────ねぇ、吉野くん。
私、この恋を運命だと思ってるよ。
「初めまして。俺、吉野健人っていいます」
「私、佐藤円香です。よろしくね」
吉野くんと出会ったのは、高校ニ年生の春だった。たまたまディスカッションか何かの班が同じになって、自己紹介を軽くした。
その時、ぼんやり、素敵な人だなぁ、と思って。気づいたら目で追いかけることが増えていたから、私はきっと、その時にはもう吉野くんに恋をしていたのだと思う。
明確なきっかけなんかなかったけど、ただ、ある日気づいたら好きだった。サッカー部で、爽やかで、明るくて、優しくて、背が高くて、陽だまりみたいに笑う人。
たまに目があって、必死に逸らして、バカだなぁって落ち込む。たまにプリントを回収するときとかにだけ話せて、それだけでもほんとに幸せで、それだけがそれだけじゃなくなってしまうほど、好きだった。
そんな毎日を何回も繰り返していたから、ずっと遠くから見てた吉野くんと席が前後になって、普通に話せるようになった時なんて、夢みたいだって毎日思ってた。
それでも、欲はいつだって止まることを知らない。クラスメイト。ただの友達。
それで、本当にいいの?
吉野くんは今、彼女がいないらしい。
どうやら彼女募集中らしい。
映画デートに憧れているらしい。
「あのさ、吉野くん。実は友達と映画見にいく予定で、チケット2枚前売りで買ったんだけど、その子に予定が入っちゃって。もし良ければ一緒に行かない?」
私は、どうにか情報をかき集めて、ある日吉野くんをデートに誘った。
「え! マジ!? いいの!?」
計算尽くしで、自分が傷つかないように保険を何重にもかけた誘いだったのに、こんなに喜ばれると思ってなかったから、すごく嬉しかった。
それから友達に相談して、流行りのスカートを新しく買って、精一杯オシャレをして映画を見に行った。タイムリープものの感動映画を選んだせいで、ボロボロ泣いた。メイクは全部落ちた。ただでさえ慣れていなかったから、パンダみたいになった。恥ずかしくて、死んじゃいたいと思った。
それを吉野くんはケラケラ笑って、「かわいいじゃん。普段の方がもっとかわいいけど」と言ってのけたのだ。
何、この人類モテみたいな人、と思ったのを今でも鮮明に覚えている。その時買ってくれたメイク落としシートは使い捨てだったのに、捨てられなくてポケットに入れたことも。
その日、私達は帰りのバスの時間を忘れて乗り逃したのをいいことに、本当に時間ギリギリまでショッピングモールで遊んだ。
最後に、近くのイルミネーションを見に行こう、と誘われたあたりで本当は期待してたけど。
「俺、代わりとして今日誘われたことは分かってるんだけど。超楽しかったし、その、また、こうして遊びに来たい、です。佐藤さんのことが好きなんです……!!」
「……っ」
「いやごめんな、急にキモいよな!? 今の発言は忘れ……」
「っ忘れ、ない! 一生忘れてたまるかって感じだよ!!」
この瞬間、本当に世界が粉々になってもいいって、思ったんだよ。
今死んでも悔いはないって、心から。
「私も吉野くんのことが好きで、今日も実は、最初から吉野くんのこと誘うつもりだったの。友達の話はウソだから」
「……まじ?」
「まじ、です。むしろこっちがマジって聞いちゃいたいよ!?」
「いや俺は本気も本気だけど!!」
私だけが吉野くんのことを好きだと思ってたから、信じられなくて、確認までしちゃったぐらい。
「佐藤さ……これから円香って呼んでもいい?」
「もちろん。っていうか、呼んで欲しい」
「よっしゃ! 俺も、健人でいいよ。……あーー、やばい。勝手に顔、ニヤけるわ。俺、今、世界一幸せ」
「私も、本当に幸せ」
「俺の方が幸せ! ……いやダメだわ。世界一幸せなのは佐藤さん……じゃなくて、円香じゃないと。世界一幸せにするって決めたのに、俺自身がでしゃばっちゃダメだった」
「なにそれ。私、もう十分幸せだよ」
この人を私が世界一幸せにしようと思った。一生笑っていて欲しいと思った。
「幸せすぎてまだ帰りたくね〜〜」
「わかる。帰ったら夢だったらどうしようって思ってるもん、今」
