「ふっふっふー、ふっふっふー」
よろず屋の外まで、スライムさんの歌うような声が聞こえてきていた。
そっと中をのぞいてみると、スライムさんがいた。
いやスライムさんのようなものがあった。
カウンターの前に、銀色に光る、金属の像のようなものが置いてある。
大きさ、おおよその形は、スライムさんに似ていた。
声はそれから聞こえてくるようだった。
「ふっふっふー、ふっふっふー」
やはり声はそこから聞こえてくる。
こもった声だった。
「……こんにちは」
おそるおそる言うと、声が止まった。
「えいむさんですか?」
スライムさんの声だ。
「スライムさんなの?」
「そうですよ! ちょっとこっちにきてください!」
私は銀色のそれに近づく。
まわりこんでみると、それにはスライムさんの顔があった。
表面の凹凸で、目と口が表現されている。
目の部分は透明なものでできているようで、中のスライムさんと目が合った。
「スライムさんが入ってるんだよね?」
「そうです!」
表面の口は動かず、中からの声だ。
「なにしてるの?」
「みずぎです!」
「水着?」
「これでみずのなかに、はいれます!」
「私にはその話、難しいかもしれない」
こほん、とスライムさんが仕切り直す。
「みずにはいるとき、みずぎを、きますね?」
「うん」
「しかし、ぼくはみずぎをきても、みずをすって、おおきくなってしまいます」
「そうだね」
「かわに、はいってあそぼうとしても、たいへんです」
「ものすごく大きくなっちゃうもんね」
私は、川が全部スライムさんになってしまうのを想像した。
それはそれでおもしろいかもしれない。
「そこで、ぼくはかんがえました! あんぜんに、みずにはいるほうほうを!」
「これ、金属?」
さわってみるとひんやりしていた。
「そうです!」
「えっと……」
「さいきん、あついですよね? あついときには、みずのなかにはいりますよね? そういうことです!」
「なるほど」
言いたいことはわかるけれども。
「では、かわにつれていってもらえますか?」
「え?」
「これではうごけませんので。そこに、だいしゃがあります」
「え、でも、川に行くの?」
「そうですよ。はやくいきましょう! おねがいします!」
「連れていくのはいいけど、これで水に入ってもだめなんじゃないかな……」
「みずは、かんぜんに、しゃだんできます!」
「そうじゃなくて、金属だから重くて沈んじゃうんじゃない?」
「ふっふっふ。あまいですね。はこんでいただければ、わかりますよ……」
スライムさんが不敵な笑みを浮かべている、気がする。
日差しが強い中、私はスライムさんを押して近くの川まで移動した。
近くの川は、水の深さが私のひざくらいまでしかなくて、流れもおだやかなところだ。
私は、はだしになって、ひざまで服をめくりあげて川に入る。
川の水はひんやりしていて、体の芯にある熱のかたまりのようなものがゆっくり冷めていく気がした。
「いくよ?」
「はい!」
「本当にいくよ?」
「どうぞ!」
私は、川原に置いてあったスライムさんを、川の中に入れた。
「あれ」
沈むと思ったスライムさんは、水面にプカプカと浮かんだ。
「金属だから沈むと思ったのに」
「えいむさん。きんぞくだからしずむ、とかんがえてしまうのは、いっぱんじんですよ」
「私、一般人だから」
「ふっふっふー」
見えていないけれども、得意げになっているスライムさんの顔が目に浮かぶ。
そしてゆっくり、流されていく。
私は川の中を歩いてついていく。
足の裏が石をふむので、ちょっと痛い。
「流されてるよ」
「そうですね。えいむさん、ながれていかないよう、たすけてください」
「私が?」
そう言ったとき、足下がつるっとすべった。
水の中で思い切り尻もちをついてしまった。
ケガはないみたいだけれども、全身ずぶぬれ。
立ち上がると服が体にはりついてきて、ちょっと嫌だった。
「えいむさん? だいじょうぶですかー?」
そう言いながら、プカプカと楽しげに流れていくスライムさんに、なんだかちょっと、むっとしてしまう。
「だいじょうぶ」
私はぷかぷか浮かぶスライムさんをつかまえた。
「ぬれてしまいましたかね?」
「いいよもう。帰ろう」
「じゃあ、ちょうどよかったです」
「なにが?」
私はまたむっとしてしまった。
人がずぶぬれになるのがそんなに楽しいのだろうか。
いけない。
なんだかすぐに、むっとしてしまう。
暑さのせいだろうか。
私のせいだろうか。
「ぼくを、こう、かかえてみてください」
「ん?」
「みずのなかで、かかえてみてください」
「はいはい」
もうなんでもいいから早く終わらせよう、という気持ちになっていた。
「わ」
やってみると、私は水に浮かんだ。
抱えているスライムさんの浮力が強く、私がつかまっているのに沈まない。
浅いので気をつけなければならないけど、体が水面と平行になるようにすると、スライムさんと一緒にプカプカ浮かぶ。
川の流れによって、ゆっくり流れていく。
「せいこうです!」
「どういうこと?」
「ぼくが、えいむさんとみずのなかであそぶためには、どうしたらいいかと、かんがえました。そしておもいついたのが、これです」
「これなら、ぼくがみずのなかでうごけなくても、えいむさんといっしょに、みずのなかでうかべます。えいむさん、あしをばたばた、してみてください」
私は言われたように足をばたつかせる。
すいーっ、と浮かんだ体が進む。
「どうですか! しずまないで、あんぜんにおよげますよ!」
「うん……」
「あれ、いまいちですか……? がっかりですか……?」
スライムさんの声が小さくなる。
「ううん、そんなことないよ」
「そうですか?」
「なんか、ごめんね」
「え?」
「ごめん」
スライムさんは私のことを考えていてくれたのに、私は私のことしか考えていなかった。
「なにかありましたか?」
「なにもないんだけど、いちおう」
「へんなえいむさんですね」
そう言われて、私は思わず笑ってしまった。
それから、スライムさんにつかまって、思い切り泳いだ。
「それそれー!」
「は、はやすぎますよ! ふりょうですよ!」
「私は不良だぞー!」
「えいむさーん!」
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
お店に入ると、スライムさんがカウンターの上、ではなく横からひょっこり現れた。
「ふふ、えいむさん。うえだとおもったでしょう。よこですよ!」
「すこしびっくりした」
「それではまた」
スライムさんはカウンターの向こうに去っていこうとする。
「ちょっと待ってよ。今日は買い物したいんだけど」
「おっと、すっかりわすれていました。やくそうたべほうだい、のもうしこみですか?」
「ちがうよ、ふつうの買い物」
薬草食べ放題?
