潮田とのキスは昼休みや放課後に行われた。
 あるときは準備室。
 あるときは校舎裏。
 男子トイレの個室なんてときもあった。「みつかったら怒られちゃうね」と行為中に潮田が言ってきた。どうやらいけないことをしているという背徳感に興じているらしい。
 対して僕はいつも、どうしようもなく、無、で僕は何処かおかしいのだと再確認させられた。
「何考えてるの?」
 放課後の校舎裏、キスの合間に潮田が聞いてきた。そしてまた僕の口を塞いでくる。答えさせる気があるのかないのかよくわからない。それでも僕は必死に答える。
「悠那は」「どうして」「僕なんかと」「キス」「してるの?」
 潮田の顔が離れていく。僕が喋るターンのときはキスして邪魔してくるのに、自分のターンのときはキスしてこないところがずるいと思う。でもだからといって僕の方からキスをするのは、なんか、嫌だった。
「どうしてだと思う?」
「わからないよ」
 わからないから聞いているんだ。
「わからなくていいよ」
 距離が縮まる。
 僕達はキスをする。
 何度かキスをしていると、時々、唇を舌で突かれるような感覚がある。だけどどうしてか、僕はそれを許そうとは思えなかった。潮田は僕の選択をいいとも悪いとも言わなかった。だからいつもただ触れるだけのキスを何度も繰り返す。角度を変えながら何度もキスをする。
 そうしていると潮田の顔が徐々に紅潮していく。目もとろんとしていて熱に蕩けているのだとひと目でわかる。
 そんな潮田を見ても僕は何も感じない。いやらしいとも思うことなく、淡々とキスをする。まるで仕事のノルマをこなすかのように。
 僕のスマホが鳴る。相手はもうわかりきっている。
「ごめん。そろそろ行かないと。松葉が呼んでる」
 潮田を引き剥がそうと肩に触れる。しかしその手を掴まれてしまい、僕は失敗したと思った。
「もう少しだけ」
 スマホはまだ鳴っている。
「お願い」
「…………わかった」
「たまには二見くんからしてよ」
 思ってもみなかったことを言われて身体が固まる。
「嫌なの?」
「……嫌じゃないよ」
 ゆっくりと潮田の唇に自分の唇を重ねる。
「嬉しい。ねえ、もう一回」
「いいよ」
 本当、何やってるんだろう。
 いつのまにかスマホの音は消えていた。まずいなと思う。今頃松葉は僕の捜索を開始していることだろう。あいつ、過保護で心配症だから。それにどうやら松葉は、僕が潮田に何か良からぬことをされているということには勘付いているらしい。僕が何も言わないから黙っててくれているみたいだけど、もし現場を押さえられたら今度こそブチ切れてしまいそうだった。だから何が何でも松葉にだけはみつかる訳にはいかない。
「あの、本当にそろそろ行かなきゃ」
「えー」
「えー、じゃないよ」
 僕の方が、えー、だよ。
「わかった。じゃあ最後の一回」
「それ、終わらせる気ないよね」
「あるよ。ほんとに、ほんとに、ほんとに、ほんとーに、最後の一回」
「わかったよ」
 不毛なやり取りで時間を消費するくらいなら、さっさとしてしまった方が早い。こういうのは諦めが肝心だ。
 今日何度目かもわからないキスをして、潮田の顔が離れていく。本当に一回で終わってくれたことに僕は少しだけ驚いていた。
「私、二見くんを困らせたい訳じゃないんだよ」
 僕の考えが漏れていたのか、潮田が小さく笑いながら言ってきた。
「だったら、最初に言ったときにやめて欲しいよ」
「怒ってるの? 可愛いね。そういうとこ好きだよ」
 可愛いも好きも全然嬉しくない。それに好きとか軽率に言わないで欲しい。冗談もたいがいにしてくれと思う。
 もう行ってもいい?
