よろず屋の前にスライムさんがいた。
自分の体と同じくらいの大きさの木箱を、頭の上に乗せてお店の中に進んでいくところだ。
重いのか、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
「スライムさん?」
「ああ、えいむさん」
スライムさんが振り返って、箱が落ちてしまった。
「あわわわ」
「あ、ごめん」
私はかけ寄って箱を拾って、そのままお店のカウンターまで運んだ。
中身は入っているのだろうか、と思うほど、木箱の重さしか感じられなかった。
「えいむさんは、ちからもちですね! どこできたえたんですか?」
「どこでも鍛えてないよ。スライムさんより体が大きいだけだよ。これなに?」
「おみせのまえまで、はこんでもらった、とくべつなしょうひんです」
「ふうん。そうだ、今日は薬草くださいな。お母さんが料理中に指を切っちゃって」
私はカウンターに硬貨を置いた。
スライムさんが目を大きく開いた。
「ゆびを? いたそうですね……」
「うん」
「そうすると、まんいちのことをかんがえて、てんしのなみだ、のほうがいいかもしれませんね……」
スライムさんは考え込むようにした。
「天使の涙って?」
「かつて、いのちをおとしたゆうしゃを、いきかえらせるためにつかったという……」
「そんなのいいから、薬草でいいから!」
「そうですか? でも、ねんのためはだいじですよ?」
そう言いながらも、スライムさんは薬草を出してくれた。
「おだいじに」
「ありがとう」
「そうだ、これもどうですか?」
スライムさんは言って、さっきの木箱を開けた。
箱の中は、ふかふかしたものが敷き詰めてあって、中央には人形のようなものがあった。
といっても、頭のような丸い部分から、体のような棒がのびて、足のような二本の棒が生えているという、とてもかんたんなつくりのものだった。顔もない。
「これは?」
「おまもりです」
「お守り?」
「もってみてください」
スライムさんが言うので、私はその、人形のようなものを取り出した。
私の手にのせると、すこしはみ出るくらい大きさだった。
「それをもっていると、おまもりが、まもってくれます」
「はあ」
どこかの国で定着している風習だろうか。
「そのかおは、しんじてませんね? よろしい、かしたまえ」
スライムさんはちょっと偉そうに言う。
私がスライムさんに返すと、手のないスライムさんは体の後ろ側に、めり込ませるようにしてお守りを持つと、そのままカウンターから落ちた。
「あっ!」
どしん!
と顔からまっすぐ床に落ちたスライムさんだったが、平気そうに私に向き直った。
「どうですか!」
「どう、って、だいじょうぶ?」
「おまもりをみてください!」
見ると、スライムさんが持っていたお守りの頭が取れていて、ヒビが入っていた。
「ぼくのかおにかかったしょうげきが、おまもりに、うつったのです! なにかこまったことがあると、それをぜんぶ、ひきうけてくれるのです!」
「なるほど……」
たしかに、スライムさんが落ちたとき、お守りはスライムさんの後ろ側にあった。
お守りというよりは、身代わり、という気もするけど。
「ですから、このおまもりを、ぜひ!」
とすると、本当に、これはすごいお守りなのでは……。
「これはこわれてしまったので、またこんどになりますが、ぜひ!」
「でも、いいよ。高いんでしょう」
「おたかくないですよ! ただ、つくるひとがきまぐれなので、なかなかつくってくれないだけで。いっこ、30ごーるどです!」
「あ、そうなんだ」
いつになく、お手ごろだ。
「こんどまたつくってもらったら、ぜひ!」
「そっか。じゃあ、買ってみようかな」
「ぜひ!」
「うん。いつごろ?」
「うーんと、らいしゅうか、らいねんか、それくらいです!」
「え……。そんなにわからないの?」
「もしかしたら、さらいねんに」
それを買って、母にあげて、父にもあげて、とやっていたら、私の番になるのはいつになるのかな。
外に出るだけで汗がふきでるような日だった。
よろず屋に到着するまでに、私のハンカチはもう、絞れるくらいの汗をふくんでいるくらい。
「こんにちは! 暑いね! ……スライムさん?」
スライムさんの返事はなかった。
もう一度呼びかけてからしばらく待っていても、やっぱりなんの返事もない。
今日はいないのかな。
思ってお店の裏に行こうとしたら、奥から小さな音が聞こえた。
「スライムさん?」
その音のする方へと歩いていく。
カウンターの横から、中に入って、ごみごみと物が置いてあるところへ……。
「おっと」
なにかふんだ。
「ぎゅっ!」
変な声。
しゃがんで、なにか、があったあたりをよく見てみると。
「スライムさん?」
私の親指の爪くらいの大きさしかないスライムさんがいた。
「どうしたの!」
「こうしていると、あつくないんです」
「はい?」
スライムさんによると、暑くて暑くて、体から水分がどんどん抜けていって、気づくとこの大きさになっていたという。
これは水分を補給しないとと思ったものの、暑くないことにも気づいたらしい。
「さいきょうの、あつさたいさくです!」
「でも、こんなに小さくなって、なんていうか、蒸発しないの?」
「じょうはつ?」
「ほら、水とか、そのままほうっておくと、だんだんなくなっちゃうでしょ?」
「ふふふ……。これをみてください!」
スライムさんは言うと、ぴょん、と小さくはねた。
すると、ぴょんぴょんぴょんぴょん、とあちこちにはねまわる。
力を使わずに、どんどんはねかえっている。
「どうですか! すいぶんがなくなって、ごむのようになっているんですよ!」
ぴょんぴょんぴょんぴょん!
スライムさんは、よろず屋の床と壁と天井を、どんどんはねまわっている。
これは、スライムさんの密度が高くなって、これまでとは別の性質を手に入れたということなのだろうか。
「あつくもないですし、うごきもはやくて、すごいでしょう!」
ぴょんぴょんぴょんぴょん!
「すごいけど、ちょっと、一回止まってくれる?」
「はい!」
ぴょんぴょんぴょんぴょん!
