この冬、俺の横には日替わり彼女。

 ——…かみ
——…らかみ
「村上!」
 名前を呼ばれて俺、村上 塁(むらかみ るい)はガバッと顔を上げた。蛍光灯の眩しさに目を細める。
「最近多いぞ。しっかり目ぇ開いとけ。」
 男の英語教師のずぶとい声が耳に響く。俺この先生苦手なんだよな。いや、悪いやつじゃないんだが。
「すんません」
 俺が適当に受け流すと、先生は機械的な授業を進めた。
 昼下がりの暖かい陽気と満たされた腹が俺を眠りの世界へと誘う。秒で寝たら先生に何を言われるかわかったもんじゃない。ここは頑張って目を覚さなくては。
 眠気覚ましのミントタブレットを2つほど口に放り込む。

 今日は10月1日。暑すぎる日々は終わり、とても過ごしやすくなった。
 —ここらで少し自分のプロフィールを紹介しとこう。
 俺はこの『新音(しんのん)高校』という市立学校に半年前に入学した。
 この学校の何がすごいって偏差値だ。まさにエリートの学校。その偏差値は70を超えている。そんな学校に運よく入学できた俺は—
半年経った今でも絶賛後悔中だった。
(なんで俺はこんな天才学校に入ったんだ…?)
 と今でも思ってしまう。この学校での俺の学力ポジションは中の上あたり。
 赤点などは取ったことはないが取り立てて頭がいい訳でもない。
 そんな俺は微妙すぎる学力を払拭すべく—
 『キーンコーンカーンコーン』
…っとチャイムなったな。なんで俺は1人頭の中で自己紹介してたんだ?馬鹿なのかな?
 形だけの号令を済ませ、待ち侘びた休み時間。この10分だけの心休まる時間が昔から大好きだった。 
 んまあ、昼休みはもっと至福だが。
 知らず知らずのうちに俺の席の周りに人だかりができる。この瞬間俺は思うんだ。 
(友達って最高だな)
って。
———
 あれは入学したての4月のホームルーム。教室内の雰囲気は固く、話し声は全く聞こえない。  
 それじゃあ楽しくないだろ。 
 そう思った俺は自己紹介でぶっ放してやろうと決心した。
 出席番号順に1人ずつ自己紹介が進んでいく。 
「〇〇中学校から来ました」
とか
「趣味は〇〇です。」
とか当たり障りのない紹介が終わる度に無機質な拍手が教室に響く。
 そして俺の番が回ってきた。ネタは考えた。あとは実行するのみ。
 小さな足取りでトコトコと教卓の前に立ち、わざとらしく恥ずかしそうに下を向きながら
「む、村上塁です。」
と言う。その次の瞬間。 
「学年1の陽キャに!俺はなるぅ!」
 隣のクラスまで聞こえるんじゃないかと心配になるレベルの声量で渾身のギャグをお見舞いする。 
 1、2秒騒然としたクラスメートたちだったが、一気に爆笑の渦に包まれた。中には机をぶっ叩いている奴もいる。
 そうだ。これが高校生のノリだ。これが最高。
———
 とまあ、こんな自己紹介をしたせいで、クラスで1番と自負できるほどの人気者になっていた。
 今思えば、あのギャグはとてつもなくしょーもないが、あの氷のように固まったクラスの中ではクソ好評だった。
 今日も明るい声で、人気歌手やゲーム、部活とかの話で男女問わず10人ちょいを笑わせた後、俺はクラスの隅で窓の外を眺めているクラスメートに歩み寄る。
 まあ、いわゆる陰キャというやつだ。
 俺は陽キャになる上で決まり事を作っている。
—陰キャも楽しめるようにする。
 これが決まり事だ。
 これは、経験談だが、陰キャというのは、こっちから話しかけてやれば、楽しく話に乗ってくれる奴が多い。
 ただ自分で話す勇気がないだけだ。だから勇気がある俺は、積極的に陰キャを楽しませる。
 本物の陽キャはこうあるべきだ。
 授業はつまらんが、学校は楽しいことが沢山ある。
—だが何故だろう。何か嫌な予感がする…
「ふぃ~、終わったぁ~。」
 後の授業をほとんど寝て過ごし、やっと7時限目終了のチャイムが鳴った。
 帰りのホームルームの担任の話を全て聞き流しながら颯爽と帰り支度を済ませる。今日は部活が休みだから、早く家に帰れるのだ。
 本当なら帰って勉強しないとこの学校にはついていけないのだが、俺の予定はゲームで埋まっていた。 
 そんな時…
「お、もう帰るの?」
 と声がした。振り向かずとも誰かわかる。
「今日は部活がないからな。」
「そうなんだ、珍しいね。」
 なるべく早く帰りたい俺に容赦なく話しかけてきたこいつは、幼馴染の岡野(おかの)ゆいだ。こいつとはまあ、いわゆる腐れ縁ってやつだな。もう8年くらいの付き合いになるのだが。
「暇なら一緒に帰るか?」
「いや、私部活」
「何部だっけ?」
「前言ったじゃん!吹奏楽部だよー。ちなみにトランペットね。」
「ふーん、音楽はあんまわかんないからまあいいや。とりま頑張れ。」
「なんか適当だなあ。」
 口をすぼめるゆいを尻目に俺は教室を出た。
 そして俺は靴箱まで来て割とマジで絶望することになる。
「雨…」
そう、雨が降っていた。しかも、小雨ではない。まるで滝のように雨が降っている。それに加えて風もかなり強い。俺でも踏ん張ってなきゃ重心持っていかれるレベルだ。
「台風なんて来てたっけ…」
 この雨に対して俺には傘ひとつない。折り畳み傘すらない。
「終わった…」
 とか口では言いながらも俺は、気休めにもならないタオルを頭の上にセットし、豪雨の中へ飛び出した。
 この時友達に入れてもらうという選択をしなかったことを、俺は後々後悔することも知らずに。

