スライムのよろず屋さん ~すごいけどすごくないお店に今日も遊びに行きます~

よろず屋に入ると、スライムさんが元気に出迎えてくれた。
「どうもえいむさん! さいきん、あついですね!」
「そうだね」
 なんだかわからないけれど、去年よりも今年はとても暑い日が続いている。
 水分を断とうとしたり、スライムさんが暑さを逃れるためにおかしなことをするのも納得だった。

「スライムさんは元気だね」
「ところで、これをみてください」
 スライムさんが後ろを向いてごそごそしていると、ふわりとなにかが出てきた。

 スライムさんと同じくらいの大きさで、見た目は、キラキラ光っている煙、といったところだろうか。
 ふわふわと、スライムさんの横に浮かんでいる。

「なにこれ」
「きれいですよね」
「そうだね」
「でもこれ、じつは……。ゆうれいなんです!」
「え?」
「すらいむの、ゆうれいなんです!」
「へえ……?」

 あらためて見ると、大きさもスライムさんと似ているし、すこしだけ青みがかっているようにも見えた。

「本物の幽霊?」
「はい! で、どうですか、えいむさん!」
「え? うん、よくわからないけど」
「よくわからない? そうじゃないでしょう!」
 スライムさんが不満そうに言う。

「ええ? どういうこと?」
「なにも、かんじませんか?」
「どういうこと……?」
「そうですか……」

 スライムさんは、なんだかがっかりしているようだった。

「どうしたの?」
「えいむさんを、すずしくしたくて……」
「涼しく?」
「はい……。こわいはなしをすると、すずしくなるって、いいますね?」
「うん」
「それで、ゆうれいをみせれば、すずしくなるかとおもいまして……」
「なるほど……」

 ちょっと、頭の中を整理しよう。

「えっと、まずスライムさん。この幽霊はどうやって……」
「ゆうれいがすきな、いいかおりのおはなで、さそいました!」
 カウンターの上には黄色い花があった。

「じゃあ本物の幽霊なんだね」
「さいしょから、そういってますよ!」
「うん、そうなんだけど、びっくりして」
「こわいですか?」
 スライムさんがうれしそうに言う。

「幽霊って、いきなり見せられても怖くないと思う」
「そうなんですか?」
「うん。怖いっていうより、きれいかな」
 血まみれの幽霊だったりしたら、びっくりして、怖くて、大変かもしれないけれども、この幽霊を見ていてもそういう気持ちにはならなかった。

「ぼくも、きれいだとおもいます!」
「怖くないでしょ?」
「はっ!」

 スライムさんは、はっ、としていた。

「でも、ゆうれいは、こわいものでは?」
「私たちはきれいだって思ったんだから、ちょっと、怖い幽霊だと思わせないといけないんじゃない?」
「ほほう?」
「たとえば……」

「たとえば、そうだなあ。私が、ひまつぶしに、そのへんにいるスライムを殺してるとするでしょ?」
「えいむさんが、そんなひどいことを……!」
 スライムさんは、おそれおののいていた。
「たとえばの話だよ」
「たとえばですね」
 スライムさんは、うなずいた。

「それで、今日もよろず屋に来る前に、スライムを、ただのいたずらで殺していたとする」
「ひどいえいむさんですね! ほんとうのえいむさんではないですけど!」
「その私がこのお店に入ったとき、私にしか見えないスライムの幽霊を見るとするでしょ? スライムさんには見えなくて、私だけ見えてるの。そうすると、スライムにうらまれてるのかな、ってちょっと不安になると思うの」
 いつでもスライムに嫌なことをしていれば、スライムに反撃をされるかもしれない、という気持ちがすこしは生まれるはずだ。

「それで、おかしいな、と思うんだけど、気のせいだと思って家に帰るの。しばらくして、スライムの幽霊のことなんて忘れちゃって、お母さんの料理を手伝ったりして、というときに、急に手にナイフが落ちてくる」
「え!」
「かすっただけですむんだけど、そのナイフはちゃんと奥にしまってあったはずのもので、おかしいな、と思うの。そのとき、ちょっとだけ、あのスライムの幽霊みたいなものが見えて不安になる。おかしいなと思いながら、でももうなにもないから、夜も遅くなったらベッドに入るでしょ? そうすると、寝てたら急に体が大きく揺れるの」
「どうしたんですか!」
「ベッドの足が一本折れてるの。お父さんとお母さんが、これはどうしたんだろう、って話し合ってるんだけど、そのときまた、スライムの幽霊が見えるの」
「ごくり」
 スライムさんはごくりと言った。

「それで、その日はお母さんのベッドで寝て、昨日は変なことがあったね、って話し合うの。でももうすっかりなにもなくなったから、これで安心、と思うんだけど」
「おもうんだけど……?」
「散歩してたら、ちょうど誰もいない道で、動けなくなるの。手も足も動かなくて、声も出ない。陰になっててて、誰も気づかないの。そこで、スライムの幽霊がたくさん見えるの。私の手も足も、その幽霊に押さえつけられてて、口の中にも入ってて、なにもできないの。だんだん息もできなくなってきて、そこで聞こえてくるの」
「なんですか……」

「お前は遊びで殺したな……。お前は遊びで殺したな……。今度はお前の番だ!」
「ひいっ!」
 私が急に大きな声を出したら、スライムさんが飛び上がって、天井にぶつかってしまった。

「あ、だいじょうぶ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 スライムさんは、幽霊に何度も謝っていた。
「スライムさん、だいじょうぶだよ! スライムさんはスライムを殺してないんだから」
「はっ。そうか、すらいむをころしていたのは、えいむさんだった!」
「私もやってないからね!」

「ええと、だからね? せっかく幽霊を呼んできたなら、うっかり話じゃなくて、こういう作り話をしたりしてから見せると、怖くなると思うんだけど」
「なるほど……。ぼくはすっかり、ひえひえです……」
 スライムさんは、ぶるり、と体を震わせた。

「では、さいしょからやりなおしていいですか……?」
 スライムさんは、おそるおそる言う。
「ちょっと無理かと思うけど。もう、全部わかっちゃったから」
「そうですよね……。もう、なにもしらなかったころの、ぼくたちには、もどれないんですよね……」
 スライムさんは遠い目をした。

「あれ?」
 まわりを見ると、スライムの幽霊がいなくなっていた。
 スライムさんと協力して探したけれども見つからなかった。



 それから何日か経ったとき、親から近所のうわさ話を聞いた。
 悪ガキと呼ばれている近所の男の子が、水辺でおぼれかけたのだという。
 その子は泳ぎが得意なので、みんな不思議がっていた。
 それと、その子によると、なんだか青くてキラキラしたものに、次はお前の番だ、と言われておぼれさせられたのだという。
 話を聞いていると、その子はスライムを遊びで殺していた経験もあるそうだ。
 私はなにか思い出しそうになったけれども、気のせいだと思うようにした。
 今日も暑い。
 町からすこし離れたところで、なにかを燃やすための大きな魔法を使っている、という話も聞こえてきたけれども、どれもよくわからない話だった。
 私にわかるのは、今日も暑いということだけだ。