「スライムさん?」
「ちょっと、とまれないかもしれません」
ぴょんぴょんぴょんぴょん!
「あ!」
スライムさんが入り口の方にとんでしまった。
そのまま外へ。
「スライムさん!」
私は追いかけて外に出る。
スライムさんの、わー、わー、という声だけが頼りで、それを追う。
すると静かになった。
「スライムさん?」
よろず屋の裏へと歩いていくと、スライムさんが、バケツの中から出てくるところだった。
たぶん、バケツの中に残っていた水を吸って、元通りになったのだ。
「だいじょうぶ、スライムさん」
かけよると、スライムさんはなんだかがっかりしているみたいだった。
「もとどおりになってしまいました……。あついです……」
「でも、このほうがいいかもしれないよ?」
「……えいむさんは、たにんのふこうをよろこぶんですか?」
「そうじゃなくて、暑くなくなるからって、あんなに小さくなっちゃったら、もしかしたら死んじゃうかもしれないよ」
「しぬ?」
「そうだよ。だって、スライムさんはほとんど水でできてるのに、水が抜けたら大変だよ!」
私は、スライムさんがすっかり乾いてカラカラになってしまったことのことを思い出していた。
「私、スライムさんが危ないのやだ」
「そうですか?」
「うん!」
「だったら……」
「スライムさん、どうですか」
「うーん、すずしいですよー」
「よかったね」
よろず屋にもどった私は、スライムさんをあおいでいた。
「ぼくがすずしくてよかったですねー」
「うん。あとで私のこともあおいでよね」
「あー」
スライムさんは聞こえないふりをしていた。
「こんにちは」
よろず屋に入ると、カウンターの上にいるスライムさんと、スライムさんの横に置いてあるお皿が目に入った。
お皿には、こんもりと白い粉状のものがのっていた。
「ふっふっふ。こんにちは、えいむさん!」
スライムさんは言った。
「ど、どうも」
「どうかしましたか、えいむさん!」
どうかしているのはスライムさんの方だ。
「ごきげんだね?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
スラムさんは言いながら、横にあったお皿をちょっとだけ前に出した。
「そのお皿がどうかしたの?」
「きづきましたか」
スライムさんはにっこり、いや、にやりとした。
「この、こな、ちょっとなめてみてくれますか?」
「え?」
私は一歩さがった。
「どうしましたか?」
「あ、ええっと」
「あぶないものではないですよ」
スライムさんがにやりとしたので、もう一歩さがってしまう。
でも、スライムさんがおかしなものを私に食べさせようとしたことなんてない。
私は、ちょっとつまんで口に入れてみた。
「あまいね」
「でしょう! これは、さとうというものですよ!」
「そうだね」
「え、ごぞんじでしたか……?」
見ると、絶望的な顔でスライムさんが私の方を向いていた。
「え、あ、えっと」
「さとう、しってましたか……?」
「あ、えっとね、その……、私、知ったかぶりしちゃったかもー。砂糖なんて知らないのに、砂糖を知ってるみたいに、言っちゃったかもしれないなー」
私はスライムさんをチラチラ見ながら言った。
……どうだ……?
「……なーんだ! えいむさん、しったかぶっちゃったんですね!」
「う、うん、そうなの」
よかった……。
「もう、えいむさんのしったかぶりや!」
「そうなの、私、たまに知ったかぶり屋になっちゃうんだよね」
知ったかぶり屋ってなんだろう。
「さとう、というのはですね、あまくておいしいんですよ!」
「そうなんだね」
「こほん。ではとくべつに、えいむさんにこのさとうを、わけてあげましょう!」
「そう? でもあんまり貴重なものをもらったら悪いから、また今度でいいよ」
「そうですか? ぼくがひとりじめしていいんですか?」
「うん」
「なんだかわるいですねえ」
「そんなことないって」
「ところでえいむさん。きょうは、どんなごようですか?」
「あ、そうそう、今日はスライムさんにおみやげ」
私は手提げから、小さなバスケットを取り出して、カウンターに置いた。
「スライムさんが食べられるかわからないけど」
「なんですか、これは」
「えっと、ドーナツっていってね。小麦粉をこねて、それを油であげて、砂糖をかけたもの」
「え?」
スライムさんが、信じられないものを見るように私を見た。
あ。
「あ、え、あー、えー、あのね。そうそう、砂糖をかけたら、ぴったりかもしれないなーって、思ったところなの。ちょっと借りるね」
私はお皿の上の砂糖をささっとドーナツにかけるふりをした。
「ごめんね。私、ちょっと途中を飛ばして話しちゃうことがあって、変なこと言っちゃったよね」
どうだ……?
私はスライムさんをじっと見た。
スライムさんは……。
「なーんだ、えいむさんはうっかりさんですね!」
「そうなの、ごめんね!」
やった、なんとかなった!