「えっとね。薬草を十個、毒消し草を五個ください」
「おや? きょうは、ずいぶんたくさん、かってくれますね」
「うん。いつもお世話になってるから、スライムさんのよろず屋で買ってきてもらおうかなって、お母さんが」
「そうですか。でも、そのせいで、えいむさんのせいかつが、くるしいものになってしまうのでは……」
「薬草で破産はしないから」
「ところでえいむさん。きょうは、ぜっこうのきかいですよ」
「絶好の機会って?」
「ふっふっふ」
スライムさんは、カウンターの端にあった筒を、するすると私の前まで押してきた。
筒は、コップくらいの大きさで、上がコップのように空いていなくて、指が通るかどうか、といった大きさの穴があいている。
その穴に、細い棒が三本入れられていた。
棒は筒の倍くらいの長さがあって、半分くらい外に出ている。
「これは?」
「どれかひとつだけ、ひいていいですよ! ぼうのさきが、あかくぬってあったら、はんがくです!」
「半額? そんなに安くなるの?」
すごくお得だ。
しかも、お客さんを喜ばせるためには無料であげてしまえばいい、という考え方だったスライムさんとしては、安売りというのは、かなり進歩した考え方なのではないだろうか。
「ひきますか?」
「うん。でも、えっと、なんにもしてないのに、引いていいの?」
「はいどうぞ!」
「じゃあ」
私は、一本棒を抜いてみた。
「あ」
先が赤くぬられていた。
「おめでとうございます! はんがくです!」
「やった!」
と私が喜んだとき、うっかり筒を倒してしまった。
すると倒れた筒から残った棒が二本、抜けて出てきた。
どちらも先が赤くぬられていた。
「スライムさん。全部、先が赤いよ」
「はい」
「はいって、これじゃ意味がないよ」
「ふっふっふ。そんなことないんですよ」
「どういうこと?」
「こほん」
「このぼうをひくひとは、ぜんぶがあかいとは、しりませんね?」
「そうだね」
「ということは、ひけたひとは、とってもうれしいですね?」
「うん」
「でも、ぜんぶが、あたりということは、しらないのです」
「うん」
「つまり、ひけたひとはみんな、じぶんだけが、うんがいい、とおもうんですよ!」
「おお……」
たしかに、私は筒を倒してしまったから知っているけど、ふつうに引いたら、たまたま当たりを引いたのだと、いい気持ちになるだろう。
お店としても、最初から半額で売るつもりならみんなが当たりを引いても問題がない。
お客さんは気分が良くなって、また来てくれるかもしれない。
「すごいよスライムさん!」
「ふっふっふ」
「全部当たりを入れてお客さんの気分を良くするなんて、思いつかなかった!」
「ふっふっふ!」
「いつ思いついたの?」
「ききたいですか?」
「うん!」
「ふっふっふ」
スライムさんは、カウンターの上をゆっくり歩き始めた。
「あれはそう、きのうのよるでした。ぼくは、じゅんびをするため、ぼうをあかくぬっていたのです」
「ふむふむ」
「そのときでした! めのまえをみると、なんと……!」
「なんと?」
「さんぼんとも、あかくぬってしまったのです……!」
「ん?」
「ぼくはひっしにかんがえました。どうすれば、やりなおさなくてすむのかを。そしてきづいたのです……。ぜんぶあたりだと、おきゃくさんはうれしいのではないかと……!」
「スライムさん?」
「さっきいったような、かんがえかたをすれば、かんぺきではないかと……!」
「スライムさん」
「なんですか」
「えっと、結果的には良かったと思うけど、そういうときは……」
と言いながら、私は考え直す。
せっかくスライムさんが、ちゃんとしたことを思いついて、やっているんだから、それを注意するのはどうなのか。
結果的に良くて、大きな問題がないのなら、それでいいのではないだろうか。
「えいむさん、どうしましたか?」
「……ううん、なんでもない。これからもがんばろうね!」
「はい!」
「じゃ、今日は、私の代金はいくらかな」
「はい、ええと」
スライムさんは、自分の前にある薬草十個と毒消し草五個を見て、止まった。
「スライムさん?」
「ええと……」
「もしかして、半額がわからないの?」
「わからないかときかれたら、こうこたえましょう。わからないと!」
スライムさんは堂々と言った。
「もしかして、他の品物の値段が半分になったらいくらかも、わからない?」
「……きいてください。えいむさん」
スライムさんは真剣な顔をした。
「うちでは、やくそうはいくらですか?」
「7ゴールド」
「はい。7をはんぶんにしたら、いくつですか?」
「3・5だから、3ゴールドか、4ゴールドじゃない?」
「……7をはんぶんにしたら、3でも、4でもいい。そんなげんじつ、まちがってると、おもいませんか!?」
「……でも、薬草は十個買うから、35ゴールドでちょうどいいんじゃない?」
「それはちがいますよえいむさん!」
スライムさんはカウンターを降りて、私にせまってきた。
「それは、ちがいますよ!」
スライムさんはそれだけ言った。
たぶん、一個3ゴールドで十個買ったときと、4ゴールドで十個買ったときで値段がちがってしまうのが、まずいのだといいたいんだろう。
「そうだよね?」
「そのとおりです! そのとおりです!」
「じゃあ今日は、薬草の半額はいくらか考えようか」
「そうしましょう!」
でも、考えてみると、どっちでもいいというのはとても難しくて、眠くなった。
よろず屋に入ってみると、なんだかいつもと様子がちがっていて、私は息をひそめてしまった。
「これは……」
お店の中は、0、と書かれた小さな紙がたくさんあった。
カウンターの中の品物がない場所や、壁にそってならんでいる品物がないところなど、物がない場所には、これでもかと紙がある。
0、0、0。
ゼロばかりだ。
そのとき、お店の隅で、紙が雑に積み上げられてできた山が、がさ……、がさ……、とゆれた。
「なに……?」
「えいむさん、ですか……」
中から声がした。
「スライムさん?」
「はい……」
紙が持ち上がると、さらさらと山がくずれて、中からスライムさんが現れた。
でもすぐにスライムさんは紙の山の上に倒れてしまった。
「スライムさん? どうしたの? なにかあったの?」
「ぜろ……。がくっ」
スライムさんは目を閉じた。
「ゼロ?」
「えいむさん……、もしかしたら、ぼくは、つかれすぎて、しんだかもしれません……」
「スライムさん、たぶんだけど、ちゃんと生きてるから安心して」
「そうですか?」
スライムさんは、おそるおそる目を開けた。
「ところで、どうしてこんなにゼロが?」
「えいむさん。きのう、7のはんぶんは、3か、4かわからない、そんなじだいはまちがっている! そういうはなしを、ふたりでしましたよね?」
「うん」
時代の話はしていないけれども。
「そこでぼくはかんがえました。すうじについて」
「数字」