「あれ? こんにちは」

 よろず屋の前にはスライムさんがいた。
「こんにちは!」
「どうしたの?」
「きょうは、やきゅう、をやろうとおもいまして」
「やきゅう?」
「そうです。はやっているんですよ!」
「どこで?」
「どこか、はもんだいではありません!」
 スライムさんは言った。

「これを使うの?」
 スライムさんの前には、木の棒と、ボールがあった。棒は私の腕くらいの長さ、ボールは私の握った手、よりもちょっとだけ大きいかな。
「そうです!」
「どうやるの?」
「それは、ええと、そうです!」
「じゃなくて、どうなるの?」
「ふっふっふ」
 スライムさんは不敵に笑った。
 どうやらよくわからないらしい。

 そして、ボールを木の棒で打つ遊びだ、ということはたしからしい。
「打てばいいの?」
「そうです!」
「じゃあ、やってみるね」
 私は、地面に置いてあるボールを、棒の先の方で軽く打ってみた。
 ころころ、とボールが転がっていって、止まる。

「これでいいの?」
「そうです! 打てばいいんです!」

 私は、転がしたボールを自分で拾ってきた。
「これを打つ」
 また打った。
 転がる。
 自分で拾ってくる。

「……これは、なにがおもしろいの?」
「ぼくにきかれてもこまります。たのしみというのは、ひと、それぞれですから」
「ルールはあるの?」
「ぼくにきかれてもこまります。るーるというのは、ひと、それぞれですから」
 それは人それぞれだと困るのではないだろうか。

 でも。
 私は、ボールを打って転がす。
 全然つまらないというわけではない。
 なにか、おもしろくなりそうなきっかけがあるような気がするのだけれども……。

「えい。あ」
 強めに打ったら、さっきまでよりも遠くへ転がっていったボールが、道のへこみにちょうど収まった。
「お、えいむさん、ぴったりですね」
「ね」
「なんだか、うまいですね!」
「うまいと思う?」
「はい!」
「実は、私も思った」

 穴にぴったり入るとおもしろい……。
 まてよ。
 これが、やきゅう……?



「スライムさん、いくよ!」
「はい!」
 私は、地面に置いたボールを打つ。
 ぽーん、とちょっと浮いて打ち出されたボールは、よろず屋の裏庭をぽん、ぽん、とはずんでいって、事前に私が掘った穴の横で止まった。

「あー、おしいですねー!」
 スライムさんが悔しがった。
 私は穴の横まで行って、こん、と軽く打って穴に入れた。

「また三回だったね」
「にかい、でいれたいですね!」

 やきゅう、というのはきっと、目標の穴に向かって、できるだけ少ない回数で打つ遊びなのではないか。
 三回より二回、二回より一回。
 打ったボールをいかに思い通りにするか、それを競う遊びなんじゃないか。

 そう思ってみると、遊びとして、なんだか納得できた。

 私はまたよろず屋の裏の水場までボールを持っていって、棒を構える。
「さっきは、ここにうつとよかったですよ!」
 スライムさんがぴょんぴょんはねて、目標を教えてくれた。

「うん、いくよ! あ」
 変な当たり方をしたせいで、ぽーん、とボールが高く上がってしまった。
 スライムさんが指示した場所をこえて、薬草の生えているあたりもこえて。
 それから、変なはねかえりかたをして、もどってきた。

 すると、走って落下地点を見に行ったスライムさんが興奮していた。
「えいむさん! すごいです!」

 見に行ってみると、穴にすっぽりとボールが入っていた。
「すごいね」
「えいむさんは、やきゅう、のてんさいです!」
「えへへ」

 すっかり、やきゅう、を理解した私たちは、協力して、一回で入れられるよういろいろな工夫をして楽しんだ。

「ところで、暑いね」
「そうですね!」
「日陰でやろう」
「そうですね!」

 裏の、ちょっと林になっているところでやってみると、木があるのでかんたんにはできず、また新しい楽しさがあった。
「おかね、とはなんだとおもいますか?」


 よろず屋で、スライムさんがくれた、果物薬草、という薬草を食べていたらスライムさんが急に言った。

「えっと……。この薬草、おいしいね」
「そうでしょう! かじつの、ほうじゅんなかおりと、あまさ、すいぶんりょう、! すばらしいです!」
 スライムさんの言うとおり、薬草というよりは、薄い果実という感じで、口に入れるとみずみずしい果汁があふれてくる。

「もっと食べてもいい?」
「どうぞどうぞ!」
「うん。おいしい」
「ぼくもたべていいですか?」
「もちろん! だってスライムさんのだもん」
「ですよね!」
「それでなんだっけ」
 私が言ったら、スライムさんは口に入れた果実薬草を、お皿にもどした。

「こほん。……おかね、とはなんだとおもいますか?」
 スライムさんは言った。
「お金は、えっと……、ものと交換するためのもの?」
「そうです!」
「当たった」
「では、これをごらんください」

 下に降りたスライムさんが、カウンターの上にもどってきて硬貨をならべた。

 銀色の硬貨の表面には、笑っているスライムさんの図柄が描かれていた。

「これは?」
「すらいむこいんです!」
「スライムコイン」
「ちゅうもんして、つくってもらいました」
「へー、スライムさんと似てる」
「おかねとしてつかえますよ!」
「ええ?」

 私はスライムコインを手にとってみた。
 大きめの硬貨で、100ゴールド硬貨くらいある。

「もちろん、ぼくのおみせでだけでつかえる、おかねですよ!」
「なんだ、そうだよね」
「これをあげます。10ごーるどです!」
「いいの? どうも」
 私が言うと、コインがピカッと光った。

「ん?」
「えいむさんは、いつもはおかねをもらってくれないのに、これはもらってくれるんですね」
「割引券みたいなものでしょ?」
 いくらの価値があるかわからないけど、私はいちおうこのお店の常連でもあるし、そういう券がもらえたとしても不思議じゃない。
 薬草が一回タダ、みたいなことだ。

 それに、あんまりお金という気がしない。
 たぶん、記念にとっておくだろう。

「このおかねがすごいところを、おしえてあげましょう」
「すごいところ?」
「うらをみてください」
 私はコインを裏返した。
 
「ん?」
 コインの裏には、小さな字で……。

「これ、私の名前?」
 私のフルネームが書いてあった。
「そうです」
「どうして?」
「このこいんは、もちぬしのなまえが、かきこまれるしくみになっているんです!」
「ええ!」