 そう言おうとした。
 でも僕の声は別の人の声に遮られた。
「松葉くんとじゃなくて、潮田悠那とキスしてたんだね」
 驚いて潮田と距離を取る。
 声のした方に顔を向ける。
 そこにいたのは、佐倉だった。
「佐倉? 何で、ここに?」
「松葉くんが二見くんのこと必死になって探してたから、ちょっと気になって」
 やっぱり僕の思った通り、松葉は僕を探してくれているらしい。
「それで」
 佐倉の顔が険しくなる。
「キス、してたよね」
 嫌なところを見られてしまった。松葉に見られるのが一番嫌だとしたら、佐倉に見られるのは二番目に嫌だった。怠い。面倒くさい。すぐにでも逃げ出して、松葉に保護してもらいたい。
 なのに。
「だったら何?」
 潮田が僕の腕に絡みついてきて、僕は身動きが取れないでいた。
「付き合ってるの?」
「付き合ってなきゃキスしちゃ駄目なの?」
「道徳的におかしいと思う」
「キスフレって知ってる? 私達、それなの」
 これそういう名称だったんだ。今初めて知った。
 そんなくそどうでもいいことでも考えていないとやってられなかった。
「そうなの?」
 認めるのもバカバカしくて僕は何も言わなかった。それを否定と受け取ったのか「違うみたいだよ」と佐倉が言う。
「強要してるんじゃないの」
「強要? そんなことしてないよ。ね、二見くん」
 確かに強要も脅迫もされていない。一応、今のところ、見かけ上は。
「強要はされてない。同意の上だよ」
「言わされてるんじゃなくて?」
「大丈夫。言わされてる訳じゃない」
「佐倉、さっきから何が言いたいの?」
 潮田がさらに身体を密着させてきた。
「潮田、近い。離れて」
 さすがにこの状況で距離を詰めるのは悪手だ。
「キスより遠いよ」
「そう、だけど」
 駄目だ。話が通じない。
「もう見てられない」
 そう言って佐倉が鬼の形相で僕達に近付いてくる。
 そして僕から潮田を無理やり引き剥がした。
「二見くんは貴方の愛玩人形(おもちゃ)じゃない!」
 初めて見る、佐倉の激情だった。
「何? もしかして佐倉、二見くんのこと好きなの?」
 潮田がわざとらしい笑みを浮かべながら言う。
「そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ貸して欲しいの?」
「二見くんは物じゃない。誰かの所有物なんかじゃない」
「少なくとも、今この瞬間は私のだよ」
 そう言って潮田がまた僕の腕に手を伸ばす。それを佐倉が阻止する。
「離してよ」
「離さない」
 二人が睨み合っている。
「佐倉、いいから」
 我慢出来なくて、ついに僕は言う。
「でも二見くん困ってる」
「僕は大丈夫だから」
 キスまでしてるんだ。身体をくっつけることくらい、別にどうってことない。
「離してあげて」
「二見くんは自由を侵害されてるんだよ」
「それは違うよ」
 佐倉の考えは全くもって間違っている。
「僕達に、自由なんてものはないんだよ」
 初めから、ずっと、僕達に自由なんてなかった。元から与えられていない。だから侵害なんてされていない。
「佐倉なら僕の言ってることの意味、わかるでしょ」
 君もとっくの昔に自由の翼を捥がれているのだから。
 本当はこんな話、潮田の前でするべきじゃないってわかっている。けど言わない訳にはいかなかった。
「わかるなら、その手を離してあげて」
 佐倉は不服そうな顔で、けど小さく頷いて、潮田を解放した。その潮田もさすがに空気を読んだのか僕に触れてくることはなかった。
「二見くんと話がしたい」
「ここで話せばいいよ。私、黙ってるから」
「言い方が悪かったね。二見くんと、二人きりで、話したい。だから席を外してって言ってるの」
「佐倉、さっきから誰に口利いてるの?」
 潮田が佐倉を突き飛ばす。派手に転ぶ佐倉を見て、反射的に身体が前に出た。そんな僕の前に潮田の腕が出される。
「二見くんは優しいね」
 そう言って柔らかい笑みを向けてきた。僕と佐倉に対する温度の差に軽く身震いをする。どうしてそんなにもすぐに豹変出来るんだろう。よくわからない。潮田のことが恐ろしくて仕方がない。
「二見くん」
 今度は甘えたような声で僕の名前を呼んでくる。嫌な予感しかしない。
「キスしよ」
 思考が止まる。
