恋は地獄に落ちている

 


佐藤(さとう)さん。佐藤さーん。もしもし?」


 俺の後ろの席の佐藤(さとう)円香(まどか)は、よく寝ている。
 それはもう気づいたら寝ている。休み時間も、なんなら授業中もわりと寝ている。


「……なんですか、吉野(よしの)くん。今日もうるさいです」
「知ってる。じゃなきゃ目覚ましにならないだろ」


 だから彼女を起こすのは、なんとなく俺の役割だと思っている。本当に、なんとなくだけど。


「うぅ……私はまだ寝れます! 寝させてください、コーチ!!」
「睡眠にスポ根要素を見出すな。あと誰がコーチじゃ! 早く起きろ!!」


 病弱一歩手前の真っ白な肌に、肩まで真っ直ぐ伸びたボブヘアーに、きっちり着こなされた制服。外見だけはしっかり優等生な彼女は、意外と冗談も言うしケラケラと笑う。

 クラスメイト全員に敬語で、実はちゃんと頭も良くて、趣味は読書でインドア派。確か図書委員もやっていたはずだ。

 そんな彼女と、サッカー一筋で生きてきた俺には共通の趣味も多分ないし、話しかける口実も他にない。だから俺は、気がついたら率先して佐藤さんのことを起こすようになった。

 そうしたら、こうやってすぐ近くで、笑顔を見ることが出来るから。


「ってか、マジで冗談言ってる場合じゃないんだって。俺、5時までに部活行かないと遅刻になるから早く起きて」
「……それは吉野くんの都合じゃないですかぁ。でも、仕方ないので起きてあげます。実は私、今日は吉野くんにお話したいことがあるので」


 佐藤さんはニヤリと笑いながら起き上がって、そのまま立ち上がった。

 夕暮れの教室。放課後。二人きり。
 仲も深まってきた、高校二年生の秋。
 そして、話したいこと。
 それらから導き出されるものを俺は一つしか知らない。

 告白されたら、どうしよう。

 俺からする予定だったのに! ここで遮って俺から言うか!? いや恥ずいし。そもそも違う話だったら死ぬし、俺。
 いや告白しようとは思ってたから前倒しになったと思えばさ。


「……好き……んです」


 初デートはどこに行こう。この周り、イオンしかねぇからな。ちょっと遠出して遊園地とか行って────。


「だから吉野くん、聞いてます?」
「あっ、ご、ごめん。何?」
「もー。もっかいしか言いませんからね?」


 ドク、ドク、と心臓の上でパーティーでもしているような音が全身に響く。
 佐藤さんは、一度大きな深呼吸をしてから言葉を吐き出した。


「私、好きな人が出来たんです」


 …………え?


「高橋くんって彼女いるんですか? 確か吉野くんと同じ部活でしたよね!」


 好き。佐藤さんが。高橋のことを。
 俺の友達の高橋のことを。

 え、なんで?
 俺の方が佐藤さんと全然仲良いじゃん。高橋なんて何も接点ないじゃん。それとも俺のいないところでなんかあるのかよ。おかしいだろ。

 俺の方が絶対、佐藤さんのこと知ってるのに。好きなのに。


「ん、同じ。多分彼女いないと思うけど」


 頭の中がパニックになっている。
 それなのに、平然と返事をした俺がいたから、人間ってそう簡単には壊れないんだなぁと思った。


「そうなんですね! よかったぁ……!」


 ……あぁ、死にたい。












 その週末。俺は佐藤さんと近くの映画館へ来ていた。ふわふわと、佐藤さんの着ている、品のいいグレーのワンピースが揺れる。


「おはようございます、吉野くん」
「……おはよ、佐藤さん」


 意味がわからない状況だよな、俺もまだ夢だと思ってる。こうやって自問自答しちゃうぐらいには。

 まずきっかけは何にというと、俺自ら佐藤さんと高橋の恋のキューピッドを名乗り出たことだ。我ながらメンタルが強すぎる。

 だって、どんな形でもいいから関わってたかったんだよ。好きな人の友達でいいから、これからも佐藤さんに話しかける権利が欲しかった。

 あの寝起きの顔が、とろんとした目が、ふにゃりと緩む口元が。俺の日常からなくなると思っただけで、苦しかったから。

 そして、とりあえず高橋に彼女がいるのかを聞きに行った。もちろんいなかった。

 なんでだよ、そこはいろよ。いやいないって知ってたけど、いるって言ってくれよ。嘘でもいいから。……いや嘘とかつかないのがお前のいいところだよな、高橋。ごめん、高橋。

 そういうわけで、じゃあ高橋をデートに誘ってみようという話になった。好きな女の子と、俺相手じゃないデートのプランを立てるなんて拷問の極みみたいなことをよく耐えたと思う。

 場所が沢山一目のあるファミレスじゃなければ発狂していた可能性もある。今後、人生の中で拷問する機会に恵まれたら絶対これやってやろ。いや、そんな機会恵まれたくねぇけど。

 そんなことより、今は隣でキラキラと目を輝かせている佐藤さんに集中しなければ。


「佐藤さん、楽しい?」
「はい、超楽しいです。このまま寝れそうなぐらい素晴らしいですよね、映画館の椅子のクッションって」
「まさかの睡眠環境目当て……!?」


 佐藤さんの趣味は映画鑑賞らしい。いや、もしかしたら映画館のクッション目当てかもしれない。佐藤さんは俺をからかっているのか、ニヤニヤ笑って席に着いた。普段が普段なだけに、これは冗談なのかなんなのか。

 それはともかく、今見たい映画があるということで、それを高橋と観に行けばいいのではないかという話になったのだが、俺が強引にごねて予行練習が必要だと言った。

 そうして勝ち取った機会が今日である。


「今日の映画はどんな感じの内容なんだ?」


 何度も事前予習したせいで空で言えるぐらい分かりきっているくせに、佐藤さんと話したくてそんなことを言った。


「タイムリープものです。何度も時を戻して、何度も好きな人に忘れられながら幸せになるために頑張る話っぽいです」
「へー、そうなんだ」


 さも感心したように言った。
 我ながら白々しい。


「佐藤さんもポップコーン食べる?」
「……いらないです。手がベタベタするの、嫌いなので」
「いや俺が買ったの塩味だよ。キャラメルじゃないから大丈夫」
「え。なんでですか。吉野くん、ポップコーンはキャラメルしか食べないじゃないですか!」
「え? 俺、そんなこと言ったっけ」


 俺、吉野健人はキャラメルポップコーン強火担である。だからぶっちゃけポップコーンはキャラメルしか許していない……が、今日は佐藤さんとの擬似デート。

 佐藤さんがポップコーンは塩派ということは、前回のファミレスミーティングでさりげなく聞き出してあったから、今日は人生で初めて塩味を買ったのだった。


「吉野くん前に言ってましたよ。ポップコーンでキャラメルを選ばないやつは、キャラメルの素晴らしさに気づいたら人生が8倍楽しくなるって」
「えっ、恥ず」


 そんなこと言うな昔の俺ーーッ!!

