いつかキミが消えたとしても

舞は振り向いて英介と視線を合わせた。


英介はテストがうまく行ったことを知らせるように親指を立てて見せる。


舞は微笑んで頷き、次に恵美たちへ視線を向けた。


3人ともグッドサインや指で丸作ってこちらへアピールしてきた。


みんなテストは自信があるみたいだ。


これならきっと今年の夏は楽しくなる!


舞は浮き立つ気持ちを押さえて前を向いたのだった。

☆☆☆

夏休み1日目。


舞と英介と恵美と淳子と愛の5人はそろってぞろぞろと病室を訪れていた。


ベッドに寝転んで漫画雑誌を読んでいた青っちは上半身を起こして「どうしたんだよ、勢揃いだな」と、目を丸くする。


5人は互いに目を見交わせたかと思うと「せーのっ」と舞が合図を出し、同時に返却された答案用紙を青っちに見せた。


「おぉ、テスト返ってきてたんだな。みんなどうだった?」


青っちは舞から答案用紙を受け取ってその点数を確認し始めた。


赤ペンで書かれた点数の横に平均点を書いている。


「舞、全部平均点以上取れてるじゃないか!」


「へへっ。私だけじゃないよ。他のみんなもみんな平均点以上で、今年の夏は追試なし!」


舞が言うと、全員が拍手をした。


宿題は大量に出ていて学校へ行って勉強をする必要はない。


それは開放感のある夏休みを意味していた。


「ねぇねぇ私達どこにいく?」


「外は熱いから、できるだけ室内の方がいいなぁ」


「あ、水族館とかどうかな?」
みんなが好き勝手話し始めたので舞は青っちに向き直った。


「青っち、勉強教えてくれてありがとう。青っちのおかげで赤点免れたよ」


「よかった。でも舞も頑張ったからだよ」


手を握られて、嬉しさで頬がほころぶ。


「それでね青っち。私達考えたんだけど、青っちと一緒に行ける場所に行こうと思うの」


「俺と?」


青っちは自分を指差して聞き返した。


舞は頷く。


この夏休み中に青っちはどうなってしまうかわからない。


アマンダのように見る見る内に病状が悪化していってしまう可能性もある。


それなら、この夏がみんなで過ごす最初で最後になるかもしれない。


青っちと沢山の思い出を作って、青っちの写真を沢山撮る。


そのために舞たちは勉強を頑張ってきたのだ。
「外出許可は取れるんでしょう?」


「あぁ。まぁ一応は」


言いながらも青っちはどこか歯切れが良くない。


舞から視線を外して、その視線を空中にさまよわせている。


「もしかして、先生からなにか言われた?」


「いや、そうじゃないんだけど。最近リハビリをしていても、コケることが多くなったんだ」


青っちは一旦深呼吸を挟んでからそう言った。


舞は一瞬絶句してしまい、みんなの会話も止まる。


外から入ってくる蝉の鳴き声だけが、やけに軽快な音楽のように聞こえてくる。


「そっか。それなら車椅子とかあったほうがいいね」


舞は明るい声色で答えた。


不安なのは青っちの方だ。


自分が暗い顔をしていれば、青っちは余計に不安になっていく。


だから笑顔になった。


「そうだな」


「それならやっぱり水族館だな!」


「英介はさっきからそればっかり、自分が行きたいんじゃないの?」


恵美に突っ込まれて英介が慌てて左右に首をふる。


その様子を青っちは笑って見ていた。


青っちがもうほとんど自力では歩けないなんて、想像もつかなかった。
☆☆☆

予定通り、夏休みは毎日のようにイベントで盛りだくさんだった。


最初に英介がおすすめしていた水族館にみんなで行った。


ペンギンの散歩を見て、イルカショーを見て、青いカレーをきゃあきゃあ言いながら食べた。


青っちは車椅子だったけれど、この日は調子がよかったみたいでほとんど自分の足で歩いていた。


「疲れない?」


と、舞が聞くと「これもリハビリだから」と、青っちは微笑んで頷いて見せた。


どんどん体力が落ちていく青っちを、少しでも楽しく運動させてあげられないか。