「……絶対、夢にはさせねぇので安心してください」
「私も。っていうかそもそも夢じゃないし!」
私は急に深刻になった吉野くんの手を握った。ぶわっと、熱と共に、緊張が伝わってくる。
「電車、途中までは一緒で良かった」
「ほんとそう。あー、まだ帰りたくないなぁ」
それから私は、最寄駅までずっと、吉野くんと手を繋いでいた。電車を降りてからもあまりに幸せで、だから。
『○○線にて事故発生 15人の死傷者 脱線事故か?』
「……え?」
家に帰って、テレビをつけて、一瞬意味がわからなかった。だって、○○線は、さっき、私達が乗っていた。
「よしの、くん」
8:42 《事故大丈夫!?》
8:43 《今ニュース見た!》
8:45 《もしかして巻き込まれてる!?》
8:59 《無事だったらとにかく返信ください》
11:53 《一言でも、大丈夫だから!!》
震える手で打ったメッセージは、一晩経っても既読になることはなかった。
そこからは全部、全部、夢だとしか思えないことの連続で。あまり、記憶がない。
吉野くんが死んだ。
ニュースで他人事みたいに見る、ガラスの割れた車内。横転した車内。
私もそこにいたなんて、まるで、嘘みたい。
時間ギリギリまで遊ぼうと言ったのはどっちだけ。この電車に乗ろうと言ったのはどっちだっけ。どっちでもいいや。吉野くんは今、この世界のどこにもいない。
もう目覚めないって、どうして?
私じゃなくて、吉野くんが死んだの。
さっきまであんなに幸せだったのに?
その事実が受け入れられなくて、苦しくて、毎日吉野くんの夢を見た。吉野くんがまだ生きていて、学校で居眠りをしてしまった私を起こして、おはようって私に言う夢。
何度も何度も、シワシワに干からびた、マスカラの滲んだメイク落としを見て、吉野くんを思い出して泣いた。
それからいっさい外に出られなくなった。部屋に閉じこもって、ひたすら謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。あの日、私が、デートに誘わなければ良かったのに。
「ごめんっ……ごめん、よしのくん」
そしてある日、どうしてもどうしても、苦しくて。
吉野くんに会いたくて、耐えきれなくて、お道具箱に入っていたカッターで首を切った。
頸動脈がどこかも分からなかったから、とにかく喉に突き刺さした。
あとを追っちゃう、弱い私を、許してね。
ぬるり、と。喉に血が溢れた。
世界が揺れた。
視界に広がる世界が信じられなくて、ゴシゴシと目を擦った。
「かわいいじゃん。普段の方がもっと、かわいいけど」
目の前に、吉野くんがいた。
それが信じられなくて、嬉しくて、さっきまでの地獄は夢だったんだって、それからもっと泣いた。何なの、さっきまでの最悪な夢は。最低だ。
いつ寝たのか分かんないけど、もしかして映画館のシートで寝ちゃったってこと? 私、どこでも寝ちゃうタイプの人じゃないのに、おかしいな。なんか予知夢みたいで怖いんだけど。怖かったんだけど。
吉野くんは、目の前で泣きじゃくる私を見て慌て倒している。それでも周りから見えないように、自分の袖で優しく私の目元を脱ぐってくれた。
吉野くんが、暖かい。生きている。確実に、生きてる。余計に涙が止まらない。
そうなったらもうメイク落としシートじゃ間に合わなくて、今度はハンカチを買ってくれた。
絶対にこのハンカチはなくさないと、手放さないと心に誓った。
それから私は、すぐに吉野くんを連れてショッピングモールを出た。どうしても行かないといけない用事ができた、と言ってその日は強引にお開きにした。
あの地獄を、正夢には絶対にしない。
それでも不安だったから、こっそり後をつけて、吉野くんが家に入るところまで確認した。ストーカー。いや分かってるけど、それぐらい怖くて、またあの日々に戻ることが、怖くて。
その日、あの出来事は本当に夢なのだと告げるみたいに、電車の脱線事故は起こらなかった。
翌日。私は吉野くんを手紙で呼び出して告白をした。あの不吉な夢を見て、もしかしたら両想いなのではないかという確証を持った私は、このまま勘違いしていってしまえと思ったのだ。