「すうじは、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、がありますね?」
「うん」
「だからぼくは、0、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつにわけてみました。ちょうど、5こづつですし。ここになにか、はんぶんもんだいの、かいけつのてがかりが、あるのではないかとおもいまして」
「なるほど。そうだスライムさん、お母さんにきいたら、四捨五入っていうのがあるんだって」
「いま、しんだひとのはなしはしてません!」
「いや、死者じゃなくて四捨……、えっと、それで?」
「はい」
「ぜろってなんだろう、とおもいました」
「ゼロ?」
「ぜろって、なにもないんですよね?」
「そうだね」
「だったら、ふたつにわけたとき、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつになってしまって、ふこうへいですよね?」
「でも、ゼロがあれば、五つずつになるよ」
「ぜろがあるって、なんですか!」
「え……。うーんと」
ゼロがある。
たしかによくわからない。
「ないがある、ということですか! なんなんですか!」
「えっと……」
「でもえいむさん。えいむさんが、ただしいです……。ぼくは、きづきました……。ぜろを、うけいれなければ、ならないと……」
スライムさんは、あきらめたように、目をふせた。
「スライムさん?」
「すでに、よのなかは、ぜろだらけだったんです……。ぜろが、せかいをつくっているといっても、かごんではないんです……!」
「スライムさん?」
「でも、このおみせには、ぜろがなかった……」
スライムさんは、ぐるりとまわりを見た。
「ぼくはおもいました。ぜろをつくらなくては! そうしてずっと、しなものがないところには、ぜろ、とかいて、かいて、かきまくりました。ぜろを、おいておかないと、みんなぜろだとわからないでしょう? ここに、なにか、あるのかと、おもいこんでしまいます! だから、いそがしくて、いそがしくて……」
「書かなくてもわかるんじゃない?」
私が言うと、スライムさんが、きっ、と私を見た。
「むせきにんですよ! じゃあ、10はどうなるんですか!」
「10?」
「10は、ぜろがなかったら、1になってしまいますよ! あるのか、ないのか、ちゃんとかかないとわかりませんよ!」
「うーんと……」
「ぜろはたいせつなんです! ぜろがなかったら、せかいはめちゃくちゃになってしまうんです! せかいは、ぜろでできているんです!」
「せかいは、ぜろ……」
世界がなくなってしまった。
「こうしてはいられない! ないところにはぜろ! ないところにはぜろ!」
スライムさんは、ないところには0! と言いながら、小さい紙に、0、0、0、と書き始めた。
たしかに、0は大切なものだと思うけど、でも、なんというか……。
「あの、スライムさん。そんなにがんばらなくても……」
「がんばってるひとに、がんばらなくてもいい、っていうのは、ぼくはきらいです! ぼくは、せかいをすくうんです!」
どうしよう。
このままでは、スライムさんが、ゼロスライムさんになってしまう。
……ちょっとかっこいい名前かもしれない。
「ぼくがやらないと、よのなかのぜろが、わからなくなってしまう……!」
「スライムさん、ひと休みしない?」
「ぼくがぜろを、ぼくがぜろを……!」
でもやっぱり心配だ。
どうしたらいいんだろう。
私は店内を見回した。
それから……。
ん?
「そうだ。スライムさん、この薬草っていくつ?」
私はカウンターの中を示してきいた。
「やくそうですか? そんなの、なかをみればわかります!」
スライムさんはちらっともこっちを見ずに言った。
「そうだよ、そうなんだよスライムさん! 見ればわかるし、きけばいいんだよ!
「え?」
スライムさんは、やっとこっちを見た。
「薬草がひとつ、ふたつ、みっつって、いくつあるかわからないときは、確認すればいいでしょ? ゼロのときも同じだよ。ゼロだって、見れば、だいたいわかるでしょ? わからないときはきいて、わかるときは、それでいいんだよ。だからみんな、そんなにゼロばっかりじゃないんだよ!」
スライムさんが書くのを止めた。
「もっと、おおざっぱでいいんだよ!」
「おおざっぱで、いい……?」
「そうだよ! もうちょっと、いいかげんにやればいいんだよ!」
「いいかげんでいい……」
「うん!」
スライムさんの目が、いきいきしてきた。
「いくつあるか、てきとうでも、いい……!」
「うん! うん?」
「だいきんも、てきとうで、いい!」
「えっと、スライムさん?」
「そうだ。ぼくは、もっといいかげんだった! ぼくは、いいかげんに、おみせを、やります! わーい!」
スライムさんはぴょんぴょんお店の中を走りまわっていた。
私は、今日だけは、と注意したい気持ちをぐっとこらえた。
「スライムさん、いいかげんはだめだよ!」
こらえられなかった。
よろず屋に向かって歩いていると、お店の前の道を進んでいるスライムさんが見えた。
ただ進んでいるのではなく、バケツを押しながら進んでいるようだ。
でもバケツを押すのに苦戦していて、本当にゆっくりとしか進めていない。
「スライムさん?」
私はかけ寄って、声をかけた。
「えいむさん。どうかしましたか?」
「えっと、スライムさんがどうかしたかな、と思って」
「いまから、みずを、くみにいくところです!」
「水?」
でも、お店の裏に水をくめる場所があるはず。
「それじゃだめなの?」
「そこのみずは、きのう、ちょっと、あれしてしまったので」
「あれ?」
「いま、あそこのみずにさわると、あれになってしまうので、だめなんです!」
「あれって?」
「それはちょっと、ぼくにはむずかしいのでやめましょう!」
「はあ」
「ですので、かわまでいってきます! びしっ!」
スライムさんは、びしっ、とポーズを決めた。
「ふうん。じゃあ、私が行ってこようか?」
「えいむさんが?」
「だってスライムさんは大変でしょ? バケツも持ちにくいだろうし」
「えいむさんだってたいへんですよ! かわで、みずをくむ……。さいあく、いのちをおとしますよ!」
たしかに、最悪の場合は命を落とすこともあるだろうけど、道を歩いていても、最悪、命を落とすこともある、というような話だと思う。
「スライムさんが川に落ちたらと思うと、そっちのほうが危ないと思う。私が行くよ」
「えいむさん……! わかりました、お願いします! おれいに、ぜんざいさんの、はんぶんをあげますから!」
「いらないから!」
私はスライムさんにバケツを受け取ると、手を振って別れた。
この前スライムさんと遊んだ川でいいだろう。
そう思って向かって見たけれど……。
「うーん」