 私はもう一度しっかりと見た。
 たしかに私の名前だ。
 そういえば、さっきもらったとき、光った気がする。

「つよくおすと、なまえが、うかびあがります」
「え? ……わっ」
 私の名前が空中にぼんやり浮かび上がった。

「もちぬしの、なまえのかくにんができますので、こうすれば、ぬすまれたとしても、だれのおかねかはっきりしてますから、ほかのひとがつかうことはできないのです!」
「すごい」
「ふっふっふ」
「裏面が名前でいっぱいになっちゃったらどうするの?」
「ふるいなまえはちいさくなって、あたらしいなまえがおおきくなります。とても、くふうしたまほうが、つかわれています」
「へえ」
 読めなくなったら、強く押せばいいわけだ。

「さらに、この、なまえをかくにんしないと、おかねがはらえないはこ、をつかうと、さらにあんぜんになるのです!」
 スライムさんは、カウンターの上に置いてあった箱を、ぽんぽん、とやった。

「だれのおかねなのか、しっかりわかるようになると、どうなるとおもいますか?」

 私は考えてみた。
 他人の名前が書いてあるお金なら、使おうと思っても難しいだろう。
 ということは。
「……どろぼうのしんぱいが、ない?」
「そのとおりです!」
 スライムさんは言った。

「すごいね」
「ゆくゆくは、せかいじゅうに、ひろめたいところです!」
「すごい!」
「えいむさんのおかねも、このおかねにかえませんか!」
「ちょっと興味ある」
「やりました!」
 スライムさんがぴょんぴょん、とびはねた。

「ぼくも、えいむさんにみとめられるなんて、いきつくところまで、きました……!」
「私は何者なの?」

 それはともかく、今回のスライムさんはちょっとすごいのではないだろうか。
 これをみんなが使うようになったら、本当に泥棒がなくなるかもしれない。
 それに、なにか他にもいいことがあるようにも思う。
 信用してもらえるというか……。

「これ、王様とか、そういう人に提案したほうがいいんじゃない?」
「ぼくもそうおもったのですが、ことわられました」
「どうして?」
「わかりません。おそらく、きとくけんえき、がからんでいるのでしょう」
「キトクケンエキ?」
「そうです。ふるくからあって、おかねがからむものには、それがかんけいしています。きとくけんえき。いってみてください」
「キトクケンエキ」
「そうです。きとくけんえき」
「キトクケンエキ」
「そうです。これでえいむさんも、きとくけんえき、をりかいしました」
「ふうん」
 ちょっとわからない。

「とにかく、だめだったんだね……。残念」
「はい」
「このお店の分は、つくるんでしょ?」
「はい! でも、どうぐやさんとか、これをどうにゅうしないかと、ていあんしたひとには、ことわられてしまいました」
「どうしてかな……」
 お店には、便利だと思うんだけど。

「10ごーるどこいんをつくるのに、1まんごーるどかかるっていったら」
「それだ!」
「え?」
「じゃあ、この、お金を安全に払うための箱は、いくらなの?」
「100まんごーるどかかります」
「それだ!!」
「ええ!?」
 スライムさんは、体を斜めにして悩んでいた。

「だって、お金を使うために、お金を全部使っちゃったら、お金がなくなっちゃうでしょ?」
「ほう……。いいこといいますね、えいむさん」
「そう?」

「お金がかからない方法って、ない?」
「ありませんね。このよのなかのものは、すべてに、おかねがかかるようにできているのです」
「そっか……」
 残念だ。

「でももったいないね。お金をつくるのに、お金がかからなければいいんだけどね。実際の形じゃなくて、仮に、あることにするとか」
「かりに、ですか?」
「うん。お金ごっこかな」
「そんなことができたらすごいですね」
 たしかに、そんな約束事でお金が払えるなら、犯罪なんてない世界かもしれない。
 それとも、そんな約束事を達成するための方法があるだろうか。
 魔法では難しいだろうし……。

「うーん」
「うーん」
 よくわからない。

 考えるのにつかれたらあまいものが欲しくなったので、果実薬草をおいしく食べた。
「おいしいですね!」
「そうだね!」
「ふっふっふー、ふっふっふー」
 よろず屋の外まで、スライムさんの歌うような声が聞こえてきていた。


 そっと中をのぞいてみると、スライムさんがいた。
 いやスライムさんのようなものがあった。
 カウンターの前に、銀色に光る、金属の像のようなものが置いてある。
 大きさ、おおよその形は、スライムさんに似ていた。
 声はそれから聞こえてくるようだった。

「ふっふっふー、ふっふっふー」
 やはり声はそこから聞こえてくる。
 こもった声だった。

「……こんにちは」
 おそるおそる言うと、声が止まった。
「えいむさんですか?」
 スライムさんの声だ。

「スライムさんなの?」
「そうですよ! ちょっとこっちにきてください!」
 私は銀色のそれに近づく。

 まわりこんでみると、それにはスライムさんの顔があった。
 表面の凹凸で、目と口が表現されている。
 目の部分は透明なものでできているようで、中のスライムさんと目が合った。
「スライムさんが入ってるんだよね?」
「そうです!」
 表面の口は動かず、中からの声だ。

「なにしてるの?」
「みずぎです!」
「水着?」
「これでみずのなかに、はいれます!」
「私にはその話、難しいかもしれない」

 こほん、とスライムさんが仕切り直す。
「みずにはいるとき、みずぎを、きますね?」
「うん」
「しかし、ぼくはみずぎをきても、みずをすって、おおきくなってしまいます」
「そうだね」
「かわに、はいってあそぼうとしても、たいへんです」
「ものすごく大きくなっちゃうもんね」
 私は、川が全部スライムさんになってしまうのを想像した。
 それはそれでおもしろいかもしれない。

「そこで、ぼくはかんがえました! あんぜんに、みずにはいるほうほうを!」
「これ、金属?」
 さわってみるとひんやりしていた。
「そうです!」
「えっと……」

「さいきん、あついですよね? あついときには、みずのなかにはいりますよね? そういうことです!」
「なるほど」
 言いたいことはわかるけれども。
「では、かわにつれていってもらえますか?」
「え?」
「これではうごけませんので。そこに、だいしゃがあります」
「え、でも、川に行くの?」
「そうですよ。はやくいきましょう! おねがいします!」
「連れていくのはいいけど、これで水に入ってもだめなんじゃないかな……」
「みずは、かんぜんに、しゃだんできます!」
「そうじゃなくて、金属だから重くて沈んじゃうんじゃない?」
「ふっふっふ。あまいですね。はこんでいただければ、わかりますよ……」
 スライムさんが不敵な笑みを浮かべている、気がする。