「私、ずっと前から、っ吉野くんのことが好きだったの。私と付き合ってください……!」
「っえ! 嘘!? それは俺から言うつもりだったんだけど!」
吉野くんは、顔を真っ赤にして、陽だまりみたいな笑顔でそう言った。心臓が、止まりかける。
「俺、絶対絶対、佐藤さんのこと超幸せにするから!!」
吉野くんは、泣きだした。
つられて私も泣いてしまった。
「っ今日、付き合った記念日だから、一緒に帰ろ。実は俺、その、彼女と、放課後デートするの憧れだったんだ!」
吉野くんはひたすら私に優しい。その日は部活の試合があったのに、私と帰りたいからと休んで一緒に帰ってくれた。そして勿論、車道側を歩いてくれた。
────だから、突っ込んできたバイクに轢かれて死んだのは、吉野くんだけだった。
鉄臭い血液が飛び散る。手が生ぬるい温度にまとわりつかれて気持ち悪い。どうしてまた、吉野くんは倒れているの。
どうして私は、軽症で、ピンピンしていて、また倒れ込んだ吉野くんを眺めているの?
あれは夢だったんじゃないの??
血の気が引いて、思考が停止する。
そしたらよく分からないうちに次の日になって、前の席の、吉野くんの席には花瓶が置かれた。
そのことに耐えきれなくて、また夢の中みたいな、死んだような毎日に戻った。
「もっかい、私が死んだらいいのかな」
もう一度、決意するまでは早かった。躊躇っていられなかった。もし私が死ぬことで時が戻せるなら、何も怖くない。
もしこれが夢ならそれでいいし。私の命と吉野くんの命が釣り合ってくれるならいいやって本気で思ったから。
前は結構苦しかったから、今度はちゃんとすぐに死ねるようにと、ネットで頸動脈の位置を調べた。
あんまり上手く、死ねなかった。
もう一度世界が揺れる。
「俺、絶対絶対、佐藤さんのこと超幸せにするから!!」
目の前で吉野くんが、泣いている。
私はまた、生きている吉野くんに会うことが出来た。やっぱりまた号泣してしまった。
吉野くん、吉野くん。やっぱり吉野くんは、暖かいままいてよ。
私があまりに泣くから、吉野くんは手を握ってくれた。じんわり、暖かい。吉野くんが生きている。吉野くんがまだ、生きている!
手のひらが、冷たくない。
それだけで涙が止まらなくなった。
なんで泣いてるの、と吉野くんは背中をさすってくれた。それを見て、また泣いた。
泣いてばっかりで、最悪だなぁ、と思う。私は何回、吉野くんにブサイクな泣き顔を見せないといけないんだろう。
その日、私は吉野くんに部活の試合に出て欲しいと頼んだ。
私はバイクの事故に合わなかった。吉野くんは部活中に、崩れたサッカーゴールの下敷きなはなって死んだ。目の前の席には花瓶が置かれた。
吉野くんはまた、死んでしまった。
ここまでくれば、流石の私も気が付く。
私の告白が、私の気持ちが、吉野くんを殺している。そしてこの一連の記憶は夢でもなんでもないのだと。
私は何度も、この数日をやり直しているのだ、と。
家に帰ってすぐ、躊躇いなく喉にカッターを刺した。流石に少しは上手く死ねるようになった。ぬるり、と喉に血が溢れる。
3回目でも、不快なものは不快だった。
それからは色々試した。
途中で睡眠時間に比例して戻れる時が違うのだと気がついてからは、吉野くんの関わらないほぼ全ての時間を睡眠に費やした。
それからは、もっと前へ戻れるようになった。
最初はガムシャラに吉野くんを守ろうとして、何度も目の前で失った。
だから次は、最初から吉野くんを好きにならないように生きようと思った。他に好きな人を作ろうと思った。それなのに、気づいたらいつも吉野くんを目で追いかけてしまう。
繰り返すたびに、吉野くんをより好きになっていく。なんでお年寄りに優しいの。子供にも優しいの。もっと最低な人間になってよ、と思っている私が最低だった。
将来は大きな家で、犬を飼って、家族とゆっくり歳を取るのが理想だって、子供は二人欲しいって、絶対俺過保護にしちゃうだろうなって。
そうだろうね、なんとなく分かるよ。
私の好きになった吉野くんはそういう人だよ。
なんでその話を私にするの?