「私達の仲が良いってこと証明したいの」
 僕は一度も仲が良いなんて思ったことがない。
 それに。
「…………ひ、人前ではちょっと」
 確かに僕はキスをすることに関しては何も感じない。でもそれはキスをしているところを誰かに見られても何も感じないという意味ではない。普通に恥ずかしいし、見られたくない。それにそれこそ僕の異常性を見せつけることになる。公開処刑もいいところだ。
「んーわかった。じゃあハグでいいよ。私のこと強く抱きしめて」
「いい加減にして」
 立ち上がった佐倉が僕達の間に割って入ってくる。
「貴方が嫌いなのは私でしょ。二見くんを巻き込まないで」
「やけに反抗的だね。いつもは大人しいのに」
「それは」
「やっぱり好きなんじゃないの、二見くんのこと。だからそんなに必死になってるんでしょ。好きな人にはいいところを見せたいもんね」
 佐倉は何も言い返さなかった。図星だったのか、何を言っても無駄だと判断したのかはわからない。僕としては後者だと思う。だって佐倉に好かれる理由がない。ただ佐倉が黙ってしまったから、そのまま睨み合いの状況に入ってしまった。僕も何を言えばいいのかわからず、その場に立ち尽くすしかなかった。
 現状を打破したのは僕ら三人のうちの誰かではなかった。
「え、何、どういう状況?」
 僕を探しにきた松葉だった。
「ま、つば」
 やっとのことで出た声は酷く弱々しかった。
「あーあ、最悪」
 ぼそりと潮田が呟いた。
「佐倉がいつまでも言いがかりをつけてくるせいで、二見くんのセコムが来ちゃったじゃん」
 セコムって言い得て妙だなと他人事のように思った。僕達四人が同時に同じ場所にいるなんて、何だか現実味がなかった。
 松葉の目が僕達をはっきりと捉える。順番にゆっくりと僕達のことを見て、最後に全体を見て、そして。
「お前ら、何やってんだよ」
 静かに切れた。
 そのままずかずかと僕達のところまでやってきて、僕の手を乱暴に掴んだ。
「行くぞ」
 松葉が僕の手を掴んだまま歩き出すものだから、自然と僕の足も前に動き出す。背後からは何も聞こえてこない。僕を連れ出そうとしている松葉への非難や制止の言葉すらなかった。
「松葉」
 呼びかけても松葉は何も言わない。
「松葉ってば」
 こっちに顔を向けてくれさえしない。
 それが何だか無性に腹立たしかった。
「紘夢!!」
 大声で名前を呼んで、ようやく紘夢の足が止まった。
「……もう充分、離れたよ」
 僕達は教室のすぐ近くまで戻ってきていた。
「……巧」
 僕の名前を呼びながら紘夢が振り返る。明らかに不機嫌そうな顔だった。けど何処か怯えているようでもあった。
「手、離してよ」
「ごめん」
 紘夢の手が離れる。握られていたところは少しだけ赤くなっていた。どうりで痛かった訳だ。そんな僕の手を見て、紘夢はもう一度「ごめん」と言った。
「いいよ。連れ出してくれて助かった」
 いきなりのことだったから僕も驚いたけど、紘夢が来てくれなかったらどうなっていたかわからない。
「助けてくれてありがとう」
「……何があったんだよ」
 不機嫌さは消えていて、今度は心配そうな顔になる。
「…………とりあえず僕の家まで帰ろう」
 ここじゃ誰に話を聞かれるかわからない。それにここでずっと止まっていたら潮田か佐倉が戻ってきてしまうかもしれない。出来ることなら、今日はもうあの二人と顔を合わせたくはなかった。
 そんな僕の意図が伝わったのか、紘夢は小さく頷いた。
「わかった」
「待たせてごめんね」
「全然。さ、一緒に帰ろ」
「うん」
 それから僕の部屋に着くまで、僕達の間にはほとんど会話がなかった。喧嘩をした訳でもないのに気まずかった。冗談を言ったり、いつも通りの会話が出来る空気じゃなかった。
「…………手、痛くないか?」
 向かい合って数分。ようやく紘夢が口を開いた。
「ごめん。強く掴みすぎた」
「全然大丈夫だよ。ほら、痕にもなってないし」
 そう言って僕は掴まれていた手を紘夢に見せる。
「あんなの、たいしたことないよ。それにあれは僕を助けるためだった訳だし、あの人達のとは全然違うよ」
 紘夢がそっと僕の手に触れてくる。壊れものを扱うかのように、優しく慈しむように、僕の手を撫でる。
「ね、大丈夫だから」
