私達が別れてから、木春と私は急速に仲が良くなった。家で二人きりの時に、木春に尋ねる。
「ん、いいよ。聞いてあげる。」
 そう返事を貰えたら、今迄の色んなわだかまりを聞いてくれる様になった。私の事を散々虐めていた癖に告白して来た事に、正直に「腹が立った」と言ったら、「うん」って受け止めてくれた。それから「どっか行けなんて、ひどい事言ってごめんね。本当はそんな事一度も思った事無かったよ」と謝られた。あれは私もひどかったと思う。その後木春は「あの頃は自分がこの世から消えたい気分で…」と何でもない事の様に言っていた。「こじらせてたなぁ」とも。
私も好き放題言ったと思うんだけど、木春には私の話を聞く事を一度も断られた事は無かった。
 木春は私に優しくなって、もう私に甘える事も、暴言を吐く事も、怒る事も無くなった。反抗期なんて無かったみたいに、ただの優しい弟になった。
いつもの様に、二人しか居ない居間で、私の話を聞いてくれている時に、木春が言った。
「…やっぱりちゃんと言おうか。」
 何の?と鈍い私がよく分かっていない間に、義理の父と母を一人ずつ居間に呼び出して、私の正直な気持ちを話す機会を作ってくれた。
「あんた一人じゃ満足に言えないでしょ。」
 そう言って、傍に居てくれた。 私が緊張して今迄の淋しかった気持ちや悲しかった気持ちを不器用な言葉で話すと、木春は、私の気持ちを汲んだ言葉を選んで、義理の父母に伝える事をサポートしてくれた。
私は義理の父母がとても良い人達で、私に良くしてくれた事を心から感謝している。私は、実の両親の事を大好きだ。そして今の義理の父母の事も大好き。だけど、自分が二人の実子で無い事や、義理の父母から私の両親への遠慮もあって、実の親子の様な距離感では無かった。だけど、本当はずっとお義父さんお義母さんとも、本当の親子の様になりたかった。二人に私の事を実の娘の様に思って欲しかったし、私が二人をそう思うのも受け止めて欲しかった。そういう気持ちを緊張しながら、たどたどしく自分の言葉で伝えた。義理の父母達は、私がそんな風に考えていた事を気づかなかっただけで、喜んでくれた。これからは“菫ちゃん”では無く“菫”って呼んでくれる事になった。私もこれからはお父さん、お母さんって呼ぶ様にする。
 二人共「これからは、もっとこんな風に、ちゃんと話してくれたら嬉しい」って、言ってくれた。私も頷いて、これからも色んなお話をしようね、って話した。ずっと言いたかった事を伝えられて、ようやく私の気持ちが落ち着いてきた。

 木春とは、今までみたいな歪な関係じゃなくて、笑顔で話せる様になった。仲良くなった。一緒に遊びに行ったり、行かなかったり。出かけない日は、二人でお互いの好きな物を語り合ったり、興味のある本を貸し借りしたりした。一緒におつかいに行く事もあったし、その帰りに季節の花を見に行く事もあった。一緒にラムネを飲んだり、皆に内緒で串かつを食べたりも。
 私にこじらせていない素の木春は、私と好きな物が近かったり、好きな本が似ていたり、案外気が合った。まるで長い間過ごし損ねた姉弟としての時間を取り戻す様に、静かで平らな時間を一緒に過ごした。

 木春は、目に見えて変わった。私に対する態度が一80度変わって、素直で、穏やかになった。前みたいに気持ちを隠す為に暴言を吐くとかじゃなくて、何て言うか、開き直った。  私達が仲良くなった事を周囲に揶揄されても、「ヒヒ、イーデショ」とさらりと流している。
