一面の田畑が見渡せる小屋の前に、ウサギたちが集まっていた。瓦屋根の乗った小屋と畑の間には、しっかりと踏み固められた広場がある。その中央に、頑丈な木枠に三つの大きな歯車がついた装置が置かれていた。歯車は地面に対し水平に一列に連なっており、真ん中の歯車の軸が上に突き出している。軸には長い長い横木がとりつけられていて、それを何羽ものウサギで協力して押せば、三つの歯車が連動してぐるぐると回った。

 装置の近くにいる一羽が竹糖(ちくとう)の束を拾い上げて、歯車の間に差し込んだ。竹糖はゆっくりと歯車に巻きとられ、つぶれた繊維となって装置の反対側から出てくる。そうして絞られた褐色の糖蜜の雫は、装置の下に置かれた桶へと落ちて溜まっていく。

 横木を押すウサギたちは、息を合わせるように声高く歌った。


 いろはに金平糖 金平糖は甘い
 甘いはお砂糖 お砂糖は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるは水玉 水玉は青い
 青いはオバケ オバケは消える
 消えるは燈籠(とうろう) 燈籠は光る
 光るはお空のお星様


 こうして圧搾された糖蜜は小屋の中で煮詰め、茶褐色のどろりとした白下糖(しろしたとう)呼ばれる状態で甕に溜めて冷却される。それを麻や木綿で包んで加圧と研ぎを繰り返すことで、乳白色の砂糖へと精製されるのだ。

 小屋の前に立つツクヨミは空気に溶け込む甘い香りを感じながら、陽気に作業をするウサギたちを微笑ましく眺めていた。

 こうした技術や知恵は、人の世からきたウサギたちによってもたらされたものだ。ツクヨミにできないことが必要になったら、できるものを人の世で見つけて連れてこればいい。月の国は、そうして少しずつ大きくなってきた。ウサギが増え、さらに都が大きくなれば、衣兎が求める暮らしをさせてやれる。そしてウサギを増やすには、つつがない営みを支えてやる必要があった。

 ツクヨミは、ウサギたちのなすことに目を配り、声に耳を傾けることを惜しまなかった。それがひいては、衣兎のためになる。


「ツクヨミ様」


 小屋から顔を出したウサギに呼ばれ、ツクヨミは斜め下へと顔を向けた。薄墨色の小柄なウサギが、木綿に乗せた乳白色の塊を抱えて立っていた。のし餅のように平たく固められた砂糖を、薄墨ウサギは得意そうに掲げた。


「見てください。わたしが初めて研がせて貰ったお砂糖ができあがったんです」


 期待の眼差しで見上げてくる薄墨ウサギにツクヨミは微笑み、目線を合わせるように身を屈めた。


「きめ細かくよい色だ」


 穏やかに言いながら、欠けた端の小さな欠片を拾い上げて口へと運ぶ。欠片はすんなりと舌の上で溶け、まろやかな甘みが口内に広がった。


「よくできている」


 ツクヨミが褒めてやれば、薄墨ウサギは照れくさそうに目を細めて髭と耳をそよがせた。


「よかったらこれは、このまま輝夜殿にお持ちください」


 薄墨ウサギの提案に、ツクヨミは少しだけ目を見開いた。


(なれ)が初めて作ったのだろう。自分で使わなくてよいのか」

「自分のはまだありますし、これは特に綺麗にできたんです。だから、ツクヨミ様と衣兎様に差し上げたいんです」


 どこかあどけなく薄墨ウサギが言い、ツクヨミは笑みを深めて額の毛並みを撫でてやった。


「ありがとう。衣兎も喜ぶ」


 薄墨ウサギはいかにも嬉しそうにツクヨミの手の平に頬を擦りつけてから、小屋の中へと体を向けた。


「持っていけるように包んできます」


 跳ねる軽快さで、薄墨ウサギが小屋の中へと駆けていく。ツクヨミはそれを見送って体を起こし、竹糖の圧搾作業へと目を戻した。

 ぎいぎいと音をたてて圧搾機の歯車が回る。さらに高く響き渡るウサギたちの歌声を聞きながら、ツクヨミは胸元の珠飾りを指でもてあそんだ。

 ウサギたちは無欲で働きものだ。しかしこれは、ツクヨミの意図によるものではない。

 衣兎の望む暮らしをさせてやるには、ツクヨミが持たない人の知恵と技術が必要だった。しかし人との接点を持たせたくないゆえに、衣兎の名でもあるウサギに変えた。

 ウサギとなった者たちは人としての記憶と共に、人らしい感情も失っていった。人ならば当たり前に持つだろう他者への恨みや嫉妬、おおよそ悪意と呼べるものはないと言えるだろう。人の世からきた者よりも、月で生まれたウサギたちの方がその傾向はわずかながら強く表れた。代を重ねるほどに、本物のウサギへと近づいているのかもしれない。なぜそうなったかはツクヨミにも分からなかったが、知恵を伝える者を呼び込んで絶やさぬようさえすれば、都合がよいのは確かだった。


