卒業写真  風音ソラ

 
美月へ
 
 君は知っているだろうか、、
 君に会えなくなっても僕の心の片隅には君が眠っている。

 僕の脳裏には今もあの頃の君が笑っている。
もう君に会えなくなって10年が経ったね。
お互い別々の道を歩んだけど僕たちは精一杯歩んだ。そう、青春の全てを燃やしてー

 涼介は書棚の一番下に眠る本を手に取りその本の172ページを開いた。栞が挟まれたそのページには物語のラストが綴られていた。

 美月、僕たちはあの頃、そのどれもが輝いていた。
もし、あの頃の君に伝えられるなら心からの言葉を君に贈るよ。「ありがとう」って。

 涼介はそっと本を閉じた。
そして、本棚の一番下にあるアルバムの埃を手で払うと本と一緒に大切にしまった。
また、この本はこの本棚の中で何年も眠るのだろう。涼介はそう思った。

「トントン」
「あなた、コーヒーを持ってきましたよ」

「ありがとう。そこに置いといて」
涼介は詩織の方を見て笑顔を見せた。
「あまり、根を詰めてお仕事頑張るとお身体に障りますよ。早く寝てくださいね」
そう言い残すと妻の詩織は書斎の机の上にコーヒーを置いて静かにドアを閉めた。

涼介はコーヒーを啜ってタバコに火をつけた。
立ち昇る煙の中で遠い遠い昔の記憶を思い返していたー


14年前ー2008年ー

 「涼ちゃん! 早く。早く!」
「ハンバーグ定食売り切れちゃうよ!」
「待てよ! 美月。そんなに急がなくても、、」

ーハンバーグ定食完売ー

「あ、、」美月と涼介は目を合わせて落胆した。
「くそっ! 古文の教授の話が長いから間に合わなかった、、」
時刻は12:30分を指していた。

「あ〜あ」
「仕方ないよ、、涼ちゃん見て。見て!」
「オムライスも美味しそうだよ」
二人はオムライスを注文するとトレーを持って列に並んだ。

「急いで食べないと次の授業間に合わないよ!」
「あーあ、これだから古文の西岡嫌なんだよなぁ、、」
不満気な涼介をよそに美月は美味しそうに食べていた。

 「涼ちゃん、就活進んでる?」
 「ぜーんぜん。何社か受けたけど全部ダメだった」涼介は視線を落とした。
 「美月はどうなの?」
 「私も全然だめ、、」
 「出版社とか雑誌の編集者とか応募してみたけど全部ダメだった、、」

 「この先、どうしよう、、」
美月は不安気な表情を見せた。
 「大丈夫! 大丈夫! いざとなったら美月一人くらい俺がなんとかするから」
 「何それ? プロポーズ?」
美月はクスクスと笑った。
 「俺、東京に行こうと思ってるんだ、、」
 「え?」
美月は目を丸くして涼介の顔を覗き込んだ。
 「とりあえずって言うか出版社とかで働きたいなら東京に行った方が早いかなって、、」

 「私は反対だよ、、」
美月は押し黙った。
「何だよ。応援してくれると思ったのに、、」涼介も意気消沈した。

「私は涼ちゃんがここに居てくれるだけでいいんだよ。」
美月は悲し気な表情だった。

「それに、毎日連絡するし、手紙も書くから、、」

「嫌だよ、、」

予想外の美月の反応に涼介は困惑していた。

「ごめん、、でも、もう行くって決めたんだ。」
 
 美月はオムライスを半分食べた所で食べるのをやめた。
「私は絶対嫌だからね」
唖然とする涼介を置いて美月は席を立った。
 
 それから数日が過ぎた。
涼介の携帯がなった。
携帯の画面には美月からのメッセージが表示されていた。
「涼ちゃん、この前はごめんね。私、大人げなかったね。東京に行くことが涼ちゃんの夢への足掛かりになるのなら私、応援するよ。がんばって! 美月」

 「美月、、」
「美月ごめんな、、1年で結果が出なかったら福岡に帰ってくるよ。お互い頑張ろうな。」
涼介がメッセージを送るとすぐに美月からの返信が返ってきた。

「私はいつだって涼ちゃんの味方だし、応援団だよ! 美月」
涼介は目を細めた。

「美月ありがとう」

 美月も涼介も希望する会社に就職出来ず、学生生活最後の秋を迎えていた。

その日、涼介は大学からの「卒業写真撮影のお願い」を見ていた。

「卒業写真撮影のお願い」
日時10/19(日)14:00〜
場所 大学大ホール
なお、複数人で写っても構いません。
お誘い合わせの上、ご参加ください。

 涼介は美月に電話をかけた。
「もしもし、涼ちゃん。卒業写真一緒に写ろう!」
美月の声は弾んでいた。
「何で分かったの? ちょうど同じこと言おうとしてた。ははは」
涼介は苦笑いを浮かべたが嬉しかった。

「来週の日曜日だね! 二人で写るの楽しみだね!」
美月は嬉しそうに息を弾ませた。
「それじゃ、来週の日曜日に4号棟で待ち合わせね。時間守ってよね」
「はいはい。了解しました」
涼介は笑った。
「それじゃ、来週の日曜日ね。楽しみにしてる」
そう言うと美月は電話を切った。

◇◇◇◇

「ジリリリリリッ!」
涼介は目覚ましを止めて目を覚ました。
「いけねっ。遅れる」
大慌てで準備をして涼介は大学の4号棟へ向かった。
秋風が心地よく澄み切った空気の中、涼介は4号棟へ走った。

「遅いーー!」
「ごめん。ごめん。」
「涼ちゃん、寝癖!」
涼介の寝癖を美月は指でといて直した。
「ホールまで急ごう!」
二人で大ホールまで走り、息を切らして中に入った。
 「ギリギリセーフ」
 「もーう」
美月はふくれっつらだった。

「学籍番号251と252番の方〜」
二人は呼ばれ並んで笑顔でシャッターに収まった。
「もうー涼ちゃん来るの遅いから綺麗に写れなかったよ」
美月は涼介に言った。

「美人だからどう写っても可愛いの!」
涼介が悪びれると二人で目を合わせて笑った。帰り道、秋のキャンパスを二人で並んで歩いた。

「ねぇねぇ、涼ちゃん。初めて出会った日のこと覚えてる?」
「もちろん」
「高校の文芸部に入ったら俺とあと一人のオタク男子だけでガッカリしてたら、突然、美月が遅れて入ってきて、私も入ります!」なんて、言って入って来てくれたんだよなぁ。
「あの時は嬉しかったなぁ、、」