 私は、木春と一緒に居る時間が楽になった。息がし易い。前はひどい事を言われるから、もっと緊張して、悲しい気持ちになる前に心の準備をして、警戒していた。だけど今はそうじゃなくなったので、落ち着ける。私も変わった。
 恋人だった時も一緒に出かけたけど、今の方がいい。あの頃の私は、本当は木春を苦手で怖かった。一緒に居て楽しく無かった。そう言う自分の本当の気持ちを、少しずつ聞ける様になっていた。

 恋人だった頃の木春は、自分で言っていた様に、木春なりに精一杯私に好かれようと努力をしていたんだな、って今なら分かる。私の見たかった芝居に連れていってくれたり、学生の癖に、私に食事を奢ってくれたり。私の好きな雰囲気の小物をプレゼントしてくれたり。後、若い男性ならよくある、道行く可愛い女の子を目で追ったりなんてのも全然なかった。私はそうじゃなかったのだけれど。
実は、木春とのたった二週間の恋人期間に、男性からお茶を飲みに行かないか、と誘われていた。相手はたまにおつかいに行くお店の息子さん。私は男性にお茶を誘われるのが初めてで、是非行ってみたかった。だけど、これがバレたら木春が又怒ると思って泣く泣くお断りした。何てタイミングが悪いんだろうと、木春を恨んだ。
たった二週間の恋人期間だったけど、木春は随分無理をしていたんじゃないかと思う。そんな話を二人きりの時に話したら、『あ~、必死だったからね』、と穏やかな口調で言われた。それから『無理はしてないよ。必死に頑張ってただけ』とも。
 木春に、激しい感情のブレは、もう見えない。大人になったんだなぁ、と思う。恋人だった頃は、こんななんでも無い話も出来なかった。付き合ってない今の方が仲がいい。そんな風に思いながら、私もお茶を飲んだ。
 姉弟としての気持ちや木春への感情を出し切った今は、木春の事を嫌いだとは余り思わない。ニュートラルだ。好きでも嫌いでも無いけど、私を泣かせてくれて、歪みを治してくれて、感謝している。あれが無かったら私は、いつか壊れていただろう。後、姉弟として普通に仲良くしてくれて嬉しい。やっぱり私は木春に仲良くして欲しかったんだなぁ、って昔の感情を思い出す。薄々好きな物が似てるんじゃないかな、と思っていた木春と、話してみたい事が沢山あった。
 …やっぱりニュートラルよりは、もう好き寄りなのかもしれない。姉弟としてだけれど。過去にされた事を全部許しているかと言われると分からないけれど、最近は木春の傍に居ると呼吸がしやすい。今迄は荒れていたから気づかなかったけれど、本当の木春はこう言う穏やかな空気を持つ人間だったみたいだ。

 私は、木春の中に以前はあった、私へのピリピリとした重い熱が減っていのを感じていた。木春から、『私だけ』と言うのが無くなった。他の人と扱いが変わらなくなった。木春の中の私への姉弟以上の感情が、少しずつ縮小して、姉弟の枠の中に納まって行くのを感じる。毎日少しずつ、視線が父母へ向ける物と同じになっていく。私はそれが減って行っているのが分かっていたけど、言わなかった。木春のことを姉弟以上に好きではないと認識した今、私に出来る事は無い。
 正直に言うと、私は木春から私への熱が薄れて行く事に、ほっとしていた。姉弟の木春は、とても居心地が良くて、私は気に入っていた。出来ればこのままずっと仲良くしていたい。年をとっても、たまに会って一緒にお茶を飲める関係でありたい。

 私は本当は木春に告白される前から、木春に特別に愛されている事に気づいていた。それが恋愛感情である事も。だけど私は、木春の姉で、姉弟で、家族に恋愛感情で愛されるなんて、気持ちが悪かった。だから木春の想いは迷惑で、生理的に無理だった。