 何の話の流れで言ったのか分からないが、どうやら本当に言っていたらしい。だってマジで俺が言いそうなセリフだもんな。詰んでる。


「もしかして吉野くん、私のために塩のポップコーン買ってくれたんですか」


 バレてる!! 完全に!!!


「いや、その……はい」
「なんでそんな顔してるんですか。吉野くんが超良い人だってバレただけじゃないですか」
「え、いや、その」


 だってそんなの、佐藤さん限定に決まってるし。俺、佐藤さんの前でしか超良い人じゃないし!

 それを言ったら、俺が佐藤さんを好きだって一発でバレ────。


「吉野くん、さては照れてますね? ……吉野くんの彼女になれる人は幸せですね。そんな気遣いされたら、吉野くん以外好きになれなくなっちゃいますよ」


 ────バレても、意味ないんだった。

 バレても、どうしても。
 彼女は、俺以外を好きなんだった。


「……それは光栄だわ」


 俺は今、初めて仄暗い映画館の中に感謝した。きっとここが、表情丸見えの明るい公園とかだったら、泣いていたと思う。

 佐藤さんの顔が見えたら、泣いてしまうと思う。

 多分、俺の彼女になったら幸せだと思うよ。

 そう思わせるだけの努力、するよ。そのためなら全然苦しくないし、毎日塩味のポップコーン食ってもいいよ。キャラメルが一生食えなくなってもいい。

 俺以外、好きになれなくていいよ。

 高橋なんかより、絶対、絶対、俺の方が幸せにするのに、どうして俺じゃダメなんだろう。

 それからはずっと、気づいたら始まっていた映画をぼんやり目で追いかけていた。


『何回時を戻しても、どうしてもあなたがいいの!』


 スクリーンの中の主人公が、死んでしまった片想いの相手を抱きしめながら叫んでいる。

 でも、きっと佐藤さんも、俺がどれだけ幸せにすると言ったって高橋がいいのだろう。

 高橋じゃないとダメなのだろう。

 そんなこと、分かってるよ。俺も、佐藤さんじゃないとダメだから。













 数時間後。映画館と同じショッピングモール内のフードコートには泣きじゃくる俺がいた。


「超、良かった」
「号泣ですね、吉野くん」
「あれで泣かない奴いたら鬼だろ……すげぇよ主人公の愛の強さ。あんだけ思われたら俺、もう死んでもいいよ……」
「しっ、死んだら意味ないじゃないですか。主人公はそれを回避するために時を戻してるのに。てかそもそも、そんなドラマチックな恋、現実にはありませんし」
「はー!? そっちが見たいって言った割に随分冷めたこと言いますねぇ!!」


 こっちは片想い中&失恋中。
 感傷に浸っているどころか、水深50メートルの感傷プールに沈められている状況である。佐藤さんはもっと、感性ヒタヒタでズブズブな俺の気持ちになった方がいい。


「いや面白かったですよ。私だって、泣けるなぁって思います」
「涙からっからの人にそんなこと言われてもなぁ!」
「本当ですって。ただ、映画を何本も見てると段々泣けなくなってくるんですよ。最初は感動映画なら何見ても泣けるんですけど、なんていうかこう、使い果たしちゃうんです」


 佐藤さんは、俯いて、ぎこちなく笑いながらそう言った。


「……ふーん、なるほど。てか、それなら今日の予行練習ダメじゃん。本番で、より一層泣けないじゃん」


 女の涙は武器、とかよく言うし。
 高橋なんて、佐藤さんが泣いてるの見たらイチコロだと思うよ。知らんけど。てか、知りたくないっていうか考えたくないけど。

 そもそも、本番のことを意識した発言をしてしまった自分が許せない。普通に俺の方が泣きたい。さっきまで号泣してたせいで、体内の液体全部ないことが良い方向に働くとは夢にも思わなかった。

 自分で言って自分でダメージを受けた俺を見て、その様子に気づいていないのか、佐藤さんはクスクスと笑って口を開く。


「本番こそ泣きたくないですよ。メイク、崩れちゃうじゃないですか! 私、好きな人の前でメイク取れるのはもう嫌なんです」
「そっか。……別に、佐藤さんはメイクなんてなくてもかわいいよ」
「っそんなお世辞はいいんです!」
「いや、マジマジ。だって佐藤さん、寝起きの瞬間すら超かわ……あ」


 今、俺、何を口走ろうとしてるんだ。
 パッと顔を上げる。


「あ、えと、その」


 顔を、真っ赤にした佐藤さんが俺をじっと見つめていた。映画を見た後は少しも潤んでいなかった瞳が、みるみる内に涙でいっぱいになる。

 えっ、俺、そんな泣かせるようなこと言った!? キモすぎたのか、俺!?


「いっ、今のは」


 俺の言葉を遮るように、佐藤さんが叫んだ。


「っ私、飲み物買ってきます!! 吉野くんもいりますかっ!」
「あっ、はい!」


 反射的に答えた俺を置いて、佐藤さんは走って行ってしまった。というか、まだそこそこ飲み物残ってるから正直いらないのだけれど。

 泣いて……たよな。俺が泣かせたのか?

