」
「たぶん、それじゃないやつがいいと思う」
「それじゃないやつ!?」
 スライムさんは目を大きく開いた。
 昨日の夜から降り積もった雪が、景色をがらりと変えていた。
 私とスライムさんは一緒になって、あっちこっち走りまわり、雪にたくさんのあとをつけて遊んでいた。
 しばらくして、スライムさんは言った。
「えいむさん、ゆきがっせん、しませんか?」
「いいけど、私が勝っちゃうよ」
「ふっふっふ、しょうぶは、おわりまでわかりませんよ?」
 スライムさんが笑う。
「だって、スライムさんはどうやって雪玉投げるの?」
「ふっふっふ」
 スライムさんは、積もっている雪に顔を突っ込むと、もこもこと動いた。
 顔を上げたスライムさんがこっちを向くのと同時に、雪玉がぽん、と私に飛んできた。

「わわっ」
「ふっふっふ」
 スライムさんは笑って、また雪に顔をつっこむ。
 見ていると、口の中に入れた雪を丸くかためて、ぽん、と出しているようだった。

「よーし」
 私も急いで雪をつかんで丸める。
 それっ、と投げると、ちょうど顔を上げたスライムさんに、ぼん、とあたった。
「やった」
「むむむ、やりましたね!」
 スライムさんは雪を食べて丸める。
 私は、こちらに背を向けてモゴモゴやっているスライムさんを見ながら雪玉を用意した。
 スライムさんが口の中で玉を完成させる前に、ゆっくり移動する。

 スライムさんが顔をあげる。
 そのときには、さっきまでのところに私がいない。
 探しているところを、私は横から雪玉をぶつけた。
「むほっ!」
 スライムさんは驚きで雪玉を出してしまった。
「へっへっへ」
「やりましたね!」
 スライムさんは雪に飛び込むようにして、新しく雪玉を用意する。

 私はまたそっと移動してスライムさんが顔をあげるのを待った。
 スライムさんが顔をあげる。
 ぶつける。
 私の勝利が決まったようだ。
 何度かくり返していたら、スライムさんが、はっ、としたように言った。

「えいむさん、ずるいですよ!」
「ずるい?」
「ぼくがゆきだまをつくっているとき、すきだらけだとおもって、すきほうだいやってますね!」
「うん」
「みとめましたね! ひきょうです!」
「じゃあちょっと手加減するね」
「む」
「どんなふうにしたほうがいい?」
 スライムさんは、ぷい、と横を向いた。

「なにもしなくていいです! てかげんなんて、いりません! ぼくとえいむさんは、そういうかんけいではないので!」
「でもそれだと、私が勝っちゃうよ」
 私は作った雪玉をスライムさんに見せつける。

「むむむむー!」
 スライムさんがぴこぴこ動く。
「別の遊びにする?」
「しません! じゃあ、ひっさつわざです!」
 スライムさんは言うと、ちょっと高く積もってる雪の中にもぐっていってしまった。

 出てこない。
「スライムさん?」
 出てこない。

 冷たい風が吹いて、私はすこし冷静になる。
 ちょっと、いじわるだっただろうか。
 あやまったほうがいいかな。
 必殺技ってたぶん、たくさん口に雪を入れて、大きな雪玉を出そうとする、ということだと思うけど。
 ほとんど飛ばなくて失敗、になると思うけど。

 私はまわりを見た。
 気も、道も、畑も、家も、みんなまっしろだ。
 寒いけど、それが気にならないくらいきれいな景色だと思った。

「スライムさん、別の遊びしようか」
 やっぱり返事がない。

「スライムさん?」
 私は、スライムさんが飛び込んだあたりの雪を、掘っていっていた。
 手が冷たくなる。
 でもまだ、雪で遊んでいる気持ちの方が強くて気にならない。
 どんどん掘っていった。
 するとかたいものにぶつかった。
 最初は石かなにかかと思ったけれども、それは。
「スライムさん!」