美月はクスクスと笑うと「私も初日の部室に入ったらメガネのオタクの人しか居なくて焦ってたら奥に涼介が座ってて嬉しかった。懐かしいね、、」
美月は感慨深そうに話した。

 すると、突然美月は足を止めて右手を差し出した。
「東京行っても頑張ってよね! 約束だよ」
涼介もその手を握り返した。
もう一度強く握ると涼介はその手をそっと離すと「頑張ってくるな」優しい笑顔を浮かべていた。

ー12年前ー2010年ー

 ATMから引き出された金額を見て涼介は落胆の色を隠せなかった。
「はぁ〜また今月の給料これっぽっちか、、」
「家賃の支払いどうしよう、、」
 涼介はATMから現金を引き出すと一人公園で頭を抱えていた。

 「あれだけ、頑張ったのにたったこれだけか、、」
初夏の薫り漂う緑の木漏れ日に照らされて涼介はこれからのことを思案していた。

 相沢涼介は今年大学を卒業したが就職活動が上手く行かずフリーター生活を送っていた。
大学の文学部を卒業した涼介はアルバイトのライターとして小さな仕事を請け負っては何とか生活費を稼いでいた。

 「もう、今のバイト辞めよっかな、、」
涼介は携帯を取り出すと求人の検索を始めた。勤務地と職種を入力するだけで高時給のアルバイトがいくつも出てきた。

 工場、配送、飲食、介護。そこには魅力的な言葉が踊るアルバイトの求人が涼介のことを待っているようだった。
 
「どうしよっかな、、」
涼介はその中のいくつかの求人の「応募する」ボタンを押して空に浮かぶ白い雲を眺めていた。

すると、早速電話がかかってきた。
「こちら、××株式会社 採用担当です。この度はご応募ありがとうございます。つきましては早速面接日時を設定させて頂きたいのですが、、」
電話口の担当者はとても丁重でどこか事務的な口調で涼介へ面接の案内をした。

その時、涼介の脳裏に美月の言葉が蘇ってきた。

「ねぇねぇ、涼ちゃん、いつか涼ちゃんの書いた本が出るといいね。私、楽しみにしてるから、、」

「もしもし、お電話が遠いでしょうか?」
「面接の日時を決めさせて、、」
「あの、すみません、少し考えさせてください」涼介はそう伝えると衝動的に電話を切っていた。

「美月ごめん、、美月との約束があったよな、、」
涼介はスマホを閉じると自転車を押して公園を出た。
涼介の心に深い虚無感が襲って来た。
「俺、何やってるんだろう、、」

 「ただいま、、」

誰も居ない部屋に涼介は帰るとそこには書きかけの原稿や仕事の打ち合わせの資料が散乱していた。

原稿と資料をきれいにまとめて整理すると涼介はダンボールに入れて、押し入れの中に仕舞った。

「ピーンポーン!」
不意に家のチャイムがなった。
「宅急便でーす」
涼介は宅急便を受け取ると中を開けた。差出人は故郷の母だった。

「涼介へ

元気にしとるね?
たまには帰ってこんね。
体だけは大切にしないさいね。

母より

追伸
美月ちゃんも涼介に会いたがってるよ。母」

 涼介は手紙を仕舞うとベッドに横になった。
涼介は地方の大学を卒業後この東京に来ていた。
彼女の美月との約束を守るために日々の生活に追われながらもライターになる夢を追い続けていた。

◇◇◇◇

 「カランコロン!」
「いらっしゃいませ!」
「えーと、苺のショートケーキにチョコレートケーキをください」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
美月は満面の笑みでショーケースの中から苺のショートケーキとチョコレートケーキを出してきれいに包装した。
「お待たせ致しました!900円になります」
「いつもありがとうね」ケーキを注文した客は笑顔で店を後にした。

「カランコロン!」
「いらっしゃい・・ませ」
「美月ちゃん、ごんめんねー遅くなって」
「あ、彩さんおかえりなさい」
「すぐ支度するからね。ちょっと待ってて!」

 美月は洋菓子店フォンテーヌの看板娘だった。
フォンテーヌはこの街の人気の洋菓子店でショートケーキが看板商品だった。
「美月ちゃん、休憩入って! 後は大丈夫よ」
「ありがとうございます」
美月は頷くとエプロンを外して店の奥の休憩室に向かった。

 休憩室に入り遅い昼食の後、美月は携帯を取り出した。

ー新着メッセージ0件ー
「はぁ〜涼ちゃん元気にしてるのかなぁ〜」
美月は携帯を握りしめて窓の外を見た。
休憩室の小さなTVのスイッチを押そうとしてやめた。
「涼ちゃん、、」
木漏れ日が美月の横顔を照らしていた。


ー11年前ー2011年ー

 「あれから、1年か、、」
涼介は深いため息をついた。部屋の一番隅にある棚の中の一冊のアルバムを見ていた。
そこには弾ける笑顔の涼介と美月が写っていた。涼介はアルバイトのライターとしての最後の原稿を書いた。

 もうこれで大好きな文章や創作との別れを惜しむように一行一行心を込めて書いた。
それをパソコンからクライアントに送信して美月との思い出のアルバムを閉じた。

すると涼介に一通のメールが届いた。

「お仕事お疲れ様でした。明日、原稿料を振り込みますのでご確認の程よろしくお願いします」

涼介は携帯を閉じると静かに目を閉じた。
美月の優しい笑顔が浮かんできた。

「美月ごめんな、、夢叶えられなくて、、」
涼介は虚しさを感じていた。
アルバイトのライターとして最後のメールに返信すると涼介は目を閉じた。

そこにはついさっきのことのように美月との思い出が蘇ってきた。
「美月頑張ってるかな、、」
涼介は携帯を取り出して美月へ電話をかけようとしたが出来なかった。
「まだ、電話は出来ないな、、」
やがて涼介は深い眠りについていた。