 とにかく、戻ってきたら謝らないと。
 てかそもそも、メイク崩れちゃうってなんだよ。高橋なんて絶対、メイクしてるかしてないかすら分かんねぇぞ。断言出来る。

 俺なら、超気づくのに。前髪1ミリの変化も、絶対気づく。だから、俺でいいじゃん。


「あーー……」


 中途半端に予行練習しよう、なんて未練がましいことしなければ良かった。

 ふとかわいいな、と思うたびに、高橋にもこの顔を見せるのかと思って、何回も何回も嫉妬で死にたくなる。


「あぁーー……」


 しばらく経って、遠くからパタパタと、両手に飲み物を抱えて走ってくる佐藤さんが見えた。むしろ休日のフードコートらしい人の多さなのに、佐藤さんしか見えないから助けてほしい。

 そうだね。かわいいよ。高橋のことが好きだって、どうしたってかわいい。


「っこれ、吉野くっ、の分、です」
「そんなに急がなくても良かったのに」
「でも、時間が、っないから」


 苦しそうに佐藤さんは言った。


「何の時間がないの」
「次の、バス、です! 私達このバスで帰らないとヤバいのに、ここで喋りすぎたせいであと10分しかないことに、飲み物買ってから気づいて……!!」
「え」


 時計を見た。5時56分。
 恋人でもない異性と二人でいられる、ギリギリの時間帯。


「やべぇじゃん、バス来るの6時5分とかだろ!」
「はいっ……! ここからバス停まで走らなきゃ!!」
「っしゃ、じゃあ荷物貸して。ここから全力ダッシュな!!」
「ちょ、えっ!? いいですって」
「いいよ、俺部活で鍛えてるから!」


 俺は、明らかに走るのに邪魔そうな、佐藤さんの荷物を持って……というか半ば奪って走り始めた。っていうか好きな子にいいところ見せたいし。

 まだあわよくば的な気持ち、まだ捨ててないし。










「はぁ……ギリ間に合ったな」
「二度とこんな思いはしたくないですね」


 数分後。俺達は飛び乗ったバスの座席で、ゼハー、ゼハーと息を吐いていた。久しぶりの全力ダッシュのせいで肺が痛い。


「ッ、ハァ」


 カラカラの喉に、ぬるくなってしまった、佐藤さんの買ってきてくれた飲み物を流し込む。オレンジジュースだった。

 普通ファストフード店で飲み物を人に頼んだときは、大体コーラを頼まれるのに、珍しい。実際、佐藤さんはコーラ飲んでるっぽいし。

 俺が実はコーラを飲めない……という話も、前にしたことがあったのだろうか。


「あのさぁ、……いや、なんでもない」


 そのことを口実に話しかけようとして、俺は言葉を止めた。

 俺、そういえば、佐藤さんの好きなもの、何も知らないな。佐藤さんのこと、何も知らない。基本的にいつも俺ばっかり喋ってるから。

 そうだ。さっき、泣きかけた理由も。


「その、さっきはごめん」
「何がですか?」
「だから、さっきのことだよ。俺がいらないことを言ってしまったばっかりに」
「え!? いいですよ。なんで吉野くんが謝るんですか!」


 佐藤さんは慌てたように首を振った。


「全部、私が悪いんです。ちょっと昔のことが重なってしまって」


 何だよそれ。元カレかよ。
 前にも彼氏、いたのかよ。

 一気に、モヤモヤが流れ込む。

 いや別に自由なんですけど。俺の佐藤さんじゃないくせに嫉妬する資格ないんですけど。
 え、でも最初俺が話しかけたとき、超緊張してたじゃん。クラスでも俺以外の男とほとんど話さないじゃん。

 いやでもさっき、好きな人の前でメイク取れるのはもう嫌って言ってたしな。高橋ではないだろうから、その前にも、好きな人はいたってことだし。

 あぁああぁあああ!! もう!!!
 なんで俺じゃねぇんだよ!!

 俺は全部の言葉を飲み込んで、どうにか当たり障りのない言葉を探した。


「そう、なんだ。ま、色々あるよな。生きてたら」
「……そうですね。死んじゃったら、何もないですから」


 そう言った佐藤さんの表情は、夕日に照らされていたせいで、ぼやけて見えた。


「吉野くん。私、月曜日に高橋くんをデートに誘います」
「……えっ!? 展開早くね!?」
「はい。思いきり、というやつです。親身になってくれた吉野くんのおかげでシュミレーションも出来ましたし、勇気も出ましたし」


 思考に理解がついてこない。
 反射のように飛び出した言葉だけが宙を待って、返ってこなくなった。

 シュミレーション。
 俺とのデートは、シュミレーションでしかない。

 佐藤さんには、高橋との本番が控えている。

 そんなことは、代役をやりたいと言った時から、分かっていたくせに。分かっていて、でも諦めたくなくて、声をかけたくせに。

 いざ、現実としてつきつけられると、よく、意味がわからなくて。理解が、出来なくて。


「あのさ」
「はい」
「どうしても高橋じゃなきゃダメなの?」


 高橋と俺の共通点。
 サッカー部で、勉強があまり出来なくて、明るくて。いっぱいあるよ。だから友達なんだし。高橋ももちろん、いい奴だけどさ。

 だったら俺でいいじゃん。
 俺の方がさ、大事にするよ。
 今なら告白成功率120%だよ。
 妥協でいいから俺でいいって、言ってくれよ。

 俺になくて、高橋にあるものって、何?


「はい。高橋くんが、いいんです」


 佐藤さんは、控えめに微笑みながらそう言った。
 ベキン、と。心から音が聞こえた。












 月曜日。


「…………起きろー、放課後なったぞ」


 俺は、いつものように眠る佐藤さんを起こした。

 ふにゃりとした口。とろんとした目。ボーッとした顔。

 明日から、この仕事は高橋のものになる。
 この顔を見るのも、もちろん高橋の特権になるだろう。


「……おはようございます、吉野くん」
「ん、おはよ」


 佐藤さんは高橋を、今日の5時にこの教室へ呼び出しているらしい。

 今の時刻は4時40分。

 本当は20分前には放課後になっていたのに、もう少しだけ寝顔が見ていたくて、気がついたらこの時間になっていた。


「あれ、空暗くないですか?」
「今日は先生の話が長かったから、HRが長引いてさ。今、4時40分だよ」
「えっ、マジです? 今から急いで準備しないと……!」


 佐藤さんは俺の嘘を疑いもせずにそう言って、鞄の中からリップを取り出した。そして、唇に丁寧に塗っていく。

 さっきまでの方が可愛いのに、なんて、もう絶対に言わない。どんな佐藤さんもかわいいよ。

 それが、高橋のためなのが嫌なだけ。


「佐藤さん」


 ────それですら嫌だから、諦められるわけがねぇんだよ!!