昨日ちょっと多めに雨が降ったせいなのか、どこか、川の水が茶色っぽく、にごっているように見えた。
水の使いみちをきいてこなかったけれども、きれいな方がいいだろう。
私は、ちょっと上流へ行ってみることにした。
川をたどって歩いてくと、だんだんまわりに木の数が増えてきた。
ちょっとした森のように薄暗くなっていく。
道もだんだん、あるような、ないような、といったうっすらとしたものに変わっていった。
それでも川はまだ、どこかにごっているように見える。
どうしようか。
そのとき、川とは別方向。
木々の向こうに、光が反射したのが見えた。
気になって、そちらに行ってみる。
だんだん、キラキラと光る湖面が見えてきた。
そこは不思議な場所だった。
森の中なのにそこだけ太陽の光がすり抜けてきていて、湖を照らしていた。
湖、といってもそれほど大きくはない。
池よりは大きいかな、というくらいで、人によっては池と言うかもしれない。
水は澄んでいて、きれいだった。
これならいいだろう。
私はバケツを湖の中に入れる。
できるだけたくさん持って帰ったほうがいいかな。
そう思ったのがまちがいだった。
「あ」
つるり、とバケツの取っ手から手がすべって、バケツが湖に落ちてしまった。
いっぱいに入っていたせいなのか、バケツはどんどん沈んでいく。
水の中にのばした私の手よりもずっと早く、バケツは見えなくなってしまった。
どうしよう。
スライムさんのバケツ。
そのときだった。
湖が光った。
私がまぶしさに目をおおうと、もう一度目を開けたときには知らない女の人がいた。
白くて、キラキラした服を着ていて、笑顔がおだやかなきれいな人。
湖の上にふわふわと浮かんでいた。
女の人の手にはバケツが二つあった。
「あなたが落としたのは、この、金のバケツですか?」
「え? ……、いいえ」
私は急いで首を振った。
「では、この銀のバケツですか?」
「いいえ」
私は首を振った。
すると女の人はにっこり笑った。
「あなたはとても正直な人ですね。では、この金と銀のバケツをさしあげましょう」
女性は湖の上をすべるように近づいてきて、私に二つのバケツをさしだした。
「いりません」
私は首を振った。
「え?」
女の人は、おどろいたように私を見た。
「それ、私のじゃないので」
私が言うと、女の人は、またおだやかに笑った。
「そうじゃないのよ。これは、正直な人にあげるのよ」
「でも私のものじゃないので」
「あのね、これは、目先の欲にも正直でいられる人への、ごほうびみたいなものなのよ」
「これよりも、私が落としたバケツの方がいいんです。借り物だし、ちゃんと持って帰らないと」
「それなら」
そう言って女性は湖の中に消えると、あらためてまた出てきた。
服が少しもぬれていなくて、不思議だった。
「これでいいかしら?」
女性は、両手と、右肘にかけたバケツの三つを私にさしだした。
「あ、そうじゃなくて、私が落としたバケツだけでいいです」
「でもね」
「知らない人に、そんなに高価な物、もらえません。それに、こうして拾ってもらったなら、私の方こそお礼を言わないと」
「そう……」
女性はおだやかに笑った。
それから女性は、勝手に、金と銀とスライムさんのバケツを湖岸に置くと、湖の中に沈んでいった。
「元気でね」
「え、え、え?」
女性は湖の中に行ってしまった。
でも、こんなに高価そうなもの、もらうわけにはいかない。
どうしよう。
しばらく考えてから、私は金と銀のバケツを持った。
それから、どちらにも水をたっぷりと入れてから、湖の水の中で手を離した。
さっきと同じように、みるみる沈んでいく。
「こらこらー、ごほうびなのよー」
そう言いながらさっきの女性が浮かび上がってきたけれども、私はスライムさんのバケツを持って、走って帰った。
よろず屋にたどりついたときには、すっかり汗をかいてしまっていた。
「おかえりなさいえいむさん!」
「ただいま……」
「おそかったですね。おや? おつかれですか?」
「ちょっとね……」
「ありがとうございました! おや? おみずは?」
「あ」
私は、からっぽのバケツを見た。
「忘れた」
「わすれたんですか?」
「あ、川の水がよごれてたから、くめなかった。昨日雨が降ってたから」
「そうだったんですか」
「それと、変な人がいて。なんか、正直者には金のバケツをあげるって、急にくれて」
「それはあやしいひとですね!」
「だから逃げてきたの」
「せいかいですよ! きっと、さぎですよ!」
「サギ?」
「ばけつばけつさぎです!」
「ふーん……」
「じゃあ、みずはあしたにしましょう! きょうは、べつのあそびをしますね!」
「なにするの?」
「ふっふっふ」
スライムさんは意味深に笑っていた。
よろず屋に歩いていくと、スライムさんがお店の前にいた。
めずらしい。
キョロキョロとまわりを見ていた。
「こんにちは。どうしたの?」
「なんだか、いそがしそうなひとが、はしっていったので」
「あ、お母さんが言ってたんだけど、もうすぐ町長選挙があるんだって。だからかな」
「せんきょですか?」
「ていっても、立候補する人が他にいないから、いままでと同じ町長さんになるみたいだけど」
「そうなんですか?」
「うん。もうずっと同じ人みたいだよ」
「……それはいけませんね」
スライムさんは、ぼそり、と言った。
「どうして?」
「おなじちょうちょう……。ふはいです……。せいじの、ふはいです……」
「ふはい?」
不敗、ということだろうか。
負けない人、という意味なら、たしかに不敗かもしれないけど。
「けんりょくしゃが、ずっとおなじなのは、ふはいをまねきますよ……」
「不敗はいけないの?」
「いけません! ……きっと、うらでは、わるいことをしています……」
「そんなことないと思うけどなあ。町長さん、いい人そうだったよ」
ちょっと太っているけれども、いつも笑顔で、私にもちゃんとあいさつをしてくれる。
「うらでわるいひとというのは、おもてでは、いいかおをするものですよ……」
「でも、いい人も表ではいい顔するんでしょ?」
「つまり、おとなは、いいかおをするんです……。そういういきものです……」
「えっと」
嫌なことでもあったんだろうか。
「スライムさん、町長さんに頼んでこの町に来たんでしょ? そのとき、どんな人だった?」
「いいひとでしたよ! ぼくのことを、さべつ、しませんでしたし!」
「だったら」
「それは、おもてのかおです……。せいじかは、いつでも、うらのかおを、もっているんですよ……」
「でも、そんなこと言ってたら、どんな町長さんでも悪い人になっちゃうよ?」
「そうですね……。それこそ、ぼくがやるしか……」
スライムさんは、はっとした。
「そうか! ぼくが、りっこうほするしか、ありませんね!」
「ええ!?」
「ぼくが、ちょうちょうになれば、まちのふはいは、とまります!」
町の不敗?
