新田と約束を交わした時から、俺の中に言葉にならない感情が常に渦が巻いていた。それは嬉しいという気持ちのようでありながら、奈落の底に落ちるようなやるせなさに似た感覚でもあり、経験したことのないような相反する感情のうねりに、俺は夢を見ているかのような浮わついた日々を過ごしていた。
そんな夢うつつにいた俺の目を覚ましたのは、モヒカンからの一本の電話だった。嫌な予感はすぐに現実となり、モヒカンから告げられたのは、長谷川先輩が窃盗の関係で警察に逮捕されたという事実だった。
「このままだとヤバいよ鷹広君」
半べそかいたモヒカンの声に、言われなくてもわかっていると怒鳴り返してやった。
「で、なんで長谷川先輩は捕まったんだ?」
「バン(職務質問)くらった時に、盗品を持ってたみたいなんだ」
「おいおい、まさかあの時計のことじゃないよな?」
「わからない。でも、鷹広君には悪いけど、実はあまり自信がないんだ」
明らかに気落ちしたモヒカンの声に、俺の頭は一気に沸騰していった。
「馬鹿、だから言っただろ! 足のつくのはやめろって」
怒りに任せて声を荒げると、モヒカンは泣きそうな声で「ごめん」を繰り返すだけだった。
「それより、これからどうする? 急いでブツ(盗品)を処分しないとまずいよね?」
苛立ちと焦りの中、申し訳なさそうに呟いたモヒカンの言葉で我に返った俺は、急いで今後の対策を頭の中に描き始めた。
まず、長谷川先輩が警察に連れていかれた以上、警察が俺やモヒカンのもとに来るのは時間の問題だった。長谷川先輩は、自分の罪が軽くなるなら喜んで仲間を売るタイプだ。そうなると、長谷川先輩の自供を裏付けする為に、警察は盗品を押さえに追い込みをかけてくるだろう。
だとしたら、これからは時間の問題になる。警察が追い込みをかける前に盗品を処分し、刑事や生安の恫喝に耐える準備をしておく必要があった。
落ち着きを取り戻しながら頭の中で筋道を立てている間、ずっとスマホにキャッチが入っていた。恐る恐る確認すると、クソジジィからの鬼電だった。
――くそ、マジついてねぇ
クソジジィの電話の用件は、間違いなく出頭要請だ。だが、出頭すればまず帰ってはこれない。だから、その前に盗品を処分する必要がある。クソジジィのことだから、電話に出ないとなると次に予想されるのは半強制的な任意同行だった。
鬼電話が止むと同時に、今度は家の電話が鳴り響き始めた。その音に心臓が激しく跳ね上がり、どっと冷や汗が背中を流れ落ちていく。在宅を確認したら、クソジジィは一気に攻めてくるだろう。
「ばあちゃん、電話無視して!」
当たり前に受話器を手にしようとしたばあちゃんに、祈りに似た気持ちで叫び声を上げた。
だが、ばあちゃんは一瞬驚いたものの、かまわず受話器を手に取った。
――くそ
クソジジィに俺のことを聞かれたら、ばあちゃんは嘘をつけない。仮に嘘をついてくれたとしても、クソジジィには通用しないこともわかっていた。
だから、ばあちゃんが何かを話す前に電話を強引に切った。ばあちゃんは何事かと眉間にシワを深く刻んでいたが、俺は息が荒れ過ぎて上手く説明することができなかった。
「クソジジィからの電話だったんだろ? どうせいつもの説教だから、今は無視してよ」
からからの喉から声を絞り出して、なんとか取り繕いの言い訳を並べる。だが、そんな俺に対してばあちゃんは更にシワを深く刻むだけだった。
「さっきの電話、おじいさんからじゃなかったんだけど」
「え?」
「学校からで、病院から至急の連絡が何とかって言ってたんだけどねぇ」
困惑しながらも、ばあちゃんはいつものおっとりした口調で電話の内容を話してくれた。
――学校? 病院?
ばあちゃんの口から出てきたワードに、俺の怒りは冷水を浴びたかのように速攻で萎んでいった。
――病院て、まさか
空回りし始めた頭を強引に切り替え、ばあちゃんの言葉の意味を推理する。新田とはスマホの番号を交換していないし、新田の親にも病院にも番号は教えていない。
となると、新田に何かあった時に病院や新田の親が俺に連絡しようと考えたら、学校を経由してくる可能性があった。
「もしもし? 鷹広君何してるの? 早くしないとまずいって!」
耳にあてたスマホから、モヒカンの急かす声が断続的に続いていた。事情を知らないモヒカンにしたら、一秒でも早く次の手をうちたいのだろう。
「うるさい、ちょっと黙ってろ!」
モヒカンの叫びに再び血が上った俺は、怒りを露にして怒鳴りつけた。モヒカンの言いたいことも、今やらなければならないこともわかっていたが、なぜか考えが上手くまとまらなかった。
――くそ
いきなりつきつけられた現実に、考えるよりも怒りが先走りしていた。盗品を処分しなければいけない時に、まさかの病院からの呼び出し。本当に人生はクソだとしか言いようがなかった。
だが、それも全ては自分がまいた種だった。自暴自棄になって悪さを繰り返したツケを、今になって支払わされているに過ぎなかった。
――どんな理由があろうが、結局はやったことは全て自分に返ってくるということを忘れるな
不意に甦るクソジジィの説教。何万回も聞かされた言葉の意味を、こんな最悪なタイミングで思い知らされることになった。
――落ち着け!