「俺、佐藤さんのことが好き」


 俺は、ずっと溜め込んでいた言葉を吐き出した。

 まだ、諦めたくねぇよ。だってもしかしたらさ、考え直してくれるかもしれないじゃん。
 言わないとワンチャンすらないじゃんよ。


「なんで、今言うの」


 佐藤さんの細い喉から、掠れた声が漏れる。


「だって、私、高橋くんのことが好きって」
「でも、俺は佐藤さんのことが好き。想うだけなら自由じゃん。俺が考えるだけなら自由だろ?」
「……そう、だけど」


 佐藤さんは、手に握っていたリップを鞄に放り投げて、空いた両手で顔を覆った。


「私は、吉野くんを好きにならないよ」
「知ってる。言いたかっただけなんだよ。ただ、好きでいたいだけなんだ」
「それがっ、迷惑だって、言ってるの!」


 佐藤さんの目から、ボロボロ涙がこぼれ落ちる。

 それぐらい、100も承知で、言葉にしてんだよ。覚悟してんだよ。高橋よりも俺のこと考えて欲しくて、今言ったんだ。


「知ってる。ごめんな。俺、最低で」


 自分でも最低だって分かってるから、許してくれなんて言わないから。


「好きにならせてくれて、ありがとな」


 後ろの席に好きな子がいる。
 ただ、それだけで、学校が楽しかった。


「告白、頑張れよ」
「…………っ」


 俺は佐藤さんに手を振って、教室を出た。
 胸はガンガン痛い。なんなら頭も痛い。
 頬をぼたぼたと熱いものが通り過ぎていく。
 いいカッコすんなよ、俺。こんなに未練しかないくせに。

 でも、せめて言えて良かったな。俺が佐藤さんを好きだって、事実だけは伝えられて良かった。

 もし、高橋が告白を断ったらどうしよう。いや、それはないか。年中彼女募集中の高橋だし。

 高橋、佐藤さんのこと大事にするだろうな。良い奴だもんな、アイツ。

 もし、万が一、高橋が佐藤さんを不幸にするようなことがあったら、絶対佐藤さんの味方になろう。あわよくばの下心込みで助けよう。

 こんな、汚い考えが出てくるくらい、俺は、佐藤さんのことが────あ?


「ぁ、え?」


 おなかが、もえるように、あつい。

 前から走ってきた人にぶつかられて、それで、なんでこんなにあついんだ?

 視線を下に向ける。何かがお腹に突き刺さっていた。そこから赤い染みが広がって、びっくりするほど、あつくて、だから、おれは。


『それがっ、迷惑だって、言ってるの!』


 閉じた瞼に、佐藤さんの泣き顔が浮かぶ。

 あれ、そういえば、さとうさんのためぐちって、はじめて、きいたな。

 あんなかお、させたかったわけじゃ、なかっ─────。



 ────ねぇ、吉野くん。
 私、この(呪い)を運命だと思ってるよ。







「初めまして。俺、吉野(よしの)健人(けんと)っていいます」
「私、佐藤(さとう)円香(まどか)です。よろしくね」


 吉野くんと出会ったのは、高校ニ年生の春だった。たまたまディスカッションか何かの班が同じになって、自己紹介を軽くした。

 その時、ぼんやり、素敵な人だなぁ、と思って。気づいたら目で追いかけることが増えていたから、私はきっと、その時にはもう吉野くんに恋をしていたのだと思う。

 明確なきっかけなんかなかったけど、ただ、ある日気づいたら好きだった。サッカー部で、爽やかで、明るくて、優しくて、背が高くて、陽だまりみたいに笑う人。

 たまに目があって、必死に逸らして、バカだなぁって落ち込む。たまにプリントを回収するときとかにだけ話せて、それだけでもほんとに幸せで、それだけがそれだけじゃなくなってしまうほど、好きだった。

 そんな毎日を何回も繰り返していたから、ずっと遠くから見てた吉野くんと席が前後になって、普通に話せるようになった時なんて、夢みたいだって毎日思ってた。

 それでも、欲はいつだって止まることを知らない。クラスメイト。ただの友達。

 それで、本当にいいの?

 吉野くんは今、彼女がいないらしい。
 どうやら彼女募集中らしい。
 映画デートに憧れているらしい。


「あのさ、吉野くん。実は友達と映画見にいく予定で、チケット2枚前売りで買ったんだけど、その子に予定が入っちゃって。もし良ければ一緒に行かない?」


 私は、どうにか情報をかき集めて、ある日吉野くんをデートに誘った。


「え! マジ!? いいの!?」


 計算尽くしで、自分が傷つかないように保険を何重にもかけた誘いだったのに、こんなに喜ばれると思ってなかったから、すごく嬉しかった。

 それから友達に相談して、流行りのスカートを新しく買って、精一杯オシャレをして映画を見に行った。タイムリープものの感動映画を選んだせいで、ボロボロ泣いた。メイクは全部落ちた。ただでさえ慣れていなかったから、パンダみたいになった。恥ずかしくて、死んじゃいたいと思った。

 それを吉野くんはケラケラ笑って、「かわいいじゃん。普段の方がもっとかわいいけど」と言ってのけたのだ。

 何、この人類モテみたいな人、と思ったのを今でも鮮明に覚えている。その時買ってくれたメイク落としシートは使い捨てだったのに、捨てられなくてポケットに入れたことも。

 その日、私達は帰りのバスの時間を忘れて乗り逃したのをいいことに、本当に時間ギリギリまでショッピングモールで遊んだ。

 最後に、近くのイルミネーションを見に行こう、と誘われたあたりで本当は期待してたけど。


「俺、代わりとして今日誘われたことは分かってるんだけど。超楽しかったし、その、また、こうして遊びに来たい、です。佐藤さんのことが好きなんです……!!」
「……っ」
「いやごめんな、急にキモいよな!? 今の発言は忘れ……」
「っ忘れ、ない! 一生忘れてたまるかって感じだよ!!」


 この瞬間、本当に世界が粉々になってもいいって、思ったんだよ。
 今死んでも悔いはないって、心から。


「私も吉野くんのことが好きで、今日も実は、最初から吉野くんのこと誘うつもりだったの。友達の話はウソだから」
「……まじ?」
「まじ、です。むしろこっちがマジって聞いちゃいたいよ!?」
「いや俺は本気も本気だけど!!」