ふはいって、不敗じゃないのかな。
「スライムさんが町長になるの?」
「そうです」
「でも、町長さんになるのって、いろいろ大変みたいだよ」
「なにがですか?」
「えっと、たとえば、投票してもらうためにいろいろ説明をしないといけなかったり」
「とうひょう?」
それは知らないのか。
「そう。みんなに、町長になったらこういうことをする、って説明をして、それならこの人にお願いしようって思ってもらうの。具体的には、一日みんな集まって、町長さんになってほしい人の名前を書いてもらって、一番、数が多い人が町長さんになるのかな。たくさんの人に、町長さんになってほしい、って思ってもらうようにがんばらないと」
「へえー! えいむさん、ものしりですね!」
「そうかな。えへへ」
スライムさんは、遠くを見た。
「ということは、ぼくを、ちょうちょうさんにしてくれそうなひとに、おかねをくばれば、ぼくに、とうひょうしてもらえますね!」
「ちょっと!」
「なんですか?」
スライムさんはきょとんとしていた。
「悪いことをしたらいけないって言ったの、スライムさんでしょ!」
「わるいことですか?」
「そうだよ! お金をくばって町長さんになれるなら、お金持ちしか町長さんになれなくなっちゃうでしょ!」
「おかねもちは、わるいことですか?」
「お金持ちが悪いんじゃなくて、お金持ちの悪い人が町長さんになりやすくなっちゃうでしょ!」
「でも、いいおかねもちが、ちょうちょうさんになれるなら、それでいいんですよね?」
「そうだけど……」
「だから、ぼくが、いいちょうちょうさんに、なります!」
スライムさんはカウンターにのぼった。
「ぼくは、ちょうちょうさんに、なります!」
もう一回言った。
スライムさんがなれるのかな、と思ったけど、町に住んでいるということは、町長さんになる権利もあるような気がする。
うーん?
でも、スライムさんは、悪い人でもないし、スライムさんに教えてくれる人もいるだろうし、スライムさんも熱意を持ってるみたいだし、もしかして、そんなに悪い町長さんにはならない……?
「スライムさん、本気……?」
「ほんきです!」
「そっか……。じゃあ、私もおうえんしようかな」
お金をくばらないように、見張っていないと。
「ありがとうございます! すらいむ、すらいむをよろしくおねがいします!」
「なにそれ」
「がんばります!」
「それにスライムさんが町長さんになったら、もしかしたら、よろず屋もきちんとしたお店になるかもしれないしね」
「どうしてですか?」
「ほら、町長さんって、毎日、朝から規則正しく仕事するでしょ?」
多分。
「だから、よろず屋も、すこし規則正しくできるようになるかもしれないよね」
「えいむさん……。ちょっといいですか?」
「なに?」
「ちょうちょうさんって、しごとを、するんですか……?」
スライムさんが信じられないことを言った。
「そうだよ。町のために、いろいろなことを」
「きそくただしく、ですか?」
「うん」
「おもてのしごとを、いそがしくやってから、うらのしごとも、いそがしくするんですか……?」
裏の仕事をしたら悪い町長さんになっちゃうのでは?
「そうですか……」
スライムさんは、ゆっくりカウンターをおりた。
「スライムさん?」
スライムさんは、急に大きく目を開いた。
「……あ! あー、ちょっと、これから、いそがしくなるんだったなー! これから、ちょっといそがしくなるんだったなー! ちょうちょうさんを、やっているじかんは、ないんだったー! あーいそがしいいそがしい!」
スライムさんは、お店の中を行ったり来たりし始めた。
「こんにちは」
お店に入ると、奥からバケツが転がってきた。
えっ、と思いながら、ちょっとさがって私は見ていた。
バケツは、上と下で円の大きさがちがうので、まっすぐに転がらず、くるるる、とゆっくり向きが変わる。
上がこっちを向いた。
スライムさんが、中にすっぽり、はまっていた。
「こんにちは!」
「スライムさん! どうしたの」
「ちょっと、れんしゅうです」
すぽんっ、とスライムさんがバケツから出てきた。
「ほんじつは、おあしもとがわるいなか、わざわざおこしくださいまして」
「雨、降ってないよ」
「おしかったですね」
「いまにも降りそうだけど」
「ふるなら、ふってほしいですよね」
「お母さんは降ってほしくないみたい」
「あめは、おきらいですか?」
「ほら、ずっと雨ばっかりで、洗たくものが、すっきりしないから」
ここ数日、母が、家の中にかけた物干しざおを見て、よくため息をついている。
「家の中で干すと、洗たくものが、ちょっと変なにおいになったりするでしょ?」
「はあ……」
スライムさんは、あまりぴんときていないようだった。
「……そうか、スライムさん、服、着ないもんね」
つい、誰でも実感を持ってくれることだと思っていたけれども、スライムさんはそういう生活をしていないんだ。
「服を着ないならわからないか」
「む! あなどらないでください! ぼくだって、ふくくらい、きますよ!」
「着るの?」
「このまえ、みずぎを、きたじゃないですか!」
「ああ」
よろいのような、金属の。
「もっとこういう、布のやつの話だよ」
私は自分の服をつまんでみせた。
「よわそうなので、ぼくのしゅみではないですね!」
「弱そうかな」
私は自分の服を見た。
いや弱そうってなに?
