翌日、昼間からモヒカンの鬼電で目を覚ますことになった。普段、電話で話すことは皆無なだけに、電話があったことに嫌な予感しかしなかった。

 寝ぼけた頭を無理矢理覚醒させ、モヒカンに電話をかける。コール音も鳴らずに電話に出たモヒカンは、明らかにいつもの調子がなかった。


「やばいよ鷹広君、警察が仲間をパクりまくってるらしいよ」


 慌てた口調で語るモヒカンの言葉に、一瞬で背筋が寒くなっていった。せりあがった鼓動に喉が潰されそうになったが、なんとか声を絞り出して状況を確認した。

 モヒカンによると、半年前の集団暴走の件で一斉検挙が始まっているらしく、既にメンバーの大半が逮捕されているとのことだった。


「お前、あいつらに盗品売ってないよな?」


「俺は大丈夫だよ。鷹広君はどうなの?」


「俺も問題ない」


 その答えに安堵したのか、モヒカンの長いため息が聞こえてきた。モヒカンは俺と同じく少年院にリーチがかかっているから、警察の動きが気になって仕方がなかったんだろう。


「とにかく、しばらくは大人しくしとけよ」


 俺もモヒカンも集団暴走には絡んでいないとはいえ、警察の狙いが暴走だけかはわからない以上、しばらくは何もしないほうが良さそうだった。モヒカンが曖昧に「わかった」と答えたのが気になったが、電話が切れたことでそれ以上は何も言えなかった。


 ――くそ


 スマホを握りしめながら、冷や汗と脂汗にまみれた体をベッドに沈めた。毎回こうした事態に直面する度、自分のことが心底嫌いになっていく。何もかもどうでもいいと口にしながら、いざ、警察の影が近づくと、途方もない恐怖に震える自分が嫌でしかなかった。


 ――ほんと、最低な人生だよな


 天井を見上げながら、ろくでもない自分の人生をふりかえる。といっても、何かを積み上げてきたわけでもなく、ただ浪費してきただけの時間があるだけだった。何かを得るのは大変だが、失うのは笑えるくらいに簡単なことだから、気づくと奈落の底へのリーチがかかっているのが今の俺だった。

 だから、心の中ではどうにかしたいと願う自分がいた。いよいよ本気で警察が来るのではと思う度に、こんな生活から抜け出したいと思うことは一度や二度ではなかった。

 だが、実際に抜け出す為に何かをしたことはない。そもそも、何かというのがわからないのだから、結局は堂々巡りの末にいつもの日常に戻るのがオチだった。


 一瞬で気分が重くなった俺は、考えるのも嫌になって狭いベッドの上でただただ猫のように背中を丸めるしかなかった。

 ○ ○ ○


 一人の寂しさに耐えられず、仕方なく俺は新田に会いに行くことにした。だが、いつもの病室から新田の気配が感じられなかった。やけにひんやりとした廊下で、俺はネームプレートのない部屋をぼんやりと眺めていた。


 ――まさか、いや、そんな


 不意によぎる嫌な予感。人の気配も音もない部屋から漂う雰囲気に、俺は初めて不安で力が抜けるという感覚を味わった。


「彼氏、どうしたの?」


 呆然としていたところに、若い看護師が声をかけてきた。上手く言葉を発することができない俺は、暗い底に落ちていくような感覚の中、ただ新田がいた部屋を指さすしかできなかった。


「ああ、ごめんごめん。美優ちゃん、部屋が移動になったの」


 俺の様子に気づいたのか、看護師が笑いながら事情を説明した。どうやらナースステーションに近い部屋が空いたことで、そっちに移動になったという。


「いつも怖い顔してるくせに、泣きそうな顔はかわいかったぞ」


 意味深な笑みを浮かべた看護師が俺の背中を叩くと、移動先の新田の部屋を案内してくれた。


「ごゆっくり~」


 最後までからかい気味の看護師を恨みを込めて睨み返しつつ、改めて新田の名前を呼んでみた。

 すぐに聞こえてきた車イスの音に、なぜかホッとする自分がいた。と同時に、寂しくて会いに来たという事実が急に恥ずかしくなってきた。


『なんだか、看護師さんと楽しそうですね』


 最初に送られてきた文から、なぜか妙なトゲを感じた。一瞬、怒っているのかと思いつつも、理由を考えるのが面倒くさくてスルーすることにした。


『今日、先生にお願いをしてきました』


 いつもの雑談の後、新田はかしこまったかのように話題を切り替えてきた。


『願い?』


『私が亡くなったら、臓器提供をしたいと思ってます。私の病気は脳にまで及んでますから、私は脳死になる可能性が高いそうです。ですから、無事な心臓だけでも誰かにお裾分けしたいと思うんです』


 しばらくの間の後、渡されたメモを読んで息が詰まりそうになった。新田が深刻な病にあることはわかっていたが、こうもはっきりと死ぬ時のことが予想されているということに、声にならない怖さがじわじわと体中からわきあがってきた。


『心配しないでください。別に悲しいことではないんです。私は、今まで自由に外を出歩くことができませんでした。ですから、せめて私の一部だけでも自由な世界を楽しめたらと思ったんです』


 どう返事を書くか迷っている間に、新田から追加のメモを渡された。新田の考えは、もう外を出歩くことは不可能だから、せめて自分の一部だけでも自由な世界をと願っているようだった。


 ――なんだかな


 新田のメモを握りしめながら、俺は目の前の現実に対して言葉にならない不思議さを感じた。これまで、当たり前に生きて自由に体が動くことを不思議に思うことはなかった。

 だが、この世界にはそうした運命の人が実際にいる。若くして亡くなる人や、満足に動けなくなる人がいるという当たり前のことを、改めて現実だと思い知らされた。


『どうかしましたか?』


 俺が返信しないことに焦れたのか、新田が次の手紙をよこしてきた。


『いや、なんでもない。ただ、美優は強いんだなって思っただけ。それに比べたら、俺はどうしようもない馬鹿だと思う』


 慌てて返事を書いたせいか、つい自分の弱音が文字に出てしまう。何を血迷っているんだと自分が馬鹿らしくなったが、なぜかこの時ばかりは、新田に弱音を吐いてみようと思えてしまった。