 木春とはただの姉弟で居たかったから、どうやって私を諦めて貰うか一人で悩んでいた。他の人間に相談なんてしたら繊細な木春は傷つくだろうし、最悪死ぬだろう。後、私が巻き込まれて心中なんて事もあるかもしれない位、他害的な意味で危うい弟だった。好きでも何でもない木春に、殺されるのは嫌だった。
 木春に告白された時は、「失敗した。」と思った。まさか木春が家族で、一緒に住む姉に、モラルの壁を超えて愛の告白をしてくるなんて思っていなかった。木春に社会の目とか倫理を無視出来ると思えなかったから、油断していた。木春は「他人からどう見られているか」を凄く気にする。
 告白なんて逃げ道の無い事をされて、私は正直面倒臭いなぁ、と思った。家庭内で気まずくなるのも、攻撃的なこの弟の機嫌を損ねるのも、何もかも面倒臭い。私は何もしていないし、悪くない。勝手に好きになられて自分勝手に告白されて、ご機嫌を損ねると攻撃されるなんていい迷惑だ。ずっと一緒の育ってきた姉と恋人になりたいなんて、頭がおかしい。
 だけど木春は真剣で、必死で、顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべて、吃驚する程震えていた。私の認識は間違っていなかった様で、やっぱり私に告白するなんて大それた精神を木春は持っていない。ただ、それを超える勇気で私に告白をして来ただけだ。私は困った。これはきっと木春にとって一世一代の告白だ。私が断ったら冗談抜きで死ぬかもしれない。いつも危うくて、思い詰めがちな弟だ。
 私は悪寒が走る程嫌だったけれど、気付かれない様に溜息をついて、木春と恋人になる事にした。単純に姉として、弟が死ぬかもしれない事態を放っておけなかった。木春が死んだら、育ててくれた義理の両親も泣く。適当にぞんざいに付き合っていたら、木春は私につまらなさを感じて、私の事を諦めてくれるかもしれない。そんな風に消極的で平和な交際の終わりを期待して、嫌々付き合った。
 だけど、生理的嫌悪から来る身体の反射はある物で、私は弟とそういう意味での接吻をするのが気持ち悪かった。だから木春との接吻を拒んでしまった。

 それからやっぱり、穏やかに時間は流れて、秋になって、冬になった。木春はいつの間にか店に出る様になった。まだ学生だけれど、家業を継ぐかどうか決める為お試しで働いているらしい。私も高等女学校を出た後はお店に出ているので、仕事の上でも共同作業が増えた。木春との仲は相変わらず良かった。たまに時間の都合が合えば、一緒に甘味処に出掛けたり、遊んだりしていた。
 ある日、居間で二人になった時に、あやとりをした。「懐かしいね」と言って、私から糸をとってくれた。子供の頃学校で流行っていて、家でよく一緒に遊んだ。近頃は二人で子供の頃をやり直す様な、そういう時間がお気に入りだった。私より節ばった指が、糸を遊んで違う形にしていく。
「覚えてるもんだね」
木春が柔らかく笑った。私はその笑顔を見て、身体の奥の方から『そわっ』と震える感じがした。一瞬だったし気の所為かと思った。「? 」って疑問符を思ったけど、そんな小さな事なんてすぐに忘れてしまった。

 木枯らしの吹く晴れた日に、私は一人で店のおつかいへ行った。帰りに商店街を歩いた。
寒いので早く帰ろう、と急いでいると少し先の遊歩道に木春を見つけた。木春は今も店の手伝いを続けていて、今日はお休みの日だった。歩く木春の影に隠れて見えなかったけれど、連れがいる様だった。顔は確認出来ないが、肩くらい迄の茶色の髪がチラ、と見えた。
…女性?