「えいむさんも、ふくが、へんなにおいだったら、いやですか?」
「それはそうだよ」
「だったら、どうして、ふくをきてるんですか?」
「え?」
「きなかったら、せんたくで、こまることはなくなりますよ!」
そんなこと言われるなんて思わなかった。
言われてみると、そうだけど、でも。
「えっと、でも、服を着ないと……」
「だめですか?」
「寒いときとか……」
「きょうはさむいですか?」
「そんなことはないけど」
この数日は、寒い日、暑い日が混ざり合ってやってきていた。
今日は、じめじめとして、どちらかといえば暑い。
「それなら、きなくてもへいきですね!」
「えっと、あと、恥ずかしいかな……」
「はずかしい?」
「服を着ないと全部見えちゃうし……」
「ふくをきないのは、はずかしいことなんですか?」
スライムさんは、ささっ、とバケツの後ろに隠れた。
「あ、スライムさんはいいんだよ。見えてても」
「む! えいむさん! すらいむを、さべつしましたね! すらいむなんて、ふくをきることもできない、つまらないまものだと、おもいましたね!」
「そんなこと言ってないでしょ。差別っていうか、スライムさん、恥ずかしくないんでしょ?」
「はい」
「無理に恥ずかしがらなくていいんだよ」
「そうなんですか? まったくもう、えいむさんがいろいろいうから、いそがしいですねえ」
スライムさんは出てきた。
スライムさんは、はだかというか、体も透けているので、またちょっとちがうと思う。
「なんかごめんね」
「ゆるしましょう!」
「私たちは、もう、服を着てるのがあたりまえになってるから、寒くなくても服を着るの」
「なるほど……」
スライムさんが動きを止めて、じっとしていた。
「どうかした?」
「……つまり、はずかしくなければ、えいむさんも、ふくをきなくてもいいのですか……?」
「まあ、そうかな?」
「なるほど……。なるほど……」
スライムさんは、ぴょこぴょこと、カウンターの後ろへ消えた。
「スライムさん?」
ごそごそという音だけが聞こえている。
それから、スライムさんが小箱を頭にのせてもどってきた。
「これをつかってください!」
「なにこれ」
私の手のひらにのるくらいの、木の箱だった。
中には、石かなにか入っているような、ちょっと重みを感じる。
「あけたら、びっくりしますよ!」
「開けていいの?」
「どうぞ!」
箱を開けてみる。
「わっ!」
とたんに、まぶしい光がよろず屋いっぱいに広がった。
見ていられずに目を閉じるけれども、まだまぶしい。
「まぶしい! どうなってるのこれ!」
「これは、ものすごくまぶしい、いしです!」
「まぶしいよ!」
「これで、からだがみえなくなります! ふくをきなくても、はずかしくないですよ!」
「そんなことよりまぶしいよ! なんとかして!」
うっかり箱から手を離して、背中を向けてしまったので箱がどこにあるかわからない。
それでもまぶしい。
「ぼくもまぶしくて、まわりがみえません!」
「ちょっとスライムさん!」
「いしは、いしはどこですか!」
「たしかこのへんに……」
私が手をのばすと、なにかがぶつかった。
倒れるような音と、ころころ、と床の上を球体が転がっていくような音がした。
「どっかいっちゃったよスライムさん!」
「えいむさん、しっかりしてください!」
「ごめん!」
「あ!」
スライムさんの声のあとに、もっと勢いよく転がっていく音が聞こえた。
「うっかりぶつかってしまいました!」
「スライムさん!」
「たいへんもうしわけないきもちで、いっぱいです」
「あーもう、どこ!」
「わっ、えいむさん、ぼくをふまないでください!」
「ごめん!」
「わあっ!」
「きゃっ!」
よろず屋のあちこちをバタバタとやっていたら、やっと見つけたころには、私の服が洗たくものになってしまった。
どんよりとした、くもり空のある日、私はあることを考えながら、よろず屋にでかけた。
めずらしくスライムさんはお店の前にいて、キョロキョロしながら歩いている。
「こんにちは、スライムさん」
私が言うと、スライムさんは動きを止め、こっちを見た。
「どうもどうも! おさんぽですか!」
「ちょっと気になったことがあってお店に来たの。スライムさんはなにしてたの?」
「みずたまりが、ありましてねえ……」
「ああ」
最近は雨が多いこともあって、お店の前や、近くの道に水たまりができていた。
「水たまりがどうしたの?」
「ぼくのばあい、うっかりはいってしまうと、みずをすって、やや、おおきくなってしまうので」
「そっか。じゃまだよね」
「つちでうめるのも、めんどうですし……。ところで、えいむさん! きになったことって、なんですか!」
「あ、うん。ほら、昨日洗たくものがかわかない、っていう話、したでしょ?」
「はい! にんげんは、はだがかいちばん! というおはなしですね?」
「はだかはあきらめよう、っていう話だよ。えっと、それで、この前、かわきのいし、っていうの、あったでしょ?」
スライムさんの水分がすっかり抜けてしまったり、私の指まで大変なことになった事件の原因となった石だ。
「あれはあぶないですよ! くせになりましたか?」
「あれじゃなくて、あれより力が弱い、ちょっとかわく石、ってない?」
「よわいものですか?」
「いろいろな効果の石あるんでしょ?」
「はい!」
「効果の強さの差も、あるかなと思って」
「ははあ、たしかありますね。なんどもつかえる、というわけではないですけど、そのぶん、おやすいです」
「そうなの?」
「ひとつ、10ごーるどです!」
めずらしく、本当に安い。
「それ見たい」
「わかりました! さがしてみます!」
スライムさんはお店の中に入っていった。
それから私は、お店の裏の、薬草の様子を見に行ったり、スライムさんが新入荷した果実薬草をもらって食べたりしながらしばらく待った。
まだ時間がかかるというので、いったん帰って、洗たくものから、ぬれたタオルを持ってもどってきたところで、スライムさんが出てきた。
「いやー、ありましたありました!」
スライムさんが、頭に箱をのせてお店から出てきた。
かわいている地面に置いた。
「おつかれさま」
「どうぞ!」
スライムさんくらいの大きさがある、しっかりした紙の箱だった。
箱を開けると、直径が硬貨くらいの大きさの小石がたくさん入っていた。
どれも、球に近い、まんまるの形だった。
「こんなにたくさん、運ぶの大変だったでしょ?」
「ぜんぜんです! もってみてください!」
「うん。……なにこれ」
中に入っていた茶色っぽい石は、手に取ると、とても軽い。
綿を持っているみたいだ。
「かるいでしょう!」
「うん!」
「たおるを、ぽんぽん、してみてください!」
「うん。あ」
さっそく、とタオルに近づけたら、石は粉々にくだけて地面に落ちてしまった。
「くずれちゃった」
「そうなんです! これは、とってもこわれやすいんです! そうっと、やってみてください!」
「うん」
今度は、そうっと、そうっと。
「おっ」