私のいる未来を信じてくれるの。
どうして色褪せてくれないの。
「俺、佐藤さんのことが、好き、なんだけど。一生幸せにするから、俺と付き合ってください……!!」
「……っはい」
────どうしたら吉野くんを好きにならずに生きられるのか、分からなくなっちゃった。
今回こそは吉野くんを諦めるって決めたくせに、うそつき。
リセット。リセット。リセット。リセット。
自分では耐えられなかったから、今度は吉野くんに好かれずに生きていこうと思った。私は吉野くんが好きで、それは変えられないから、一生私の片想いで終わればいい。
両想いになることが吉野くんの死の条件なら、こうだっていいはずだ。君が私以外を好きになることで、君に朝が来るなら、私は全然平気だよ。
そう、思ったんだよ。本当に。
だから。
「なんか俺さー、佐藤さんの喋り方好きなんだよね」
「えー? 何それ」
「ほら! その、親しみある感じ。すげー、好き」
まず喋り方を敬語に変えた。
これで近寄りがたくなったかな。
「佐藤さんは世界一ポニーテールが似合います」
「……それはありえないと思いますけど」
「いやこれ俺の意見だから。尊重してください。俺、一生佐藤さんの髪型が変わらないとしたらポニーテールがいい」
「なんですか、それ。私、来週髪を切る予定なんですけど」
「そんな御無体な……!?」
その時はどうしても切れなくて切るのやめちゃったから、次ではバッサリ髪を肩のところまで切った。
「佐藤さんって裸眼?」
「いえ、コンタクトですけど」
「え、そうなんだ。俺、結構メガネも好き」
「……何アピールですか」
「メガネ見たいですアピール」
「嫌です、絶対」
だから、次では絶対メガネにはしないって誓った。
こうやって少しずつ、吉野くんの好きになってくれた佐藤円香を殺していった。どこまで消したら、吉野くんの好きになってくれた私じゃなくなれるんだろうね。
「俺っ、佐藤さんのことが好きです」
どうしていつも、そんなに真っ直ぐな目で、私に好きって言っちゃうのかな。
「…………私も、好きだよぉ……」
必死に止めていたはずの言葉が、喉をついて出てくる。涙の止め方を一瞬で忘れてしまった。
佐藤くんに告白される時はいつも、泣いてしまう。また私を好きになってくれたと、やっぱり喜んでしまう私がいるのが一番、馬鹿みたいだと思った。
今回こそは、と祈ったその夜。
佐藤くんは強盗に殺された。
「だから吉野くん、聞いてます?」
「あっ、ご、ごめん。何?」
「もー。もっかいしか言いませんからね?」
だから、今度こそは失敗しない。
私は、寝起きの眠い目を擦りながら、ぐっと自分の手のひらに爪を立てた。
もう、何回目の正直か分からないけれど、絶対に吉野くんを死なせない。このタイムリープだって、いつまで続いてくれるか分からないのだから。
「私、好きな人が出来たんです。高橋くんって彼女いるんですか? 確か吉野くんと同じ部活でしたよね!」
今回の作戦はこうだ。
私はどうしても吉野くんを好きになってしまう。吉野くんは今回も、私を好きになってくれるかもしれない。
だったら予防線として、私に、他に好きな人がいることにしたらいい。
「ん、同じ。多分彼女いないと思うけど」
「そうなんですね! よかったぁ……!」
その相手として、吉野くんの友達の高橋くんを選んだ。私、好きな人がいるんです。あなたの友達が好きなんです。だから、これ以上、近づかないでください。
「あのさ、俺、相談乗るよ。高橋のこと良く分かってるし。今日この後空いてたら、駅前のファミレス行かね?」
