ツクヨミの一声で、有理沙をとり囲んでいたウサギたちは揃って返事をして行動を再開した。


「さあさあ、お座りくださいな」


 席を勧められ、有理沙は多少の気後れを感じたが、少しくらいならいいかと思い直した。ウサギにもてなされる宴というのもなかなか楽しそうだ。

 有理沙はローファーを脱いで茣蓙に上がり、お邪魔しますと一声かけてツクヨミの隣に腰を下ろした。


(なれ)の名は?」


 座るなりツクヨミに問われ、有理沙は目をぱちくりした。


「あ。()()って、あたし? あたしは、吉野有理沙」

「有理沙か。外からここに加わる者は久しぶりだ。よく覚えておこう」


 ツクヨミの言い方に引っかかりを覚えて、有理沙は首を傾げた。お客がくるのが久しぶりだから親しくしたい、ということだろうか。

 そんなやりとりをしている間に、茣蓙に座る二人の前にお膳が運ばれてきた。優美な脚つきのお膳の上に、朱塗りの鮮やかな椀が並べられている。椀に施された蒔絵(まきえ)の華やかさに、有理沙は少々驚いた。これだけ豪華なお膳は、よほどの高級旅館でもなければなかなかお目にかかれないかもしれない。


「どうぞ召し上がれ」


 配膳をしたウサギにうながされ、有理沙はさっそく両手を合わせた。


「ありがとう。いただきます」


 有理沙は期待に胸を膨らませて、まずは一番手前の大きな椀の蓋を開いた。ふわりと、優しい出汁の香りが鼻先をくすぐった。椀の中身は、澄んだ汁に青菜と餅の入ったお雑煮だった。

 豪華な膳のわりに、料理は質素な印象だ。それでも食欲を誘う香りに、自然と唾液が湧き出す。考えてみれば、今日は日課となっている学校終わりの買い食いをしていないのだ。有理沙は空腹を満たすべく、すべすべとした塗り箸をとり上げ、水面(みなも)の満月のような餅をつまんだ。

 つきたての餅はふわりとした感触と共に、箸の先を包み込んだ。そっと持ち上げれば、汁をまとって薄く伸びていく。その絹のように白さに見入りつつ、有理沙は餅を頬張った。餅はなめらかに舌をすべり、噛むほどに甘みを増した。汁のわずかな塩味がその甘みを淡く包み、つるりと喉へと落ちていく。


「おいしいー!」


 有理沙は感嘆して、夢中で箸を進めた。配膳をしたウサギは有理沙の反応に満足した様子で髭をそよがせた。


「お気に召したようでよかったです。たくさんありますから、どんどん召し上がってください。きなこやお醤油、餡子はもちろん、大根おろしのお餅もできますよ」


 口の中のものを飲み込んでから、有理沙は目を丸くした。


「そんなにたくさん! どうしよう。全部おいしそう」

「それなら、全部お持ちしましょう」


 配膳ウサギは一旦その場を離れると、餅つきウサギたちの方へと駆けていった。するとすかさず別のウサギが進み出てきて、小振りな椀型の盃を有理沙に差し出した。


「甘酒はお好きですか?」

「もちろん大好き。ありがとう」


 有理沙は迷わず盃を受けとった。少し香りを楽しんでから、盃の縁にそっと口をつける。白くとろりとした甘酒は人肌に温かく、口に含めば夢のような甘さが広がった。


「これもおいしいー」


 甘さの余韻にうっとりと酔いしれると、有理沙は盃を置いて箸を持ち直した。

 次々と運ばれてくる料理はどれも素朴だったが、想像を上回るおいしさで有理沙は感動しっぱなしだった。不思議と満腹になる気配はなく、味に飽きることもなく、箸は止まらない。有理沙が目の前の椀を残らず空にしたとしても、追加の餅がどんどんつかれ、速やかに新しい椀に入れ替えられた。

 有理沙が何杯目になるか分からないお雑煮をすすっているときだった。隣からくすくすと笑う声が聞こえた。振り向くと、膳のものを食べ終えたツクヨミがくつろいだ様子でこちらを見ており、有理沙は我に返るようにしまったと思った。


「ご、ごめんなさい。あたし、いつの間にかこんなに食べて」


 初対面の男性に無遠慮な大食いっぷりを披露してしまったことに気づき、今更ながら羞恥心が込み上げる。有理沙が慌ててとり繕うように椀と箸を置くと、ツクヨミは声を上げて笑った。


「食べ物はいくらでもある。好きなだけ食べなさい。今日はとても気分がよい。誰か、笛を」


 ツクヨミが声をかけると、どこからともなく篠笛を捧げ持ったウサギが進み出てきた。篠笛を受けとると、ツクヨミは有理沙にちらりと視線を投げかけた。


(がく)は好きかな」


 有理沙が是とも否とも答える前に、ツクヨミは笛を唇にあてた。あれほど騒がしくしていたウサギたちが、水を打ったように静まり返った。息をのむことさえ憚られるほど、待ちわびるような沈黙。

 ツクヨミがそっと、笛に息を吹き込んだ。

 紡ぎ出された音に、有理沙は詰めていた息を吐き出した。笛の音は妙なる調べとなって、高く、時に低く響き、耳朶を慰める。有理沙に笛の良し悪しが分かるような教養はなかったけれど、どこか懐かしさも覚える音色に自然と聞き入った。

 笛に合わせて、誰かが歌い出した。それはよく知る歌のようなのに、記憶のものと少しずつずれて、心の繊細な部分に触れるようだった。とても美しく耳に心地いいはずなのに、切なく切なく、歌は響く。


 ウサギ ウサギ
 なに見て跳ねる
 まんまるお目々に映るのは
 見えども届かぬ 恋し君