私は、インクの染みの様な物が、胸からみぞおちに広がるのを感じた。私はどうしても気になって、二人に見つからない様に追った。
 二人に隠れながらついて行く間、私は何故か『大丈夫、あれは学校の友人とかで、木春と恋人な訳が無い、』とか、木春は、最近は大人になって落ち着いて来ているのが分かってる癖に『あんな内気で人見知りな弟が、彼女なんて大それた物を作れる筈が無い』なんて事をずっと考えていた。自分でもどうして大丈夫だと言い聞かせているのか分からない。ただ、私は木春が女性と一緒に居るという事実がひたすらに嫌だった。
 二人は裏路地を抜けて、近くの公園へ行った。そこは昔の屋敷跡を利用して作られた憩いの場で、公園と言うより庭園に近い場所だった。池があって植樹林があって、よく手入れをされた美しい場所。
二人は公園のベンチに座った。私は声が聞こえる距離に近付いて、木の影で二人の会話を盗み聞いた。さっきから頭の中で『私は何をしているのかしら』、とか『見つかったらどうするの』とか『可愛い弟に彼女が出来たんでしょ。あれはきっと彼女だわ、喜んでやりなさいよ』とか聞こえる。
それと同時に、何を認めないのか分からない癖に『絶対に認めない』、『あれは彼女じゃない』、『私との時間はどうなるの』、とか、自分勝手で道理の通らない思考が浮かんで来た。
 二人の会話を盗み聞いた所によると、商店街で女性参政権を求めるビラ配りをしている集団の中の女性と木春の連れの女性が友人だった。女性達がビラ配りしている中、二人は軽くお喋りしていた。そうしたらいかつい屈強な男性が女性達の腕を掴んできた。女が政治に口を出すな、生意気な女はろくなもんじゃない、等と怒鳴ってくるが、手を離さない。女性が暴れると殴られそうになった、所に木春が止めに入ったそうだ。そして気が弱い木春なりに
「…そうやって頭ごなしに怒鳴る男性が居るから、女性がこうやって地位向上しなきゃって思うんですよ…」
とその男性を咎めた。
その事を木春の連れの女性が褒めていて、助けてくれた木春にお礼を言っていた。木春がとても自然に隣の女性と話している。以前は、知らない女性と話すだけで緊張していたのに。
今日会ったばかりの女性ともとれる内容の会話だったけれど、木春が短時間でこんなに打ち解けられる訳がない。おそらく元からの知り合い、…もしくは今日一緒に出掛けていた相手。
「思わず敵対関係っぽくなちゃったけど…うちのお店と関係のある奴だったらどうしよ…お店に迷惑が掛かっちゃったらどうしよ…」
木春がベンチに座ってため息をついている。木春はシャツの上から着物を着て、書生の様な格好をしていた。女の子はカラフルな長羽織を着ている。
「みんな褒めてたし、木春くんの男気に感謝してたよ。」
「うん。君もみんなも怪我無くて、それは良かったよね…」
そう言って、木春は女性に寄りかかった。その木春の頭を、当たり前の様に女性が撫でた。それから、自然な形で女性が木春に凭れかかった。まるでいつもしている様な距離感で。
 私は何か冷たい物を浴びせられた様な気持ちになった。二人から目が離せなかった。自然と目が鋭くなった。
「…漢気なんてこんなクズにある訳ないよ…はーまだ心臓ばくばくいってる…怖かった…」
 子供の頃の木春みたいに、弱音を吐いた。そんな情けない木春を、隣の女性は平然と受け止めている。
「はいはい。明日皆に聞いてあいつが木春くんに関係がある相手かどうか調べとくわよ。それでフォローが可能だったらしといてあげる。あたしそう言うの得意だから。」
と、女性も木春に凭れかかりながら、木春の髪を指で遊んでいる。
「ねぇ、気分直しにご飯食べに行こ。デートの続きしよ」
そう言って二人とも立ちあがって、又歩き出した。
「僕財布忘れた」
「ふざけんな、女子には奢れよ」
そう言いながら、女の子が木春の足元を軽く蹴飛ばしている。木春も背中を丸めたいつもの姿勢で「ヒヒ、」と笑っていた。
 人見知りだった木春が、あの女性には心を開いているのが、見ているだけで分かった。楽しそうな、ありふれた恋人達の姿だった。