「わざわざありがとうございます」
「スライムさんには、いつもお世話になってるもん」
「さとうはいつもつかうんですか?」
「うん、やっぱり砂糖がないとね! ……あ」
ワナに……。
かかった……。
……。
「えいむさん」
「はい」
私は床に座った。
正座。
「すなおになりましょう」
「はい。ごめんなさい。私は砂糖を知っていました」
「いいですか? ぼくは、だましたことにもおこっていますが、うそをついたことに、いちばんおこっているのですよ」
「はい。ごめんなさい」
「でも、ぼくのことをおもって、うそをついたことは、ぼくもわかりました」
「……」
「もう、うそはつきませんね?」
「はい」
「よろしい。ではいっしょにたべましょう」
「うん! そうだ、お茶も持ってきたから出すね」
私は手提げからお茶の入ったポットと、コップをカウンターにならべて入れた。
ふんわりとしたいい香りがする。
「じゃあたべましょう!」
「うん。ん?」
スライムさんの近くにあったドーナツの上にあった砂糖がなくなっている。
「あれ? スライムさん、砂糖食べた?」
「はい。いま、なめました」
「行儀が悪いよ」
「でも、うそはついていませんよ!」
スライムさんは胸を張るようにした。
「正直ならいいってものじゃないよ」
「なるほど。よのなかは、むずかしいものですね」
スライムさんは、うんうん、とうなずいた。
よろず屋に入ると、スライムさんが元気に出迎えてくれた。
「どうもえいむさん! さいきん、あついですね!」
「そうだね」
なんだかわからないけれど、去年よりも今年はとても暑い日が続いている。
水分を断とうとしたり、スライムさんが暑さを逃れるためにおかしなことをするのも納得だった。
「スライムさんは元気だね」
「ところで、これをみてください」
スライムさんが後ろを向いてごそごそしていると、ふわりとなにかが出てきた。
スライムさんと同じくらいの大きさで、見た目は、キラキラ光っている煙、といったところだろうか。
ふわふわと、スライムさんの横に浮かんでいる。
「なにこれ」
「きれいですよね」
「そうだね」
「でもこれ、じつは……。ゆうれいなんです!」
「え?」
「すらいむの、ゆうれいなんです!」
「へえ……?」
あらためて見ると、大きさもスライムさんと似ているし、すこしだけ青みがかっているようにも見えた。
「本物の幽霊?」
「はい! で、どうですか、えいむさん!」
「え? うん、よくわからないけど」
「よくわからない? そうじゃないでしょう!」
スライムさんが不満そうに言う。
「ええ? どういうこと?」
「なにも、かんじませんか?」
「どういうこと……?」
「そうですか……」
スライムさんは、なんだかがっかりしているようだった。
「どうしたの?」
「えいむさんを、すずしくしたくて……」
「涼しく?」
「はい……。こわいはなしをすると、すずしくなるって、いいますね?」
「うん」
「それで、ゆうれいをみせれば、すずしくなるかとおもいまして……」
「なるほど……」
ちょっと、頭の中を整理しよう。
「えっと、まずスライムさん。この幽霊はどうやって……」
「ゆうれいがすきな、いいかおりのおはなで、さそいました!」
カウンターの上には黄色い花があった。
「じゃあ本物の幽霊なんだね」
「さいしょから、そういってますよ!」
「うん、そうなんだけど、びっくりして」
「こわいですか?」
スライムさんがうれしそうに言う。
「幽霊って、いきなり見せられても怖くないと思う」
「そうなんですか?」
「うん。怖いっていうより、きれいかな」
血まみれの幽霊だったりしたら、びっくりして、怖くて、大変かもしれないけれども、この幽霊を見ていてもそういう気持ちにはならなかった。
「ぼくも、きれいだとおもいます!」
「怖くないでしょ?」
「はっ!」
スライムさんは、はっ、としていた。
「でも、ゆうれいは、こわいものでは?」
「私たちはきれいだって思ったんだから、ちょっと、怖い幽霊だと思わせないといけないんじゃない?」
「ほほう?」
「たとえば……」
「たとえば、そうだなあ。私が、ひまつぶしに、そのへんにいるスライムを殺してるとするでしょ?」
「えいむさんが、そんなひどいことを……!」
スライムさんは、おそれおののいていた。
「たとえばの話だよ」
「たとえばですね」
スライムさんは、うなずいた。
「それで、今日もよろず屋に来る前に、スライムを、ただのいたずらで殺していたとする」
「ひどいえいむさんですね! ほんとうのえいむさんではないですけど!」
「その私がこのお店に入ったとき、私にしか見えないスライムの幽霊を見るとするでしょ? スライムさんには見えなくて、私だけ見えてるの。そうすると、スライムにうらまれてるのかな、ってちょっと不安になると思うの」
いつでもスライムに嫌なことをしていれば、スライムに反撃をされるかもしれない、という気持ちがすこしは生まれるはずだ。
「それで、おかしいな、と思うんだけど、気のせいだと思って家に帰るの。しばらくして、スライムの幽霊のことなんて忘れちゃって、お母さんの料理を手伝ったりして、というときに、急に手にナイフが落ちてくる」
「え!」
「かすっただけですむんだけど、そのナイフはちゃんと奥にしまってあったはずのもので、おかしいな、と思うの。そのとき、ちょっとだけ、あのスライムの幽霊みたいなものが見えて不安になる。おかしいなと思いながら、でももうなにもないから、夜も遅くなったらベッドに入るでしょ? そうすると、寝てたら急に体が大きく揺れるの」
「どうしたんですか!」
「ベッドの足が一本折れてるの。お父さんとお母さんが、これはどうしたんだろう、って話し合ってるんだけど、そのときまた、スライムの幽霊が見えるの」
「ごくり」
スライムさんはごくりと言った。
「それで、その日はお母さんのベッドで寝て、昨日は変なことがあったね、って話し合うの。でももうすっかりなにもなくなったから、これで安心、と思うんだけど」
「おもうんだけど……?」
「散歩してたら、ちょうど誰もいない道で、動けなくなるの。手も足も動かなくて、声も出ない。陰になっててて、誰も気づかないの。そこで、スライムの幽霊がたくさん見えるの。私の手も足も、その幽霊に押さえつけられてて、口の中にも入ってて、なにもできないの。だんだん息もできなくなってきて、そこで聞こえてくるの」
「なんですか……」
