輝夜殿はいくつもの棟を渡殿(わたりろうか)で繋いだ構造で、有理沙の知る神社とよく似ていた。ツクヨミの出迎えを受けた有理沙とユウキが通されたのは、橋を渡って正面にある寝殿(おもや)だ。庭に面した壁はとり払われており、板の間に敷かれた緋色の敷物に誘われるまま座れば、黄金色に輝く庭園が一望できた。屋根は都の他の家々よりもずっと高くて、天井を見上げるだけで首を傷めてしまいそうだ。

 白い狩衣の裾をさばいてツクヨミが有理沙たち二羽の向かいに腰を落ち着けると、控えていたウサギたちが高坏(たかつき)を捧げ持って出てきた。きつね色のあられが盛られたそれが有理沙たちの側とツクヨミの側にそれぞれ一つずつ置かれる。さらにツクヨミの前には、漆塗りの酒器がひと揃え乗った盆も置かれた。


「召し上がれ。せっかくきたのだから、ゆっくりしていきなさい」


 下仕えのウサギたちが下がると同時にツクヨミが言った。

 どこへいっても食べものばかり勧められている気がする、とぼんやり思いながら、有理沙はあられへと白い前脚を伸ばした。


「いただきます」


 あられは歯を立てるとほろりと崩れるように砕け、醤油の香りが口から鼻腔にまで広がった。この国はなぜこんなにもおいしいものばかりなのだろうと感じ入らずにはおれない。

 有理沙がうっとりと目を細めると、ツクヨミは涼しい目元を和ませて呟いた。


「もう馴染んできているようだね」


 なにが、とはツクヨミは言わなかった。都のウサギたちのことだろう、と有理沙は解釈した。


「ユウキもみんなも、よくしてくれています」


 ツクヨミは綻ぶように笑みを深めた。


「それはよかった。皆よい子たちばかりだ。仲よくしなさい」

「はい」


 耳朶を柔らかく撫でるツクヨミの声は胸の中心に染み入るようで、有理沙は自然と返事をしていた。

 ツクヨミは満足そうに頷くと、首を傾けるようにユウキへと視線を移した。


「ユウキはどうだ。願いが叶えられて、なにか変わったか」


 耳を少し震わせて、ユウキは赤い目を細くした。


「有理沙がいるととても落ち着くし、楽しみが多いです。ありがとうございました」

「ユウキは衣兎をよく慰めてくれている。これくらいのことは、あってよいだろう」


 ユウキとツクヨミの会話を、有理沙はあまり理解できないまま聞いた。有理沙のことを言っているのだとは思うが、どうしてかあまり深く聞いてはいけない気がしたのだ。手酌した盃を当てたツクヨミの唇が笑みの形をしていたので、彼の機嫌がよいことだけは察せられた。


「ツクヨミ様」


 ユウキが改まった声を出した。


「奥方様は起きていらっしゃいますか」

「ああ。先ほどの様子だと、今はとても気分がよいようだ」


 ツクヨミの笑みが、目に見えて分かるほど温かみを帯びた。声まで晴れやかで、奥方が本当にお好きなのだと有理沙でもしみじみと感じとれた。

 ユウキは丁寧な所作で、抱えていた菓子の箱を正面に置いた。


「奥方様への贈りものを預かってきました。お(へや)へいく許しをいただけますか」

「衣兎はユウキの来訪をいつでも心待ちにしている。有理沙も、ぜひ挨拶をしていってやっておくれ」


 鷹揚に言ったツクヨミに向かって、ユウキは前脚をついてお辞儀をした。菓子の箱を抱え直して立ち上がり、あられをぱくついていた有理沙の肩をつつく。


「いこう、有理沙」

「うん」


 有理沙は最後に一つだけあられを口に放り込んで立ち上がり、ツクヨミに一礼してから屋敷の奥へと向かうユウキを追い駆けた。

 奥方の住まいは屋敷正面から見て寝殿(おもや)の奥、裏庭を横切る渡殿(わたりろうか)の先の対屋(はなれ)だった。屋敷の裏も白砂に玉の木が植えられており、輝夜殿の庭はどこを切りとって見ても輝きであふれている。

 それらを横目に見ながら対屋(はなれ)を囲う(えんがわ)をユウキのあとについて歩いていると、ふと有理沙の目が庭の一角へと吸い寄せられた。

 金銀の木々の間を縫うように、表の池につながっているだろう小さな流れがある。その流れを渡った庭の端。敷地を囲う築地塀のすぐ手前。輝く木々の合間でそこにだけ、茶色の樹皮に緑葉を茂らせた木が植えられていた。けれどそれで、庭の美しさが損なわれているわけではない。瑞々しい葉の間には小さな深紅の実が無数になっていたし、木の下には玉の木に負けぬ麗しさを醸す女性がたたずんでいたからだ。