 翌日、涼介は振り込まれた原稿料で美月への誕生日プレゼントを買い手紙を添えて美月へ贈った。

「美月へ

お誕生日おめでとう。僕は何とか元気にやってるよ。美月も元気にしててくれよな。プレゼントを贈るね。つけててくれたら嬉しいな。今から寒くなるから身体気をつけてな。

涼介」

二週間後、美月から涼介に手紙が届いた。
赤く可愛いレターセットに美月の写真と共に手紙が添えられていた。
涼介は丁寧に封を開けた。

「涼ちゃん

プレゼントありがとう。すごく嬉しかった。
ネックレスだなんて涼ちゃんらしくないけど誕生石のネックレス探してくれたんだね。毎日つけるね。涼ちゃん、涼ちゃんも元気にしてる?たくさん食べなきゃダメだよ。次、いつ帰ってこれる?それとね。私、彩さんのお店で働いてるんだけどスイーツが大好きになっちゃった。それで彩さんの勧めでパティシェの学校に行こうと思ってるんだよね。全然知らない世界だけど挑戦してみようと思ってる。だから、今度は涼介が応援してよね!
美月
P.S.大学の勉強無駄になっちやったね(>_<)」

そこには涼介が贈ったネックレスをつけてフォンテーヌの前で笑顔で写った美月の写真があった。
「美月、、変わらないな、、」
変わらない美月の笑顔に涼介の胸は熱くなった。
涼介は美月の写真を本棚に飾った。
写真の中の美月は涼介の好きな変わらない笑顔だった。涼介は美月と離れた時間の重さを感じていた。

「仕事探さなきゃ、、」
パソコンを開けてメールをチェックしていると一通のメールが来ていた。

「突然のメール失礼致します。転職サイトでの貴方の経歴を拝見し、一度お会いしたいと考えております。つきましては一度ご来社頂きお話したいと思います」
「スカウトかな、、」
ただ涼介はその後の文章を見て落胆した。

「ただ、今回の採用は営業職としてのお話になりますがどうぞよろしくお願い致します。文桜出版株式会社 採用担当」

「営業職、、」
「どうしようかな、、」
涼介は数日悩んだが一度話を聞きに行ってみることにした。と言うよりそれしか選択肢がなかった。指定された日時に出版社を訪れた。

会議室に通されていくつかの質問に答えた。
あっという間の出来事だった。
涼介は文桜出版で営業職として働くことになり、マンションへの帰路に着いていた。
「何でこうなったんだろ、、」

夕日が傾く東京の街を一人途方にくれて歩いていた。本当なら喜ばしいことだが涼介は素直に喜べない自分がいた。ライターとして編集部で記事を書くことが涼介の夢だった。

涼介は帰りの山の手線の車内で美月にメールを打った。

「美月、就職決まったよ。出版社なんだけど営業職なんだ。でも、そこからのスタートってこともあるし、喜んでくれよな。涼介」
送信ボタンを押すとすぐに美月からの返信が来た。

「涼ちゃん、良かったね!おめでとう。全然気にすることないよ。そうだよ。むしろ、そこからのスタートだよ。頑張って。応援してる。美月」
携帯を閉じて涼介は深いため息をついた。

 きっと、世の中は自分の想いとは全く違う方向に物事が進んで行くのかも知れない。
何故か少しだけ美月の笑顔が遠くに感じられた。すぐそこに美月の笑顔があるのにすごく遠く薄いもやの中に美月の笑顔があった。

 桜新町のホームに着いて涼介は改札を出た。夕方のホームはサラリーマンやOLでごった返していたがそれはそのまま自分の未来を象徴しているようだった。

スーパーや飲食店が立ち並ぶ街並みを抜けてこじんまりとしたマンションに着いた。

その日、涼介は東京に来て初めて飲みに出かけた。やけ酒とも祝杯とも取れるたった一人の宴をこじんまりとした飲み屋であげた。

昔、美月と歌った想い出の歌を一人で歌った。その店はママと20代のホステス二人だけのお店だった。

里奈と名乗る20代のホステスはおめでとう。と言って祝杯を求めたが涼介は少しも嬉しくなかった。

お代を支払い店を出るとすっかり辺りは暗くなっていて三日月が悲しげに涼介を照らしていた。

涼介は部屋に戻り、携帯を握り締めると美月に電話をかけた。

「もしもし。涼ちゃん!」
美月の声は弾んでいた。

「元気だった?」
「うん。元気だよ、、」

「涼ちゃんの声聞くの久しぶりだね、、何かあった?」

「いや、何でもないよ。ただ美月の声が聞きたいなぁと思って、、」

「美月といた頃楽しかったなぁ、、」

「涼ちゃん、、」

「やっぱり、美月の言う通り福岡に居れば良かった、、」涼介の声は震えていた。

「美月、、俺もうダメかもしれない、、」
美月は震える涼介の声を聞いていた。

「夢なんて追いかけるのばかばかしいよな、、」

「ライターなんかならなくても美月が側に居てくれるだけで良かった、、」
電話口の美月の声も震えていた。

「でもね。私はそんな涼ちゃんが好きなんだよ、、」

「優しくて一生懸命で夢を追いかける涼ちゃんが、、」

部屋の窓から微かに明かりが差し込んでいた。

「楽しかったな、、大学生活、、」

「また、元気な声聞かせてくれよな、、」

「涼ちゃん、、」

長い長い沈黙が続いた。
涼介はそれだけ告げると眠るように意識が遠のいていったー

◇◇◇◇

 「美月ちゃん、お疲れ様。今日はもう上がって良いわよ。ありがとう。これからご飯にでも行く?」
エプロンとコック帽子を取りながら彩はニコリと微笑んだ。
「え〜嬉しいな。行きます。喜んで」
美月は笑顔を見せてフォンテーヌの後片付けと清掃を終えて彩と食事に向かった。

 通り沿いの洋食店に入り、美月は大好きなオムライスを注文した。彩も同じものを注文して二人で乾杯した。
 
 「美月ちゃん、行く学校決まったの?」
彩は美月に優しい笑顔で語りかけた。
「はい。市内の洋菓子専門学校に行こうと思って、、」
「そっか、それじゃお店に入るのは学校お休みの時で良いからね。あ、でも無理しなくていいよ」
「美月ちゃんのペースで入ってくれたらいいから」
「了解です!」美月は舌を出しておどけてみせた。

「でも、本当に良かったの?」
彩は申し訳ないという素振りをした。
「良いんです。小さい頃からケーキが大好きだったし彩さんのお店を手伝っているうちに自分が本当にしたいことが見えてきたって言うか、、」
美月はオムライスを食べながら微笑んだ。