 私だけが吉野くんのことを好きだと思ってたから、信じられなくて、確認までしちゃったぐらい。


「佐藤さ……これから円香って呼んでもいい?」
「もちろん。っていうか、呼んで欲しい」
「よっしゃ! 俺も、健人でいいよ。……あーー、やばい。勝手に顔、ニヤけるわ。俺、今、世界一幸せ」
「私も、本当に幸せ」
「俺の方が幸せ! ……いやダメだわ。世界一幸せなのは佐藤さん……じゃなくて、円香じゃないと。世界一幸せにするって決めたのに、俺自身がでしゃばっちゃダメだった」
「なにそれ。私、もう十分幸せだよ」


 この人を私が世界一幸せにしようと思った。一生笑っていて欲しいと思った。


「幸せすぎてまだ帰りたくね〜〜」
「わかる。帰ったら夢だったらどうしようって思ってるもん、今」
「……絶対、夢にはさせねぇので安心してください」
「私も。っていうかそもそも夢じゃないし!」


 私は急に深刻になった吉野くんの手を握った。ぶわっと、熱と共に、緊張が伝わってくる。


「電車、途中までは一緒で良かった」
「ほんとそう。あー、まだ帰りたくないなぁ」


 それから私は、最寄駅までずっと、吉野くんと手を繋いでいた。電車を降りてからもあまりに幸せで、だから。


『○○線にて事故発生 15人の死傷者 脱線事故か?』


「……え?」


 家に帰って、テレビをつけて、一瞬意味がわからなかった。だって、○○線は、さっき、私達が乗っていた。



「よしの、くん」


 8:42 《事故大丈夫!?》
 8:43 《今ニュース見た!》
 8:45 《もしかして巻き込まれてる!?》
 8:59 《無事だったらとにかく返信ください》
 11:53 《一言でも、大丈夫だから!!》


 震える手で打ったメッセージは、一晩経っても既読になることはなかった。

 そこからは全部、全部、夢だとしか思えないことの連続で。あまり、記憶がない。


 吉野くんが死んだ。


 ニュースで他人事みたいに見る、ガラスの割れた車内。横転した車内。
 私もそこにいたなんて、まるで、嘘みたい。

 時間ギリギリまで遊ぼうと言ったのはどっちだけ。この電車に乗ろうと言ったのはどっちだっけ。どっちでもいいや。吉野くんは今、この世界のどこにもいない。

 もう目覚めないって、どうして?
 私じゃなくて、吉野くんが死んだの。

 さっきまであんなに幸せだったのに?

 その事実が受け入れられなくて、苦しくて、毎日吉野くんの夢を見た。吉野くんがまだ生きていて、学校で居眠りをしてしまった私を起こして、おはようって私に言う夢。

 何度も何度も、シワシワに干からびた、マスカラの滲んだメイク落としを見て、吉野くんを思い出して泣いた。

 それからいっさい外に出られなくなった。部屋に閉じこもって、ひたすら謝った。

 ごめんなさい。ごめんなさい。あの日、私が、デートに誘わなければ良かったのに。


「ごめんっ……ごめん、よしのくん」


 そしてある日、どうしてもどうしても、苦しくて。

 吉野くんに会いたくて、耐えきれなくて、お道具箱に入っていたカッターで首を切った。

 頸動脈がどこかも分からなかったから、とにかく喉に突き刺さした。

 あとを追っちゃう、弱い私を、許してね。

 ぬるり、と。喉に血が溢れた。








 世界が揺れた。










 視界に広がる世界が信じられなくて、ゴシゴシと目を擦った。


「かわいいじゃん。普段の方がもっと、かわいいけど」


 目の前に、吉野くんがいた。

 それが信じられなくて、嬉しくて、さっきまでの地獄は夢だったんだって、それからもっと泣いた。何なの、さっきまでの最悪な夢は。最低だ。

 いつ寝たのか分かんないけど、もしかして映画館のシートで寝ちゃったってこと? 私、どこでも寝ちゃうタイプの人じゃないのに、おかしいな。なんか予知夢みたいで怖いんだけど。怖かったんだけど。

 吉野くんは、目の前で泣きじゃくる私を見て慌て倒している。それでも周りから見えないように、自分の袖で優しく私の目元を脱ぐってくれた。

 吉野くんが、暖かい。生きている。確実に、生きてる。余計に涙が止まらない。

 そうなったらもうメイク落としシートじゃ間に合わなくて、今度はハンカチを買ってくれた。

 絶対にこのハンカチはなくさないと、手放さないと心に誓った。

 それから私は、すぐに吉野くんを連れてショッピングモールを出た。どうしても行かないといけない用事ができた、と言ってその日は強引にお開きにした。

 あの地獄を、正夢には絶対にしない。

 それでも不安だったから、こっそり後をつけて、吉野くんが家に入るところまで確認した。ストーカー。いや分かってるけど、それぐらい怖くて、またあの日々に戻ることが、怖くて。

 その日、あの出来事は本当に夢なのだと告げるみたいに、電車の脱線事故は起こらなかった。









 翌日。私は吉野くんを手紙で呼び出して告白をした。あの不吉な夢を見て、もしかしたら両想いなのではないかという確証を持った私は、このまま勘違いしていってしまえと思ったのだ。


「私、ずっと前から、っ吉野くんのことが好きだったの。私と付き合ってください……!」
「っえ! 嘘!? それは俺から言うつもりだったんだけど!」


 吉野くんは、顔を真っ赤にして、陽だまりみたいな笑顔でそう言った。心臓が、止まりかける。


「俺、絶対絶対、佐藤さんのこと超幸せにするから!!」


 吉野くんは、泣きだした。
 つられて私も泣いてしまった。


「っ今日、付き合った記念日だから、一緒に帰ろ。実は俺、その、彼女と、放課後デートするの憧れだったんだ!」


 吉野くんはひたすら私に優しい。その日は部活の試合があったのに、私と帰りたいからと休んで一緒に帰ってくれた。そして勿論、車道側を歩いてくれた。


 ────だから、突っ込んできたバイクに轢かれて死んだのは、吉野くんだけだった。


 鉄臭い血液が飛び散る。手が生ぬるい温度にまとわりつかれて気持ち悪い。どうしてまた、吉野くんは倒れているの。

 どうして私は、軽症で、ピンピンしていて、また倒れ込んだ吉野くんを眺めているの?

 あれは夢だったんじゃないの??