 透明な体が透けて見えないほど、ぎっしりと体の中に雪が詰まったスライムさんだった。
 体はふだんの倍以上の大きさになっていて、体はガチガチに固まっていた。

「スライムさん! スライムさん? スライムさんてば!」
 目を開いたまま、まったく動かない。
 この前スライムさんが凍ってしまったときには、魔法の石? があったのでどうにかなったけれども、私ではよろず屋になにがあるかわからないし、どうしよう。

 私はまわりを見た。
 そうだ。
 時間がかかるかもしれないけれど、太陽の光に当たる場所に連れていけば、そのうち溶けるはず。
 ちょっと離れたところに日が差している場所が見えた。
 あそこだ。

 重かったので、スライムさんを雪の上で転がしながら、急いで運ぶ。
 急いで、急いで。
 急いで……。
 重、い……。

 気づけばスライムさんだったものが、雪玉になっていた。
 しまった、雪だるまになってしまった。
 どうしよう。
 このまま転がしたら、どんどん重くなってしまいそうだ。
 でも、持っていくのは無理だし……。

 しょうがない。
「えい! えい!」
 私は体当たりをするように、雪玉を押した。
 これで、ちょっと雪玉を小さくしながら、なんとか……。
 そのときだった。

「え?」
 雪玉が転がり始めた。
 普段は坂になっているところなのに、雪のせいでわからなかったみたいだ。
 行きたい方向とはちがう方へとゴロゴロゴロゴロ。

「ま、待って!」
 しかもだんだん速くなっていく。
 うそ。
 待って!

 雪玉はますます勢いを早めて、転がっていく。
 ちょっと!
 雪の上ではうまく走れない。
 待って!

 雪玉はますます速くなっていって、やがて転がっていった先の大きな木にぶつかって止まった。
「あ!」
 思い切りぶつかった雪玉は、真っ二つに割れていた。
 まさか!

 私はバタバタと雪の中を走っていった。

 すると、私がすぐ前まで到着したとき、割れた右側の雪玉の中からなにか落ちた。
 中の雪でふくらんだスライムさんだ。
 落ちた勢いで、かぽっ、と詰まっていた雪がごっそり出ていた。
 大きな容器のようになったスライムさん。

「スライムさん?」
 呼びかけてみると、スライムさんの目がゆっくりと私を見た。

「えーいーむーさーんー。いーやーあー、びっくーりー、しーまーしーたー」
 まだ半分凍っている影響なのか、スライムさんはゆっくりと言った。
「だ、だいじょうぶなの?」
「はーいー。えーいーむーさーんーが、いーのーちーがーけーでー、たーすーけーてーくーれーたーのーでー」
「私はなにも」
「ほーんーとーうーにー、あーりーがーとーうー、ごーざーいーまーすー。えーいーむーさーんーはー、ぼーくーのー、ぼーくの。ぼくの。ぼくのおんじんです!」

 だんだん溶けてきて、元にもどったようだ。
「私は別に」
「ぼくがまけずぎらいで、へんなことをして、こおってしまったのに、たすけてくれたんですね! ありがとうございます!」
「えっと、私こそごめんね」
「なにがですか?」
「えっと、実は、スライムさんをうっかり雪玉にしちゃって、それがゴロゴロ転がって、二つに割れたら、たまたまスライムさんが助かっただけで」
「えいむさん、なにをいってるんですか?」
 たしかに、自分で言っていてよくわからなくなってきた。
 雪はまだたくさん町に残っていた。
 そんな日は、空気がぱりっと冷たい。
 私は、寒いのはそんなに好きではないけれども、この特別な空気は好きだった。

 通り道に、私の身長くらいの雪だるまがあった。
 頭の部分に、枝をはめて顔をつくってあった。
 笑っているように見えて、私も笑ってしまった。

 スライムさんと雪だるまをつくろうかな。

 よろず屋が近づいてきたころ、そんなふうに思った。

「んん?」

 雪だるまがあった。
 いっぱい。

 よろず屋の建物の近くに、小さい雪だるまがたくさんならんでいる。
 近くで見てみる。
 私のひざの高さくらいの雪だるまばっかりだ。

「これは……」

 雪の上に、木の板が落ちていた。
 そこには、ちょっとぐねぐねした字で、ぼくはどれでしょう、と書いてあった。
 僕はどれでしょう……?
 書いたのはスライムさんだろう。
 ということは、まさか?