「私、5歳の時に父親亡くしてるんですけど小さい頃母と作った不恰好なケーキを父は喜んで食べてくれたんです。」
「それが本当に嬉しくて、、」
「そうだったのね、、」
「父の記憶はあまりないんですがそれだけは鮮明に覚えてて、、」
「父が亡くなって母がパートのお仕事に出るようになってもずっとケーキを作る真似事をしてたんです。弟と二人で母が作り置きしてくれてたご飯を温めて食べてたんですけど寂しかったんです。だから、涼介に出会って本や小説、芸術のお話なんかを涼介から聞くたびにすごく新鮮に思えて、、涼介は私の心の支えなんです。」
美月は愛おしそうに話を続けた。

「涼ちゃん、あんな性格だから言い出したら聞かなくて、、本当はこの街にずっといて欲しかったんですけど、涼ちゃんが夢叶えるまで私も夢を追いかけてみようかな〜なんて。」
すると美月はバッグからおもむろに一冊の本を取り出した。

「これ、涼ちゃんが初めてプレゼントしてくれた本なんです。高校2年生のホワイトデーに校門で待っててくれて、これしか買えなかったって、、」

 美月は『蹴りたい背中』を愛おしそうに見つめていた。

「文学部に進んだのもただ涼ちゃんの側に居たかっただけなんです。」
美月は遠い昔を思い出すように話した。

「そうだったのね、、」
「涼介くん、優しい人なんだね」
「涼介くんのことを支えてあげてね」そう言うと彩は美月に優しい微笑みを向けた。

 美月は文庫本の栞の挟まれたページを愛おしそうに見ると本を閉じて大切にバッグの中に仕舞った。
栞が挟まれたページには涼介と写った写真が大切に挟まれていた。

 彩にお礼を言って美月は家路に着いた。洋食店からの帰り道、夕焼けが黄昏色に染まっていて、美月は東京で一人頑張っている涼介を想った。

空は茜色に染まり美しかった。ただ美月の心は何故か言いようのない不安を抱えていた。

「涼ちゃん、、涼ちゃんに会いたいな、、」
空は綺麗な黄昏からやがて徐々に暗くなっていった。
「涼ちゃん頑張ってね、、」
「私も頑張るよ。」美月はそう小さく呟いていた。

◇◇◇◇

 「相沢! 2番に電話!」
「はい。こちら文桜出版、相沢です」
「すみません。至急届けますので、、申し訳ございません。はい。今日の午後にお届けします。失礼致します」
涼介が電話を切ると上司の杉崎が声をかけた。
「小波書店さんから?」
「はい。新刊の在庫が無いから至急届けてください」って。
「そうか。それじゃついでにキャンペーン商品の案内も頼むな」
「はい。了解です」

「それと、午後から取引先回りも頼むな。あと昼飯まだだろ。一緒に食べに行くか?」
「はい。ありがとうございます」
社員食堂で遅い昼食を取ると杉崎に連れられて屋上にやってきた。
「お前、タバコ吸うのか?」
「いえ、僕は、、吸いません」

「そっか。面白くないやつだなぁ、、」
杉崎は笑うと缶コーヒーを渡してくれた。
「お前、ライター志望だってな」
「はい」
「たぶん、、この会社じゃ一生なれないぞ」
杉崎が冗談とも本気とも取れる語気で言った。

 「俺も昔、作家志望だったんだ、、」
「本なんてつまらないよな、、」
杉崎は急にそんなことを言い出した。
「多くの人が心血を注いで出版しても売れるのはほんのごく一部、、あとは誰の目にも触れずに消えていく、、街の古本屋やネットには1円や数十円の価格で本が並んでる」
涼介は何も言えなかった。

「でもな、、誰にでも大切にしている本ってあるだろ?」
杉崎は言葉を続けた。
「そんな本を世に出す手伝いが出来るといいな。」
杉崎はタバコをふかして東京の街並みを眺めていた。
「大切にしている本、、」
一瞬涼介の脳裏には美月の姿が掠めた。

「さっ、仕事。仕事」
「頑張れよな」
杉崎は涼介の肩をポンと叩くと手を振って部署に戻っていった。

その日の帰り道、涼介は帰りの電車を途中で降りて神保町に寄っていた。
多くの本の中から以前、美月に贈った本を探していた。

100円の値札が貼られたその本を手に取りレジへと持っていった。眼鏡を掛けた若い女性店員が丁寧に本を包んで涼介に差し出した。「100円になります」女性店員は両手で涼介に本を差し出した。

涼介が支払いを終えて店を出ようとすると女性店員が声をかけた。
「あの、突然すみません。その本良いですよね、、あの何て言うか、、私も好きなんです。」

「あ、すみません。何でも無いです、、」

女性店員は恥ずかしげに目を伏せた。
涼介は微笑むと語り出した。

「いえ、良いんですよ。僕もこの本好きなんです。この本、以前好きな人に贈った本なんです。実家の本棚にあるんですけど久しぶりに読みたくなって探したけど見つけられなくてここに来たんです」

「そう言ってくれて嬉しかった、、ありがとう。また来ますね。」
そう言って涼介は笑顔で店を後にした。
涼介は不思議と温かい気持ちに包まれていた。

久しぶりの嬉しい出来事に本が大好きだった頃の自分を思い出していた。
マンションの鍵を開けて部屋に着くと写真の中の美月が笑っていた。
「美月、ただいま」

カバンから書店で買った本を出して1ページ目を捲った。
涼介の胸に熱いものが込み上げてきた。
その本の172ページに栞を挟んでそっと机にしまった。
窓から眺める街並みは何も言わずにただ涼介を見守っていた。何処までも温かく。美月の笑顔のようにー

 「それでは今日の実習は洋菓子の基本中の基本について勉強します。」

「各自、教科書のレシピを参照しながら作業を進めてください」
美月は洋菓子専門学校の実習に励んでいた。
レシピ通りの分量を計量してボールに入れてミキサーをかけた。

不意に美月のコックコートに生クリームがかかった。
「あっ、ごめん、、」
隣の生徒の男の子が勢いよくミキサーをかけすぎたせいで美月の服に生クリームがべったりと着いてしまった。
「ごめん、、洗って返すから。」

 その生徒は三木裕哉だった。
入学当初から学校で一人浮いていた。
覚えが悪く、落ちこぼれの生徒だった。
「本当にごめんな」
裕哉は申し訳なさそうに美月に詫びた。

「良いよ。気にしないで。大丈夫だから」
美月は笑顔を見せて服に着いた生クリームをティッシュで拭いた。
「はい。これで元通り」
「そこの二人!授業に集中しなさい」
講師に咎められ、二人は謝った。