吉野くんは、そう言って空元気さを押し殺して笑った。私のことを好きにならないで欲しい。それなのに、吉野くんの傷ついた表情が見れて喜んでしまっている自分がいる。
ダメだよ。だって、また死んじゃうのに。
近づいたらダメなのに。
それなのに、今回こそはって、いつもどこかで願ってしまうから。恋愛相談することでもっと予防線が引けるとか言い訳をして、私はついつい、首を縦に振ってしまったのだ。
「……ん? 佐藤さん今日疲れた顔してんね。寝不足……はないか。さっきまでグッスリ寝てたし」
「それはそれ、これはこれってやつです! 期末テストの勉強とか、色々あるじゃないですか。そのせいで夜更かししちゃって」
「うわ、そういやそろそろ期末テストか。すごいよなー、佐藤さんは頭良くて」
「今回は助けません」
「事前申告!? え、やだよ。俺、佐藤さんを頼りに今日まで勉強してないのに!」
吉野くんは両手を組んで、「助けてくださいお願いします!」と言っている。
前は立場が全然逆だったのに、おかしいよね。何回も繰り返してるうちに、頭良くなっちゃった。本当は私、すごく馬鹿なのに。
吉野くんに呆れられながら勉強を教わってたことがあるなんて、今の君に言ったら信じてくれるのかな。
「ってか、テストより佐藤さんが身体壊さないかの方が心配だわ。どうせ深夜まで勉強してたんだろ。あんま無理すんなよー?」
本当はどうやったら吉野くんの未来を作れるかを考えていたなんて、口が裂けても言えないね。
「無理なんかしてないですってば」
私は、ふにゃりと柔らかく微笑んで、誤魔化すようにアイスティーを一口すすった。
取り繕うことばかり上手くなっていく。
────無理、してるよ。
でも、もう辛いとか、苦しいとか思いすぎて、どんどん良く分からなくなってきちゃった。
だって、私の期待は前向きに死んでいくばかりで。悲しんでる暇なんて、もうない。
じっと、吉野くんを見る。
疲れた顔してるとか、どうして気づくの。
最初の私だったらこれだけで泣いてたよ。
私、随分強くなったでしょ?
もし今回の作戦が上手くいったら、ただ優しく、夢の中でぎゅって抱きしめて欲しい。
ずっと前から、ただ、それだけなの。お願い。
デート当日。ほんの少し気合いを入れた服装をして、私は待ち合わせ場所の、映画館の入っているショッピングモールへ向かった。
私達はいつも、同じ内容の映画を見る。
タイムリープの力を持っている主人公が歴史を捻じ曲げて、好きな人を助ける話。最後には結ばれるハッピーエンド。
まるでどこかの私のような話だけれど、私の話じゃない。映画にもされるようなありきたりな話のはずなのに、私の物語はひたすらハッピーエンドの光が見えない。
ありふれた話なら、そろそろ光が見えてもいいのに、私の恋は、ずっと地獄に落ちているみたい。
前は号泣したはずのこの映画も、繰り返し見るたびに共感できなくなって、主人公に幸せになって欲しいと心から思えなくなって、ただ苦しいだけになってしまった。
だって私、吉野くん以外の、誰かの明日なんて願えない。
「佐藤さんもポップコーン食べる?」
「……いらないです。手がベタベタするの、嫌いなので」
共通点は少しでも減らす。話題を、私の情報を、少しでも減らして過ごさなきゃ。「私もポップコーンはキャラメルが好き!」なんて、もう言わないように。
吉野くんと話すたびに、固かったはずの覚悟が削られて、最後にはドロドロに溶けてしまうから。
「いや俺が買ったの塩味だよ。キャラメルじゃないから大丈夫」
「え。なんでですか。吉野くん、ポップコーンはキャラメルしか食べないじゃないですか!」
「え? 俺、そんなこと言ったっけ」
言ってたよ。嬉しそうに目をキラキラさせて、私を円香って呼びながら、話してくれたよ。