タオルにつけると見るからに、石の周囲の色が薄くなる。
石を持っている手の、甲でさわってみると、そこだけすっかりかわいていた。
「スライムさん! かわいたよ、あ」
ちょっと力が入ったら、石はくだけて、タオルの間にちらばってしまった。
しかもとても細かくて、タオルの布のすき間のようなところに入り込んでしまっていた。
パタパタやっても、とれない。
「洗わないとだめかな」
「しっぱいですか……。すみません」
「スライムさんは悪くないよ! それより、こんなにくだいちゃって、代金を払わないと。ふたつで20ゴールドだっけ?」
ちょっとおこづかいが減るけれども、しょうがない。
「いいんですよ! ぼくとえいむさんのなかじゃないですか!」
「親しき仲にも、えーと……。友だちでもお金はちゃんとしないとだめなんだよ」
「そうですか? きがひけますねえ……」
「商売なんだから!」
私は言いながら、粉のようになった石を、片付けようと下を見た。
「あれ?」
こぼれたところの土が、すっかりかわいていた。
「かわいてるよ」
「そうですね! そういう、いしですので!」
「ねえ、これって、使えるんじゃない?」
「なんですか?」
「えっと、スコップある?」
「すごいです!」
スライムさんは、ぴょんぴょんはねて、喜んでいた。
「うまくいったね」
私は、スコップですくった石の粉を、お店の前にあった水たまりに入れてみた。
すると思ったとおり、水はすぐにかわいて、水たまりはなくなったのだ。
「えいむさんは、いつか、おおきなことをやってくれるとおもってましたよ」
「そんなに大きくないけど」
よく見ると、水を吸ったはずの細かくなった石は、さっきまでと変わらずかわいたままだった。
「スライムさん、これ、石が水を吸ってるわけじゃないの?」
「よくわかりませんけど、かわかす、てつだいをするみたいです」
「ふうん。何回か使ったら、終わりなんだよね?」
「そうです! 5かいくらいです!」
「よかった」
石が永遠に効果を発揮するのだとしたら、風でどこかに飛んでいってしまったとき、池が干上がってしまったり、なにか大変なことにつながるかもしれない。
でもそのうち効果がなくなるなら、平気だろう。
「じゃあ、たまにここに石を砕いて置いておけば、水たまりはできなくなるよ」
「あんしんしました! ぼくは、あんしんしました! そう……、あんしんです!」
「……ねえスライムさん、これ、お店のカウンターで売ってみれば?」
「どうしてですか?」
「水たまりとか、そういうものに使いたい人がいるかもしれないでしょ?」
「なるほど! ならべます!」
次の日から、よろず屋にならべるようになったら、ついでに買っていってくれる人が、少しずつ現れているという話だった。
「そうだ! えいむさん、ちょっと、そとにいってくるので、まっててもらってもいいですか?」
よろず屋さんでスライムさんと話をしていたら、スライムさんが急にそう言った。
「いいけど、どこいくの?」
「うらに、おもしろいあじのやくそうがはえたので、えいむさんにも、たべてもらおうとおもいまして!」
「ふうん。どんな?」
「ひみつですよ! ……ひんとは、おとなのあじ、です」
「大人の味?」
「そうです! あれがおいしくたべられたら、おとなですねー!」
「スライムさんはおいしかった?」
「ぼくはあんまり……、いえ! とってもおいしかったです!」
スライムさんは急いで訂正した。
「おさけといっしょにたべると、とてもあいそうですね!」
「スライムさん、またお酒飲んでるの?」
「はい! いえ! のんでません!」
どっちだ。
「それじゃ、てはじめに、これをたべて、おまちください」
スライムさんは、カウンターの上に、青い草、黄色い草、緑の草がのったお皿を用意して、バタバタと外に出ていった。
私はあらためてカウンターの上にある草を見た。
大人の味ってどんな味だろう。
私はわりと、おいしいとか、おいしくないとか、いろいろな味が混ざっているものを、大人の味、でごまかしているのではないかと疑っている。
でも大人になったらわかるのかもしれない。
そんなことを考えながら、緑色の草を食べてみた。
「ん?」
緑の草は、見た目は薬草にそっくりだったけれども、ほとんどなんの味もしなかった。
雑草のようなクセもない。
食べにくくもないし、でもなんの後味もなかった。
ある意味ふしぎな味だった。
黄色い草も食べてみる。
「ん」
食べたときは、これも味がしないのかと思ったけれども、だんだん、口の中がピリピリとしてくる。
「水」
と思ったけど、なにもない。
思わずさっきの緑の草を食べたら、辛味がすっかりなくなった。
これはこういうときのための草だったのか。
だったらこれはなんだろう、と青い草も食べてみる。
最初は、これもなにも感じなかったけれど。
「ん……」
辛い、気がしたけれどちょっとちがう。
口の中が熱い。
その暑さが、口の中だけでなく、だんだん全身に広がっていった。
「う、う……」
立っていられなくなって、カウンターにもたれたけれども、それもうまくいかなくなって、ずるずると下がっていって、床に倒れてしまった。
頭がぼんやりとして、だんだん目も開けていられなくなって……。
はっとした。
目が覚めたように意識がはっきりしていた。
さっきまでのはなんだったんだろう。
体を起こす。
どこか体が重い気がするけれども、痛みなどはどこにもない。
そのまま立ち上がろうとして。
「え」
はいていたサンダルが、なんだか小さい。
ちがう。
私はサンダルを脱いで立ち上がった。
いつもより、視点が高い。
カウンターを見ると、そこに映っていたのは、大人のような女の人だった。
でも私と似ている。
後ろを見ても、誰もいない。
私……?
そんなばかな……。
思ったけど、スライムさんの草を食べたことを思い出した。
……そんなこともあるのかもしれない。
でもどうしよう。
スライムさん!
私はお店の外に出た。
裏にまわって、スライムさんをさがす。
いない。
よろず屋の裏、薬草が生えているところにスライムさんの姿はなかった。
どこにいったんだろう。
裏を歩いて、そこからお店の前の道まで出ていって、左右を見た。
いまにもスライムさんが出てきてくれないか、と思ったけれども、そうはならなかった。
どうしよう。
このままおばあちゃんになっちゃうんだろうか。
そのとき、道をおじさんが歩いてきた。
たしか近所に住んでいる人で、奥さんが、私の母の知り合いだったと思う。
ちゃんとした話をした記憶はないけれど、おたがい、なんとなくあいさつをしたことは何度もある。
スライムさんのことを知ってるだろうか。
そのおじさんは、近づく前から、私のことをじろじろと見ていた。
私のことに気づいてくれたんだろうか。
「あの」
話しかけてみる。
「あ?」
「このあたりで、スライムさんを見ませんでしたか? よろず屋の」
「いや、知らないが……。あんた、どこの人だ?」
「え? えっと……」
わかってない……?