スマホを耳から離し、何度も深呼吸を繰り返す。怒りに任せて先走るこれまでの俺なら、間違いなく死に物狂いで盗品の処分に奔走しただろう。
だが、そうすれば病院の呼び出しに応えることはできなくなってしまう。もし、新田が今最悪の状況だとしたら、その最後の呼び出しを反故にしたことになってしまうかもしれない。
とはいえ、盗品の処分を後回しにしたら、警察の追い込みに対応できなくなってしまう。そうなれば、俺に待っているのは絶望の未来だけだ。警察がリーチを宣言している以上、今回ばかりは少年院行きを避けることはできない。
二つの選択が、頭の中をぐるぐると回り続けた。どっちを選択しても絶望しかなさそうだったが、決断するのに時間の猶予はなかった。
「よく聞いてくれ」
迷いながらも覚悟を決めた俺は、喚き続けるモヒカンに冷静さを保って話しかけた。
「俺は、これから大事な用がある。だから、盗品の処分はお前一人でやってくれ」
「はあ? 鷹広君、言ってる意味わかってる? 警察がガチで来るんだよ? そんな時だってのに、盗品の処分以外に大切なことってある?」
「まあ、確かにおかしな話だよな。捕まれば少年院行き確定だってのに、俺はどうかしてるよな?」
「どうかどころじゃないよ。ねぇ、本当にどうしちゃったんだよ?」
「どうもしてないさ。ただ、この用事だけは外せない大切なことだって思っただけなんだ。それに、捕まってもお前のことは口を割らないから安心してくれ。だから、お前はお前のやりたいようにやってくれ」
尚も食らいついてくるモヒカンに別れを告げ、一方的に電話を切る。覚悟を決めたことに怖さはあったが、それ以上にどうしても新田の所に行きたい気持ちが強く勝っていた。
――モヒカン、短い間だったけど楽しかったぜ
スマホの記録と履歴から、モヒカンに関するものを全て削除する。名前を思い出せないことに少し胸が痛んだが、それもすぐに消えていった。
そんな夢うつつにいた俺の目を覚ましたのは、モヒカンからの一本の電話だった。嫌な予感はすぐに現実となり、モヒカンから告げられたのは、長谷川先輩が窃盗の関係で警察に逮捕されたという事実だった。
「このままだとヤバいよ鷹広君」
半べそかいたモヒカンの声に、言われなくてもわかっていると怒鳴り返してやった。
「で、なんで長谷川先輩は捕まったんだ?」
「バン(職務質問)くらった時に、盗品を持ってたみたいなんだ」
「おいおい、まさかあの時計のことじゃないよな?」
「わからない。でも、鷹広君には悪いけど、実はあまり自信がないんだ」
明らかに気落ちしたモヒカンの声に、俺の頭は一気に沸騰していった。
「馬鹿、だから言っただろ! 足のつくのはやめろって」
怒りに任せて声を荒げると、モヒカンは泣きそうな声で「ごめん」を繰り返すだけだった。
「それより、これからどうする? 急いでブツ(盗品)を処分しないとまずいよね?」
苛立ちと焦りの中、申し訳なさそうに呟いたモヒカンの言葉で我に返った俺は、急いで今後の対策を頭の中に描き始めた。
まず、長谷川先輩が警察に連れていかれた以上、警察が俺やモヒカンのもとに来るのは時間の問題だった。長谷川先輩は、自分の罪が軽くなるなら喜んで仲間を売るタイプだ。そうなると、長谷川先輩の自供を裏付けする為に、警察は盗品を押さえに追い込みをかけてくるだろう。
だとしたら、これからは時間の問題になる。警察が追い込みをかける前に盗品を処分し、刑事や生安の恫喝に耐える準備をしておく必要があった。
落ち着きを取り戻しながら頭の中で筋道を立てている間、ずっとスマホにキャッチが入っていた。恐る恐る確認すると、クソジジィからの鬼電だった。
――くそ、マジついてねぇ
クソジジィの電話の用件は、間違いなく出頭要請だ。だが、出頭すればまず帰ってはこれない。だから、その前に盗品を処分する必要がある。クソジジィのことだから、電話に出ないとなると次に予想されるのは半強制的な任意同行だった。
鬼電話が止むと同時に、今度は家の電話が鳴り響き始めた。その音に心臓が激しく跳ね上がり、どっと冷や汗が背中を流れ落ちていく。在宅を確認したら、クソジジィは一気に攻めてくるだろう。
「ばあちゃん、電話無視して!」
当たり前に受話器を手にしようとしたばあちゃんに、祈りに似た気持ちで叫び声を上げた。
だが、ばあちゃんは一瞬驚いたものの、かまわず受話器を手に取った。
――くそ
クソジジィに俺のことを聞かれたら、ばあちゃんは嘘をつけない。仮に嘘をついてくれたとしても、クソジジィには通用しないこともわかっていた。
だから、ばあちゃんが何かを話す前に電話を強引に切った。ばあちゃんは何事かと眉間にシワを深く刻んでいたが、俺は息が荒れ過ぎて上手く説明することができなかった。
「クソジジィからの電話だったんだろ? どうせいつもの説教だから、今は無視してよ」
からからの喉から声を絞り出して、なんとか取り繕いの言い訳を並べる。だが、そんな俺に対してばあちゃんは更にシワを深く刻むだけだった。
「さっきの電話、おじいさんからじゃなかったんだけど」
「え?」
「学校からで、病院から至急の連絡が何とかって言ってたんだけどねぇ」
困惑しながらも、ばあちゃんはいつものおっとりした口調で電話の内容を話してくれた。
――学校? 病院?