「お前は遊びで殺したな……。お前は遊びで殺したな……。今度はお前の番だ!」
「ひいっ!」
私が急に大きな声を出したら、スライムさんが飛び上がって、天井にぶつかってしまった。
「あ、だいじょうぶ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
スライムさんは、幽霊に何度も謝っていた。
「スライムさん、だいじょうぶだよ! スライムさんはスライムを殺してないんだから」
「はっ。そうか、すらいむをころしていたのは、えいむさんだった!」
「私もやってないからね!」
「ええと、だからね? せっかく幽霊を呼んできたなら、うっかり話じゃなくて、こういう作り話をしたりしてから見せると、怖くなると思うんだけど」
「なるほど……。ぼくはすっかり、ひえひえです……」
スライムさんは、ぶるり、と体を震わせた。
「では、さいしょからやりなおしていいですか……?」
スライムさんは、おそるおそる言う。
「ちょっと無理かと思うけど。もう、全部わかっちゃったから」
「そうですよね……。もう、なにもしらなかったころの、ぼくたちには、もどれないんですよね……」
スライムさんは遠い目をした。
「あれ?」
まわりを見ると、スライムの幽霊がいなくなっていた。
スライムさんと協力して探したけれども見つからなかった。
それから何日か経ったとき、親から近所のうわさ話を聞いた。
悪ガキと呼ばれている近所の男の子が、水辺でおぼれかけたのだという。
その子は泳ぎが得意なので、みんな不思議がっていた。
それと、その子によると、なんだか青くてキラキラしたものに、次はお前の番だ、と言われておぼれさせられたのだという。
話を聞いていると、その子はスライムを遊びで殺していた経験もあるそうだ。
私はなにか思い出しそうになったけれども、気のせいだと思うようにした。
今日も暑い。
町からすこし離れたところで、なにかを燃やすための大きな魔法を使っている、という話も聞こえてきたけれども、どれもよくわからない話だった。
私にわかるのは、今日も暑いということだけだ。
「あれ? こんにちは」
よろず屋の前にはスライムさんがいた。
「こんにちは!」
「どうしたの?」
「きょうは、やきゅう、をやろうとおもいまして」
「やきゅう?」
「そうです。はやっているんですよ!」
「どこで?」
「どこか、はもんだいではありません!」
スライムさんは言った。
「これを使うの?」
スライムさんの前には、木の棒と、ボールがあった。棒は私の腕くらいの長さ、ボールは私の握った手、よりもちょっとだけ大きいかな。
「そうです!」
「どうやるの?」
「それは、ええと、そうです!」
「じゃなくて、どうなるの?」
「ふっふっふ」
スライムさんは不敵に笑った。
どうやらよくわからないらしい。
そして、ボールを木の棒で打つ遊びだ、ということはたしからしい。
「打てばいいの?」
「そうです!」
「じゃあ、やってみるね」
私は、地面に置いてあるボールを、棒の先の方で軽く打ってみた。
ころころ、とボールが転がっていって、止まる。
「これでいいの?」
「そうです! 打てばいいんです!」
私は、転がしたボールを自分で拾ってきた。
「これを打つ」
また打った。
転がる。
自分で拾ってくる。
「……これは、なにがおもしろいの?」
「ぼくにきかれてもこまります。たのしみというのは、ひと、それぞれですから」
「ルールはあるの?」
「ぼくにきかれてもこまります。るーるというのは、ひと、それぞれですから」
それは人それぞれだと困るのではないだろうか。
でも。
私は、ボールを打って転がす。
全然つまらないというわけではない。
なにか、おもしろくなりそうなきっかけがあるような気がするのだけれども……。
「えい。あ」
強めに打ったら、さっきまでよりも遠くへ転がっていったボールが、道のへこみにちょうど収まった。
「お、えいむさん、ぴったりですね」
「ね」
「なんだか、うまいですね!」
「うまいと思う?」
「はい!」
「実は、私も思った」
穴にぴったり入るとおもしろい……。
まてよ。
これが、やきゅう……?
「スライムさん、いくよ!」
「はい!」
私は、地面に置いたボールを打つ。
ぽーん、とちょっと浮いて打ち出されたボールは、よろず屋の裏庭をぽん、ぽん、とはずんでいって、事前に私が掘った穴の横で止まった。
「あー、おしいですねー!」
スライムさんが悔しがった。
私は穴の横まで行って、こん、と軽く打って穴に入れた。
「また三回だったね」
「にかい、でいれたいですね!」
やきゅう、というのはきっと、目標の穴に向かって、できるだけ少ない回数で打つ遊びなのではないか。
三回より二回、二回より一回。
打ったボールをいかに思い通りにするか、それを競う遊びなんじゃないか。
そう思ってみると、遊びとして、なんだか納得できた。
私はまたよろず屋の裏の水場までボールを持っていって、棒を構える。
「さっきは、ここにうつとよかったですよ!」
スライムさんがぴょんぴょんはねて、目標を教えてくれた。
「うん、いくよ! あ」
変な当たり方をしたせいで、ぽーん、とボールが高く上がってしまった。
スライムさんが指示した場所をこえて、薬草の生えているあたりもこえて。
それから、変なはねかえりかたをして、もどってきた。
すると、走って落下地点を見に行ったスライムさんが興奮していた。
「えいむさん! すごいです!」
見に行ってみると、穴にすっぽりとボールが入っていた。
「すごいね」
「えいむさんは、やきゅう、のてんさいです!」
「えへへ」
すっかり、やきゅう、を理解した私たちは、協力して、一回で入れられるよういろいろな工夫をして楽しんだ。
「ところで、暑いね」
「そうですね!」
「日陰でやろう」
「そうですね!」
裏の、ちょっと林になっているところでやってみると、木があるのでかんたんにはできず、また新しい楽しさがあった。
「おかね、とはなんだとおもいますか?」
よろず屋で、スライムさんがくれた、果物薬草、という薬草を食べていたらスライムさんが急に言った。
「えっと……。この薬草、おいしいね」
「そうでしょう! かじつの、ほうじゅんなかおりと、あまさ、すいぶんりょう、! すばらしいです!」
スライムさんの言うとおり、薬草というよりは、薄い果実という感じで、口に入れるとみずみずしい果汁があふれてくる。
「もっと食べてもいい?」
「どうぞどうぞ!」
「うん。おいしい」
