通された衣兎の(へや)がものであふれていて、有理沙は驚いた。

 花鳥の描かれた金屏風や、艶やかな漆塗りの文台(つくえ)、鏡台などがあるのはまだ分かる。繊細に描かれた蒔絵の図柄など、大変女性らしい調度だ。けれど、螺鈿(らでん)が輝く漆塗りの箱や、彫刻のされた金の小槌といったきらびやかなものが飾られていると思えば、赤い緒が結びつけられているだけの瓢箪(ひょうたん)も転がっている。屏風の前にある大きな沈香(じんこう)の塊など、それだけでどれほどの価値があるのか有理沙には計り知れない。

 そういった見るからに高価そうな品々が一応は台座に乗せて飾られているのだが、無造作な並びはいかにも持て余している印象が強かった。


「本当はもっと片づけたいのですけど、もう場所がなくて。それに、せっかくいただいたものをしまい込んでしまうのも、申しわけないというか」


 衣兎は言いわけするように呟きながら、床を埋めるものをいくつか端に寄せていった。そうして空いた場所に側仕えのウサギたちがようやく畳を敷き、有理沙たち二羽を招く。気後れして立ち尽くす有理沙をよそに、ユウキは勝手知ったる様子で赤い(へり)の畳に座った。


「有理沙も、どうぞ座って」


 衣兎にうながされ、有理沙はものを蹴らぬよう慎重に歩いてユウキの隣へと腰を下ろした。


「これ全部、貰いものなんですか」


 衣兎ほどの美少女ならば、贈りものをする者はいくらでもいるに違いない。そうは思いつつも、有理沙は聞かずにはいられなかった。

 有理沙たちと向かい合う位置に座った衣兎は、やや眉尻を下げて笑った。


「すべてツクヨミからいただきました。あの方は、よいと思ったものはどんなものでも手に入れてくるのです。飾ると喜んでくださるから、できるだけ飾るようにはしているのですけど、どうしても置き切れないものも多くて」


 今度こそ有理沙はあっけにとられた。仲睦まじいのは素晴らしいことだが、ツクヨミによる衣兎への溺愛っぷりは尋常ではないらしい。


「愛されてて羨ましいです。いいなぁ。あたしにもツクヨミ様くらいかっこうよくって優しい彼氏がいたらなぁ」


 恋人を作るなら、やはり愛されてこそというのが乙女心である。さらに容姿端麗な貴公子となれば、文句のつけようなどあるはずがなかった。

 有理沙も、高校に入学して比較的すぐに彼氏がいたことはあるが、典型的な釣った魚に餌をやらないタイプで、ひと月と続かずに別れてしまった。愛は少々重いくらいで、案外と丁度いいのかもしれない。

 そこまで考えたところで、有理沙は自身の記憶に浮かんだものにふと疑問を持った。


(高校?)


 はて、高校とはなんだったろうと有理沙は考えた。教育機関であることは漠然と分かるのだが、月の国にはそんな場所はないはずだ。一体いつ、自分はそんなところにいっていたのだろう。


「有理沙にはぼくがいるだろう」


 考え込みかけたところにユウキの声が割り込んできて、有理沙の中の疑問はまたたく間に霧散した。


「ユウキは弟でしょ」

「弟って言っても歳は同じだし」

「双子なんだから当たり前。あたしは弟じゃなくて彼氏が欲しいって話をしてるの」

「そんなに違わないと思うけどなぁ」


 ユウキは間延びした声で言い、有理沙はまさか本当に理解できていないのではなかろうかと危ぶんだ。

 衣兎がおかしがる笑い声をたてた。有理沙とユウキが視線を向けると、衣兎は笑いを堪えようとするように、幼さが際立つ口元を袖で押さえた。


「失礼いたしました。とても、楽しそうでしたから」


 言葉ではそう言ったが、笑いは抑え切れていない。そんなに大笑いするような会話だっただろうかと、有理沙は口をへの字に曲げた。
 ようやく笑いを納めた衣兎が、まぶしいものを見るように目を細めた。


「わたくしは、ユウキと有理沙が羨ましいです。言い合いができるような兄弟がいたことがありませんでしたから」

「兄弟って面倒なことも多いですよ。素敵な旦那様に愛されてる方が、ずっと幸せだと思います」


 有理沙が率直に言うと、ユウキがむっとしたように鼻先を向けてきた。


「ぼくが面倒ってこと?」

「まあ、たまにね」


 ユウキは不満そうに口を尖らせたが、衣兎がまた笑い声をたてたので言い合いにはならなかった。


「ユウキも、いつもより楽しそうです」


 呟いて、衣兎は笑みを淡いものに変えた。


「愛されていることは、分かっているのです。ツクヨミは、たくさんのものと言葉をわたくしにくださいますから。この身しか持たないわたくしのために、あの方はなんでもしてくださる。でも……」


 衣兎の言葉が途切れると同時に、笑みも消えた。ややうつむいた瞳に、隠しようもない憂いの影が差す。

 有理沙は衣兎の表情を、慎重に覗き込んだ。


「なにか、うまくいっていないんですか」


 どんなに理想的に見える夫婦でも、やはりすべてが順風満帆とはいかないのだろうか。有理沙にはまだ分からない世界だったが、歳の近い同性だから話せることもあるかもしれない。そうでなくても、儚げな衣兎には親身になりたいと思わせるものがあって、有理沙はわずかに身を乗り出した。

 しかし、衣兎はゆるゆると首を横に振った。


「いいえ。きっと、わたくしがわがままなだけなのです。こんなに愛していただけているのですから」


 気分を変えようとするように、衣兎ははつらつと微笑んだ。


「わたくしのことよりも、有理沙の話が聞きたいです。ユウキと有理沙がどんな姉弟なのか、わたくしはもっと知りたいです」


 そう言われてしまっては、これ以上深く問いただすことは有理沙にはできなかった。他人の夫婦関係に首を突っ込めるほど、図々しくはなれない。

 その後、衣兎が一時見せた影は鳴りを潜め、幼き妻の悲哀をこの時はまだ知ることはできなかった。