「本当にごめん」
「いいんだよ」
 紘夢なら、いいんだ。
「………………何があったんだ」
「それは」
 少しだけ目が泳いでしまう。自分の番になると途端に上手く目を合わせられなくなる。
「ゆっくりでいいから」
「…………潮田と話してたら、その、佐倉が来て、二人が言い争いになったんだ」
「言い争い? 佐倉が? 全然そんなイメージないんだけど」
「佐倉は僕が潮田に虐げられてると思ったみたいなんだ。それで二見くんは関係ないでしょって」
「で、潮田は潮田でそれこそお前には関係ないって感じか」
 僕は頷いた。
「潮田が佐倉を突き飛ばしたりして、凄い大変だった」
 そして僕は何も出来ず、ただその場に立ち尽くすことしか出来なかった。時々口を挟んで見ているだけ。なんて、弱いんだろう。
「巧は怪我してない?」
「うん。大丈夫。無傷だよ」
「……良かった」
 紘夢が僕に向かって倒れ込んできて、肩に顔を埋めてくる。
「泣いてる?」
「泣いてない」
 そう言う割には紘夢の身体は小さく震えているし、鼻水をすする音が聞こえてくる。
「強がらないでよ。紘夢が本当は泣き虫だってことくらい、とっくの昔から知ってるんだから」
 柔らかな髪を撫でながら言う。
「強がりじゃない。安心してんの」
「全く」
 素直なのか、そうじゃないのか。
「………………俺、やっぱり心狭い」
「狭くていいよ」
 だって。
「僕は紘夢のだから」
 佐倉は僕は誰かの所有物じゃないと言った。それは正しいのだと思う。人は物ではなくて、誰かに支配されるものじゃなくて、縛りつけておけるものじゃない。
 知ってるよ。知ってる。佐倉が正しいってこと、僕は、僕達は知っている。
 だけど。
 二見巧は松葉紘夢のもので。
「何それ。それを言うなら、俺だって巧のだよ」
 松葉紘夢は二見巧のもの。
 僕達はどうしようもなく歪んでいる。

 昼休み、僕は久々に校舎裏ではないところで食べることになった。
 佐倉に呼び出されていた。それでほとんど使ったこともない屋上に続く階段を上っていく。
「遅かったね」
 ドア前で佐倉と会う。
「僕だって色々あるんだよ。それに僕としては君の方が先に来てることに驚きだよ」
「これでも大変だったんだから」
「あっそ」
》昨日出来なかった話がしたい
 今朝、そのようなメッセージが送られてきた。
〉何処で?
 そう返すとこの場所を指定された。
「…………それで、話って何?」
「とりあえず食べ始めようよ」
「いいけど、屋上出られるの?」
「出られる訳ないでしょ」
「訳ないって」
 じゃあ何でまたこんな場所にしたんだろう。単純に人通りの少なさからだろうか。それならあの校舎裏の方が少ないとは思うけど、昨日の今日であそこに行くのは佐倉的に嫌だったのかもしれない。
 佐倉がドアを背もたれにして座り込む。僕はそのすぐ隣に座る。
「パン派なんだね」
 佐倉はコンビニで買ったようなパンを齧っていた。
「弁当箱、この前破壊されたから」
「…………ごめん」
 僕は基本、昼休みは教室にいないから昼食関連の事情には疎かった。
「その、変なもの食べさせられたりしてない?」
「心配してくれてるの?」
「……別に」
 佐倉を心配している訳じゃない。ただ僕がそんな場面を見たくないだけ。
「安心して。それはまだ始まってないから」
「なら良かった」
 半分だけ本心でそう言った。もう半分はお世辞みたいなものだった。
「僕、佐倉はタイプ二なんだと思ってた。けど最近はタイプ三なのかもって。でも昨日の佐倉を見てまたわからなくなった」
「ちょっと待って。そのタイプ二とかって何」
「タイプ二は全面戦争型」
「タイプ三は?」
「リビングデッド型」
「だいたいわかった」
 僕も僕だけど、たったこれだけの説明で理解する佐倉も佐倉だなと思う。普通の人ならきっと一ミリも理解出来ない。
「ちなみにタイプ一の名称は?」
「……魔法少女型?」
「闇深い系のやつね」
「さすがに通じないかと思った」
「サブカルチャー研究も勉強の一つだから」
 そういうものなのだろうか。勉強に対して情熱の欠片もないからよくわからない。この中高一貫校に入るための受験勉強のときが情熱のピークだった。あとはただ下がっていくだけ。