 日差しが強い中、私はスライムさんを押して近くの川まで移動した。
 近くの川は、水の深さが私のひざくらいまでしかなくて、流れもおだやかなところだ。
 私は、はだしになって、ひざまで服をめくりあげて川に入る。
 川の水はひんやりしていて、体の芯にある熱のかたまりのようなものがゆっくり冷めていく気がした。

「いくよ?」
「はい!」
「本当にいくよ?」
「どうぞ!」
 私は、川原に置いてあったスライムさんを、川の中に入れた。

「あれ」
 沈むと思ったスライムさんは、水面にプカプカと浮かんだ。

「金属だから沈むと思ったのに」
「えいむさん。きんぞくだからしずむ、とかんがえてしまうのは、いっぱんじんですよ」
「私、一般人だから」
「ふっふっふー」
 見えていないけれども、得意げになっているスライムさんの顔が目に浮かぶ。

 そしてゆっくり、流されていく。
 私は川の中を歩いてついていく。
 足の裏が石をふむので、ちょっと痛い。
「流されてるよ」
「そうですね。えいむさん、ながれていかないよう、たすけてください」
「私が?」
 そう言ったとき、足下がつるっとすべった。
 水の中で思い切り尻もちをついてしまった。

 ケガはないみたいだけれども、全身ずぶぬれ。
 立ち上がると服が体にはりついてきて、ちょっと嫌だった。
「えいむさん? だいじょうぶですかー?」
 そう言いながら、プカプカと楽しげに流れていくスライムさんに、なんだかちょっと、むっとしてしまう。

「だいじょうぶ」
 私はぷかぷか浮かぶスライムさんをつかまえた。
「ぬれてしまいましたかね?」
「いいよもう。帰ろう」
「じゃあ、ちょうどよかったです」
「なにが?」

 私はまたむっとしてしまった。
 人がずぶぬれになるのがそんなに楽しいのだろうか。
 いけない。
 なんだかすぐに、むっとしてしまう。
 暑さのせいだろうか。
 私のせいだろうか。

「ぼくを、こう、かかえてみてください」
「ん?」
「みずのなかで、かかえてみてください」
「はいはい」
 もうなんでもいいから早く終わらせよう、という気持ちになっていた。

「わ」
 やってみると、私は水に浮かんだ。
 抱えているスライムさんの浮力が強く、私がつかまっているのに沈まない。
 浅いので気をつけなければならないけど、体が水面と平行になるようにすると、スライムさんと一緒にプカプカ浮かぶ。
 川の流れによって、ゆっくり流れていく。

「せいこうです!」
「どういうこと?」
「ぼくが、えいむさんとみずのなかであそぶためには、どうしたらいいかと、かんがえました。そしておもいついたのが、これです」

「これなら、ぼくがみずのなかでうごけなくても、えいむさんといっしょに、みずのなかでうかべます。えいむさん、あしをばたばた、してみてください」
 私は言われたように足をばたつかせる。
 すいーっ、と浮かんだ体が進む。

「どうですか! しずまないで、あんぜんにおよげますよ!」
「うん……」
「あれ、いまいちですか……? がっかりですか……?」
 スライムさんの声が小さくなる。

「ううん、そんなことないよ」
「そうですか?」
「なんか、ごめんね」
「え?」
「ごめん」
 スライムさんは私のことを考えていてくれたのに、私は私のことしか考えていなかった。

「なにかありましたか?」
「なにもないんだけど、いちおう」
「へんなえいむさんですね」
 そう言われて、私は思わず笑ってしまった。


 それから、スライムさんにつかまって、思い切り泳いだ。
「それそれー!」
「は、はやすぎますよ! ふりょうですよ!」
「私は不良だぞー!」
「えいむさーん!」
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
 お店に入ると、スライムさんがカウンターの上、ではなく横からひょっこり現れた。

「ふふ、えいむさん。うえだとおもったでしょう。よこですよ!」
「すこしびっくりした」
「それではまた」
 スライムさんはカウンターの向こうに去っていこうとする。
「ちょっと待ってよ。今日は買い物したいんだけど」
「おっと、すっかりわすれていました。やくそうたべほうだい、のもうしこみですか?」
「ちがうよ、ふつうの買い物」
 薬草食べ放題?

「えっとね。薬草を十個、毒消し草を五個ください」
「おや? きょうは、ずいぶんたくさん、かってくれますね」
「うん。いつもお世話になってるから、スライムさんのよろず屋で買ってきてもらおうかなって、お母さんが」
「そうですか。でも、そのせいで、えいむさんのせいかつが、くるしいものになってしまうのでは……」
「薬草で破産はしないから」

「ところでえいむさん。きょうは、ぜっこうのきかいですよ」
「絶好の機会って?」
「ふっふっふ」
 スライムさんは、カウンターの端にあった筒を、するすると私の前まで押してきた。

 筒は、コップくらいの大きさで、上がコップのように空いていなくて、指が通るかどうか、といった大きさの穴があいている。
 その穴に、細い棒が三本入れられていた。
 棒は筒の倍くらいの長さがあって、半分くらい外に出ている。
「これは?」
「どれかひとつだけ、ひいていいですよ! ぼうのさきが、あかくぬってあったら、はんがくです!」
「半額? そんなに安くなるの?」
 すごくお得だ。
 しかも、お客さんを喜ばせるためには無料であげてしまえばいい、という考え方だったスライムさんとしては、安売りというのは、かなり進歩した考え方なのではないだろうか。

「ひきますか?」
「うん。でも、えっと、なんにもしてないのに、引いていいの?」
「はいどうぞ!」
「じゃあ」
 私は、一本棒を抜いてみた。

「あ」
 先が赤くぬられていた。
「おめでとうございます! はんがくです!」
「やった!」
 と私が喜んだとき、うっかり筒を倒してしまった。
 すると倒れた筒から残った棒が二本、抜けて出てきた。

 どちらも先が赤くぬられていた。

「スライムさん。全部、先が赤いよ」
「はい」
「はいって、これじゃ意味がないよ」
「ふっふっふ。そんなことないんですよ」
「どういうこと?」
「こほん」

「このぼうをひくひとは、ぜんぶがあかいとは、しりませんね?」
「そうだね」
「ということは、ひけたひとは、とってもうれしいですね?」
「うん」
「でも、ぜんぶが、あたりということは、しらないのです」
「うん」
「つまり、ひけたひとはみんな、じぶんだけが、うんがいい、とおもうんですよ!」
「おお……」

 たしかに、私は筒を倒してしまったから知っているけど、ふつうに引いたら、たまたま当たりを引いたのだと、いい気持ちになるだろう。
 お店としても、最初から半額で売るつもりならみんなが当たりを引いても問題がない。
 お客さんは気分が良くなって、また来てくれるかもしれない。