 授業の帰り道、美月は裕哉と帰っていた。

「さっきはごめんね。僕、この勉強無理かも知れない、、ははは」
悪びれて笑う裕哉はいつの日かの涼介と重なった。
「まだ、決めつけるのは早いよ。これからだよ」
「それじゃ、また明日!」
「ありがとう。それじゃ!」

 次の日、裕哉は学校に来なかった。
美月は心の何処かで裕哉を心配していた。

 日曜日、美月は彩の店を手伝っていた。
「美月ちゃん、ごめんなさいね。忙しくて」
「全然へーきですよ。むしろなんか、楽しいです」
美月は満面の笑みを見せた。
夕方の特にお客さんが混む時間帯だった。
ひとしきりお客さんが途切れたところでお店の入り口のチャイムがなった。

「カランコロン」
「いらっしゃいま、、せ」
美月が振り返ると入り口には同じようにびっくりしていた裕哉がいた。

「あっ、矢野さん、、ここでバイトしてたんだ」

裕哉は気まずい様子だった。
しばらくの沈黙が流れた。

「昨日、雑誌を見てたらおススメのケーキ屋さん特集でここのお店が紹介されてて、、だから、少し遠かったけど来たんだ」
あまりの裕哉の慌てように美月はクスクスと笑いだした。

「別にお客さんなんだからそんなに慌てなくても大丈夫だよ。いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」
美月は戯けてみせた。

「あっ、そっか。ははは」
裕哉もようやく笑顔を見せた。
「それじゃ、苺のショートケーキとマスカットのムースケーキをお願いします」

「お待たせしましたー」
美月は手際良くケーキを包むと裕哉に差し出した。900円になります。
「ありがとう。」
裕哉は笑顔で受け取ると店を出ようとした。
「裕哉くん!一昨日学校休んだでしょ。ちゃんと来なきゃダメだよ」
美月は裕哉に笑顔を向けた。
「うん。ありがとう。また学校で、、」
裕哉はもう一度、美月に微笑むと店を出て行った。

 「学校の同級生?」
店の奥から彩が顔を覗かせた。
「はい。学校の同級生なんですけど最近、学校休んでて。心配なんです」
美月が不安そうな表情を覗かせると「一緒に頑張ってあげてね」そう言うと彩はニコリと笑った。

 しかし、翌週も裕哉は学校に来なかった。
学校の昼休みに同級生たちが噂していた。

「裕哉、学校辞めるかもだって、、」
「そうなの?頑張ってたのにね、、」
皆口々にそんなことを話していた。
授業を終えて美月は家路についた。
「裕哉くん、大丈夫かな、、」
そんなことを美月は考えていた。

学校を出て天神の街を歩いていると不意に後ろから美月を呼ぶ声が聞こえた。そこには裕哉が立っていた。

「裕哉くん、どうしたの?」
美月は驚いた。
それと同時に怒りとも悲しみとも言えない感情を抱いていた。
「これ、、新品のコックコート、、この前服汚しちゃったから、、」
裕哉は美月の目を見れず服の入った紙袋を渡した。

「それじゃ、、」
裕哉が走り去ろうとするのを美月は呼び止めた。
「裕哉くん!そんなの良いから学校どうするの?」
美月は悲しげに問い詰めた。裕哉は足を止めて振り返った。

「ごめん、、僕、学校辞めようと思ってる、、学校辞めて佐賀に帰ろうと思ってる」そう言うのが精一杯だった。うなだれる裕哉に美月は少し呼吸を置いて優しい眼差しで語りかけた。

「裕哉くん、私たちパティシェになりたくてこの学校に来たんじゃない。最後まで頑張ろうよ」

 裕哉の肩は小さく震えていた。
「まだ、始まったばかりじゃない。そんなに簡単に夢を諦めちゃダメだよ、、せっかく頑張ってたのに、、」
いつの間にか美月も涙目になっていた。美月は同じ夢を持った仲間をなんとか勇気づけたかった。

「ね? あともう少しだけ頑張ってみよ」
そう言って裕哉を励ました。すると裕哉はしばらく考えていたが少し表情を崩して美月に言った。

「矢野さん、ありがとう。分かったよ。何処までやれるか分からないけどもう少しだけ頑張ってみるよ」
裕哉はそう言うと美月に精一杯の笑顔を見せた。

 それから二人は並んで天神の街を歩いた。
天神の雑踏の中をしばらく無言で歩いた。
すると沈黙に耐えきれず裕哉はおもむろに話し出した。

「僕の家、代々続く洋菓子店で小さい頃からケーキが大好きだったんだ、、母親が誕生日に焼いてくれるケーキがすごく美味しくて小さい頃から家を継ぐものだと思ってた。下は妹たちで継げるのは僕だけだったから、、期待されて佐賀の家から出てきたんだ。」

「だけど、学校に来てみると全然レベルが違ってて正直焦ったんだ。毎日実習で失敗するし、向いてないと思った、、」
裕哉は一言一言噛み締めるように美月に言った。

「矢野さんにクリームをかけてしまって申し訳なくてそれで辞めようと思ったんだ」
「それに、、」

「それに?」
美月が聞き返すと裕哉は焦ったが「いや、何でもないよ。矢野さん、ありがとう。頑張るね」
そう言うと美月に手を振り電車のある駅の方角に歩いて行った。

「全く、、」
美月は呆れたが半分安心していた。
紙袋の中を見ると新品のコックコートが綺麗に入れられていた。
 
 美月は家路を急ぐためにバス停に向かった。
バスの車内から流れてゆく景色を眺めていた。
「裕哉くん頑張ってくれると良いな。」
漠然とそんなことを考えていた。

◇◇◇◇

 その日、涼介は神保町の古書店に向かっていた。
小雨の降る中、古書『たにがわ』に入った。その店は先日涼介が美月との思い出の本を買った書店だった。
上司の杉崎に言われ絶版になった仕事の資料を探しに来ていた。

 店に入って店内を見渡すと先日、涼介に声をかけてくれた女性店員は居なかった。
少し寂しく思ったが杉崎に言われた本を探していた。
「やっぱり、ここにもないか、、」
涼介が店を出ようと諦めかけていると、後ろから誰かが本が差し出した。

「これですか?」
振り返ると先日の女性店員が微笑んでいた。
「え?」
涼介が驚いているとその手には涼介が探していた本が差し出されていた。
左手には畳まれた傘が持たれていた。