「スライムさんが、いる……?」

 そういうつもりになると、雪だるまはみんな、スライムさんくらいの大きさに見えてきた。
 雪だるまのふりをして、探させようとしてるの?

 また、カチカチに凍ってしまったんじゃないだろうか。
 私は雪だるまを見わたした。
 全部で二十……、三十個以上ある。

 どうやってたしかめたらいいんだろう。
 とりあえず、一番近くにあった雪だるまをさわってみた。
「スライムさん?」
 返事はない。
 でもカチカチだ。

 スライムさんが雪だるまになったなら、きっと雪とちがって、氷のような感触になるはずだ。
 ということは。
 割ってしまわないよう、私は、ぐいぐいと指で押してみる。
 全然指が入らない。
 氷のようだ。
 いきなりあたりかな。

 そう思って念のため、下の段になっている雪玉も押してみる。
 指が入らない。
 
 となりの雪だるまもそう。
 どの雪だるまも、表面は白っぽいけれども、氷のようにかたい。
 ずいぶん力を入れてつくったらしい。

 どうすればいいんだろう。
 お湯をかけて溶かしてみるわけにもいかないし。

 春になるまで待つ……?
「うーん……」
 さすがにそれは長すぎる。

 いやいや、ちゃんと考えよう。

 あれ。
 雪だるまは、ずらりとならんでいる。
 でも、その端のほうに、へこみがある。
 一番端にある雪だるまの横。
 雪だるま一個分くらいのへこみ。

 そこから、なにか引きずったようなあとがよろず屋に続いている。
 そうだ、引きずったようなあとは、実は、このあたり、いくらでもあった。
 スライムさんが通ったところだ。
 これはスライムさんのあしあとだ。

 私はスライムさんのあしあとを、慎重に、顔を近づけてよく見た。
 あしあとには、深さにちょっとした差があった。
 雪だるまを用意していたときに、雪が降っていたのかもしれない。

 それぞれを見ていくと、完全に言いきれるわけではないけれども。
 よろず屋から近づいてくるあしあとが一番浅く、よろず屋に向かっていくあしあとが一番深い気がする。
 一番深いあしあとが、一番新しい、という予想にしたがうなら。
 スライムさんはよろず屋にいる。

 私はよろず屋に入っていった。
「あ、いらっしゃいませ!」
 スライムさんがいた。
 ポットのようなもののをじっと見ている。

「スライムさん? なにしてるの」
「はい、あたたかい、おちゃをよういしてました!」
「おちゃ?」
「はい。えいむさんにもんだいをだしたので、あたたかいものを! いま、えいむさんはさむいところで、ぼくをみつけるため、がんばっているはずなので! ……おや?」
 スライムさんはこっちを見た。

「えいむさん?」
「おはよう」
「なぜここに!」
「なぜって……」
「ぼくをさがすように、かいておいたじゃないですか!」
 スライムさんは興奮してぴょんぴょんはねた。

「だって、スライムさん、いなかったから」
「そんなことないですよ! しょうこ、あるんですか!」
「証拠っていうか、スライムさんのあしあと、みたいなのをたどってきたら、ここについたの。よろず屋にいるんじゃないかと思って」
「そうです、ぼくは、えいむさんにおちゃを」
「だから、外にはいないよね?」

 私が言うと、スライムさんは、何度か目をぱちぱちさせていたけど、急に大きくとびあがった。

「そ、そうか……、ぼくがおちゃのよういをしているあいだ、そとにぼくはいない……! うっかりしてました……!」
「すごいうっかりをしたみたいだね?」
「もうてんでした」
 スライムさんは反省しているみたいだった。

「でもありがとう、すっかり冷えちゃった。お茶、もらってもいい?」
「はいどうぞ!」
 スライムさんがさっそくいれてくれたお茶は、果物のかおりのする、オレンジ色のきれいなお茶だった。