「ぼくもたべていいですか?」
「もちろん! だってスライムさんのだもん」
「ですよね!」
「それでなんだっけ」
私が言ったら、スライムさんは口に入れた果実薬草を、お皿にもどした。
「こほん。……おかね、とはなんだとおもいますか?」
スライムさんは言った。
「お金は、えっと……、ものと交換するためのもの?」
「そうです!」
「当たった」
「では、これをごらんください」
下に降りたスライムさんが、カウンターの上にもどってきて硬貨をならべた。
銀色の硬貨の表面には、笑っているスライムさんの図柄が描かれていた。
「これは?」
「すらいむこいんです!」
「スライムコイン」
「ちゅうもんして、つくってもらいました」
「へー、スライムさんと似てる」
「おかねとしてつかえますよ!」
「ええ?」
私はスライムコインを手にとってみた。
大きめの硬貨で、100ゴールド硬貨くらいある。
「もちろん、ぼくのおみせでだけでつかえる、おかねですよ!」
「なんだ、そうだよね」
「これをあげます。10ごーるどです!」
「いいの? どうも」
私が言うと、コインがピカッと光った。
「ん?」
「えいむさんは、いつもはおかねをもらってくれないのに、これはもらってくれるんですね」
「割引券みたいなものでしょ?」
いくらの価値があるかわからないけど、私はいちおうこのお店の常連でもあるし、そういう券がもらえたとしても不思議じゃない。
薬草が一回タダ、みたいなことだ。
それに、あんまりお金という気がしない。
たぶん、記念にとっておくだろう。
「このおかねがすごいところを、おしえてあげましょう」
「すごいところ?」
「うらをみてください」
私はコインを裏返した。
「ん?」
コインの裏には、小さな字で……。
「これ、私の名前?」
私のフルネームが書いてあった。
「そうです」
「どうして?」
「このこいんは、もちぬしのなまえが、かきこまれるしくみになっているんです!」
「ええ!」
私はもう一度しっかりと見た。
たしかに私の名前だ。
そういえば、さっきもらったとき、光った気がする。
「つよくおすと、なまえが、うかびあがります」
「え? ……わっ」
私の名前が空中にぼんやり浮かび上がった。
「もちぬしの、なまえのかくにんができますので、こうすれば、ぬすまれたとしても、だれのおかねかはっきりしてますから、ほかのひとがつかうことはできないのです!」
「すごい」
「ふっふっふ」
「裏面が名前でいっぱいになっちゃったらどうするの?」
「ふるいなまえはちいさくなって、あたらしいなまえがおおきくなります。とても、くふうしたまほうが、つかわれています」
「へえ」
読めなくなったら、強く押せばいいわけだ。
「さらに、この、なまえをかくにんしないと、おかねがはらえないはこ、をつかうと、さらにあんぜんになるのです!」
スライムさんは、カウンターの上に置いてあった箱を、ぽんぽん、とやった。
「だれのおかねなのか、しっかりわかるようになると、どうなるとおもいますか?」
私は考えてみた。
他人の名前が書いてあるお金なら、使おうと思っても難しいだろう。
ということは。
「……どろぼうのしんぱいが、ない?」
「そのとおりです!」
スライムさんは言った。
「すごいね」
「ゆくゆくは、せかいじゅうに、ひろめたいところです!」
「すごい!」
「えいむさんのおかねも、このおかねにかえませんか!」
「ちょっと興味ある」
「やりました!」
スライムさんがぴょんぴょん、とびはねた。
「ぼくも、えいむさんにみとめられるなんて、いきつくところまで、きました……!」
「私は何者なの?」
それはともかく、今回のスライムさんはちょっとすごいのではないだろうか。
これをみんなが使うようになったら、本当に泥棒がなくなるかもしれない。
それに、なにか他にもいいことがあるようにも思う。
信用してもらえるというか……。
「これ、王様とか、そういう人に提案したほうがいいんじゃない?」
「ぼくもそうおもったのですが、ことわられました」
「どうして?」
「わかりません。おそらく、きとくけんえき、がからんでいるのでしょう」
「キトクケンエキ?」
「そうです。ふるくからあって、おかねがからむものには、それがかんけいしています。きとくけんえき。いってみてください」
「キトクケンエキ」
「そうです。きとくけんえき」
「キトクケンエキ」
「そうです。これでえいむさんも、きとくけんえき、をりかいしました」
「ふうん」
ちょっとわからない。
「とにかく、だめだったんだね……。残念」
「はい」
「このお店の分は、つくるんでしょ?」
「はい! でも、どうぐやさんとか、これをどうにゅうしないかと、ていあんしたひとには、ことわられてしまいました」
「どうしてかな……」
お店には、便利だと思うんだけど。
「10ごーるどこいんをつくるのに、1まんごーるどかかるっていったら」
「それだ!」
「え?」
「じゃあ、この、お金を安全に払うための箱は、いくらなの?」
「100まんごーるどかかります」
「それだ!!」
「ええ!?」
スライムさんは、体を斜めにして悩んでいた。
「だって、お金を使うために、お金を全部使っちゃったら、お金がなくなっちゃうでしょ?」
「ほう……。いいこといいますね、えいむさん」
「そう?」
「お金がかからない方法って、ない?」
「ありませんね。このよのなかのものは、すべてに、おかねがかかるようにできているのです」
「そっか……」
残念だ。
「でももったいないね。お金をつくるのに、お金がかからなければいいんだけどね。実際の形じゃなくて、仮に、あることにするとか」
「かりに、ですか?」
「うん。お金ごっこかな」
「そんなことができたらすごいですね」
たしかに、そんな約束事でお金が払えるなら、犯罪なんてない世界かもしれない。
それとも、そんな約束事を達成するための方法があるだろうか。
魔法では難しいだろうし……。
「うーん」
「うーん」
よくわからない。
考えるのにつかれたらあまいものが欲しくなったので、果実薬草をおいしく食べた。
「おいしいですね!」
「そうだね!」
「ふっふっふー、ふっふっふー」
よろず屋の外まで、スライムさんの歌うような声が聞こえてきていた。
そっと中をのぞいてみると、スライムさんがいた。
いやスライムさんのようなものがあった。
カウンターの前に、銀色に光る、金属の像のようなものが置いてある。
大きさ、おおよその形は、スライムさんに似ていた。