 走り出して3分くらい経った頃。あと少しでバス停にたどり着く。こんなずぶ濡れでバスに乗ったらどんなに周りの乗客に迷惑がかかるかということも考えられないくらいマジで走っていた。
 そんな時、少し前を歩いていた女の子が目に入る。小学1~2年生くらいだろうか。そんな華奢×5みたいな少女がこんな暴風と豪雨の中歩いているだけでも何か嫌な予感がした。
「絶対やばいだろ。」
 そう思った時には少女の右手から、小さなピンク色の傘が離れていた。傘は風に従って車道へと勢いよく飛ばされる。少女は短く悲鳴を上げた後、慌てて傘を足りに行こうと車道へと飛び出した。
「何やってんだあいつ…!」
 無慈悲にも1番聞きたくない大きな音が、少し大きめの道路に長く長く響き渡る。
 少女の少し左を見てみれば、大きめの車。車種についてあまり詳しくないが、デカイワゴンといったところか。あんなのに轢かれたら余裕で死ねる。
 そんなことを考えながら、体が勝手に動いていた。
 俺は気がついたら少女を反対側の歩道へと突き飛ばしていた。多少怪我をしてしまうかもしれないが、まあそれは仕方ないだろう。
 刹那——
 俺の視界の端には黒いワゴン車。
 ああ、終わった。 
 人生終わったわ。この車結構スピード出てるし、俺には逃げる時間は1瞬もない。俺が死んだ後は、少女を救ったヒーローみたいな感じでテレビで流してくれるのかな。
 そんなことを考えていると、重力の何倍もの力を左から受ける。そして野球によってかなり鍛えられたこの体が、あっけなく宙を舞った。麻痺しているのか、まだ痛みを感じない。
 数秒後、地面に叩きつけられる。ここら辺から激痛と呼ぶには甘っちょろいほどの痛みが全身に響く。
 べきべきと身体中から骨が折れる音が聞こえる。まだ意識は消えないが、少しずつ視界が暗くなってくる。 
 ああ、これが死か。
 自分の腕がありえない方向にねじ曲がっているのが見えて思わず目を逸らそうとしたが、もう首は動かなかった。
「早く救急車を!」
 男の怒号が聞こえてきた頃、これまでなんとか保っていた意識も、ついに途切れた—

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