 私は二人の姿をもう見たく無くて、振り返らずに走りだした。頭が混乱する。私の物だった時なんて二週間しか無かった癖に、『盗られた』と言う言葉が頭の中で繰り返し響いた。私の物だった時も大事になんてしなかった癖に、愛さなかった癖に、木春の幸せなんて一度も考えた事なんて無かった癖に、頭が沸騰する程悔しくて仕方がない。胸のあたりが辛くて、重い。そのしんどさが頭の方までせり上がって来て、視界が歪んだ。目の辺りが熱い。目からぼろぼろ滴が垂れる。
 …私は、避けられていた時も、付き合ってる時も、別れて仲良くなってからだって、木春の弱音を聞いた事が無い。あんなに繊細な弟が、弱い部分や脆い部分が無い筈が無いのに、私はそれを見せて貰った事が無い。私は木春に弱い所を晒させてくれたのに、逆は無かった。その事に今の今迄、私は気づいて無かった。
 あの子には、木春は弱い所を晒せる。安心できる。自然体になれる。一緒に楽しい時間を過ごせる。笑顔になれる。心を開ける。
 あの子で木春は幸せになっている。私は木春を幸せに出来なかったのに。胸が痛くて、息が切れて、誰も居ない林の中で、私は止まって息をついた。
木春にあんな風に私への愛を語られて、心の何処かで安心していた。『木春は私以外を好きにならないんじゃなのかな』って。あんなに重い恋を、ハードルだらけの私にしたのだ。だからその想いと同じ位好きになれる人なんて、木春にはきっと現われないだろうって。私は木春の事を好きじゃないけど、木春は私の事をずっと好きだろうって、心の何処かで思ってた。
 そんな訳無いのに。木春の恋は、木春が精一杯の努力をして、木春が自分で決着をつけたのに。木春が納得の行く迄私を好きになって、好きを感じて、満足して、やり切った。木春の中で私への恋心が静かに昇華して行く姿を、私は見ていたのに。木春が姉弟として仲良くしてくれるから、それに胡坐をかいて、現実の、変わって行く木春をちゃんと見れていなかった。私への激しい想いが昇華して、今迄私が居た場所が空いたなら、そこにいつ別の誰かが入っても不思議じゃなかったのに。
 涙がぼろぼろと垂れて止まらない。こんなに泣く癖に、木春を取りこぼした事が、惜しくて仕方がない。木春は、私の事を物凄く好きだった時があったのに。そういう時期があったのに、私は受け取らなかった。私が木春を物凄く幸せに出来るチャンスがあったのに、私はその手を取らなかった。だから横からかっさらわれて、私じゃない女に、木春を幸せにされた。私がしたいのに。今なら私が木春を幸せにしたいって心から思えるのに。私が受け取らなかった木春の愛を、あの女性はちゃんと受け取って、大事にしている。
 今更後悔しても遅い。時間を戻して、あの時の私をやり直したい。あの時の木春の接吻が欲しい。あの時受け取っていれば、きっと今木春の隣に居るのは私だった。これからもずっと、私は木春と一緒に居られたのに。もうただの姉弟の私には、木春のこれからを貰えない。これからの木春は、あの女性の物。木春の中に私への恋はもう無くて、木春の胸の中には、もうあの女性が居る。あの女性が、木春と幸せな恋をする。
「  、--------------------------、ッ  、」
 熱い息が漏れて、涙が止まらない。手が震えて、苦しくて、吐きそうだ。悔しい。あの女性への嫉妬が止まらない。そんな権利なんて無い癖に、汚い気持ちが止まらない。こんなのは、姉弟の愛じゃない。あんなに要らなかったのに。あんなに迷惑だと思ってたのに。今更どの口で。なんてひどい。自分に吐き気がする。私は、心底のクズだ。
――――――――――――――――私は、木春を好きになってる。

 それから二週間悩んで、悩んで、私は結局、木春に愛の告白をした。木春は、「ハアア~~~!!!??今更!!!???」ってごもっともな反応をして、それでも私の今迄の心の移り変わりと恋情を、いつもの様に、沢山聞いてくれた。…木春は優しいな、って素直に思う。身勝手で、振りまわして、付き合った癖に全然木春の事を幸せにしなかった私に、これだけ心を砕いてくれる。