声はそれから聞こえてくるようだった。
「ふっふっふー、ふっふっふー」
やはり声はそこから聞こえてくる。
こもった声だった。
「……こんにちは」
おそるおそる言うと、声が止まった。
「えいむさんですか?」
スライムさんの声だ。
「スライムさんなの?」
「そうですよ! ちょっとこっちにきてください!」
私は銀色のそれに近づく。
まわりこんでみると、それにはスライムさんの顔があった。
表面の凹凸で、目と口が表現されている。
目の部分は透明なものでできているようで、中のスライムさんと目が合った。
「スライムさんが入ってるんだよね?」
「そうです!」
表面の口は動かず、中からの声だ。
「なにしてるの?」
「みずぎです!」
「水着?」
「これでみずのなかに、はいれます!」
「私にはその話、難しいかもしれない」
こほん、とスライムさんが仕切り直す。
「みずにはいるとき、みずぎを、きますね?」
「うん」
「しかし、ぼくはみずぎをきても、みずをすって、おおきくなってしまいます」
「そうだね」
「かわに、はいってあそぼうとしても、たいへんです」
「ものすごく大きくなっちゃうもんね」
私は、川が全部スライムさんになってしまうのを想像した。
それはそれでおもしろいかもしれない。
「そこで、ぼくはかんがえました! あんぜんに、みずにはいるほうほうを!」
「これ、金属?」
さわってみるとひんやりしていた。
「そうです!」
「えっと……」
「さいきん、あついですよね? あついときには、みずのなかにはいりますよね? そういうことです!」
「なるほど」
言いたいことはわかるけれども。
「では、かわにつれていってもらえますか?」
「え?」
「これではうごけませんので。そこに、だいしゃがあります」
「え、でも、川に行くの?」
「そうですよ。はやくいきましょう! おねがいします!」
「連れていくのはいいけど、これで水に入ってもだめなんじゃないかな……」
「みずは、かんぜんに、しゃだんできます!」
「そうじゃなくて、金属だから重くて沈んじゃうんじゃない?」
「ふっふっふ。あまいですね。はこんでいただければ、わかりますよ……」
スライムさんが不敵な笑みを浮かべている、気がする。
日差しが強い中、私はスライムさんを押して近くの川まで移動した。
近くの川は、水の深さが私のひざくらいまでしかなくて、流れもおだやかなところだ。
私は、はだしになって、ひざまで服をめくりあげて川に入る。
川の水はひんやりしていて、体の芯にある熱のかたまりのようなものがゆっくり冷めていく気がした。
「いくよ?」
「はい!」
「本当にいくよ?」
「どうぞ!」
私は、川原に置いてあったスライムさんを、川の中に入れた。
「あれ」
沈むと思ったスライムさんは、水面にプカプカと浮かんだ。
「金属だから沈むと思ったのに」
「えいむさん。きんぞくだからしずむ、とかんがえてしまうのは、いっぱんじんですよ」
「私、一般人だから」
「ふっふっふー」
見えていないけれども、得意げになっているスライムさんの顔が目に浮かぶ。
そしてゆっくり、流されていく。
私は川の中を歩いてついていく。
足の裏が石をふむので、ちょっと痛い。
「流されてるよ」
「そうですね。えいむさん、ながれていかないよう、たすけてください」
「私が?」
そう言ったとき、足下がつるっとすべった。
水の中で思い切り尻もちをついてしまった。
ケガはないみたいだけれども、全身ずぶぬれ。
立ち上がると服が体にはりついてきて、ちょっと嫌だった。
「えいむさん? だいじょうぶですかー?」
そう言いながら、プカプカと楽しげに流れていくスライムさんに、なんだかちょっと、むっとしてしまう。
「だいじょうぶ」
私はぷかぷか浮かぶスライムさんをつかまえた。
「ぬれてしまいましたかね?」
「いいよもう。帰ろう」
「じゃあ、ちょうどよかったです」
「なにが?」
私はまたむっとしてしまった。
人がずぶぬれになるのがそんなに楽しいのだろうか。
いけない。
なんだかすぐに、むっとしてしまう。
暑さのせいだろうか。
私のせいだろうか。
「ぼくを、こう、かかえてみてください」
「ん?」
「みずのなかで、かかえてみてください」
「はいはい」
もうなんでもいいから早く終わらせよう、という気持ちになっていた。
「わ」
やってみると、私は水に浮かんだ。
抱えているスライムさんの浮力が強く、私がつかまっているのに沈まない。
浅いので気をつけなければならないけど、体が水面と平行になるようにすると、スライムさんと一緒にプカプカ浮かぶ。
川の流れによって、ゆっくり流れていく。
「せいこうです!」
「どういうこと?」
「ぼくが、えいむさんとみずのなかであそぶためには、どうしたらいいかと、かんがえました。そしておもいついたのが、これです」
「これなら、ぼくがみずのなかでうごけなくても、えいむさんといっしょに、みずのなかでうかべます。えいむさん、あしをばたばた、してみてください」
私は言われたように足をばたつかせる。
すいーっ、と浮かんだ体が進む。
「どうですか! しずまないで、あんぜんにおよげますよ!」
「うん……」
「あれ、いまいちですか……? がっかりですか……?」
スライムさんの声が小さくなる。
「ううん、そんなことないよ」
「そうですか?」
「なんか、ごめんね」
「え?」
「ごめん」
スライムさんは私のことを考えていてくれたのに、私は私のことしか考えていなかった。
「なにかありましたか?」
「なにもないんだけど、いちおう」
「へんなえいむさんですね」
そう言われて、私は思わず笑ってしまった。
それから、スライムさんにつかまって、思い切り泳いだ。
「それそれー!」
「は、はやすぎますよ! ふりょうですよ!」
「私は不良だぞー!」
「えいむさーん!」
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
お店に入ると、スライムさんがカウンターの上、ではなく横からひょっこり現れた。
「ふふ、えいむさん。うえだとおもったでしょう。よこですよ!」
「すこしびっくりした」
「それではまた」
スライムさんはカウンターの向こうに去っていこうとする。
「ちょっと待ってよ。今日は買い物したいんだけど」
「おっと、すっかりわすれていました。やくそうたべほうだい、のもうしこみですか?」
「ちがうよ、ふつうの買い物」
薬草食べ放題?