「吉野くん前に言ってましたよ。ポップコーンでキャラメルを選ばないやつは、キャラメルの素晴らしさに気づいたら人生が8倍楽しくなるって」
かなり前の吉野くんが、そうやって。
8倍損してる、じゃなくて楽しくなるって言う、そういうところが好きだと思ったのを、ちゃんと忘れていない。
こういう時、少し前はすごく慌ててたのに、もう言い淀むこともない。
好きな人と話す時に、いつも流れるように嘘を吐いて。口調を偽って、自分を殺して。
『何回時を戻しても、どうしてもあなたがいいの!』
それでもどうしても、吉野くんがいい。
内容も結末もとっくに分かっているから、ずっと隣の吉野くんを見ていた。
君はいつも、クライマックスのセリフを聞いて泣く。
『私、今、本当に幸せ!』
そうだね。私も、ウェディングドレスを着て、世界一幸せだって、君の目を見つめながら笑ってみたかったな。
「あれで泣かない奴いたら鬼だろ……すげぇよ主人公の愛の強さ。あんだけ思われたら俺、もう死んでもいいよ……」
それは困るよ。吉野くんが死んじゃったら、私も生きていけなくなっちゃうよ。
「本当ですって。ただ、映画を何本も見てると段々泣けなくなってくるんですよ。最初は感動映画なら何見ても泣けるんですけど、なんていうかこう、使い果たしちゃうんです」
精神年齢ばっかり大人になっちゃったなぁ。一緒に歳をとりたいって言ってたのに、君より先に大人になっちゃった。ごめんね。
「いや、マジマジ。だって佐藤さん、寝起きの瞬間すら超かわ……あ」
どうしていつも、そうやってさぁ。
「そう、なんだ。ま、色々あるよな。生きてたら」
「……そうですね。死んじゃったら、何もないですから」
ただ、ただ私は。
「あのさ」
「はい」
「どうしても高橋じゃなきゃダメなの?」
「はい。高橋くんが、いいんです」
吉野くんと過ごす未来が、欲しいだけなのに。
「…………起きろー、放課後なったぞ」
いつものように、吉野くんの声が聞こえる。もし今回も上手くいかなったために備えて、ギリギリまで睡眠を蓄えていたから、頭がふわふわする。
本当の、本当に、好きな人に告白する前なら緊張でこんなことしてられないけど。
「……おはようございます、吉野くん」
「ん、おはよ」
私は今日、高橋くんをデートに誘う。今日の5時に、この教室へ高橋くんを呼び出した。
二人きりでデートに誘うなんて、そんなのほとんど告白と同じようなものだ。告白する、と言わなかったのは、ただ私がどうしても吉野くんにそんなことを言いたくなかっただけ。
「あれ、空暗くないですか?」
「今日は先生の話が長かったから、HRが長引いてさ。今、4時40分だよ」
「えっ、マジです? 今から急いで準備しないと……!」
私はさも慌てているかのようにそう言って、鞄の中からリップを取り出した。そして、唇に丁寧に塗っていく。
私が高橋くんと付き合い始めたら、吉野くんは今日、死ななくてすむかな。今度こそ、吉野くんに明日の朝をプレゼントしてあげられるかな。
そしたら、友達としてそばにいても許されるかな。友達の彼女なら、たまに話をしても、許されるかな。
だって、私。
「佐藤さん」
そのためにずっと生きてるんだよ。
「俺、佐藤さんのことが好き」
吉野くんの声に、言葉に、理解がついてこない。なんで。どうして。
なんで、そんなこと言うの。
私が、私がずっと、どんな想いでっ……!
「なんで、今言うの」
喉から、スルリと掠れた声が漏れる。
「だって、私、高橋くんのことが好きって」
「でも、俺は佐藤さんのことが好き。想うだけなら自由じゃん。俺が考えるだけなら自由だろ?