「二見くん式タイプ分け診断みたいなのを考えるのもわかるよ。あの人はこういう人なんだろうなって、皆、少なからず考えていると思う」
「むしろそういうのばっかりだよ」
 いわゆるステレオタイプっていうやつ。日本だったら血液型診断がその例だ。A型は几帳面。B型はマイペース。O型はおおらか。AB型は変わり者。そんなふうに生まれ持った自分じゃどうしようもない部分ですらカテゴライズしようとする。
「そうだね。心理学とか、それこそタイプ分けの宝庫だし」
「何が言いたいの?」
「誰だって最初は表面的な部分しか見てないってこと」
「表面」
 否定はしない。
「二見くんが私のことわからないって言ったの当然だと思う。だって二見くん、私のこと何も知らないでしょ。踏み込んだことといえば、私が自殺しようとしてたことくらい。それ以外は私の言動だけ」
「つまり本当の君は普段の君とは違うってこと?」
 そして僕はそんな表面の佐倉だけを見て勝手にこういう人だって決めつけていた。そういう話だろうか。
「二見くんだってそうでしょ」
 やけに真剣な目だった。その真剣さに応えられる自信がなくて僕は目を逸らす。
「私だって二見くんのことわからないよ。真面目で優しそうに見えて、かと思ったらあんなことしてるし。他人に興味ないふりして、なのに私を気遣ってくれて、でもやっぱり二見くんの目に私は映ってないの」
「別にわかられたいなんて思ってない」
「本当の二見くんは何処にいるの?」
「何処だっていいでしょ」
 佐倉には関係ない。僕達はあの夜、たまたま鉢合わせてしまっただけにすぎない。その程度の相手に本当の自分とか見せられる訳がない。
「だいたい本当の自分とか恥ずかしいこと言わないでくれる?」
 高三にもなればわかるだろ。皆それなりに取り繕って生きている。生き残るために分厚い仮面を作り上げている。そうやって普通のラベルを手に入れた、鋳型に嵌められたような人達が大量生産される。その生産されたときの型番の違いでタイプ分けが行われる。
「現実見なよ」
「見てないのは二見くんの方だよ」
「だったら何だって言うの」
「開き直らないで」
「佐倉こそ、言いたいことがあるならはっきり言ってくれる? 君が話したかったことってこれじゃないでしょ」
 微妙に険悪な雰囲気になってきた。
「……潮田悠那とどういう関係なの」
 これまでとは打って変わって、小さくて消えそうな声で聞いてきた。
「潮田が言ってた通りの関係だけど」
 キスフレ、と確か潮田が言っていた。フレンドかどうかは怪しいところだけど、とにかくただキスをするだけの関係。
「何でそんな関係になったの」
「してって言われたから?」
 悪びれることなくそう言うと佐倉は冗談でしょって顔をした。そしてどんどん目付きが鋭くなっていく。
「二見くんは受け身すぎる」
「僕が人とどう関わろうが佐倉には関係ない」
「潮田悠那のことだけじゃない」
「そのフルネーム呼び、どうにかならないの?」
 佐倉が潮田のことを嫌っているのはわかるけども、それでもフルネーム呼びはいかがなものかと思う。
「……潮田さんのこと以外でも言いたいことはある」
 不機嫌そうな割にはちゃんとさん付けをして言い直すところは、勤勉で真面目で優等生な佐倉らしいと思う。ってこれも僕の勝手なイメージでしかないのか。
「それで潮田以外の話って?」
「松葉くんのこと」
「……松葉が何」
 今度は僕が不機嫌になる番だった。僕と松葉のことに関して、佐倉は以前とんでもないことを言ってきた。僕はその件のことをまだ許していない。内容によっては僕は今度こそ佐倉の敵になってしまうかもしれない。
「松葉くんと普段何してるの」
「まさかだけど、君は僕が松葉と関係を持ってるって言いたいの? 残念だけど、僕達の間には何もない。普通に仲の良い友人だよ」
「昨日のあれが普通だとは思えない」
 昨日のあれ、とは松葉が僕をあの場から連れ去ったことを言っているのだろう。
「あれの何に引っかかってるの」
 松葉は僕を心配して探しにきて、僕の身に危険が及びそうだったから連れ出してくれた。ただそれだけの話。
「君だって僕を助けるつもりで割って入ってきたんでしょ。それと同じ」
「同じじゃない」
「だから何処が」
「それを説明するために普段のことを聞いてるの」
「いい加減にしろよ」