 血の気が引いて、思考が停止する。

 そしたらよく分からないうちに次の日になって、前の席の、吉野くんの席には花瓶が置かれた。

 そのことに耐えきれなくて、また夢の中みたいな、死んだような毎日に戻った。


「もっかい、私が死んだらいいのかな」


 もう一度、決意するまでは早かった。躊躇っていられなかった。もし私が死ぬことで時が戻せるなら、何も怖くない。

 もしこれが夢ならそれでいいし。私の命と吉野くんの命が釣り合ってくれるならいいやって本気で思ったから。

 前は結構苦しかったから、今度はちゃんとすぐに死ねるようにと、ネットで頸動脈の位置を調べた。

 あんまり上手く、死ねなかった。

 もう一度世界が揺れる。



「俺、絶対絶対、佐藤さんのこと超幸せにするから!!」



 目の前で吉野くんが、泣いている。

 私はまた、生きている吉野くんに会うことが出来た。やっぱりまた号泣してしまった。

 吉野くん、吉野くん。やっぱり吉野くんは、暖かいままいてよ。

 私があまりに泣くから、吉野くんは手を握ってくれた。じんわり、暖かい。吉野くんが生きている。吉野くんがまだ、生きている!

 手のひらが、冷たくない。
 それだけで涙が止まらなくなった。
 なんで泣いてるの、と吉野くんは背中をさすってくれた。それを見て、また泣いた。

 泣いてばっかりで、最悪だなぁ、と思う。私は何回、吉野くんにブサイクな泣き顔を見せないといけないんだろう。

 その日、私は吉野くんに部活の試合に出て欲しいと頼んだ。

 私はバイクの事故に合わなかった。吉野くんは部活中に、崩れたサッカーゴールの下敷きなはなって死んだ。目の前の席には花瓶が置かれた。

 吉野くんはまた、死んでしまった。

 ここまでくれば、流石の私も気が付く。
 私の告白が、私の気持ちが、吉野くんを殺している。そしてこの一連の記憶は夢でもなんでもないのだと。

 私は何度も、この数日をやり直しているのだ、と。

 家に帰ってすぐ、躊躇いなく喉にカッターを刺した。流石に少しは上手く死ねるようになった。ぬるり、と喉に血が溢れる。


 3回目でも、不快なものは不快だった。


 それからは色々試した。

 途中で睡眠時間に比例して戻れる時が違うのだと気がついてからは、吉野くんの関わらないほぼ全ての時間を睡眠に費やした。

 それからは、もっと前へ戻れるようになった。

 最初はガムシャラに吉野くんを守ろうとして、何度も目の前で失った。

 だから次は、最初から吉野くんを好きにならないように生きようと思った。他に好きな人を作ろうと思った。それなのに、気づいたらいつも吉野くんを目で追いかけてしまう。

 繰り返すたびに、吉野くんをより好きになっていく。なんでお年寄りに優しいの。子供にも優しいの。もっと最低な人間になってよ、と思っている私が最低だった。

 将来は大きな家で、犬を飼って、家族とゆっくり歳を取るのが理想だって、子供は二人欲しいって、絶対俺過保護にしちゃうだろうなって。

 そうだろうね、なんとなく分かるよ。
 私の好きになった吉野くんはそういう人だよ。

 なんでその話を私にするの?
 私のいる未来を信じてくれるの。
 どうして色褪せてくれないの。


「俺、佐藤さんのことが、好き、なんだけど。一生幸せにするから、俺と付き合ってください……!!」
「……っはい」


 ────どうしたら吉野くんを好きにならずに生きられるのか、分からなくなっちゃった。

 今回こそは吉野くんを諦めるって決めたくせに、うそつき。



 リセット。リセット。リセット。リセット。



 自分では耐えられなかったから、今度は吉野くんに好かれずに生きていこうと思った。私は吉野くんが好きで、それは変えられないから、一生私の片想いで終わればいい。

 両想いになることが吉野くんの死の条件なら、こうだっていいはずだ。君が私以外を好きになることで、君に朝が来るなら、私は全然平気だよ。

 そう、思ったんだよ。本当に。
 だから。


「なんか俺さー、佐藤さんの喋り方好きなんだよね」
「えー? 何それ」
「ほら! その、親しみある感じ。すげー、好き」


 まず喋り方を敬語に変えた。
 これで近寄りがたくなったかな。


「佐藤さんは世界一ポニーテールが似合います」
「……それはありえないと思いますけど」
「いやこれ俺の意見だから。尊重してください。俺、一生佐藤さんの髪型が変わらないとしたらポニーテールがいい」
「なんですか、それ。私、来週髪を切る予定なんですけど」
「そんな御無体な……!?」


 その時はどうしても切れなくて切るのやめちゃったから、次ではバッサリ髪を肩のところまで切った。


「佐藤さんって裸眼?」
「いえ、コンタクトですけど」
「え、そうなんだ。俺、結構メガネも好き」
「……何アピールですか」
「メガネ見たいですアピール」
「嫌です、絶対」