「……そう、だけど」
やめて。やめてよ。
「私は、吉野くんを好きにならないよ」
「知ってる。言いたかっただけなんだよ。ただ、好きでいたいだけなんだ」
「それがっ、迷惑だって、言ってるの!」
これ以上好きにさせないでよっ……!!
感情の行き場がなくなって、身体の中で爆発しそうだ。頬が熱くて、涙が止まらなくて、敬語武装もすっかり剥がれ落ちた。
やっぱり強くなってない。なれなかった。
こんなにいっぱい、無理したのに。
「知ってる。ごめんな。俺、最低で」
吉野くんが悪いことなんて一つもないのに。
ただ最低なのは、何度戻っても吉野くんと出会う選択をして、吉野くんを諦められない私なのに。
「好きにならせてくれて、ありがとな」
それは絶対に、私のセリフなのに。
吉野くんのためじゃなかったら私、こんなに無理出来てないんだよ……!!
「告白、頑張れよ」
「…………っ」
吉野くんは優しい顔をしてそう言って、教室を出て行ってしまった。
「……そんなこと、吉野くんにだけは言われたくなかった……」
全部自分のまいた種なのに、傷ついちゃって、馬鹿みたいだ。絶望する資格すらないくせに。
「もう私、頑張れないよ……」
どうやったらこの、地獄みたいな恋に終わりが来るんだろう。
「あ、あぁああ、あああ、ぁああああ!!」
喉の奥から言葉が溢れた。
私、涙を拭ってすぐ、追いかけたのに。
目の前には、お腹を刺されて倒れ込んでいる吉野くんがいる。
鉄臭い赤。錆びついた臭い。君の臭い。
吉野くんから、こぼれ落ちる血液。
「よしの、くん」
まるで、自分の声じゃないみたい。
どうしてまたこうなったの。
どうしたら君は助かるの。
どうしたら、また円香って呼んでくれる日が来るんだろう。
私は119に電話をかけて、すぐに救急車を呼んだ。それなのに、もしかしたら助かるかもしれないって、もう思えなくなってきている自分に吐き気がする。
「幸せになりたいだけなのになぁ……」
どうやら神様は、どうしても私達のことが嫌いらしい。吉野くんが私に告白することすら、許してくれないらしい。
次はどうしたらいいんだろう。
「出会わなければ、いいんでしょ?」
私は投げやりに呟いて、その場にしゃがみ込んだ。
分かってるんだよ、そんなこと。
もう気づき始めてるよ。
本当に吉野くんを思うなら、私と出会わないようにすればいい。
「でも、そんな簡単に諦められるなら、恋なんか最初からしてないんだよっ……!」
何度も何度も、例え地獄に落ちてでも、この恋を拾って戻ってきてやる。例え今世では結ばれなかったとしても、何回だって可能性を探してやる。
誰に迷惑をかけてでも未来を掴み取ってやる。運命を捻じ曲げても、吉野くんの隣にいさせて欲しいから。諦めたりなんて、するわけがない。
「……ごめんね」
世界で一番幸せに出来なくて、ごめん。
私は、到着した救急車で運ばれていく吉野くんを見ながら、スカートの中に忍ばせてあるカッターのケースをなぞった。
その夜。病院から、吉野くんが死んでしまったという連絡を受けた。
ごぽり、と。喉に血の味。
リセット。ここからまた、地獄の始まり。
「初めまして。俺、吉野健人っていいます!」
目を開けたら、眩むほど眩しい君の笑顔。
どうやら今回はここからのスタートらしい。
私の恋心だけを犠牲に、また世界が回る。
「……私、佐藤円香です」
心臓の高鳴りを抑えつけて、どうにか返事をした。今ここで無視をすれば、絶交だと言えばいいのに、巻き戻るたびに同じことを繰り返している。
出会わなければ良かったなんて、やっぱり言えないよ。君に出会えないなら何度も死んだほうがマシだと心の底から言える。
────この呪いを運命だと呼んでしまうのは、全部吉野くんのせいだ。
何度目かの挑戦が、今、はじまる。
神様。どうか私にチャンスをください。
どうか側にいさせてください。
「よろしく、佐藤さん!」
いさせてくれないなら、こうやって、運命に変わるまで何度でも。