「わ、スライムさん!」
「おや?」
 スライムさんも飲んだら、オレンジと、スライムさんの元々の青色が混ざって、きれいな紫色になった。
 よろず屋のまわりには、まだ雪がたくさん残っていた。
 今日こそスライムさんと一緒に雪だるまをつくろうかな。

 昨日のお茶を思い出す。
 寒い日に温かいお茶は、とてもおいしかった。

 そう考えながら、ふと思った。

 あれはどうなっているんだろう。

 私はよろず屋の横の雪の中を、ずぼ、ずぼ、と長靴で歩いていく。
 たしかこのへんに……。

「あった」

 お店の裏手にある水場。
 雪の間に、いつもは流れてくる水があったけれども、今日はカチカチに凍っていた。
 たぶん、昨日もこうだったんじゃないだろうか。

 私はよろず屋に入った。

「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
 スライムさんがカウンターの上にのった。

「あ、帽子」
「ふっふっふ。おしゃれでしょう」
 スライムさんは、毛糸の帽子をかぶっていた。
 白い、雪のような色だった。

「うん。とってもきれい」
「ふっふっふ。では」
 スライムさんは帽子をとって、カウンターに置いた。

「あれ? どうしたの?」
「ちくちくするので。みためはすきなので、おいておきます!」

 スライムさんは、帽子をぽんぽん、とさわった。

「あ、そうだスライムさん。ききたいことがあったんだけど」
「おかねを、たくさん、もうけるほうほうですね? えいむさんも、すきですねえ」
「全然ちがうから」

「ねえスライムさん、昨日、お茶をいれてくれたよね」
「はい。さいこうでしたか? さいていでしたか?」
「最高」
「やりました!」
「それで、水ってどうしてるの?」
「みずですか?」
「みんな凍ってるでしょ?」



「こうしてます」
 スライムさんが用意したのは、やかんだった。

「ここに、こうです」
 スライムさんはやかんを持って出ていくと、中に雪をたくさん入れた。
 それを引きずってもどってくる。
 途中から私が代わりに持ってきた。

「えいむさんには、いつも、くろうをかけますねえ」
「なに言ってるのさお前さん」

 私たちはよくわからないことを言い合って、やかんをよろず屋の床に持ってきた台に用意した。

 そしてスライムさんが、火の魔法石がついているという杖をくわえてきた。

「ふぉれれふ!」

 私は受け取った。
「これです!」
「これで温めたの?」
「そうです!」

 杖の先を、やかんの雪に向けると、みるみる溶けていった。

「おー」
「すごいでしょう!」
「うん」

 どんどん溶けていくと、今度は中の水がぷくぷくと沸騰してきた。

「これをつかえば、みずはむげんだいですよ!」
 たしかに、これなら外に水がずっと置いてあるようなものだ。

「スライムさん、これは便利だよ!」
「ふっふっふ! もっとほめていいですよ!」
「すごいよスライムさん!」
「ふっふっふ!」
「すごいよスライムさん!」
「はっはっは!」
「でも、スライムさんはふだん、どうやって持ってるの? 杖」
「はっはっ……、それはですね」


 スライムさんは、私から受け取った杖を、頭に突き刺した。
「え!」
「そして、こうです!」

 スライムさんはおじぎをするみたいにすると、杖の先がやかんに向く。

「なるほど……」
「ふっふっふ」

 スライムさんは笑っている。
 そうすると、スライムさんの体がぷるぷるゆれて、杖の先がだんだん下がってきた。
 やかんの、水を入れる口に、杖の先が入ってしまう。

 ぽん!

「わっ」

 スライムさんが、ぴょん、と顔を上げた。

 やかんの中の水が全部、蒸発していた。

「やっちゃいました」
「これは……?」
「ちかづけすぎると、こうなります」
「そう。危ないね」
「だいたい、さんかいに、にかいは、こうなります」
「危ないね!」

 私はスライムさんから杖を受け取って、お湯をつくった。
「えいむさん、いえ、ほしくないですか?」

 私はよろず屋の椅子に座って、冬でもよく育つという薬草を見ていた。
 だから聞きちがいかと思った。

「いま、家って言った?」

「はい」
「家はあるよ」
「えいむさん、せんようのいえですよ」
「私の?」
「はい!」

「そんなのむりだよ。あ、スライムさん、また高価なものを使おうとしてるんでしょ」
「ふっふっふ。えいむさんが、こうかなものをすきじゃないことは、ぼくはしってますよ」
 そのわりには、何度も高価なものをタダでくれようとするけれども。