 だから、次では絶対メガネにはしないって誓った。

 こうやって少しずつ、吉野くんの好きになってくれた佐藤円香を殺していった。どこまで消したら、吉野くんの好きになってくれた私じゃなくなれるんだろうね。


「俺っ、佐藤さんのことが好きです」


 どうしていつも、そんなに真っ直ぐな目で、私に好きって言っちゃうのかな。


「…………私も、好きだよぉ……」


 必死に止めていたはずの言葉が、喉をついて出てくる。涙の止め方を一瞬で忘れてしまった。

 佐藤くんに告白される時はいつも、泣いてしまう。また私を好きになってくれたと、やっぱり喜んでしまう私がいるのが一番、馬鹿みたいだと思った。

 今回こそは、と祈ったその夜。
 佐藤くんは強盗に殺された。










「だから吉野くん、聞いてます?」
「あっ、ご、ごめん。何?」
「もー。もっかいしか言いませんからね?」


 だから、今度こそは失敗しない。

 私は、寝起きの眠い目を擦りながら、ぐっと自分の手のひらに爪を立てた。

 もう、何回目の正直か分からないけれど、絶対に吉野くんを死なせない。このタイムリープだって、いつまで続いてくれるか分からないのだから。


「私、好きな人が出来たんです。高橋くんって彼女いるんですか? 確か吉野くんと同じ部活でしたよね!」


 今回の作戦はこうだ。

 私はどうしても吉野くんを好きになってしまう。吉野くんは今回も、私を好きになってくれるかもしれない。

 だったら予防線として、私に、他に好きな人がいることにしたらいい。


「ん、同じ。多分彼女いないと思うけど」
「そうなんですね! よかったぁ……!」


 その相手として、吉野くんの友達の高橋くんを選んだ。私、好きな人がいるんです。あなたの友達が好きなんです。だから、これ以上、近づかないでください。


「あのさ、俺、相談乗るよ。高橋のこと良く分かってるし。今日この後空いてたら、駅前のファミレス行かね?」


 吉野くんは、そう言って空元気さを押し殺して笑った。私のことを好きにならないで欲しい。それなのに、吉野くんの傷ついた表情が見れて喜んでしまっている自分がいる。

 ダメだよ。だって、また死んじゃうのに。
 近づいたらダメなのに。

 それなのに、今回こそはって、いつもどこかで願ってしまうから。恋愛相談することでもっと予防線が引けるとか言い訳をして、私はついつい、首を縦に振ってしまったのだ。


「……ん? 佐藤さん今日疲れた顔してんね。寝不足……はないか。さっきまでグッスリ寝てたし」

「それはそれ、これはこれってやつです! 期末テストの勉強とか、色々あるじゃないですか。そのせいで夜更かししちゃって」

「うわ、そういやそろそろ期末テストか。すごいよなー、佐藤さんは頭良くて」

「今回は助けません」

「事前申告!? え、やだよ。俺、佐藤さんを頼りに今日まで勉強してないのに!」


 吉野くんは両手を組んで、「助けてくださいお願いします!」と言っている。

 前は立場が全然逆だったのに、おかしいよね。何回も繰り返してるうちに、頭良くなっちゃった。本当は私、すごく馬鹿なのに。

 吉野くんに呆れられながら勉強を教わってたことがあるなんて、今の君に言ったら信じてくれるのかな。


「ってか、テストより佐藤さんが身体壊さないかの方が心配だわ。どうせ深夜まで勉強してたんだろ。あんま無理すんなよー?」


 本当はどうやったら吉野くんの未来を作れるかを考えていたなんて、口が裂けても言えないね。


「無理なんかしてないですってば」


 私は、ふにゃりと柔らかく微笑んで、誤魔化すようにアイスティーを一口すすった。
 取り繕うことばかり上手くなっていく。


 ────無理、してるよ。


 でも、もう辛いとか、苦しいとか思いすぎて、どんどん良く分からなくなってきちゃった。

 だって、私の期待は前向きに死んでいくばかりで。悲しんでる暇なんて、もうない。

 じっと、吉野くんを見る。
 疲れた顔してるとか、どうして気づくの。
 最初の私だったらこれだけで泣いてたよ。
 私、随分強くなったでしょ?

 もし今回の作戦が上手くいったら、ただ優しく、夢の中でぎゅって抱きしめて欲しい。

 ずっと前から、ただ、それだけなの。お願い。













 デート当日。ほんの少し気合いを入れた服装をして、私は待ち合わせ場所の、映画館の入っているショッピングモールへ向かった。

 私達はいつも、同じ内容の映画を見る。
 タイムリープの力を持っている主人公が歴史を捻じ曲げて、好きな人を助ける話。最後には結ばれるハッピーエンド。

 まるでどこかの私のような話だけれど、私の話じゃない。映画にもされるようなありきたりな話のはずなのに、私の物語はひたすらハッピーエンドの光が見えない。

 ありふれた話なら、そろそろ光が見えてもいいのに、私の恋は、ずっと地獄に落ちているみたい。

 前は号泣したはずのこの映画も、繰り返し見るたびに共感できなくなって、主人公に幸せになって欲しいと心から思えなくなって、ただ苦しいだけになってしまった。

 だって私、吉野くん以外の、誰かの明日なんて願えない。


「佐藤さんもポップコーン食べる?」
「……いらないです。手がベタベタするの、嫌いなので」


 共通点は少しでも減らす。話題を、私の情報を、少しでも減らして過ごさなきゃ。「私もポップコーンはキャラメルが好き!」なんて、もう言わないように。

 吉野くんと話すたびに、固かったはずの覚悟が削られて、最後にはドロドロに溶けてしまうから。


「いや俺が買ったの塩味だよ。キャラメルじゃないから大丈夫」
「え。なんでですか。吉野くん、ポップコーンはキャラメルしか食べないじゃないですか!」
「え? 俺、そんなこと言ったっけ」


 言ってたよ。嬉しそうに目をキラキラさせて、私を円香って呼びながら、話してくれたよ。


「吉野くん前に言ってましたよ。ポップコーンでキャラメルを選ばないやつは、キャラメルの素晴らしさに気づいたら人生が8倍楽しくなるって」


 かなり前の吉野くんが、そうやって。
 8倍損してる、じゃなくて楽しくなるって言う、そういうところが好きだと思ったのを、ちゃんと忘れていない。

 こういう時、少し前はすごく慌ててたのに、もう言い淀むこともない。

 好きな人と話す時に、いつも流れるように嘘を吐いて。口調を偽って、自分を殺して。


『何回時を戻しても、どうしてもあなたがいいの!』


 それでもどうしても、吉野くんがいい。

 内容も結末もとっくに分かっているから、ずっと隣の吉野くんを見ていた。
 君はいつも、クライマックスのセリフを聞いて泣く。


『私、今、本当に幸せ!』


 そうだね。私も、ウェディングドレスを着て、世界一幸せだって、君の目を見つめながら笑ってみたかったな。











「あれで泣かない奴いたら鬼だろ……すげぇよ主人公の愛の強さ。あんだけ思われたら俺、もう死んでもいいよ……」


 それは困るよ。吉野くんが死んじゃったら、私も生きていけなくなっちゃうよ。


「本当ですって。ただ、映画を何本も見てると段々泣けなくなってくるんですよ。最初は感動映画なら何見ても泣けるんですけど、なんていうかこう、使い果たしちゃうんです」


 精神年齢ばっかり大人になっちゃったなぁ。一緒に歳をとりたいって言ってたのに、君より先に大人になっちゃった。ごめんね。


「いや、マジマジ。だって佐藤さん、寝起きの瞬間すら超かわ……あ」


 どうしていつも、そうやってさぁ。


「そう、なんだ。ま、色々あるよな。生きてたら」
「……そうですね。死んじゃったら、何もないですから」


 ただ、ただ私は。


「あのさ」
「はい」
「どうしても高橋じゃなきゃダメなの?」
「はい。高橋くんが、いいんです」


 吉野くんと過ごす未来が、欲しいだけなのに。














「…………起きろー、放課後なったぞ」


 いつものように、吉野くんの声が聞こえる。もし今回も上手くいかなったために備えて、ギリギリまで睡眠を蓄えていたから、頭がふわふわする。

 本当の、本当に、好きな人に告白する前なら緊張でこんなことしてられないけど。


「……おはようございます、吉野くん」
「ん、おはよ」


 私は今日、高橋くんをデートに誘う。今日の5時に、この教室へ高橋くんを呼び出した。

 二人きりでデートに誘うなんて、そんなのほとんど告白と同じようなものだ。告白する、と言わなかったのは、ただ私がどうしても吉野くんにそんなことを言いたくなかっただけ。