「えっとね。薬草を十個、毒消し草を五個ください」
「おや? きょうは、ずいぶんたくさん、かってくれますね」
「うん。いつもお世話になってるから、スライムさんのよろず屋で買ってきてもらおうかなって、お母さんが」
「そうですか。でも、そのせいで、えいむさんのせいかつが、くるしいものになってしまうのでは……」
「薬草で破産はしないから」
「ところでえいむさん。きょうは、ぜっこうのきかいですよ」
「絶好の機会って?」
「ふっふっふ」
スライムさんは、カウンターの端にあった筒を、するすると私の前まで押してきた。
筒は、コップくらいの大きさで、上がコップのように空いていなくて、指が通るかどうか、といった大きさの穴があいている。
その穴に、細い棒が三本入れられていた。
棒は筒の倍くらいの長さがあって、半分くらい外に出ている。
「これは?」
「どれかひとつだけ、ひいていいですよ! ぼうのさきが、あかくぬってあったら、はんがくです!」
「半額? そんなに安くなるの?」
すごくお得だ。
しかも、お客さんを喜ばせるためには無料であげてしまえばいい、という考え方だったスライムさんとしては、安売りというのは、かなり進歩した考え方なのではないだろうか。
「ひきますか?」
「うん。でも、えっと、なんにもしてないのに、引いていいの?」
「はいどうぞ!」
「じゃあ」
私は、一本棒を抜いてみた。
「あ」
先が赤くぬられていた。
「おめでとうございます! はんがくです!」
「やった!」
と私が喜んだとき、うっかり筒を倒してしまった。
すると倒れた筒から残った棒が二本、抜けて出てきた。
どちらも先が赤くぬられていた。
「スライムさん。全部、先が赤いよ」
「はい」
「はいって、これじゃ意味がないよ」
「ふっふっふ。そんなことないんですよ」
「どういうこと?」
「こほん」
「このぼうをひくひとは、ぜんぶがあかいとは、しりませんね?」
「そうだね」
「ということは、ひけたひとは、とってもうれしいですね?」
「うん」
「でも、ぜんぶが、あたりということは、しらないのです」
「うん」
「つまり、ひけたひとはみんな、じぶんだけが、うんがいい、とおもうんですよ!」
「おお……」
たしかに、私は筒を倒してしまったから知っているけど、ふつうに引いたら、たまたま当たりを引いたのだと、いい気持ちになるだろう。
お店としても、最初から半額で売るつもりならみんなが当たりを引いても問題がない。
お客さんは気分が良くなって、また来てくれるかもしれない。
「すごいよスライムさん!」
「ふっふっふ」
「全部当たりを入れてお客さんの気分を良くするなんて、思いつかなかった!」
「ふっふっふ!」
「いつ思いついたの?」
「ききたいですか?」
「うん!」
「ふっふっふ」
スライムさんは、カウンターの上をゆっくり歩き始めた。
「あれはそう、きのうのよるでした。ぼくは、じゅんびをするため、ぼうをあかくぬっていたのです」
「ふむふむ」
「そのときでした! めのまえをみると、なんと……!」
「なんと?」
「さんぼんとも、あかくぬってしまったのです……!」
「ん?」
「ぼくはひっしにかんがえました。どうすれば、やりなおさなくてすむのかを。そしてきづいたのです……。ぜんぶあたりだと、おきゃくさんはうれしいのではないかと……!」
「スライムさん?」
「さっきいったような、かんがえかたをすれば、かんぺきではないかと……!」
「スライムさん」
「なんですか」
「えっと、結果的には良かったと思うけど、そういうときは……」
と言いながら、私は考え直す。
せっかくスライムさんが、ちゃんとしたことを思いついて、やっているんだから、それを注意するのはどうなのか。
結果的に良くて、大きな問題がないのなら、それでいいのではないだろうか。
「えいむさん、どうしましたか?」
「……ううん、なんでもない。これからもがんばろうね!」
「はい!」
「じゃ、今日は、私の代金はいくらかな」
「はい、ええと」
スライムさんは、自分の前にある薬草十個と毒消し草五個を見て、止まった。
「スライムさん?」
「ええと……」
「もしかして、半額がわからないの?」
「わからないかときかれたら、こうこたえましょう。わからないと!」
スライムさんは堂々と言った。
「もしかして、他の品物の値段が半分になったらいくらかも、わからない?」
「……きいてください。えいむさん」
スライムさんは真剣な顔をした。
「うちでは、やくそうはいくらですか?」
「7ゴールド」
「はい。7をはんぶんにしたら、いくつですか?」
「3・5だから、3ゴールドか、4ゴールドじゃない?」
「……7をはんぶんにしたら、3でも、4でもいい。そんなげんじつ、まちがってると、おもいませんか!?」
「……でも、薬草は十個買うから、35ゴールドでちょうどいいんじゃない?」
「それはちがいますよえいむさん!」
スライムさんはカウンターを降りて、私にせまってきた。
「それは、ちがいますよ!」
スライムさんはそれだけ言った。
たぶん、一個3ゴールドで十個買ったときと、4ゴールドで十個買ったときで値段がちがってしまうのが、まずいのだといいたいんだろう。
「そうだよね?」
「そのとおりです! そのとおりです!」
「じゃあ今日は、薬草の半額はいくらか考えようか」
「そうしましょう!」
でも、考えてみると、どっちでもいいというのはとても難しくて、眠くなった。
よろず屋に入ってみると、なんだかいつもと様子がちがっていて、私は息をひそめてしまった。
「これは……」
お店の中は、0、と書かれた小さな紙がたくさんあった。
カウンターの中の品物がない場所や、壁にそってならんでいる品物がないところなど、物がない場所には、これでもかと紙がある。
0、0、0。
ゼロばかりだ。
そのとき、お店の隅で、紙が雑に積み上げられてできた山が、がさ……、がさ……、とゆれた。
「なに……?」