「すごいよスライムさん!」
「ふっふっふ」
「全部当たりを入れてお客さんの気分を良くするなんて、思いつかなかった!」
「ふっふっふ!」
「いつ思いついたの?」
「ききたいですか?」
「うん!」
「ふっふっふ」

 スライムさんは、カウンターの上をゆっくり歩き始めた。
「あれはそう、きのうのよるでした。ぼくは、じゅんびをするため、ぼうをあかくぬっていたのです」
「ふむふむ」
「そのときでした! めのまえをみると、なんと……!」
「なんと?」
「さんぼんとも、あかくぬってしまったのです……!」
「ん?」

「ぼくはひっしにかんがえました。どうすれば、やりなおさなくてすむのかを。そしてきづいたのです……。ぜんぶあたりだと、おきゃくさんはうれしいのではないかと……!」
「スライムさん?」
「さっきいったような、かんがえかたをすれば、かんぺきではないかと……!」
「スライムさん」
「なんですか」
「えっと、結果的には良かったと思うけど、そういうときは……」
 と言いながら、私は考え直す。

 せっかくスライムさんが、ちゃんとしたことを思いついて、やっているんだから、それを注意するのはどうなのか。
 結果的に良くて、大きな問題がないのなら、それでいいのではないだろうか。

「えいむさん、どうしましたか?」
「……ううん、なんでもない。これからもがんばろうね!」
「はい!」
「じゃ、今日は、私の代金はいくらかな」
「はい、ええと」
 スライムさんは、自分の前にある薬草十個と毒消し草五個を見て、止まった。

「スライムさん?」
「ええと……」
「もしかして、半額がわからないの?」
「わからないかときかれたら、こうこたえましょう。わからないと!」
 スライムさんは堂々と言った。

「もしかして、他の品物の値段が半分になったらいくらかも、わからない?」
「……きいてください。えいむさん」
 スライムさんは真剣な顔をした。

「うちでは、やくそうはいくらですか?」
「7ゴールド」
「はい。7をはんぶんにしたら、いくつですか?」
「3・5だから、3ゴールドか、4ゴールドじゃない?」
「……7をはんぶんにしたら、3でも、4でもいい。そんなげんじつ、まちがってると、おもいませんか!?」
「……でも、薬草は十個買うから、35ゴールドでちょうどいいんじゃない?」
「それはちがいますよえいむさん!」
 スライムさんはカウンターを降りて、私にせまってきた。

「それは、ちがいますよ!」
 スライムさんはそれだけ言った。
 たぶん、一個3ゴールドで十個買ったときと、4ゴールドで十個買ったときで値段がちがってしまうのが、まずいのだといいたいんだろう。

「そうだよね?」
「そのとおりです! そのとおりです!」
「じゃあ今日は、薬草の半額はいくらか考えようか」
「そうしましょう!」

 でも、考えてみると、どっちでもいいというのはとても難しくて、眠くなった。
 よろず屋に入ってみると、なんだかいつもと様子がちがっていて、私は息をひそめてしまった。

「これは……」
 お店の中は、0、と書かれた小さな紙がたくさんあった。
 カウンターの中の品物がない場所や、壁にそってならんでいる品物がないところなど、物がない場所には、これでもかと紙がある。
 0、0、0。
 ゼロばかりだ。

 そのとき、お店の隅で、紙が雑に積み上げられてできた山が、がさ……、がさ……、とゆれた。
「なに……?」
「えいむさん、ですか……」
 中から声がした。
「スライムさん?」
「はい……」

 紙が持ち上がると、さらさらと山がくずれて、中からスライムさんが現れた。
 でもすぐにスライムさんは紙の山の上に倒れてしまった。

「スライムさん? どうしたの? なにかあったの?」
「ぜろ……。がくっ」
 スライムさんは目を閉じた。
「ゼロ?」
「えいむさん……、もしかしたら、ぼくは、つかれすぎて、しんだかもしれません……」
「スライムさん、たぶんだけど、ちゃんと生きてるから安心して」
「そうですか?」
 スライムさんは、おそるおそる目を開けた。

「ところで、どうしてこんなにゼロが?」
「えいむさん。きのう、7のはんぶんは、3か、4かわからない、そんなじだいはまちがっている! そういうはなしを、ふたりでしましたよね?」
「うん」
 時代の話はしていないけれども。

「そこでぼくはかんがえました。すうじについて」
「数字」
「すうじは、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、がありますね?」
「うん」
「だからぼくは、0、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつにわけてみました。ちょうど、5こづつですし。ここになにか、はんぶんもんだいの、かいけつのてがかりが、あるのではないかとおもいまして」
「なるほど。そうだスライムさん、お母さんにきいたら、四捨五入っていうのがあるんだって」
「いま、しんだひとのはなしはしてません!」
「いや、死者じゃなくて四捨……、えっと、それで?」
「はい」

「ぜろってなんだろう、とおもいました」
「ゼロ?」
「ぜろって、なにもないんですよね?」
「そうだね」
「だったら、ふたつにわけたとき、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつになってしまって、ふこうへいですよね?」
「でも、ゼロがあれば、五つずつになるよ」
「ぜろがあるって、なんですか!」
「え……。うーんと」
 ゼロがある。
 たしかによくわからない。

「ないがある、ということですか! なんなんですか!」
「えっと……」
「でもえいむさん。えいむさんが、ただしいです……。ぼくは、きづきました……。ぜろを、うけいれなければ、ならないと……」
 スライムさんは、あきらめたように、目をふせた。

「スライムさん?」
「すでに、よのなかは、ぜろだらけだったんです……。ぜろが、せかいをつくっているといっても、かごんではないんです……!」
「スライムさん?」
「でも、このおみせには、ぜろがなかった……」
 スライムさんは、ぐるりとまわりを見た。

「ぼくはおもいました。ぜろをつくらなくては! そうしてずっと、しなものがないところには、ぜろ、とかいて、かいて、かきまくりました。ぜろを、おいておかないと、みんなぜろだとわからないでしょう? ここに、なにか、あるのかと、おもいこんでしまいます! だから、いそがしくて、いそがしくて……」
「書かなくてもわかるんじゃない?」
 私が言うと、スライムさんが、きっ、と私を見た。

「むせきにんですよ! じゃあ、10はどうなるんですか!」
「10?」
「10は、ぜろがなかったら、1になってしまいますよ! あるのか、ないのか、ちゃんとかかないとわかりませんよ!」
「うーんと……」

「ぜろはたいせつなんです! ぜろがなかったら、せかいはめちゃくちゃになってしまうんです! せかいは、ぜろでできているんです!」
「せかいは、ぜろ……」
 世界がなくなってしまった。

「こうしてはいられない! ないところにはぜろ! ないところにはぜろ!」
 スライムさんは、ないところには0! と言いながら、小さい紙に、0、0、0、と書き始めた。
 
