『このままだと、俺は間違いなく悲惨な人生を送ると思う』
抑えきれない感情に背中を押されるように、俺は誰にも口にしたことのない弱音を文字にしていった。
亡くなった兄のことや、自分を認識しない母親のこと等、自分を取り巻く環境や未来への不安を、ためらいを捨てて書きなぐっていく。気づくと頬が濡れて、汚い俺の字が涙で滲んでいた。
『だから、時々迷ってしまうんだ。俺は何のためにここにいるんだろうなって。誰からも必要とされてないし、家族もきっと兄貴じゃなくて俺が死ねばよかったと思っているはずだ。だから、そんな現実が辛くて、逃げるように感情に任せてどうしようもない馬鹿ばっかりやっているんだ』
一通り書きなぐった後、俺は声を殺して手紙を新田に渡した。口を開くと泣き声を漏らしそうで、俺はただ静まり返った病院の廊下に崩れ落ちるしかなかった。
「熊谷くん」
しばらくして、手紙の代わりに俺を呼ぶ声が聞こえてきた。顔を上げると、ドア越しに磨りガラスを叩く音が小さく響き渡った。
「美優?」
慌てて立ち上がると、長い髪をした新田がドア越しに立っているのが見えた。
「おい美優、大丈夫なのか?」
ゆらゆらと揺らめく新田のシルエットからは、とても大丈夫そうな気配は感じられなかった。心配で声をかけると、新田は絞り出すような声で「大丈夫だから」と繰り返した。
「私は、熊谷くんを必要としてますよ」
「え?」
急に新田が立ち上がったことに驚きつつ心配していると、微かに新田の震えた声が聞こえてきた。どうやら新田は、手紙ではなく力をふりしぼって声で伝えようとしているようだった。
「私は、今までずっと一人ぼっちでした。夢も希望もない世界で、ずっとずっと一人でした。そんな世界で、初めて希望を抱いた時、現れたのが熊谷くんでした」
途切れがちだが、それでも新田は懸命に声をつなげていく。磨りガラスに淡く映る人影の表情は見えないが、なぜか新田が微笑んでいてくれてるような気がした。
「私にとって、熊谷くんは誰が何と言おうと救世主なんです」
そう言いきった新田から、微かに笑い声が聞こえてきた。なんだか恥ずかしい気がしたが、それ以上に不思議と嬉しく感じる自分がいた。
「美優」
新田の名前を呼びながら、磨りガラスに右手をあてる。そんな俺の仕草に同調するかのように、新田も左手を重ねてきた。
「熊谷くんの手、とてもあったかいです」
ひんやりとしたガラスの感触越しに伝わってくる温もり。それを口にしようとしかけて、新田に先を越されてしまった。
――会ってみたいな
不意に沸き上がってくる感情。これまで感じたことのない息苦しさと、喉を押し上げるような心臓の乱れの中、俺は胸の奥に刺すような痛みを感じていた。
不思議な感覚だった。これまで、誰かに会いたいと思うことなどなかった。なのに、俺は生まれて初めて、新田美優という女の子にに会ってみたいと強く感じていた。
「なあ、美優――」
「ごめんなさい、熊谷くん」
抑えきれない感情を口にしようとした瞬間、新田の微かな涙声が聞こえてきた。
「もし、今、熊谷くんが私と同じように会ってみたいと思っているなら、私はとても嬉しいです」
「美優?」
「でも、私は嬉しく思うと同時に怖くもあります。きっと、今の私の姿を見たら、熊谷くんは私のことを嫌いになると思います。そう考えると、私にはこのドアを開ける勇気がありません」
掠れた声ながらも、はっきりと伝わってくる新田の拒絶の意思に、俺は落胆しながらも強がりの笑い声をあげた。
「美優、これで十分だ。十分、美優のことを感じられるから」
ガラス越しに重ねた手をふりながら、精一杯の想いを伝える。会えないのは残念だが、無理を言って新田を困らせたり悲しませたりしたくなかった。
それに、ガラス越しとはいえ新田がそばにいることを実感できるだけでよかった。誰からも必要とされてない俺を、新田は必要としていることを知れただけでも十分だった。
「美優、俺がいつか海を見に連れていってやるよ」
再び新田の手に手を重ねた俺は、考えるより先に想いを口にしていた。
「はい、楽しみにしてます」
一瞬の間の後、新田の力強い返事が聞こえてきた。
本当は叶わない約束だとわかっていた。
だが、その時の俺と新田は、なぜか本当に海を見に行く日が来るような気がして、二人で馬鹿みたいに笑いあっていた。