「えいむさん、ですか……」
中から声がした。
「スライムさん?」
「はい……」
紙が持ち上がると、さらさらと山がくずれて、中からスライムさんが現れた。
でもすぐにスライムさんは紙の山の上に倒れてしまった。
「スライムさん? どうしたの? なにかあったの?」
「ぜろ……。がくっ」
スライムさんは目を閉じた。
「ゼロ?」
「えいむさん……、もしかしたら、ぼくは、つかれすぎて、しんだかもしれません……」
「スライムさん、たぶんだけど、ちゃんと生きてるから安心して」
「そうですか?」
スライムさんは、おそるおそる目を開けた。
「ところで、どうしてこんなにゼロが?」
「えいむさん。きのう、7のはんぶんは、3か、4かわからない、そんなじだいはまちがっている! そういうはなしを、ふたりでしましたよね?」
「うん」
時代の話はしていないけれども。
「そこでぼくはかんがえました。すうじについて」
「数字」
「すうじは、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、がありますね?」
「うん」
「だからぼくは、0、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつにわけてみました。ちょうど、5こづつですし。ここになにか、はんぶんもんだいの、かいけつのてがかりが、あるのではないかとおもいまして」
「なるほど。そうだスライムさん、お母さんにきいたら、四捨五入っていうのがあるんだって」
「いま、しんだひとのはなしはしてません!」
「いや、死者じゃなくて四捨……、えっと、それで?」
「はい」
「ぜろってなんだろう、とおもいました」
「ゼロ?」
「ぜろって、なにもないんですよね?」
「そうだね」
「だったら、ふたつにわけたとき、1、2、3、4と、5、6、7、8、9のふたつになってしまって、ふこうへいですよね?」
「でも、ゼロがあれば、五つずつになるよ」
「ぜろがあるって、なんですか!」
「え……。うーんと」
ゼロがある。
たしかによくわからない。
「ないがある、ということですか! なんなんですか!」
「えっと……」
「でもえいむさん。えいむさんが、ただしいです……。ぼくは、きづきました……。ぜろを、うけいれなければ、ならないと……」
スライムさんは、あきらめたように、目をふせた。
「スライムさん?」
「すでに、よのなかは、ぜろだらけだったんです……。ぜろが、せかいをつくっているといっても、かごんではないんです……!」
「スライムさん?」
「でも、このおみせには、ぜろがなかった……」
スライムさんは、ぐるりとまわりを見た。
「ぼくはおもいました。ぜろをつくらなくては! そうしてずっと、しなものがないところには、ぜろ、とかいて、かいて、かきまくりました。ぜろを、おいておかないと、みんなぜろだとわからないでしょう? ここに、なにか、あるのかと、おもいこんでしまいます! だから、いそがしくて、いそがしくて……」
「書かなくてもわかるんじゃない?」
私が言うと、スライムさんが、きっ、と私を見た。
「むせきにんですよ! じゃあ、10はどうなるんですか!」
「10?」
「10は、ぜろがなかったら、1になってしまいますよ! あるのか、ないのか、ちゃんとかかないとわかりませんよ!」
「うーんと……」
「ぜろはたいせつなんです! ぜろがなかったら、せかいはめちゃくちゃになってしまうんです! せかいは、ぜろでできているんです!」
「せかいは、ぜろ……」
世界がなくなってしまった。
「こうしてはいられない! ないところにはぜろ! ないところにはぜろ!」
スライムさんは、ないところには0! と言いながら、小さい紙に、0、0、0、と書き始めた。
たしかに、0は大切なものだと思うけど、でも、なんというか……。
「あの、スライムさん。そんなにがんばらなくても……」
「がんばってるひとに、がんばらなくてもいい、っていうのは、ぼくはきらいです! ぼくは、せかいをすくうんです!」
どうしよう。
このままでは、スライムさんが、ゼロスライムさんになってしまう。
……ちょっとかっこいい名前かもしれない。
「ぼくがやらないと、よのなかのぜろが、わからなくなってしまう……!」
「スライムさん、ひと休みしない?」
「ぼくがぜろを、ぼくがぜろを……!」
でもやっぱり心配だ。
どうしたらいいんだろう。
私は店内を見回した。
それから……。
ん?
「そうだ。スライムさん、この薬草っていくつ?」
私はカウンターの中を示してきいた。
「やくそうですか? そんなの、なかをみればわかります!」
スライムさんはちらっともこっちを見ずに言った。
「そうだよ、そうなんだよスライムさん! 見ればわかるし、きけばいいんだよ!
「え?」
スライムさんは、やっとこっちを見た。
「薬草がひとつ、ふたつ、みっつって、いくつあるかわからないときは、確認すればいいでしょ? ゼロのときも同じだよ。ゼロだって、見れば、だいたいわかるでしょ? わからないときはきいて、わかるときは、それでいいんだよ。だからみんな、そんなにゼロばっかりじゃないんだよ!」
スライムさんが書くのを止めた。
「もっと、おおざっぱでいいんだよ!」
「おおざっぱで、いい……?」
「そうだよ! もうちょっと、いいかげんにやればいいんだよ!」
「いいかげんでいい……」
「うん!」
スライムさんの目が、いきいきしてきた。
「いくつあるか、てきとうでも、いい……!」
「うん! うん?」
「だいきんも、てきとうで、いい!」
「えっと、スライムさん?」
「そうだ。ぼくは、もっといいかげんだった! ぼくは、いいかげんに、おみせを、やります! わーい!」
スライムさんはぴょんぴょんお店の中を走りまわっていた。
私は、今日だけは、と注意したい気持ちをぐっとこらえた。
「スライムさん、いいかげんはだめだよ!」
こらえられなかった。