ばあちゃんの口から出てきたワードに、俺の怒りは冷水を浴びたかのように速攻で萎んでいった。
――病院て、まさか
空回りし始めた頭を強引に切り替え、ばあちゃんの言葉の意味を推理する。新田とはスマホの番号を交換していないし、新田の親にも病院にも番号は教えていない。
となると、新田に何かあった時に病院や新田の親が俺に連絡しようと考えたら、学校を経由してくる可能性があった。
「もしもし? 鷹広君何してるの? 早くしないとまずいって!」
耳にあてたスマホから、モヒカンの急かす声が断続的に続いていた。事情を知らないモヒカンにしたら、一秒でも早く次の手をうちたいのだろう。
「うるさい、ちょっと黙ってろ!」
モヒカンの叫びに再び血が上った俺は、怒りを露にして怒鳴りつけた。モヒカンの言いたいことも、今やらなければならないこともわかっていたが、なぜか考えが上手くまとまらなかった。
――くそ
いきなりつきつけられた現実に、考えるよりも怒りが先走りしていた。盗品を処分しなければいけない時に、まさかの病院からの呼び出し。本当に人生はクソだとしか言いようがなかった。
だが、それも全ては自分がまいた種だった。自暴自棄になって悪さを繰り返したツケを、今になって支払わされているに過ぎなかった。
――どんな理由があろうが、結局はやったことは全て自分に返ってくるということを忘れるな
不意に甦るクソジジィの説教。何万回も聞かされた言葉の意味を、こんな最悪なタイミングで思い知らされることになった。
――落ち着け!
スマホを耳から離し、何度も深呼吸を繰り返す。怒りに任せて先走るこれまでの俺なら、間違いなく死に物狂いで盗品の処分に奔走しただろう。
だが、そうすれば病院の呼び出しに応えることはできなくなってしまう。もし、新田が今最悪の状況だとしたら、その最後の呼び出しを反故にしたことになってしまうかもしれない。
とはいえ、盗品の処分を後回しにしたら、警察の追い込みに対応できなくなってしまう。そうなれば、俺に待っているのは絶望の未来だけだ。警察がリーチを宣言している以上、今回ばかりは少年院行きを避けることはできない。
二つの選択が、頭の中をぐるぐると回り続けた。どっちを選択しても絶望しかなさそうだったが、決断するのに時間の猶予はなかった。
「よく聞いてくれ」
迷いながらも覚悟を決めた俺は、喚き続けるモヒカンに冷静さを保って話しかけた。
「俺は、これから大事な用がある。だから、盗品の処分はお前一人でやってくれ」
「はあ? 鷹広君、言ってる意味わかってる? 警察がガチで来るんだよ? そんな時だってのに、盗品の処分以外に大切なことってある?」
「まあ、確かにおかしな話だよな。捕まれば少年院行き確定だってのに、俺はどうかしてるよな?」
「どうかどころじゃないよ。ねぇ、本当にどうしちゃったんだよ?」
「どうもしてないさ。ただ、この用事だけは外せない大切なことだって思っただけなんだ。それに、捕まってもお前のことは口を割らないから安心してくれ。だから、お前はお前のやりたいようにやってくれ」
尚も食らいついてくるモヒカンに別れを告げ、一方的に電話を切る。覚悟を決めたことに怖さはあったが、それ以上にどうしても新田の所に行きたい気持ちが強く勝っていた。
――モヒカン、短い間だったけど楽しかったぜ
スマホの記録と履歴から、モヒカンに関するものを全て削除する。名前を思い出せないことに少し胸が痛んだが、それもすぐに消えていった。