「どこから来たのが知らないが、そんな、露出の多い格好でうろうろされると困るんだよ」
おじさんは、私の体を見ながら言った。
「はあ……」
たしかに、私の体が大きくなった関係で、服の面積は減ってしまったように見える。
でも、それほど気にしなければならないものだろうか。
「なに食ったらそんな体になるんだか……」
「はあ」
「この町で、変な商売始めないでくれよ? あんたみたいなのが声かけたら、この町の男なんて子どもみたいなもんだ。すっかりおかしなことになっちまう」
「はあ。わかりました」
いまいちなにを言っているのかよくわからないけれど、私はうなずいた。
「別にあんたみたいなのが嫌いなわけじゃねえが、俺は、そういうことを取り締まる立場にあるもんでな。悪く思わないでくれ。ああ、こんなことしてる場合じゃねえ。いいか、ちゃんとした格好をするか、とっとと別の町に行ってくれよ!」
おじさんは言うと、小走りで行ってしまった。
なんだったんだろう。
結局、スライムさんの手がかりも見つからなかった。
でも、いま話しかけても、私を私だとわかってくれないということはわかった。
それに、どちらかというと、嫌われていたみたいだった。
外にいるのは、あまりよくないかもしれない。
「いたっ」
よろず屋にもどろうとして、なにかをふんで、転んでしまった。
転がっていた枝だった。
変に大きくなってしまった胸がじゃまで、足下が見えにくくなっている。
私は体を斜めにしながら歩くことにした。
「あ」
お店の中に入ったときだった。
また、体が熱くなるような感じがして、立っていられなくなった。
「えいむさん? えいむさん?」
目を開けると、すぐ近くにスライムさんがいた。
「あ、スライムさん」
「よかった! びっくりしました!」
体を起こすと、私は、よろず屋の床に寝ていたようだった。
「あたまとか、いたいですか?」
「ううん。頭も、体も、どこも痛くない」
「よかった! ちょっと、よりみちしてました!」
スライムさんは言って、カウンターの上にのぼった。
「うっかりしてました! ぼく、まちがって、へんなやくそうをおいていってしまったんです!」
「変な薬草?」
「あおいくさ、ありましたよね! それをたべると、とくべつなこうかがあるんです!」
「特別って?」
「それは、ひとによって、いろいろちがうみたいです!」
「スライムさんは?」
「ぼくは、みっつにぶんれつします」
「ええ!」
「えいむさんは、どうでしたか?」
「私? 私は……」
どうだったっけ。
なにかあったような気がするけど。
カウンターに反射した自分の姿を見る。
なにか、とても驚いた気がするけど、覚えていない。
「黄色い草が、辛かったのは覚えてるんだけどなあ……」
「そのときは、みどりのくさをたべると、からくなくなります!」
「うん。それも覚えてるけど……」
「……もういっかい、たべますか?」
「やめとく」
なんだか大変なことになったような、気がする。
なんだったかな。
すっきりと晴れた日だった。
「あれ?」
いつものようによろず屋に入ろうとしたら、おやすみ、となっていた。
出入り口の前で昨日のことを考えたけれども、スライムさんがなにか言っていたような覚えはない。
軽くノックして呼びかけてみたけれども、返事はなかった。
しょうがない。
帰ろうと、後ろを向きかけたとき、お店の裏のほうから、ぱしゃん、という水音が聞こえた。
「あっ」
声もした。
裏にまわってみると、倒れたバケツと、スライムさんがいた。
スライムさんは草が生えているところにいて、目をつぶって顔? を上に向けていた。
バケツはすぐ横に倒れている。
横になっている、のだろうか。
「スライムさん?」
「……」
返事がなかったので、私は倒れたバケツを起こして、水場に持っていって片づけた。
「むにゃむにゃありがとうございますむにゃむにゃ」
声に振り返ると、スライムさんはさっきまでと同じように目をつぶっていた。
「起きてるの?」
「おきてはいないのですがむにゃむにゃ、ばけつを、かたづけてもらってありがむにゃむにゃ」
「バケツはどうして倒れたの?」
「すいぶんを、ほきゅうしてから、ひるねをしようとしたら、ばけつにはいったとき、たおれてしまったんです。じめんにころがったので、そのまま、ひるねをしようと。あ、むにゃむにゃ!」
元気のいい、むにゃむにゃだった。
「起こして片づければよかったのに」
「えいむさんなら、こっちにきて、このようすをみたら、しょうがないなあ、とかたづけてくれると、かくしんしておりました。むにゃ」
「そんなこと確信しなくていいのに。どうして寝てるの?」
「たまには、ゆっくりやすんでも、いいかとおもいまして」
「え?」
「ああわかってますよ、ぼくがまいにちやすまずはたらいているから、やすんだほうがいい、ということですよね? わかってますわかってます。むにゃ」
「えっと……」
「では、むにゃ!」
スライムさんは口を閉じた。
本格的に昼寝をしようとしているようだ。
「そういえば、スライムって、寝るんだね」
「…………」
「スライムさん?」
「…………」
むにゃとも言わなくなってしまった。
まだ寝たふりをしているのかと、しゃがんで、つんつん、とつっついてみる。
「…………」
無反応だった。
私はとなりに座って、いっそうつんつんしてみる。
それでもスライムさんは反応なしだった。
ずいぶんがまんしているみたいだ。
今度は、ぷに、ぷに、と強めに押してみる。
手が、ぐぐぐ、とスライムさんの体を押していき、スライムさんの体がのびる。
それでもスライムさんは目を開けない。
本当に寝てるのかな、と思ったけれども、ここまでやっているのに起きないというのは、逆に不自然だ。
「スライムさん?」
寝たふりをしているにちがいない。
そう思ってもっとぎゅうぎゅう押したり、引っぱってのばしたりしてみる。
やりすぎにも思えたけれども、私も止まらなくなってしまった。
ぎゅうぎゅう。
ぐいぐい。
「…………」
まだ目を開けない。
「よーし」
そこまで耐えるなら、と私は最後の手段に出た。
スライムさんの上に乗ってみた。
ひざで乗ってみた。
ひんやりとした体が、私の体重に押されてのびていく。
のびるけれども、雨の日とちがって充分な弾力があって、ベッドの上にいるのとはまた別の感触だった。
ひざ、すね、と乗ってもスライムさんは目を開けない。
そのまま、私は体を丸めるようにして横になる。
すると、すっかり全身がスライムさんの上に乗ることができた。
バケツの水で水分をたくわえていたと言っていたから、いつもより大きいのかもしれない。
平べったくなったスライムさんは、それでも目を開けない。
ほんのちょっと体をゆらしてみると、スライムさんの弾力が感じられる。
水でできたベッドの上にいるみたいだった。
ちょっときゅうくつだけど、特別な気持ちよさがあった。
「……むさん、えいむさん、えいむさん!」
すぐ近くから聞こえてきた声に、はっとして体を起こそうとしたら、地面がくるっと回って私は草原に落ちた。
「いたた」
「えいむさん、だいじょうぶですか?」
スライムさんが横にいた。
「えっと……」
「ぼくのうえでねてたんですよ」
「あ」
スライムさんの上に乗って、そのまま……?
「びっくりしましたよ!」
「私も。寝ちゃうなんて」
「きもちよかったですか?」
「え? あ、うん、まあまあ、かな」
「まあまあですか?」
「うん。ついうとうとしちゃったけど、やっぱり本物のベッドのほうがいいかな」
「そうですか……。なんだか、おねがいをするまえに、ことわられたような、ふくざつなきもちです」
「ふふふ」
本当はとっても気持ちよかった。
これで手足をのばして眠れたらどんなに気持ちいだろう、今晩からでもスライムさんのベッドで眠りたい、と思ったけれど、それを言ったら本当にそうしてくれそうで、とても迷惑になってしまうから秘密にしておいた。