「だったらどうするの?」
「こうするんです」


「スライムさん、寒いよ」
 私たちは外に出た。
 人が通っていないところはたくさん雪が積もっている。

「ゆきがありますね?」
「うん」
「ゆきのいえを、つくりましょう」
「雪の家?」
「そうです! れいの、なんとか、というやつです」
「なんとか?」
「なまえなんて、かざりですよ! なまえこそがだいじです!」
「どっち!」

 私は、スライムさんに、しっかりした上着と手ぶくろを借りた。
「つめたいですか?」
「ううん、平気」

 雪玉をつくってみても、全然冷たくない。

「これを使ったら、雪合戦に負けないかも」
「えいむさん? まだやるきですか!」
 スライムさんはぷるぷる震えた。

「それで、雪の家って、どうやってつくるの?」
「ゆきを、つみます!」
「やってみよう!」
 私は、スライムさんに借りたスコップで雪を掘り始めた。


「……スライムさん。はあ、はあ」
 私はスコップを雪にさした。

「大変じゃない?」
「そう、ですね」
 スライムさんも、ぜいぜいしている感じだった。

 でもなんとか、私の身長のちょっと下、くらいまでの高さの、雪の山ができた。

「これを、掘ればいいんだよね?」
「はい!」

 私はスコップで、入り口をつくっていく。

「あ」
 と思ったら、上から雪がくずれてきて、いまできた入り口が消えてしまった。
 残ったのは、変な形の小さな雪山だ。

「くずれちゃった」
「うまくいきませんでしたねえ」
「どうすればいいのかな」
「しっかりかためたら、どうですか?」
「うーん。穴を掘るのが大変だよ?」
「そうですねえ」

「雪をしっかりかためて、それを積み上げていくのがいいのかな」
「それは、れんがをつみあげるような、ことですか?」
「うん」
「たいへんそうですよ」
「大変そうだね」
「うーん」
「うーん」

 私はくずれてしまった雪山を見た。
 中をつくろうとすると、くずれてしまう。
 しっかりしようとすると、掘れない。
 うーん。

「最初から、中が空洞になってればいいんだけどね」
「それですよえいむさん!」
「え?」

 というわけで、スライムさんが用意した箱を、雪の上に置いた。
 私の胸までくらいの高さだ。

 そこに雪をのせていく。
「よいしょ、よいしょ」
「よいしょ、よいしょ」
 スライムさんも、口に入れた雪を飛ばして手伝ってくれる。

 中が空洞なので、さっきよりかんたんにできあがった。
 それを上から、横からぐいぐい押して、しっかりかためる。
 そして雪をたして、ぐいぐいやって。

 最後に箱を抜く。
 抜く。
 抜く……?

「抜けないね」
「そうですね」

 しっかりかためてしまったので箱が抜けない。

「こわれやすいはこにしますか?」
「壊れやすい箱?」

 というわけで、スライムさんが用意した、薄い板の箱でつくってみた。

「よいしょ、よいしょ」
 雪をしっかりかためたら、箱を、中から、クギのようなものを抜いていく。

 すると、箱がバラバラに壊れた。

「できました!」
「できたね!」

 さっきまで箱だった板を中から出して、完成!