木春は私の話を全部聞いてくれて、それから、
「今、好きな子が居るから、ごめんね。」
 そう誠実に、私を振ってくれた。
 あの子は以前木春がお見合いを断った子で、二月程前に怒りながら断った理由を聞きに来たそうだ。その子は誘導尋問が上手くて、当時恋人が居たから見合いを断った事、でも振られてしまった事を言わされた。でも言ったら涙が止まらなくなってしまって困っていたら、今日みたいに公園へ連れて行ってくれて話を聞いてくれた。いつも友人の恋愛話を聞いてるから気にしなくていいよ、と言ってハンカチーフを渡されながら弱音を吐かせてくれた。それから友人になって、仲良くなって、親にはまだ内緒だが、最近恋人として付き合いだしたそうだ。
最後に、木春は少し泣いて、「僕を振った罰だ、ざまーみろ、」と笑ってくれた。私は木春に失恋をした。

 今なら、私を好きだった時の木春の気持ちがよく分かる。恋愛感情を自覚してから見る木春は、キラキラした物に包まれていて、仕草ひとつひとつが目に残る。ふいに聞く声に、身体が震える。笑顔が見たいとか傍に居たい、って、自分の根本的な所から声がする。
 木春があの子を好きな事も、木春の時間をあの子が貰う事も、木春と仲良く楽しい時間を過ごせる事も、木春の特別である事も。色んな事を全部ひっくるめて、あの子に嫉妬をする。振られた今も、たまに本当に苦しくなる。切ない。大好きな人が、私を恋人にしてくれないのが悲しい。だけど、今は私の負けだ。完敗だ。あの子が木春に与えられる幸せを、私は一度もあげられなかった。
 私はまだ木春より大人では無いから、私を掬ってくれた木春を、まだ本当の意味で理解できない。木春は私を掬ってくれたのに、今の私は木春に同じ物を返せない。私は木春が初恋で、恋に関しては私の方がとても幼い。どうしたら木春が私を頼ってくれるのか分からない。私は自我が芽生え始めて、まだ半年しか経っていないからだ。今の私が出来る形で木春を幸せにしたいのに、その方法が分からない。だから木春はまだ幼い私に、弱い所を見せられない。
 私は愛されたがりだ。と言う事も以前の私は分かって無かったけれど、自分に向き合って、心の声を聞いて、自分を分析すると、どうもそうらしい。私は優しくされたいから、人に優しくしていた節がある。昔の私は“いいこ”だったから、『そんな打算的な愛は、真の愛では無いのではないだろうか?』って悩んだかもしれない。だけど今は、それを邪道だと思ったり、間違っているとは思わない。ただ、私はそう言う人なんだな、ってだけ。
 昔の、自己完結が得意だった私なら、きっと『一人でも好きになれただけで幸せ』、とか、『木春が幸せなら私も幸せ』、とか綺麗事を言って、自分を納得させる努力をしていたと思う。自分がそんなにいい人な訳が無いって心の何処かで感じている癖に、心は辛い癖に、綺麗な笑顔で、好きな相手を別の相手との幸せに送り出していた。私は、本当は愛されたがりの癖に、自分にフィルターを掛けて、本当の自分の欲求を理解していなかった。
 今の私は、そんなお綺麗な事を思わない。自分は大したこと無い人だって、素直に認めた。一人なんて全然幸せじゃないし、片思いなんてつまらない。私は木春に愛されたい。木春が幸せだったら私も幸せ、ってのはちょっと思うけど、やっぱり一番欲しいのは私と二人で幸せになる事だ。木春は私が幸せにしたいけど、私も木春に幸せにして貰いたい。
あの日木春がくれた綺麗な世界は、私が以前居た水辺の世界より、ずっと呼吸がしやすくて、喜怒哀楽の全部が沁みる。「自分は良い人では無いんだな」って自分を認めてしまえば、昔みたいに背伸びして格好つけたいとか、あんまり思わなくなった。ただ私は私なんだな、ってだけ。
