東原総合病院は、ヤンキーがまだ死語になっていない田舎の町にはふさわしくないくらい、最先端医療を受けられる病院だった。

 といっても、今の俺にはどんな病院かはどうでもよく、二時間に一本のバスに揺られながら新田に会いに向かう。山を背にした田園風景の中に突如現れた巨大な建物に、俺は少しだけ気が引けた。意気揚々と殴り込みにきたつもりが、人の多さと病院という無機質な空気に飲み込まれ、いつの間にか圧倒される自分がいた。


 ――さっさと文句言って帰るか


 気後れする自分を奮い立たせ、行き通う人の波に突入する。広々としたロビーの案内図を頼りに入院患者がいる病棟を目指したが、結局どこの部屋にいるのかはたどり着けなかった。


「君、どうしたの?」


 半分諦めかけたところで、ナースステーションから若い看護師に声をかけられた。なんと説明するか迷ったが、考えても仕方がないので素直に新田に会いに来たことを告げた。


「美優ちゃんに会いに来たって、え? ひょっとして、彼氏とか?」


「違うけど。ただの同級生」


 新田の名前を出した途端、看護師の顔に驚きが広がるのがわかった。しかも、奥にいた看護師たちも興味津々に近づいてきたせいで、一気に居心地が悪くなった。


「ただの同級生ね。でも、面会は午後からだし、それに――」


 俺の言葉を信用することなく勝手に彼氏と決めつけた看護師が、顔を曇らせながら言葉を濁した。面会が午後からというのはタイミングが悪かったが、どうやら言葉を濁したのはそれだけではなかったようだ。


「今、美優ちゃん面会謝絶なの」


「面会謝絶?」


「そう。ちょっと色々あってね」


 明らかにはぐらかしにきた看護師を見て、早川の言葉を思い出した。新田は重い病気で入院しているから、面会できないということは想像以上に体調がよくないのかもしれない。


「せっかくだから、ちょっとだけ会えるか聞いてみるね」


 体調が悪いなら会わないほうがいいと思ったところで、看護師たちが何かを相談し合いながら、なぜか俺を新田の病室に案内してくれることになった。


「美優ちゃんね、同級生が会いに来たのは初めてなのよ」


 新田の病室に向かう途中、そう呟いた看護師が意味深な笑みを浮かべた。理由を聞くと、入退院を繰り返しているせいで友達がいないということらしい。そこに異性の同級生であるが俺が来たわけだから、看護師にしたら蒼天の霹靂ということだったようだ。

 病棟の一番奥にある個室の部屋に、新田美優のプレートがあった。ドアには看護師が言った通り面会謝絶の札が付けられていて、無機質な病院の廊下にどこか寂しさを漂わせていた。


「ちょっと待っててね」


 看護師は俺に待つように伝えると、新田の病室に入っていった。一人取り残された俺は、急に世界で一人になったような寂しさを感じ、怒っていたことが馬鹿らしくなって熱が冷めていくのを感じた。


 ――こんなところに一人でいるのかよ


 落ち着かない気持ちで周囲を見ながら、新田がどんな奴か考えてみる。人の進路希望調査用紙にふざけたことを書くぐらいだから、それなりにイカれた奴だと思っていた。

 だが、実際はどうだろうか。新田は、ずっと友達もできないまま入退院を繰り返し、こんな寂しい場所で過ごしている。たまに学校に来ても保健室通いだから、俺とはまた違った異質な人生を歩んでいるのかもしれない。

 そう考えていたところで、看護師が病室から出てきた。もはや会うのが馬鹿らしくなっていた俺に、看護師は困った顔で面会は無理みたいと助け舟を出してくれた。


「でも、手紙だったらなんだけど、ちょっとぐらいならやりとりしてもいいみたいよ」


 そう告げる看護師の手には、病院の雰囲気には似合わないカラフルなメモ用紙が握られていた。

 どういうことかと目で訴える俺に、看護師はメモ用紙とボールペンを渡してきた。


「ドアの近くにいるから、返事を書いたらそこの隙間から渡して。そしたら、美優ちゃんがまた返事を書いてくれるから」


 何かが挟まる音が響いたドアには、換気用の隙間があった。磨りガラス越しから中は見えないが、要するにドアを開けない代わりにその隙間を利用して手紙のやりとりをしろってことらしい。


「また迎えにくるから。ゆっくりしていってね」


 俺が引き受けるかどうか返事を聞くことなく、看護師はニヤニヤしながらナースステーションに戻っていった。


 ――くそ、何が手紙のやりとりだよ


 アホらしくなった俺は、頭をかきながら新田の名前を呼んでみた。手紙のやりとりという面倒くさいことをする気がなかった俺は、直接話をするよう呼びかけた。

 だが、返事はなかった。代わりに、換気用の隙間を叩く音だけが小さく響いた。


 ――くそ、マジでふざけんなよ


 再燃した怒りに身を任せ、換気用の隙間から中の様子を覗いてみる。車イスのタイヤと、やけに細く白い脚が見えた瞬間、なぜか俺は落ち着かない気持ちになった。

 回れ右して帰りたかったが、なんとなく帰るのがまずい気がしたせいで、仕方なく俺は渡されたメモ用紙に乱暴に目を落とした。


『校舎裏ではなく病院で愛の告白なんて、熊谷くんも大胆ですね』


 かすれて弱々しい文字だが、内容はグーパンかましてやりたいレベルだった。ふざけんなよとドアを叩いてみたが、またしてもドアの隙間を蹴られるだけだった。


 ――くそ、なんだよこいつは


 会ったことも話したこともない女。知っていることは、重い病に冒されていることと、やけに細く白い脚ということだった。

 そんな奴がドアを隔てた先にいる。こんな奇妙な状況でやりとりするわけだから、俺の頭は怒りとおかしさでぐちゃぐちゃになりかけていた。

 こうして、顔もわからない奴と俺との、よくわからないやりとりが始まることになった。