「さっそくはいってみましょうよ!」
 スライムさんが、ぴょんぴょん、と中に入っていく。

「どう?」
「かぜがきません!」
「私も入っていい?」
「どうぞどうぞ」

 と思ったけど、なかなかせまい。
 しっかりした上着を脱いで、それでもせまい。

 体をちぢこまらせて、なんとか入れた。
「あ、本当だ」

 下はやっぱり雪だから冷たい。
 でも、風は来ない。
 室内、という感じがした。

「すごい!」

 と私はつい興奮して、立ち上がろうとしてしまった。

「わ!」
「わわわ!」

 思いっきりぶつかった雪がくずれてきて、私たちは埋まってしまった。

「わわわ!」
「ははは!」
 今日はよく晴れていた。

 最近は雪の日もへってきて、太陽があたるところはほとんど土や草木がしっかりと見えていた。
 ふつうの靴で歩くのが、なんだかうれしい。

「こんにちは」
 よろず屋に入ると、スライムさんがいない。

「いらっしゃいませ!」
「うわっ」

 ものかげから、スライムさんが笑いながら私を見ていた。

「スライムさん、おどかしたな」
「ふっふっふ、しりませんでしたか? ぼくは、おどかすたいぷの、すらいむですよ!」
「なにそれ、もう!」

 スライムさんは、ぴょん、とカウンターの上に逃げた。
「それで、どんなごようですか!」
「ええと、今日は、薬草を」

 私はカウンターの中の薬草を見た。
 その横。

「なにこれ」
「まめです」
「そうだよね」

 お皿に積まれた豆があった。
 おうどいろで、うすい皮がやぶれて中が見えているものもあった。

「料理に使う豆?」
「このままでも、たべられます! もう、ねつがくわえられていますので、ぽりぽりと! たべてください」

「どんな効果がある豆なの?」
「おいしいです!」
「えっと、そうじゃなくて、動きが速くなったりはしないの?」
「えいむさん? まめをたべて、そんなことがあるわけないじゃないですか!」
 スライムさんが笑う。

 でも、このお店にあるものは、そんなのばっかりだと思うんだけど。

「ですが、たべるだけじゃないんです! たいせつなこうかがあります」
「どんな?」
「まものを、おいはらうこうかがあります!」

 スライムさんはぴょん、とその場でとんだ。

「まめをまくと、まものをおいはらう、という、いいつたえがあるそうです」
「知らなかった」
「まめをまきながら、あることをいうと、まものがこなくなります」
「なんていうの?」
「それは、みんなのじゆうです!」
「自由なの?」
「そうです。じゆうにいいながら、まめをまきます」
「へえ」
「やってみますか?」
「いいの?」
「はい!」

 私は、小皿にのった豆をわたされた。
 スライムさんは、頭をちょっとだけへこませて、上に豆をのせている。

「どこにまくの?」
「どこでもいいんです」
「自由な風習だね」
「そうです!」
「えっと、じゃあ……」

 私は豆をつまんだ。
 そこで考える。

「スライムさん、これ、食べられるんだよね?」
「そうですよ」
「でも、そのへんにまいちゃったら、食べられないよね?」
「そうですねえ……。えいせいてきな、かんてんでは、そうですね」
「別の観点では?」
「すごくおなかがすいたら、こまかいことは、いっていられません!」
「なるほど」

 私たちは、大きなお盆を用意した。
 その上に、とびはねないよう、そうっ、と豆をまく。

「まものー、くるなー」
 スライムさんが言う。
「まものー、くるなー」
 私もまねして言う。

「えいむさん。これは、じゆうなふうしゅうです。まねは、いけません」
「はい、すみません。スライム先生」
「よろしい」

「まものー、くるなー」
「えっと、じゃあ……。へいわー、こいー」
「お、いいですね、えいむさん!」
「そう?」
「いいです! まもの、くるな、というだけでなく、へいわ、こい、というはっそうが、すばらしいです!」
「ありがとうございます、スライム先生」
「よろしい」

「まものー、くるなー」

「へいわー、こいー」

「まものー、くるなー」

「へいわー、こいー」

 私はふと思った。
「スライムさん」
「なんですか?」
「魔物が来るなって言ってるけど、スライムさんはだいじょうぶなの?」
「……そうですねえ、ぼくも、まものの、はしくれですね」


 スライムさんは、しばらく考えて、言った。
「だいじょうぶです!」
「そっか!」
 そんな気がしたよ!
 あまい香りにさそわれるように私はよろず屋に入っていった。

 店内では、あまい香りはいっそう強く感じられた。

「こんにちは」
 声をかけてもスライムさんの返事はなかった。
 またよろず屋の裏でなにかしてるんだろうか。

 それよりも私はあまい香りの方が気になった。

 カウンターの上に、白いお皿があり、黒いものが何枚も重なって置いてあった。
 四角くて、うすい、板状のものだった。
 顔を近づけてみると、どうやら香りの元はこれのようだった。

