「北見はどんな小説が書きたいの?」
「幸せで、温かい話。人間味に溢れてて、誰も死なない話」
「それは無理じゃないかなあ」

最大多数の最大幸福という言葉があるように、人間みんなが幸せになることなんてあり得ないし、幸せの反対には不幸せが隠れている。人間味に溢れているということは、人間はいつか寿命を迎えるということだし、そもそも北見の描く幸せは理想郷でしかない。

北見の小説は、そんな矛盾を写しているからこそ売れるし、人気なのだと、ずっとそう思っていた。
でも北見は、それでは意味がないと、不満を示す。

「ねえ氷川。人を好きになるって、どんな感じ?」

この質問を北見からされるのは、初めてのことじゃなかった。
私が初めて読んだ北見の物語は、新境地を開こうとして挑戦した結果のものだったらしい。結果として本自体は売れたものの、北見的には納得がいっていない。

愛は世界を救うっていうし、1番温くて優しい感情なのだろう。分かりやすい愛の形を考えたときに、“恋愛”という結末に落ちたのだと言う。

でも北見には誰かを好きになった経験はないし、その気持ちが分からないから、なんだか機械的でありがちな内容になってしまった。だから、納得がいかない。

「どうだろう。私には、分からないよ」

いつもこう答える度に、目に見えて北見は残念そうな顔をする。それは、純粋に“知”を得られなかったことからくる表情で、裏などないことを知っているから、余計苦しくなる。