そう考えた時にひらめいたのが、この夏休み中のイベントだった。


みんなも面白そうだからと付き合ってくれているけれど、本当は青っちのことが気になって、青っちとの思い出を作りたいのだろうと、舞は思っていた。


「ほんと、お前ら暇かよ」


週に5日は病室を訪れる友人たちに青っちは呆れたように言った。


「それくらい青っちへの愛情が深いってことだよ」


恵美が冗談交じりに言って、また病室はにぎやかな笑い声に包まれた。


舞もみんなと同じように笑う。
だけど、一番近くにいて一番青っちを見ていたからわかることがあった。


青っちの笑顔はときどき苦しそうに引きつり、そして額に汗が滲んでいく。


そんなとき、舞はこっそりみんなにそのことを伝えて、自然に病室を出て行ってもらった。


青っちは、みんながいなくなると顔を歪めて苦しんだ。


舞はそんな青っちの体の透けている部分を丹念になでる。


そうしていれば色が戻ってくるのではないかと願うように、強く、優しくなでる。


そして「大丈夫、大丈夫だよ」と、囁き続けるのだった。
夏休みは残り1週間となり、遊びまくっていた友人たちは家に缶詰状態になって宿題をしていた。


そんな中、舞は青っちの病室に宿題を持ち込み、1人で黙々と問題に取り組んでいた。


「もう、俺が教えなくても、大丈夫か?」


ベッドの上から呼吸が苦しそうな青っちが声をかけてくる。


「私も、少しは自分で勉強できるようになったんだよ」


おどけて返事をすると、青っちは笑顔を浮かべた。


最近の青っちは寝たきりでいることが多くなった。


体はいつもどこかが透き通っていて、苦しそうにしている時間は長くなった。


アマンダは動画の中で透明化が進めば不意に体が楽になるというようなことを言っていた。


今の青っちはその手前にいるのだろう。


これ以上病気が進んでほしくない。


だけど苦しむ顔はもう見たくない。


舞の中に矛盾した気持ちがあって、その天秤はどちらにも触れることなくずっととどまっている。


「そっか……」


青っちは大きく息を吐き出すように言う。


舞は宿題を進めながら窓の外のセミの鳴き声を聞く。


テキストを開く音と、かすかな空調の音。


不意にテキストから顔をあげた。
さっきまで苦しそうな呼吸をしていた青っちが静かだ。


ハッと息を飲んでベッドを覗き込んで見ると、青っちは目を閉じていた。


それたただ眠っているだけに見える。


けれどその布団を剥ぎ取ったとき、入院着から出ている手足、顔のすべてが半透明になっていることに気がついたのだ。


さっきまでの苦しみが取れて安らかな寝顔の青っち。


それは病状が急激に悪化したことを物語っていた。


「青っち!」


舞は青っちにすがりつくようにいてナースコールを押す。


早く誰かに来てほしくてナースコールを何度も押す。


その時、青っちが目を開けた。


瞳の向こう側にある枕が透けて見えている。


舞の目にぶわりと涙が湧き上がった。


ここで泣いちゃいけない。


青っちは死んでなんかいないし、これから死ぬこともない。


わかっているのに……!!
涙は止められず、半透明になった青っちの頬に落ちた。


「聞いて舞」


青っちの声はさっきよりもしっかりとしている。


掠れてもいないし、呼吸も安定していた。


「俺の姿が見えなくなっても、それでも俺はここにいる。舞のそばにいる」


「青っち!!」


青っちの手が舞の後頭部へ回った。


そのままグイッと引き寄せられて、キスをする。


それは入院してから落ちていた体力の回復を意味していた。


あれだけたくさん運動して、あれだけ沢山リハビリをした。


その成果が現れているのだ。


手の力が緩んで青っちから見を離したとき、そこには誰もいなかった。


ただ、枕にくぼみがあり布団が膨らんでいる。


誰もいないのに、そこにいる。


「あ、あ……いやあああああ!!」


舞の絶叫が病室内にこだましたのだった。