 たしかに、0は大切なものだと思うけど、でも、なんというか……。

「あの、スライムさん。そんなにがんばらなくても……」
「がんばってるひとに、がんばらなくてもいい、っていうのは、ぼくはきらいです! ぼくは、せかいをすくうんです!」

 どうしよう。
 このままでは、スライムさんが、ゼロスライムさんになってしまう。
 ……ちょっとかっこいい名前かもしれない。
 
「ぼくがやらないと、よのなかのぜろが、わからなくなってしまう……!」
「スライムさん、ひと休みしない?」
「ぼくがぜろを、ぼくがぜろを……!」

 でもやっぱり心配だ。
 どうしたらいいんだろう。
 私は店内を見回した。
 それから……。
 ん?
「そうだ。スライムさん、この薬草っていくつ?」
 私はカウンターの中を示してきいた。

「やくそうですか? そんなの、なかをみればわかります!」
 スライムさんはちらっともこっちを見ずに言った。
「そうだよ、そうなんだよスライムさん! 見ればわかるし、きけばいいんだよ!
「え?」
 スライムさんは、やっとこっちを見た。

「薬草がひとつ、ふたつ、みっつって、いくつあるかわからないときは、確認すればいいでしょ? ゼロのときも同じだよ。ゼロだって、見れば、だいたいわかるでしょ? わからないときはきいて、わかるときは、それでいいんだよ。だからみんな、そんなにゼロばっかりじゃないんだよ!」

 スライムさんが書くのを止めた。
「もっと、おおざっぱでいいんだよ!」
「おおざっぱで、いい……?」
「そうだよ! もうちょっと、いいかげんにやればいいんだよ!」
「いいかげんでいい……」
「うん!」

 スライムさんの目が、いきいきしてきた。
「いくつあるか、てきとうでも、いい……!」
「うん! うん?」
「だいきんも、てきとうで、いい!」
「えっと、スライムさん?」
「そうだ。ぼくは、もっといいかげんだった! ぼくは、いいかげんに、おみせを、やります! わーい!」

 スライムさんはぴょんぴょんお店の中を走りまわっていた。
 私は、今日だけは、と注意したい気持ちをぐっとこらえた。



「スライムさん、いいかげんはだめだよ!」
 こらえられなかった。
 よろず屋に向かって歩いていると、お店の前の道を進んでいるスライムさんが見えた。
 ただ進んでいるのではなく、バケツを押しながら進んでいるようだ。
 でもバケツを押すのに苦戦していて、本当にゆっくりとしか進めていない。

「スライムさん?」
 私はかけ寄って、声をかけた。
「えいむさん。どうかしましたか?」
「えっと、スライムさんがどうかしたかな、と思って」
「いまから、みずを、くみにいくところです!」
「水?」

 でも、お店の裏に水をくめる場所があるはず。
「それじゃだめなの?」
「そこのみずは、きのう、ちょっと、あれしてしまったので」
「あれ?」
「いま、あそこのみずにさわると、あれになってしまうので、だめなんです!」
「あれって?」
「それはちょっと、ぼくにはむずかしいのでやめましょう!」
「はあ」
「ですので、かわまでいってきます! びしっ!」

 スライムさんは、びしっ、とポーズを決めた。

「ふうん。じゃあ、私が行ってこようか?」
「えいむさんが?」
「だってスライムさんは大変でしょ? バケツも持ちにくいだろうし」
「えいむさんだってたいへんですよ! かわで、みずをくむ……。さいあく、いのちをおとしますよ!」

 たしかに、最悪の場合は命を落とすこともあるだろうけど、道を歩いていても、最悪、命を落とすこともある、というような話だと思う。

「スライムさんが川に落ちたらと思うと、そっちのほうが危ないと思う。私が行くよ」
「えいむさん……! わかりました、お願いします! おれいに、ぜんざいさんの、はんぶんをあげますから!」
「いらないから!」

 私はスライムさんにバケツを受け取ると、手を振って別れた。


 この前スライムさんと遊んだ川でいいだろう。
 そう思って向かって見たけれど……。
「うーん」
 昨日ちょっと多めに雨が降ったせいなのか、どこか、川の水が茶色っぽく、にごっているように見えた。
 
 水の使いみちをきいてこなかったけれども、きれいな方がいいだろう。
 私は、ちょっと上流へ行ってみることにした。


 川をたどって歩いてくと、だんだんまわりに木の数が増えてきた。
 ちょっとした森のように薄暗くなっていく。
 道もだんだん、あるような、ないような、といったうっすらとしたものに変わっていった。
 それでも川はまだ、どこかにごっているように見える。
 どうしようか。

 そのとき、川とは別方向。
 木々の向こうに、光が反射したのが見えた。
 気になって、そちらに行ってみる。

 だんだん、キラキラと光る湖面が見えてきた。


 そこは不思議な場所だった。
 森の中なのにそこだけ太陽の光がすり抜けてきていて、湖を照らしていた。
 湖、といってもそれほど大きくはない。
 池よりは大きいかな、というくらいで、人によっては池と言うかもしれない。

 水は澄んでいて、きれいだった。
 これならいいだろう。

 私はバケツを湖の中に入れる。
 できるだけたくさん持って帰ったほうがいいかな。
 そう思ったのがまちがいだった。

「あ」

 つるり、とバケツの取っ手から手がすべって、バケツが湖に落ちてしまった。
 いっぱいに入っていたせいなのか、バケツはどんどん沈んでいく。
 水の中にのばした私の手よりもずっと早く、バケツは見えなくなってしまった。

 どうしよう。
 スライムさんのバケツ。

 そのときだった。

 湖が光った。
 私がまぶしさに目をおおうと、もう一度目を開けたときには知らない女の人がいた。
 白くて、キラキラした服を着ていて、笑顔がおだやかなきれいな人。
 湖の上にふわふわと浮かんでいた。
 
 女の人の手にはバケツが二つあった。

「あなたが落としたのは、この、金のバケツですか?」
「え? ……、いいえ」
 私は急いで首を振った。
「では、この銀のバケツですか?」
「いいえ」
 私は首を振った。
 すると女の人はにっこり笑った。

「あなたはとても正直な人ですね。では、この金と銀のバケツをさしあげましょう」
 女性は湖の上をすべるように近づいてきて、私に二つのバケツをさしだした。

「いりません」
 私は首を振った。
「え?」
 女の人は、おどろいたように私を見た。
「それ、私のじゃないので」
 私が言うと、女の人は、またおだやかに笑った。

「そうじゃないのよ。これは、正直な人にあげるのよ」
「でも私のものじゃないので」
「あのね、これは、目先の欲にも正直でいられる人への、ごほうびみたいなものなのよ」
「これよりも、私が落としたバケツの方がいいんです。借り物だし、ちゃんと持って帰らないと」
「それなら」