「あれ、空暗くないですか?」
「今日は先生の話が長かったから、HRが長引いてさ。今、4時40分だよ」
「えっ、マジです? 今から急いで準備しないと……!」


 私はさも慌てているかのようにそう言って、鞄の中からリップを取り出した。そして、唇に丁寧に塗っていく。

 私が高橋くんと付き合い始めたら、吉野くんは今日、死ななくてすむかな。今度こそ、吉野くんに明日の朝をプレゼントしてあげられるかな。

 そしたら、友達としてそばにいても許されるかな。友達の彼女なら、たまに話をしても、許されるかな。

 だって、私。


「佐藤さん」


 そのためにずっと生きてるんだよ。


「俺、佐藤さんのことが好き」


 吉野くんの声に、言葉に、理解がついてこない。なんで。どうして。

 なんで、そんなこと言うの。

 私が、私がずっと、どんな想いでっ……!


「なんで、今言うの」


 喉から、スルリと掠れた声が漏れる。


「だって、私、高橋くんのことが好きって」
「でも、俺は佐藤さんのことが好き。想うだけなら自由じゃん。俺が考えるだけなら自由だろ?
「……そう、だけど」


 やめて。やめてよ。


「私は、吉野くんを好きにならないよ」
「知ってる。言いたかっただけなんだよ。ただ、好きでいたいだけなんだ」
「それがっ、迷惑だって、言ってるの!」


 これ以上好きにさせないでよっ……!!

 感情の行き場がなくなって、身体の中で爆発しそうだ。頬が熱くて、涙が止まらなくて、敬語武装もすっかり剥がれ落ちた。

 やっぱり強くなってない。なれなかった。
 こんなにいっぱい、無理したのに。


「知ってる。ごめんな。俺、最低で」


 吉野くんが悪いことなんて一つもないのに。

 ただ最低なのは、何度戻っても吉野くんと出会う選択をして、吉野くんを諦められない私なのに。


「好きにならせてくれて、ありがとな」


 それは絶対に、私のセリフなのに。
 吉野くんのためじゃなかったら私、こんなに無理出来てないんだよ……!!


「告白、頑張れよ」
「…………っ」


 吉野くんは優しい顔をしてそう言って、教室を出て行ってしまった。


「……そんなこと、吉野くんにだけは言われたくなかった……」


 全部自分のまいた種なのに、傷ついちゃって、馬鹿みたいだ。絶望する資格すらないくせに。


「もう私、頑張れないよ……」



 どうやったらこの、地獄みたいな恋に終わりが来るんだろう。
















「あ、あぁああ、あああ、ぁああああ!!」


 喉の奥から言葉が溢れた。
 私、涙を拭ってすぐ、追いかけたのに。

 目の前には、お腹を刺されて倒れ込んでいる吉野くんがいる。

 鉄臭い赤。錆びついた臭い。君の臭い。
 吉野くんから、こぼれ落ちる血液。


「よしの、くん」


 まるで、自分の声じゃないみたい。
 どうしてまたこうなったの。
 どうしたら君は助かるの。
 どうしたら、また円香って呼んでくれる日が来るんだろう。

 私は119に電話をかけて、すぐに救急車を呼んだ。それなのに、もしかしたら助かるかもしれないって、もう思えなくなってきている自分に吐き気がする。


「幸せになりたいだけなのになぁ……」


 どうやら神様は、どうしても私達のことが嫌いらしい。吉野くんが私に告白することすら、許してくれないらしい。

 次はどうしたらいいんだろう。


「出会わなければ、いいんでしょ?」


 私は投げやりに呟いて、その場にしゃがみ込んだ。

 分かってるんだよ、そんなこと。
 もう気づき始めてるよ。

 本当に吉野くんを思うなら、私と出会わないようにすればいい。


「でも、そんな簡単に諦められるなら、恋なんか最初からしてないんだよっ……!」


 何度も何度も、例え地獄に落ちてでも、この恋を拾って戻ってきてやる。例え今世では結ばれなかったとしても、何回だって可能性を探してやる。

 誰に迷惑をかけてでも未来を掴み取ってやる。運命を捻じ曲げても、吉野くんの隣にいさせて欲しいから。諦めたりなんて、するわけがない。


「……ごめんね」


 世界で一番幸せに出来なくて、ごめん。

 私は、到着した救急車で運ばれていく吉野くんを見ながら、スカートの中に忍ばせてあるカッターのケースをなぞった。




 その夜。病院から、吉野くんが死んでしまったという連絡を受けた。

 ごぽり、と。喉に血の味。



 リセット。ここからまた、地獄の始まり。












「初めまして。俺、吉野健人っていいます!」


 目を開けたら、眩むほど眩しい君の笑顔。
 どうやら今回はここからのスタートらしい。
 私の恋心だけを犠牲に、また世界が回る。


「……私、佐藤円香です」


 心臓の高鳴りを抑えつけて、どうにか返事をした。今ここで無視をすれば、絶交だと言えばいいのに、巻き戻るたびに同じことを繰り返している。

 出会わなければ良かったなんて、やっぱり言えないよ。君に出会えないなら何度も死んだほうがマシだと心の底から言える。

 ────この呪いを運命だと呼んでしまうのは、全部吉野くんのせいだ。

 何度目かの挑戦が、今、はじまる。
 神様。どうか私にチャンスをください。

 どうか側にいさせてください。


「よろしく、佐藤さん!」


 いさせてくれないなら、こうやって、運命に変わるまで何度でも。

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