 口調が乱れていくのが自分でもわかった。それくらい僕は苛立ちを募らせていた。
「そこまでして庇うんだね」
「庇ってるんじゃない。事実を述べているだけ」
「じゃあ言ってよ」
 睨み合う。その鋭い眼光を見た瞬間、僕の中で何かが急激に冷えていった。
 どうして佐倉なんかと喧嘩みたいなことをしないといけないんだ。バカらしいにも程がある。面倒くさい。
 冷え切った心を口から吐き出す。
「わかったよ。言えばいいんでしょ、言えば」
「最初からそうしてくれればいいのに」
「そういう余計な一言、やめた方がいいよ。嫌われるだけ」
 少なくとも僕の中の佐倉への好感度はあのキス勘違い事件から下がりっぱなしだ。
「善処する」
 どうせ無理だと思った。
「で、僕と松葉が普段何してるか、だっけ?」
「そう」
「たいしたことはしてないよ。毎日一緒に登下校して、放課後は僕の家泊まったり、休日はたまに遊びに行ったり。別に普通でしょ?」
「泊りに来る頻度は?」
「週四くらい?」
 一番多かった時期は毎日だけど、今はそれくらいに落ち着いている。
「それ、親御さんは何も言わないの?」
「色々あるんだよ」
「まさかだけど、寝るときも一緒じゃないよね」
「一緒だけど」
 だって小さい頃からずっとそうしてきたんだ。一度中学生くらいのときに別々で寝たことがあったのだけど、離れてると逆に落ち着かないし寝苦しくて寝付けなかった。それは松葉も同じようで、結局数時間後には一緒のベッドで寝ていた。だからこれは癖の延長戦でもあるが、同時にお互いの安眠を守るためでもあった。
「やっぱり、付き合ってるんじゃないの」
「だから付き合ってないって。しつこいな」
「好きなの?」
 いつだったか潮田にも同じことを聞かれた。
「好きだよ。でも君が思っている好きではない」
「松葉くんの方はわからないよ」
 僕は深い溜め息を吐いた。
「僕は、僕達は確かにお互いのことが好きだよ。けどそれは友愛にすぎない」
「友愛?」
 佐倉の表情がより一層険しくなる。
「僕達は何があってもお互いの味方。何よりも大切で、絶対に失いたくない存在。それが僕達の関係」
 揺るぎない真実。
「…………二人のこと今のでよくわかった」
 そして真っ直ぐに僕のことを見て言う。
「二見くんは私に現実を教えてくれた。だから今度は私が二見くんに現実を教えてあげる」
「余計なお世話だよ」
「それでも私は言わなくちゃいけない」
 くしゃりと袋が潰れるような音がした。
「それ、共依存だよ」
 僕は何も言わなかった。
「二見くんの人間関係、異常だよ」
 その声は酷く震えていた。さっきまでの険しさは消えていて、今にも泣きそうな目で僕を見ていた。何で佐倉がそんな顔をしているのだろう。そんな顔を出来るのだろう。僕にはよくわからなかった。理解出来ない。
「おかしいよ。何もかも。普通じゃない」
「なら普通って何」
「少なくとも二見くんみたいに好きでもない女の子とキスフレになったり、親友の男の子と共依存になったりしない人」
 ううん、と佐倉が首を横に振る。
「二見くんと松葉くんは親友ですらない。そんな歪んだ愛、友愛なんて言えない」
 歪んだ愛、か。
 はは、と自嘲の声が漏れる。
「それで?」
「それでって?」
 僕を訝しむ佐倉に言ってあげる。
「わかってたよ、全部。僕が異常だってことも、松葉との関係が共依存だってことも」
 全部、本当は知っていた。
「でもそれがどうしたの。僕達はずっとそうやって生きてきたんだ。それにたとえ狂った愛だとしても、松葉を大切に思っているこの気持ちは変わらない。決して揺らぐことはない。それの何処が悪いの」
「そんなの二人のためにならない」
「僕達のため? わかったようなこと言わないでよ」
「わかってないかもしれない。それでも私は二人の関係を否定する」
 目と目が合う。
 佐倉の瞳の奥で何かが揺れている。
 僕も負けじと胸の内を目で訴える。
「私が共依存をやめさせる。二人が正しい距離になれるようにする」
 そう高らかに宣言する佐倉はまるで正義のヒーローのようだった。だとしたら僕は悪の大魔王で、松葉は囚われのお姫様だろうか。
「…………好きにしなよ」
 吐き捨てるように言って、僕はその場から立ち去った。
 僕達が対立した瞬間だった。