 そう言って女性は湖の中に消えると、あらためてまた出てきた。
 服が少しもぬれていなくて、不思議だった。

「これでいいかしら?」
 女性は、両手と、右肘にかけたバケツの三つを私にさしだした。

「あ、そうじゃなくて、私が落としたバケツだけでいいです」
「でもね」
「知らない人に、そんなに高価な物、もらえません。それに、こうして拾ってもらったなら、私の方こそお礼を言わないと」
「そう……」
 女性はおだやかに笑った。

 それから女性は、勝手に、金と銀とスライムさんのバケツを湖岸に置くと、湖の中に沈んでいった。
「元気でね」
「え、え、え?」

 女性は湖の中に行ってしまった。

 でも、こんなに高価そうなもの、もらうわけにはいかない。

 どうしよう。

 しばらく考えてから、私は金と銀のバケツを持った。
 それから、どちらにも水をたっぷりと入れてから、湖の水の中で手を離した。
 さっきと同じように、みるみる沈んでいく。

「こらこらー、ごほうびなのよー」
 そう言いながらさっきの女性が浮かび上がってきたけれども、私はスライムさんのバケツを持って、走って帰った。



 よろず屋にたどりついたときには、すっかり汗をかいてしまっていた。
「おかえりなさいえいむさん!」
「ただいま……」
「おそかったですね。おや? おつかれですか?」
「ちょっとね……」
「ありがとうございました! おや? おみずは?」
「あ」
 私は、からっぽのバケツを見た。

「忘れた」
「わすれたんですか?」
「あ、川の水がよごれてたから、くめなかった。昨日雨が降ってたから」
「そうだったんですか」
「それと、変な人がいて。なんか、正直者には金のバケツをあげるって、急にくれて」
「それはあやしいひとですね!」
「だから逃げてきたの」
「せいかいですよ! きっと、さぎですよ!」
「サギ?」
「ばけつばけつさぎです!」
「ふーん……」
「じゃあ、みずはあしたにしましょう! きょうは、べつのあそびをしますね!」
「なにするの?」
「ふっふっふ」
 スライムさんは意味深に笑っていた。
 よろず屋に歩いていくと、スライムさんがお店の前にいた。
 めずらしい。
 キョロキョロとまわりを見ていた。

「こんにちは。どうしたの?」
「なんだか、いそがしそうなひとが、はしっていったので」
「あ、お母さんが言ってたんだけど、もうすぐ町長選挙があるんだって。だからかな」
「せんきょですか?」
「ていっても、立候補する人が他にいないから、いままでと同じ町長さんになるみたいだけど」
「そうなんですか?」
「うん。もうずっと同じ人みたいだよ」
「……それはいけませんね」
 スライムさんは、ぼそり、と言った。

「どうして?」
「おなじちょうちょう……。ふはいです……。せいじの、ふはいです……」
「ふはい?」
 不敗、ということだろうか。
 負けない人、という意味なら、たしかに不敗かもしれないけど。

「けんりょくしゃが、ずっとおなじなのは、ふはいをまねきますよ……」
「不敗はいけないの?」
「いけません! ……きっと、うらでは、わるいことをしています……」
「そんなことないと思うけどなあ。町長さん、いい人そうだったよ」
 ちょっと太っているけれども、いつも笑顔で、私にもちゃんとあいさつをしてくれる。

「うらでわるいひとというのは、おもてでは、いいかおをするものですよ……」
「でも、いい人も表ではいい顔するんでしょ?」
「つまり、おとなは、いいかおをするんです……。そういういきものです……」
「えっと」
 嫌なことでもあったんだろうか。

「スライムさん、町長さんに頼んでこの町に来たんでしょ? そのとき、どんな人だった?」
「いいひとでしたよ! ぼくのことを、さべつ、しませんでしたし!」
「だったら」
「それは、おもてのかおです……。せいじかは、いつでも、うらのかおを、もっているんですよ……」
「でも、そんなこと言ってたら、どんな町長さんでも悪い人になっちゃうよ?」
「そうですね……。それこそ、ぼくがやるしか……」
 スライムさんは、はっとした。

「そうか! ぼくが、りっこうほするしか、ありませんね!」
「ええ!?」
「ぼくが、ちょうちょうになれば、まちのふはいは、とまります!」
 町の不敗?
 ふはいって、不敗じゃないのかな。

「スライムさんが町長になるの?」
「そうです」
「でも、町長さんになるのって、いろいろ大変みたいだよ」
「なにがですか?」
「えっと、たとえば、投票してもらうためにいろいろ説明をしないといけなかったり」
「とうひょう?」
 それは知らないのか。

「そう。みんなに、町長になったらこういうことをする、って説明をして、それならこの人にお願いしようって思ってもらうの。具体的には、一日みんな集まって、町長さんになってほしい人の名前を書いてもらって、一番、数が多い人が町長さんになるのかな。たくさんの人に、町長さんになってほしい、って思ってもらうようにがんばらないと」
「へえー! えいむさん、ものしりですね!」
「そうかな。えへへ」

 スライムさんは、遠くを見た。
「ということは、ぼくを、ちょうちょうさんにしてくれそうなひとに、おかねをくばれば、ぼくに、とうひょうしてもらえますね!」
「ちょっと!」
「なんですか?」
 スライムさんはきょとんとしていた。

「悪いことをしたらいけないって言ったの、スライムさんでしょ!」
「わるいことですか?」
「そうだよ! お金をくばって町長さんになれるなら、お金持ちしか町長さんになれなくなっちゃうでしょ!」
「おかねもちは、わるいことですか?」
「お金持ちが悪いんじゃなくて、お金持ちの悪い人が町長さんになりやすくなっちゃうでしょ!」
「でも、いいおかねもちが、ちょうちょうさんになれるなら、それでいいんですよね?」
「そうだけど……」
「だから、ぼくが、いいちょうちょうさんに、なります!」
 スライムさんはカウンターにのぼった。

「ぼくは、ちょうちょうさんに、なります!」
 もう一回言った。

 スライムさんがなれるのかな、と思ったけど、町に住んでいるということは、町長さんになる権利もあるような気がする。
 うーん?
 でも、スライムさんは、悪い人でもないし、スライムさんに教えてくれる人もいるだろうし、スライムさんも熱意を持ってるみたいだし、もしかして、そんなに悪い町長さんにはならない……?