「ツクヨミ様、お待たせしました」


 小屋の中から薄墨ウサギが戻ってきた。ツクヨミは身を屈め、小さな前脚が差し出す木綿袋を受けとった。真っ直ぐに向けられる期待の眼差しに応えるように、袋を持たない方の手で柔らかなの毛並みを撫でてやる。薄墨ウサギは気持ちよさそうに、うっとりと目を細くして耳を寝かせた。

 人に近しい知恵を持ちながら、ただ純真に、主人としてツクヨミを慕う動物。だから安心して衣兎のそばに置ける。愛する者は、一切の悪意から遠ざけべきなのだから。

 ツクヨミのそばにさえいれば衣兎の幸福は約束される。そうでなくてはならないのだ、と強く思いながら、ツクヨミは作業に打ち込むウサギたちと別れて輝夜殿へと戻った。





 寝殿(おもや)に上がると、下仕えのウサギたちがツクヨミを出迎えた。足をぬぐっている間に、板の間に畳を敷かれ、麦湯(むぎちゃ)が運ばれてくる。ツクヨミもウサギたちを労いながら、いつも通りに腰を落ち着け体を休める。輝夜殿の主人たるツクヨミの帰宅に合わせ、毎度行なわれる一連の流れ。しかし今回、わずかな違和感がツクヨミの中で引っかかった。

 ウサギたちが緊張したように耳を立て、落ち着かなげな様子を見せている。ツクヨミは、麦湯(むぎちゃ)を持ってきた生成色のウサギに声をかけた。


「わたしの留守中、なにかあったか」


 声の届く範囲にいたウサギたちが一斉に毛を膨らませ、あからさまに狼狽えた。


「あ、あの、その、えっと……」


 声をかけられた一羽は、慌てふためいて視線を右往左往させた。これほどウサギたちが動揺することは滅多になく、ツクヨミの目元が自然と厳しくなる。ウサギたちがとり乱すほどのできごととはなんだろうとツクヨミは考え、ふと、一つの答えにいき着いた。


「衣兎はどうしている」

「ひゃっ」


 ツクヨミが言い切る前に、生成ウサギは怯えた声を上げて体を丸めた。途端に、ツクヨミの中でなにかが波立った。荒々しく立ち上がったツクヨミにウサギたちは悲鳴をあげ、床に叩きつけられた湯呑が割れる甲高い音が響いた。


「衣兎はどうした」


 低められたツクヨミの声に、普段の穏やかさは微塵もなかった。

 生成ウサギは膝が立たぬほど震え、何度も口を空回りさせながらようやく答えた。


「あのあの、その、いい、衣兎様は、ご不在です」


 ツクヨミの目が、鋭利に細まった。同時に、胸元の珠飾りの光が鮮やかさを増す。


「どこへいった」

「それが、その……分かりません」


 細められたツクヨミの目の奥で、不穏な輝きが揺らいだ。


「それで許されると思っているか?」


 空気の温度までをも変えるほど低い声に、悪意に慣れていないウサギたちは抱き合って怯え、生成ウサギも悲鳴をあげて床に伏せた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! でも、本当に分からないんです」


 生成ウサギは顔を隠すように組んだ前脚のわずかな隙間から、片目でツクヨミを見上げた。冷え切った主人の表情に、慌てて再び顔を伏せる。萎縮していっぱいいっぱいになりながら、生成ウサギは苦労の末に小声で続けた。


「衣兎様が出かけられるところを見た者もいないのです。衣兎様はお一人で考えごとをされたいとわたし達に申しつけられて、それで……」


 生成ウサギはつばを飲み込み、顔を床に擦りつけるほど低くした。


「……消えて、しまわれました」


 空が白く閃き、雷鳴が轟いた。



 第三章 了