「あ、これ。小雨が降っていたので、、」
そう言いながら女性店員は白く曇り雨に濡れた眼鏡を取った。その顔は先日とは全く違う印象の白く綺麗な顔立ちの優しい顔だった。

「あ、いや。そうじゃなくて、どうしてこの本って分かったの?」

女性店員は涼介が持っていた、メモを指差した。
「そのメモですよ」涼介は頭をかいた。
「あっ、これか、、」
「それだけ大きく書いてあったらすぐ分かります」女性店員はふふふと笑った。
「あ、、そう言えば先日はありがとう。あんな風に言ってくれてすごく嬉しかった」

「あ、そう言えばお名前なんて言うのかな?何て言うか、、その同じ本が好きな人の名前が知りたくて、、」
「詩織です。詩を織ると書いて詩織です」
「両親も本が大好きでしたから、、」
詩織は嬉しそうに微笑んだ。

「あ、お仕事とは関係ないかもしれないですがこちらの本もおススメですよ」
詩織は一冊の文庫本を涼介に持たせた。

「私が一番好きな本なんです」
そこには涼介も知っている本のタイトルが記されていた。
「良かったら、読んでみてください。」
「ありがとう、、それじゃ、この2冊ください」
「はい」
詩織は丁寧に包装紙に包んで濡れないように紙袋に本を入れて涼介に手渡した。

「あの、、感想聞かせてくださいね、、それと良かったらお名前、、聞いてもいいですか?」

「涼介だよ。相沢涼介」
「詩織さんは?」
「上条、、上条詩織です」

「ありがとう。必ず勧めてくれた本の感想伝えにくるから、、」
涼介はニコッと笑うと傘をさして店を後にした。紙袋から詩織の温もりが伝わって来るような気がしていた。
「優しい人だな、、」
涼介はそんなことを思っていた。

 駅に急ぐ涼介の携帯が鳴った。
急ぐ足で携帯の画面を見ると美月からのメッセージだった。
「涼ちゃん! もうすぐクリスマスだね。クリスマスには涼介に会いに東京まで行くよ。楽しみにしててよね。美月」

涼介は温かい気持ちになり、携帯を閉じて電車に飛び乗った。
「5番線電車が出発します!」ホームのアナウンスが流れると神保町の街並みがゆっくりと遠ざかっていった。
車内は比較的空いていたが涼介は窓側に立って過ぎて行く街並みを見つめていた。

◇◇◇◇

やがて東京に来て最初の冬がやってきていた。

「涼ちゃん。涼ちゃん。私のこと忘れないでね、、」

「忘れないでね、、」

涼介はうなされて目が覚めた。
時計を見ると夜中の2時を回った所だった。
「夢か、、」
涼介は最近美月の夢ばかりみていた。
キッチンに行きコップ一杯の水を飲んだ。

 本棚を見ると変わらない美月の笑顔があった。涼介は何故か美月のことを遠い記憶のように感じていた。自分でも分からなかったがその時の涼介にはそう感じられた。

「変な夢だな、、」
涼介は美月の写真を見つめていた。

「美月、、」

 ふと、涼介がその横を見ると詩織に勧められて買った文庫本が置かれていた。
涼介はその本を手に取って1ページ目を開いた。

 結局、涼介はそのままその本を読み終えていた。本の最後のページを読み終えて静かに本を閉じた。涼介の胸は感動で胸がいっぱいになっていた。朝日が眩しく、鳥の鳴き声が聴こえていた。涼介はその本を大切に本棚に仕舞った。

 窓を開けて外の空気を吸った。
ひんやりとした冷たさと心地よさが涼介を満たした。朝の光は白く優しくキラキラと輝いていた。

 涼介は机の上のカレンダーを捲った。

「12月か、、」

涼介は東京に来てからの日々を思い返していた。無我夢中でやってきたがそれは美月のいる福岡を離れて半年以上も経ったことを意味していた。涼介は12月24日にペンで丸をつけた。

 久しぶりに美月に会える喜びとほんの少しの不安を感じていた。
「美月ちゃんと来てくれるかな、、」
そんなことを思っていた。

 それからひと月ほどがたち12月24日のクリスマス・イヴになった。

涼介は東京駅まで美月を迎えに行った。
新幹線のホームで待っていると15時着の新幹線がゆっくりとホームに入って来た。

涼介は降りて来る人の中に美月を探した。
「あれ、美月がいない、、」
涼介が困惑していると後ろから涼介を呼ぶ声が聞こえた。

「涼ちゃん!」

そこには荷物を沢山抱えた美月が笑顔で立っていた。
「美月!」
涼介は駆け寄って美月を抱きしめた。
「涼ちゃん、、会いたかった、、」
美月の目には涙が浮かんでいた。

8ヶ月振りに見る美月は更に美しくなっていた。
美月の横顔が埋もれるほど涼介は強く美月を抱きしめた。

「涼ちゃん、涼ちゃん。ちょっと苦しいよ」
「あっ、ごめん」
美月の荷物を持ち涼介と美月はホームを歩いた。

 しばらく無言で歩いたがそれは二人の空白の時間を埋めるようだった。
「元気そうだな」
涼介は笑った。
「涼ちゃんも、、」
美月は満面の笑顔を見せた。

 改札を出て電車を乗り継いで涼介の住んでいる街、桜新町に着いた。

「ごめんな。車持ってなくて、、」
涼介は美月に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「ぜーんぜんへいき。それより、やっと来れて嬉しいな」
美月は本当に嬉しそうだった。
街はクリスマス一色で街全体が大きなイルミネーションのようだった。
涼介と美月はマンションへの途中、スーパーにより、チキンと安いシャンパンを買った。

 「へ〜ここが東京なんだね、、」
美月は終始、興味深そうだった。
「でも、良いとこだね。何だか安心したな。」
駅から数分歩いて路地を曲がり小さなマンションに着いた。
涼介は急いで部屋に上がり、電気と暖房をつけた。

 「とりあえず座ってよ。」
「お邪魔しまーす。」
美月は嬉しそうに部屋を見渡していた。
涼介はホットコーヒーを入れて美月に差し出した。
美月はフーフーとしながらコーヒーを飲んだ。

「とりあえず乾杯な。」
買ってきたチキンをテーブルに置いて涼介はシャンパンの封を開けて二人分注いだ。
「カンパーイ!」グラスを傾けると美月はひとくち口に含んだ。

「美味しいね」
「美味しいな」

 すると美月は袋に入った大きな箱を取り出した。
「ちょっと待ってて!」
そう言うと美月は箱から取り出したケーキをカットしていた。
ケーキを皿に盛って美月はテーブルの上に置いた。