 私は、顔を離せずにいた。
 あまい香りをいっぱいに吸い込んでも、まだ満足できない。
 それくらい、いい香りだった。

 これはお菓子だろうか。
 口に入れたら、さぞかしあまいのだろう。
 味を想像したら止まらなくなってしまった。

 手をのばし。
 かけて、止めた。

 勝手に食べたりしたら泥棒だ。
 それは、スライムさんと私の関係であってもいけないことだ。
 二人の関係だからこそ、いけないかもしれない。

 私は近くの椅子に座った。
 目をつぶってみる。
 すると、あまい香りに包まれていることが強調された。
 なんだかわからない、あの黒い板の上に座って、休んでいるような気になってきた。

 でも、本当にあまいのだろうか。
 そう考えると、急にあまい香りがいやなものに感じられた。

 母がお菓子をつくっているときだった。
 香りだけはあまいのに、なめてみるととても苦い。
 香り付けに使う材料だと言っていたけれど、その苦さを思い出しては、しばらくあの香りが嫌いになっていた。

 この黒い板も、あれの仲間なのかもしれない。

 スライムさんのお店にある、ということもあやしい。

 なにが起きてもおかしくないようなお店に、こんなにあまくておいしそうな香りのするもの。
 そうだ。
 色がまっくろ。
 これはあやしい。

 さすがに、食べてしまったら死んでしまうようなものは、スライムさんが置きっぱなしにするとは思え……。
 なんともいえない。

 死んでしまわないとしても、かなりおかしなことになるかもしれない。

 私は椅子を立って、またカウンターの上のものの、香りをかいだ。

 あまくておいしそうな香りだった。

 気づけば、また顔を近づけていた。

 いけないいけない。

 私はいったんお店の外に出ることにした。

 外に出ると、まだ冷たい空気で頭がしゃきっとした。
 でも頭の中にはまだ黒い板があった。

「あ、えいむさん、いらっしゃいませ!」
 スライムさんがやってきた。

「こんにちは。どこに行ってたの?」
「どこというほどのことでもない、やくそうのようすをみてきました! そうだ!」
「どうしたの?」
「こちらへどうぞ!」

 スライムさんがお店の中に入っていく。
 ついていくと、また、あのあまい香りに包まれた。

「ちょこがあります」
「ちょこ?」
「あまくて、にがいたべものです」
「苦いの?」
 やっぱり。

「にがいより、あまいです。にがあまあまです」
「にがあまあま」
「たべてみてください!」
「うん」

 私は板状のちょこを、小さく割って、口に入れてみた。
 するとたしかに、苦くてあまかった。
 でも、あまさを助ける苦味だったので、むしろ、口の中に広がるあまさが、もっとあまく感じられたような気がした。

「どうですか?」
「おいしい」
 食べ物で、黒くておいしいというのは、私の生活の中ではなかなかない。

「それはよかった! あ、わすれてました!」
「わすれもの?」
「ちょこ、にも、ふうしゅうがあります!」
「風習?」
「そうです! それは、ええと……」

 スライムさんは一時停止して、考えこんでいた。

「豆のときは、投げたよね」
 なにか手助けになればと思って言ってみたら、スライムさんは、ぴょんっ、とはねた。

「それです!」
「それ?」
「なげます!」
「これを?」
「まもの、くるな! といいながらなげます!」
「それ、本当に思い出したの?」
「ほぼまちがいないです!」

 スライムさんは確信に満ちた目だった。


 しょうがないので、私たちはまた、落ちてもよごれないよう、おぼんを用意して、その上にちょこを投げた。

「まものー、くるなー」
「へいわー、こいー」
「まものー、くるなー」
「へいわー、こいー」

 きっとまちがっていると思ったけど、私はちょこが食べられるならなんでもいいや、とひそかに考えながらちょこを投げた。