家でも学校でも好き勝手している俺にも、目の上のたんこぶというのがある。今日も学校に行かずに部屋で寝転んでいたら、その目の上のたんこぶであるクソジジィから電話がかかってきた。

 問答無用に家に来いとだけ告げられ、断る理由を考える間もなく電話が切れる。俺はため息をつきながらベッドの上に寝転がった。


 ――面倒くさ。また説教かよ


 ベッドの上で寝返りをうちながら、クソジジィの呼び出し用件を考えてみる。クソジジィは、熊谷の名字が似合うほどの大柄な男で、最悪なことに警察官でもある。長年、刑事として凶悪犯を相手にしてきたせいか、顔立ちはいかつい上に眼差しも一般人とは言えなかった。その厳しい眼差しをいつも俺に余すことなく注ぎ込んでくるわけだから、俺にとっては小さい頃から苦手な存在でしかなかった。

 そのクソジジイからの呼び出し。これまでよかった試しは一度もなかったから、今回も内容は考えるまでもなかった。

 ――クソ、マジでついてねぇ

 呼び出しを無視しようかと考えたが、無視したら警察署の道場で袋叩きにあうのは目に見えていた。おかげで、仕方なく昨日盗んだスニーカーを箱から出して部屋を後にすることにした。

 ◯ ◯ ◯

 クソジジィの家は、俺の家から十分くらいの所にある。中学の入学祝いに兄から買ってもらった自転車で向かうと、クソジジィの無駄にでかい家は相変わらずだった。

 玄関脇に自転車をとめ、吹き出た汗をタオルで乱暴に拭う。どこかの修業僧かよと言いたくなるくらい、クソジジィはクーラーをつけてないことが多い。この暑さでポックリ逝ってもらうのは大歓迎だが、それよりも先に俺が旅立ちそうで頭が痛かった。


「じいちゃん、いる?」


 クソジジィの風格を表すかのような重いドアを開けると、意外にも冷たい風が火照った体を癒してくれた。ついにクソジジィも夏には負けたかと少しだけ哀れに思いかけたが、突然現れた作業着姿のクソジジィに冷たく睨まれ、哀れに思うのは間違いだと気づいた。


「今、冷たいものを持ってくる。そこに座ってろ」


 クソジジィが顎で畳の部屋を示した後、キッチンへと消えていった。冷たいものという単語を聞き間違えたかと思ったが、冷蔵庫を開ける音がしたから聞き間違えではなかった。

 俺の中では取調室になっている畳の部屋に入ると、微かに線香の匂いがした。襖の奥に婆ちゃんの仏壇があるのを思い出し、無事に家に帰れることを会うことのなかった婆ちゃんに祈った。


「食うか?」


 畳の部屋に戻ると、クソジジィがカップのアイスクリームを用意していた。今年の夏は油断できないとスマホのニュースにあったが、どうやらその情報は間違いないようだった。

 クソジジィがアイスクリームをスプーンですくうという偉業を見届けながら、俺も対面に座ってアイスクリームを口に運んだ。


「話って何だよ?」


 雰囲気からして怒っている感じはなかったから、それとなく様子を伺いながら探りを入れてみた。


「お前、本当にこのままでいいのか?」


「あ?」


「お前、自分にリーチがかかっているのはわかっているよな? いくら俺の孫とはいえ、次は本当にないのは知っているだろ」


 突如鋭さを増したクソジジィの声に、体と頭が反発するように熱くなった。クソジジィのいうリーチとは、少年院に入るかどうかの瀬戸際を示していた。

 世間では少年法は甘いと言われているが、俺にとってはクソジジィよりも硬い石頭のようなイメージしかない。ちょっとした犯罪でも、少年というだけで厳格な手続きが適用されるし、情けが適用されない場合も多い。大人が酔って喧嘩しても、場合によっては事件化しないこともあるが、少年がやれば問答無用で家裁送致になるし、下手したら一発で鑑別所行きも免れない。

 そうした背景があるから、一度警察に睨まれると少年院行きも他人事ではなくなってくる。正直なところ、少年院に行って箔をつけるとか言う奴のことが信じられなかった。実際に少年院に行った先輩たちを見る限り、デカイ顔をできるのは仲間内だけの話であり、その生活は悲惨の一言だった。

 だから、誰もが少年院ぐらいと強がりながらも、その世界に堕ちるのを恐れている。少年院に入るか入らないかは、一つのデッドラインだ。その線を越えた先に待っているのは、断崖絶壁を登るしかない地の底だけだった。


「リーチがかかっているのは知ってるさ」


 クソジジィを睨みながら、俺は恐怖に蓋をするように強がってみせた。先月、生安の少年係から「次はないからな」と最終通告を受けたばかりだから、俺も次は少年院行きを避けられないことはわかっていた。


「だったら、今のうちに変わるんだ。お前の悪いところは、感情が先走って自分を見失うところにある。どんな理由があろうが、結局はやったことは全て自分に返ってくるということを忘れるな」


「ったく、またその話かよ。ていうか、そもそも変わるって何だよ」


「まともになれってことだ」


 クソジジィの言葉に、俺の中にある怒りのスイッチが反応した。いつもの説教がまた始まっただけなのだが、俺はまともになれという言葉を聞くと、自分でも怒りを抑えきるなくなってしまうのだ。


「まともって何だよ」


「あ?」


「まともになれって、まともに生きた兄ちゃんはどうなったんだよ!」


 怒りを抑えることができず、声を荒げてクソジジィを睨みつけた。「鷹広!」と怒鳴るクソジジィの声が遠くに聞こえたが、もう自分を止めることはできなかった。


「まともになれって、もううんざりなんだよ。兄ちゃんが死んだ時、大人たちは何をやった? 警察は自殺としてさっさと終わらせ、兄ちゃんの会社の奴らは目をそむけて知らんふりしやがったじゃないか。クソオヤジもどっかに消えやがったし、母ちゃんはぶっ壊れたままだ。それもこれも、みんな爺ちゃんがいうまともな大人がやったことじゃないのかよ。それでも、まともになれって言うのかよ!」


 感情に任せて声をあげると、なぜか目頭が熱くなってクソジジィが滲んでいった。乱暴に右手で拭いながら、俺は荒れる呼吸を静めるように下を向いてクソジジィから目をそらした。

 全てが壊れていいと思っていた。こんなくだらない世界なら、生きててもろくなことはないと本気で思っていた。

 兄がなぜ死んだのか。その理由の一つも解明できない大人たちと共存するくらいなら、本気で死んだほうがマシだと思っていた。


「兄ちゃんは死んだんじゃない。爺ちゃんがいうまともな大人たちに殺されたんだよ。爺ちゃんも刑事なら、なんで捜査してくれなかったんだよ!」


 最後は怒りをクソジジィにぶつけて、俺はクソジジィの呼び止める声を無視して家を飛び出した。