 それは小さな苺のホールケーキだった。
「じゃーん!涼ちゃん苺のショートケーキ好きでしょ。だから朝早く起きて作ってきたんだ」美月はニコニコとしていた。
少し小さかったが豪華なクリスマスケーキだった。

「凄いね。こんなの作れるようになったの?」
涼介は驚いていた。
美月は本当に嬉しそうだった。

「食べよ。食べよ」
美月が涼介を促すと二人は「頂きます!」と同時に言ってケーキを頬張った。

「涼ちゃん、口にクリームついてるよ」
美月は涼介の口についたクリームを手でとって食べた。

「涼ちゃん、変わらないね」
「そうかなぁ、、」
「そうだよ。全然変わらない」
二人は目を合わせて笑った。
二人は視線が重なると見つめ合いキスをした。

それから涼介と美月はお互いを求めあった。
ただ空白の時間を埋めるようにー

 翌日、涼介が目を覚ますと美月は先に起きて帰る準備をはじめていた。

「もう帰るの?」
涼介は寂しげに聞いた。
「うん。ほんとはもっと居たいけど帰って彩さんのお店を手伝わないといけないんだ。昨日も無理言ってお休みもらって来たんだ」
美月も寂しそうだった。

「ごめんね。涼ちゃん、、やっと会えたのに、、」
「いや、良いんだ。帰って彩さんのお店手伝ってあげてな。クリスマスだから忙しいだろうから、、」

 涼介は温かい笑顔を美月に向けていた。
「美月ありがとな」
涼介は心からの感謝を美月に伝えた。
「東京駅まで送って行くよ」
涼介は微笑んだ。

「うん。ありがとう」
「今、福岡への転勤願い出してるから春には帰れると思うから、、」
「涼ちゃん、、」
二人は再びキスを交わした。

「私も来年の春に学校卒業したら彩さんのお店でそのままパティシェとして働かせてもらうんだ、、」

「そっか、、また春に会おうな」
「涼ちゃん、、約束だよ」

 駅に向かう二人は終始無言だった。
街は昨日と変わらずクリスマス一色に染められていた。電車を乗り継ぎ東京駅の新幹線のホームに着いた。やがて、福岡行きの新幹線が静かにホームに着いた。

「涼ちゃんまた、、」

美月が新幹線に乗り込もうとした直前に涼介は美月を抱きしめた。

「美月、また春に会おうな、、」

やがて出発のベルが鳴った。
美月は新幹線に乗り込むと扉の中から涼介を見つめていた。

「涼ちゃん!」

美月の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「愛してる、、」

手を振る美月に涼介も手を振り続けた。
徐々に美月の姿が小さくなっていった。

やがて美月を乗せた新幹線はゆっくりと見えなくなって行ったー

「美月、またな、、」

涼介はこぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えた。
涼介には美月がどこか遠い遠い所に行ってしまうような気がしていた。



ー10年前ー2012年ー

 やがて年が明け2月になっていた。
涼介も美月も忙しい毎日を送っていた。
涼介は営業職として日々書店を回る日々を過ごし、美月もまた間近に迫った洋菓子専門学校の卒業に向けて最後の追い込みにかかっていた。

涼介は書店に頭を下げ続ける日々、美月は実習で習ったことの復習に追われていた。

 次第に二人は連絡を取り合うことも少なくなっていた。
そんなある日涼介はいつものように上司の杉崎に言われて神保町の古書店「たにがわ」を訪れていた。
いつものように仕事の資料となる本を探してレジに持って行った。

 詩織は笑顔で涼介を迎えた。
「お仕事順調ですか?」
詩織はニコニコとして涼介に聞いてきた。

「はい。入社して一年が経ったんですけど全然慣れなくて、、ははは」
「頑張ってくださいね」

「それと、、」
詩織は話を切り出しかけてやめた。
「それと?」
涼介が不思議そうに詩織を見ると詩織は少し考えて意を決して涼介に伝えた。

「あの、、お話したいことがあるので少しお時間頂けますか?」
詩織はすごく気まずそうに視線を逸らした。

「お話?」
「あ、いや、この前お勧めした本の感想がどうしても聞きたくて、、もうすぐ私のバイト終わるので、、」

「良いですよ。すぐそこの喫茶店で待ってますね。ちょうど僕も本の感想お伝えしたかったので、、」

そう言うと買った本を受け取り会釈をして店を出た。

 涼介が喫茶店で待っていると詩織はものの10分もしないうちに店に入ってきた。

涼介は詩織にもコーヒーを注文して詩織に勧めてもらった本の感想を伝えた。詩織は本当に嬉しそうで時折、深く頷いて聞いていた。

「嬉しい、、」
「私、今まであまり誰とも大好きな本や小説のこと話せる人いなかったんです」

詩織は少し涙ぐんだ。その姿に涼介も感銘を受けていた。

今まで当たり前のように美月と好きな本の話をしていた涼介は今までの詩織の不憫な環境を思った。

「きっと、この人はこんなにも本が好きなのに誰とも話せなかったんだろう。」
そう思うと涼介の胸も熱くなった。

 「それと、、これもしよかったら、、」
詩織は顔を真っ赤にしてラッピングされた小さなプレゼントを涼介に渡した。
「あの、もうすぐバレンタインなんで、、」詩織は目を逸らして言った。

「迷惑だったら捨ててもらっても構いません、、」

沈黙が流れたー

「どうしても、、どうしてもそれだけ伝えたくて、、」

「詩織さん、ありがとう。本当に嬉しいです。
でも、僕には好きな人が居ます。
詩織さんのお気持ちは一生忘れません、、」

涼介はそれだけ伝えるとテーブルの上の領収書を取り店を後にした。

その日の夜、涼介は詩織からのプレゼントを開けた。そこには赤い包装紙で丁寧に包まれ緑のリボンがかけられた。チョコレートが入っていた。

それと同時に詩織からのメッセージが入っていた。そこには涼介への想いが綴られていた。それを読む涼介の目から涙が溢れた。

「詩織さん、ありがとう、、」
涼介はそのプレゼントをそっと机にしまった。

美月との約束の春はすぐそこまで来ていた。

 やがて春が来て桜が舞い散る季節になった。
涼介は詩織のことを時折思い出していた。
詩織の勇気と愛を思うと胸が張り裂けそうになった。涼介の頭の中にはあの日の詩織の姿が何度も思い出された。

 ただ、願い出ていた地元福岡への転勤は叶わないままだった。涼介の心は揺れていた。
このままずっと東京から帰れないのではないかとも思った。そのことを考えると眠れない夜が続いた。