抑えきれない感情に背中を押されるように、俺は誰にも口にしたことのない弱音を文字にしていった。
亡くなった兄のことや、自分を認識しない母親のこと等、自分を取り巻く環境や未来への不安を、ためらいを捨てて書きなぐっていく。気づくと頬が濡れて、汚い俺の字が涙で滲んでいた。
『だから、時々迷ってしまうんだ。俺は何のためにここにいるんだろうなって。誰からも必要とされてないし、家族もきっと兄貴じゃなくて俺が死ねばよかったと思っているはずだ。だから、そんな現実が辛くて、逃げるように感情に任せてどうしようもない馬鹿ばっかりやっているんだ』
一通り書きなぐった後、俺は声を殺して手紙を新田に渡した。口を開くと泣き声を漏らしそうで、俺はただ静まり返った病院の廊下に崩れ落ちるしかなかった。
「熊谷くん」
しばらくして、手紙の代わりに俺を呼ぶ声が聞こえてきた。顔を上げると、ドア越しに磨りガラスを叩く音が小さく響き渡った。
「美優?」
慌てて立ち上がると、長い髪をした新田がドア越しに立っているのが見えた。
「おい美優、大丈夫なのか?」
ゆらゆらと揺らめく新田のシルエットからは、とても大丈夫そうな気配は感じられなかった。心配で声をかけると、新田は絞り出すような声で「大丈夫だから」と繰り返した。
「私は、熊谷くんを必要としてますよ」
「え?」
急に新田が立ち上がったことに驚きつつ心配していると、微かに新田の震えた声が聞こえてきた。どうやら新田は、手紙ではなく力をふりしぼって声で伝えようとしているようだった。
「私は、今までずっと一人ぼっちでした。夢も希望もない世界で、ずっとずっと一人でした。そんな世界で、初めて希望を抱いた時、現れたのが熊谷くんでした」
途切れがちだが、それでも新田は懸命に声をつなげていく。磨りガラスに淡く映る人影の表情は見えないが、なぜか新田が微笑んでいてくれてるような気がした。
「私にとって、熊谷くんは誰が何と言おうと救世主なんです」
そう言いきった新田から、微かに笑い声が聞こえてきた。なんだか恥ずかしい気がしたが、それ以上に不思議と嬉しく感じる自分がいた。
「美優」
新田の名前を呼びながら、磨りガラスに右手をあてる。そんな俺の仕草に同調するかのように、新田も左手を重ねてきた。
「熊谷くんの手、とてもあったかいです」
ひんやりとしたガラスの感触越しに伝わってくる温もり。それを口にしようとしかけて、新田に先を越されてしまった。
――会ってみたいな
不意に沸き上がってくる感情。これまで感じたことのない息苦しさと、喉を押し上げるような心臓の乱れの中、俺は胸の奥に刺すような痛みを感じていた。
不思議な感覚だった。これまで、誰かに会いたいと思うことなどなかった。なのに、俺は生まれて初めて、新田美優という女の子にに会ってみたいと強く感じていた。
「なあ、美優――」
「ごめんなさい、熊谷くん」
抑えきれない感情を口にしようとした瞬間、新田の微かな涙声が聞こえてきた。
「もし、今、熊谷くんが私と同じように会ってみたいと思っているなら、私はとても嬉しいです」
「美優?」
「でも、私は嬉しく思うと同時に怖くもあります。きっと、今の私の姿を見たら、熊谷くんは私のことを嫌いになると思います。そう考えると、私にはこのドアを開ける勇気がありません」
掠れた声ながらも、はっきりと伝わってくる新田の拒絶の意思に、俺は落胆しながらも強がりの笑い声をあげた。
「美優、これで十分だ。十分、美優のことを感じられるから」
ガラス越しに重ねた手をふりながら、精一杯の想いを伝える。会えないのは残念だが、無理を言って新田を困らせたり悲しませたりしたくなかった。
それに、ガラス越しとはいえ新田がそばにいることを実感できるだけでよかった。誰からも必要とされてない俺を、新田は必要としていることを知れただけでも十分だった。
「美優、俺がいつか海を見に連れていってやるよ」
再び新田の手に手を重ねた俺は、考えるより先に想いを口にしていた。
「はい、楽しみにしてます」
一瞬の間の後、新田の力強い返事が聞こえてきた。
本当は叶わない約束だとわかっていた。
だが、その時の俺と新田は、なぜか本当に海を見に行く日が来るような気がして、二人で馬鹿みたいに笑いあっていた。