「スライムさん、本気……?」
「ほんきです!」
「そっか……。じゃあ、私もおうえんしようかな」
 お金をくばらないように、見張っていないと。

「ありがとうございます! すらいむ、すらいむをよろしくおねがいします!」
「なにそれ」
「がんばります!」
「それにスライムさんが町長さんになったら、もしかしたら、よろず屋もきちんとしたお店になるかもしれないしね」
「どうしてですか?」
「ほら、町長さんって、毎日、朝から規則正しく仕事するでしょ?」
 多分。

「だから、よろず屋も、すこし規則正しくできるようになるかもしれないよね」
「えいむさん……。ちょっといいですか?」
「なに?」
「ちょうちょうさんって、しごとを、するんですか……?」
 スライムさんが信じられないことを言った。

「そうだよ。町のために、いろいろなことを」
「きそくただしく、ですか?」
「うん」
「おもてのしごとを、いそがしくやってから、うらのしごとも、いそがしくするんですか……?」
 裏の仕事をしたら悪い町長さんになっちゃうのでは?

「そうですか……」
 スライムさんは、ゆっくりカウンターをおりた。
「スライムさん?」

 スライムさんは、急に大きく目を開いた。
「……あ! あー、ちょっと、これから、いそがしくなるんだったなー! これから、ちょっといそがしくなるんだったなー! ちょうちょうさんを、やっているじかんは、ないんだったー! あーいそがしいいそがしい!」

 スライムさんは、お店の中を行ったり来たりし始めた。
「こんにちは」
 お店に入ると、奥からバケツが転がってきた。
 えっ、と思いながら、ちょっとさがって私は見ていた。
 バケツは、上と下で円の大きさがちがうので、まっすぐに転がらず、くるるる、とゆっくり向きが変わる。
 上がこっちを向いた。

 スライムさんが、中にすっぽり、はまっていた。
「こんにちは!」
「スライムさん! どうしたの」
「ちょっと、れんしゅうです」
 すぽんっ、とスライムさんがバケツから出てきた。

「ほんじつは、おあしもとがわるいなか、わざわざおこしくださいまして」
「雨、降ってないよ」
「おしかったですね」
「いまにも降りそうだけど」
「ふるなら、ふってほしいですよね」
「お母さんは降ってほしくないみたい」
「あめは、おきらいですか?」
「ほら、ずっと雨ばっかりで、洗たくものが、すっきりしないから」
 ここ数日、母が、家の中にかけた物干しざおを見て、よくため息をついている。

「家の中で干すと、洗たくものが、ちょっと変なにおいになったりするでしょ?」
「はあ……」
 スライムさんは、あまりぴんときていないようだった。
「……そうか、スライムさん、服、着ないもんね」
 つい、誰でも実感を持ってくれることだと思っていたけれども、スライムさんはそういう生活をしていないんだ。

「服を着ないならわからないか」
「む! あなどらないでください! ぼくだって、ふくくらい、きますよ!」
「着るの?」
「このまえ、みずぎを、きたじゃないですか!」
「ああ」
 よろいのような、金属の。

「もっとこういう、布のやつの話だよ」
 私は自分の服をつまんでみせた。
「よわそうなので、ぼくのしゅみではないですね!」
「弱そうかな」
 私は自分の服を見た。
 いや弱そうってなに?

「えいむさんも、ふくが、へんなにおいだったら、いやですか?」
「それはそうだよ」
「だったら、どうして、ふくをきてるんですか?」
「え?」
「きなかったら、せんたくで、こまることはなくなりますよ!」
 そんなこと言われるなんて思わなかった。
 言われてみると、そうだけど、でも。

「えっと、でも、服を着ないと……」
「だめですか?」
「寒いときとか……」
「きょうはさむいですか?」
「そんなことはないけど」
 この数日は、寒い日、暑い日が混ざり合ってやってきていた。
 今日は、じめじめとして、どちらかといえば暑い。

「それなら、きなくてもへいきですね!」
「えっと、あと、恥ずかしいかな……」
「はずかしい?」
「服を着ないと全部見えちゃうし……」
「ふくをきないのは、はずかしいことなんですか?」
 スライムさんは、ささっ、とバケツの後ろに隠れた。

「あ、スライムさんはいいんだよ。見えてても」
「む! えいむさん! すらいむを、さべつしましたね! すらいむなんて、ふくをきることもできない、つまらないまものだと、おもいましたね!」
「そんなこと言ってないでしょ。差別っていうか、スライムさん、恥ずかしくないんでしょ?」
「はい」
「無理に恥ずかしがらなくていいんだよ」
「そうなんですか? まったくもう、えいむさんがいろいろいうから、いそがしいですねえ」
 スライムさんは出てきた。
 スライムさんは、はだかというか、体も透けているので、またちょっとちがうと思う。

「なんかごめんね」
「ゆるしましょう!」
「私たちは、もう、服を着てるのがあたりまえになってるから、寒くなくても服を着るの」
「なるほど……」
 スライムさんが動きを止めて、じっとしていた。

「どうかした?」
「……つまり、はずかしくなければ、えいむさんも、ふくをきなくてもいいのですか……?」
「まあ、そうかな?」
「なるほど……。なるほど……」
 スライムさんは、ぴょこぴょこと、カウンターの後ろへ消えた。

「スライムさん?」
 ごそごそという音だけが聞こえている。

 それから、スライムさんが小箱を頭にのせてもどってきた。
「これをつかってください!」
「なにこれ」
 私の手のひらにのるくらいの、木の箱だった。
 中には、石かなにか入っているような、ちょっと重みを感じる。

「あけたら、びっくりしますよ!」
「開けていいの?」
「どうぞ!」
 箱を開けてみる。

「わっ!」
 とたんに、まぶしい光がよろず屋いっぱいに広がった。
 見ていられずに目を閉じるけれども、まだまぶしい。

「まぶしい! どうなってるのこれ!」
「これは、ものすごくまぶしい、いしです!」
「まぶしいよ!」
「これで、からだがみえなくなります! ふくをきなくても、はずかしくないですよ!」
「そんなことよりまぶしいよ! なんとかして!」
 うっかり箱から手を離して、背中を向けてしまったので箱がどこにあるかわからない。
 それでもまぶしい。
 
「ぼくもまぶしくて、まわりがみえません!」
「ちょっとスライムさん!」
「いしは、いしはどこですか!」
「たしかこのへんに……」
 私が手をのばすと、なにかがぶつかった。
 倒れるような音と、ころころ、と床の上を球体が転がっていくような音がした。

「どっかいっちゃったよスライムさん!」
「えいむさん、しっかりしてください!」
「ごめん!」
「あ!」
 スライムさんの声のあとに、もっと勢いよく転がっていく音が聞こえた。

「うっかりぶつかってしまいました!」
「スライムさん!」
「たいへんもうしわけないきもちで、いっぱいです」
「あーもう、どこ!」
「わっ、えいむさん、ぼくをふまないでください!」
「ごめん!」
「わあっ!」
「きゃっ!」

 よろず屋のあちこちをバタバタとやっていたら、やっと見つけたころには、私の服が洗たくものになってしまった。