その日、涼介が仕事から戻ると美月が部屋の前に立っていた。

「涼ちゃん、、」

「美月、、」

「えへへ。東京まで来ちゃった、、」

「やっぱり、東京は遠いね、、」

「途中、何度も迷っちゃった、、」

「入って」
涼介は鍵を開けて美月を中に招き入れた。

二人ともしばらく無言だった。

「私。涼ちゃんが東京に行ってから寂しかったなぁ、、」

「何だか遠い昔のことのように感じるね、、」

「楽しかったね、、」

「涼ちゃん、ずっと待ってるよ、、」

涼介は美月の胸に顔を埋めた。

「美月。ありがとう。本当にありがとう、、」

美月は涼介を抱きしめ、その胸に顔を埋める涼介の髪を優しく撫でていた。

「よく頑張ったね、、」

美月の瞳から涙がこぼれた。

「必ず帰って来てね、、待ってるよ、、」

東京の片隅で部屋の明かりが美月の顔を照らしていた。静かな帳の中でお互い何も話せなかった。窓の外にはいつの間にか雪が降り始めていて二人は愛する人の温もりを感じていた。美月と涼介の最後の夜だった。

◇◇◇◇

 春が訪れていた。
美月は無事に洋菓子専門学校を卒業することが出来た。真新しいコックコートに身を包んで仲間と共に卒業写真をとった。誰一人かけることなく皆卒業を迎えた。心配していた三木裕哉も美月に励まされたあの日を境に見違えるようになり、無事卒業出来た。

 美月は安堵の気持ちだった。ただスイーツが好きという理由だけで飛び込んだ世界だったがこの日を迎える頃には少しだけ自分に自信が持てた。

 このまま、彩のお店でパティシェとしての修行を積み、涼介の帰りを待つだけだった。
美月は先生たちにお礼を言い、同級生たちとの別れを惜しんで晴々とした気持ちで専門学校を出た。

美月にはこの一年がなぜかとても長く感じられ通いなれた校舎を懐かしく思った。
もう一度校舎を振り返り美月が前を向くとそこには三木裕哉が立っていた。

 裕哉は何処か緊張した面持ちで立っていた。すると何も言わず美月に紙袋を渡した。

「あの、卒業おめでとう。今までありがとう、、それと、これ。自分で作ったんだ。矢野さんに食べて欲しい。今日ホワイトデーだから、、」

美月は思わぬ裕哉の告白に驚きを隠せなかった。

「三木くん、、」
「それだけ伝えたかったんだ、、」

そう言って美月を見つめると振り返り駆け出していった。

美月はしばらくその場から動けなかった。

 帰宅した美月は裕哉の贈ったプレゼントを開けた。
苺のタルトと裕哉の手紙が入っていた。

そこには、初めて会った時から好きだったということと今までありがとう。ということが丁寧に綴られていた。

美月の目から涙が溢れた。涼介と裕哉が重なり美月の心は張り裂けそうだった。

「裕哉くん、ありがとう、、」
美月はそう呟いて手紙を大切にしまった。

涙目のまま窓の外を見ると桜の花びらが風に舞っていた。

ー2012年の春のことだったー




ー2012年ー秋

 「カランコロン」
「はーい。いらっしゃいませ」
彩が店先に出るとそこには涼介が立っていた。

「涼介くん?」

彩は驚いて言葉が出なかった。
ジャケットとパンツに身を包んだ涼介は精悍な顔つきだった。

「その節は美月が大変お世話になりました。」

涼介は深々と頭を下げた。
途端に彩の表情が曇った。

「涼介くん、聞きました、、」
「はい。美月とは別れました」
涼介は淡々と言葉を続けた。

「私のせいでごめんなさい、、」
彩は今にも泣き出しそうになった。

「いえ、良いんです。それより美月を守ってくれて本当にありがとうございました」
「そんな、、」
「美月に生きがいと優しさと温もりをありがとうございました」

「僕と離れていた美月を守ってくれて本当にありがとうございました」

涼介は再び深々と頭を下げた。
その目には涙が滲んでいた。

「涼介くん、、」
彩も涙ぐんでいた。

「美月は彩さんのことを実の姉のように慕っていました。彩さんが居てくれたから僕は夢を叶えるために東京に旅立つことが出来ました」

涼介の瞳から止めどなく涙があふれたー

「また、美月がここを訪れた時はどうか姉妹のように接してあげて下さい」
「それだけ伝えたくて、、」

『卒業写真』がフォンテーヌに流れていた。

「それじゃ、僕はこれで、、」

涼介がフォンテーヌを出ようとすると彩は突然何かを思い出したように涼介を呼び止めた。

「涼介くん!」
「ちょっと待って、、」

彩は店の奥に行くとすぐに戻って来て一通の手紙を涼介に差し出した。

手紙には矢野美月の文字があった。

「涼介くんがこの店にきたら渡して欲しいって美月ちゃんから、、」

彩は静かにそう告げた。

涼介の頬を涙が伝っていたー

「ありがとうございました、、」

そう言って微笑むと涼介は静かにフォンテーヌを後にした。

 秋の街並みは銀杏の葉がハラハラと落ちていて風に舞っていた。

金色色の並木道を涼介は一歩一歩歩いた。
住み慣れた思い出の街並みを抜け美月と通ったキャンパスを訪れた。

ベンチに腰掛けて涼介は手紙の封を開けた。
そこには懐かしい美月の文字が踊っていた。

「相沢涼介様

涼ちゃん。涼ちゃんがこの手紙を読んでいる頃、涼ちゃんは遠い所に行ってしまっているね、、
涼ちゃんは私の青春の全てでした。
涼ちゃんに出会えて共に笑い、過ごした日々を私は一生忘れないよ。
涼ちゃんも新しい自分の道を歩いて行って欲しい、、
涼ちゃんが私に与えてくれたもの、沢山の愛、その大切な想い出を抱いてこれからも生きて行くね。
どうか、涼ちゃんも幸せに生きて行ってね、、
涼ちゃんに出会えて私は幸せでした。

2012年        矢野美月」


「美月ありがとう、、」

涼介は手紙を大切にしまうと美月と過ごした思い出のキャンパスに別れを告げてゆっくりと歩き出したー

金色色の並木道にはいつの日かの美月が笑っていたー

きっと人は誰にでも一生忘れられない人が居るのだろう。

この世界で出会えた大切な人たちの面影を抱いてー

fin

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