 木春が家族とか誰かの物だとか、どうでもいい。私の中身が木春を好きなんだ、って心から笑っている。だから、振られたけれどまだ好きだから、私は木春を好きになりたいだけ好きでいる。好きを感じる。私の好きを満喫する。私が納得する迄、好きな人を好きなだけ好きで居る。好きな人からの愛情が返って来なくても、私は好き。それでいい。無理はしない。自分の気持ちに素直になる。
 私を泣かせてくれた時の木春って、きっとこういう気持ちだったんだなぁって思う。片思いって、もっと不幸な物かと思っていたけれど、してみると、案外そうでもない。嫉妬はしんどいけど、私の心は晴れやかだった。

 私が朝起きると、いつものちゃぶ台に、木春だけが居た。父母はもう家を出た様だ。もう昼に近かったけれど、「おはよう、木春。」と声を掛けると、「ん。おはよ」と眠そうな目で返事が帰って来た。私は、朝から好きな人の顔を見れてご機嫌だ。容易に二人きりになれて、こう言う時に、好きな人と家族だと得だなぁ、って昔の私なら絶対思わなかった事を思った。
「...何あんた、店は?」
「今日は休みなの。」
「あっそう。僕も休み。あんたも早く食っちゃえば。」
 朝食を勧められた。女中が準備してくれた物だ。窓から差し込む、冬の明るい日差しを浴びながら、私は木春との静かな時間を楽しんだ。木春を、好きだって思う。やさしい声も、きれいな心も、一緒に過ごす穏やかな時間も。何も話さなくても楽しい。ほっとする。この柔らかい笑顔を、ずっと一人占めしたいと思う。
...盗っちゃいたい。ってたまに思う、けど。
 だけど、木春は”私に幸せになって欲しい”と言って、あんなに私を好きだった癖に、しようと思えば出来た癖に、私に接吻をしなかった。私はその誠意に報いたい。
 だから私は、木春の幸せの邪魔をしない。いい人じゃない私だけど、私と一緒じゃなくても、木春には幸せになって欲しいと思える。心から。そう思える様になった自分が誇らしくて、やっと私は自分を好きになる夢を見れる気がした。
「…だから、待ってるね」
 木春が、又、私を好きになってくれるのを。ちゃんと木春が私に弱音を吐ける様に、私でほっと出来る様に、木春が私で幸せになれる様に、自分を成長させて、努力して、待ってる。木春が私を又好きになってくれるか分からない。だけど、私が待ちたいから、待ちたいだけ待つ。私は、一人でも、ちゃんと、木春を待てる。
 もう今の私は、木春以外にあんまり目がいかない。自分を知った今なら分かる。今の私は例え誰かと付き合っても、ずっと木春に夢中だ。今迄知らなかったけど、私は好きな物には結構一途みたいだ。多分、欲が深くて、諦めが悪い。
「何が?」
 茶碗を持つ木春に、普通に聞かれた。
「木春が彼女と別れるのを。」
「やめろ...不吉な事を言うな...」
 呆れた様な声でツッコまれる。
「何なら、私に略奪されてくれていいのよ~?冗談だけど」
 お茶を飲みながら、半分位は本気で言った。
「フヒ、あんたには略奪愛なんて似合わねぇよ。チキンじゃん。罪悪感で死んじゃいそう。あんた、良心がちゃんとあるから。」
 やっぱり木春は穏やかな声で、又私よりも私を分かった様な言葉遊びをした。…何か、敵わないなぁ。って思った。
「僕なんて、やめときなよ。僕みたいなクズより、他にいい人なんて一杯居るデショ」
『悪いけど、居ないわね』
 今度は私の方が呆れて、間髪入れずにそう思った。けれど言わないでおいた。あんまり困らせる気にならなかった。
「それに僕、浮気はしないよ。」
 木春の指が私に伸びて、おでこを弾かれた。痛い。じんじんする。額に手を置いた。
「...あんたが一番知ってるでしょ。」
「...」
 昔付き合ってた頃。私は他の男性とでぇとしたかったな、ってガッカリしていたのに、木春は道行く女性に目もくれず、私の事だけをずっと見つめてくれていた。そんな場面が、ゆっくりと脳裏をかすめた。
「…ふふ」
笑みが零れた。木春は、きっといつまでも誠実に、私を振り続けてくれる。私が幸せになれる様に、願いをこめて、終わりをくれる。そういう事を考えて、何かちょっと、涙が出た。

...私は、いい男を振ってしまったわ。