『卒業生、退場』

 体育館に教頭の声が響く。
 卒業生がばっと一斉に立ち上がり、クラスごとに列になって退場していく。
 涙を流しながら歩く者、後輩と目が合い、にやにやとする者。先輩達との別れを惜しんで泣き始める者、切り替えて新しき日々に思いをはせる者。そんな様々な人と感情であふれる体育館を僕は流れに従って出て行く。
 
 クラスに戻って最後のホームルームが始まる。担任の少し太ったお母さん感あふれる女性教員が着物姿で教卓に立つ。
 最後と言うことでそれぞれの名前を呼び、一言ずつその生徒に対して言葉を述べていく。
 廊下側の窓や、教室の後ろでは親達、主に母親がハンカチで涙を拭いながらその様子を見ている。
 次は僕の番だ。

「柊弘己くん」
「はい」

 返事をして立ち上がる。

「君は優しい人でしたね。そして先生の中でもっとも変わったと思える人です。入学当初はあまり笑わず、学校行事も楽しそうでは無かった。でもある日から目に輝きを宿して生き生きし始めた。行事ごとにも楽しむように参加し、いろんな写真を撮ってくれましたね。これからも元気で、そして生き生きとしていてくださいね」

 意外と生徒をしっかりと見ている先生だなと思いながら頭を下げる。

「ありがとうございました」

 僕は席に腰を下ろす。
 もう少しでホームルームも終わる。この学校での生活が終わる。
 これまでの日々に思いを馳せながら終わるのを待った。



 ホームルームが終わったのは14時。
 卒業生達は校門前に移動して後輩と別れの挨拶をしたり、親と写真を撮ったりしている。
 
「あの、弘己くん・・!」

 声を掛けられたので振り返るとそこには同じクラスの女子である南原悠月さんが居た。その後ろでは数人の女子がニヤニヤしながらこちらを見ている。

「どうしたの?」
「わ、わた、わた・・!」

 噛みながら彼女は顔を真っ赤にして口を動かす。

「わ、わたしたち、このあとクラスみんなでご飯行くんだけど、こ、弘己君もくるよね!?」

 その様子を見ながら後ろにいる女子達はため息をつきながら額に手を当てた。そのそろった動きは練習していたかのようだった。

 ともかく、これからみんなでご飯を食べに行くらしい。
 僕はそれに参加するつもりは無かったので帰ろうかと思い、断ろうとするが。

「僕はいか・・」
「行ってきなさい、弘己」

 隣に居た母が僕にそう言った。

「いや、母さん。僕は・・」
「行ってきなさい。こういうのは今しかできなのよ」

 そういう母はいつになく真剣な表情だった。だが、その雰囲気は優しい。
 僕は母のその言葉に従って目の前に居るクラスメイトに「行くよ」と返した。
 彼女と連絡先を交換して集合場所と時間だけ言われて別れた。






 クラスメイトとの会食も終わり、一旦家に帰り風呂に入ってゆっくりと時間を過ごしているともうすぐ丑三つ時だった。
 僕は玄関から家を出て学校に向かった。

 
 美術室につくといつもと同じように彼女は椅子に座っていた。
 でもその表情はいつもと違い、少し悲しげな、切なげな顔だった。

「やあ。卒業おめでとう」
「うん。ありがとう」

 少ししんみりしている彼女は僕の顔を見て笑う。

「今日は卒業の写真を持ってきたんだ」
「うん・・」

 いつもなら「本当!?」といってどんな写真にも興味を示す彼女が今日は、それしか言わない。
 なにかあったのかと思い、心配からその理由を聞き出そうとする。


「・・どうしたの?」
「うん。君とのこの関係もこれで終わりかと思うと少し寂しくてね・・」
「終わり? これからも僕は君に会いに来るよ」
「ううん。それは出来ないんだ」
「・・どういうこと?」

 卒業しても毎日忍び込んでしゃべればいいじゃないか。そんなふうに考えていた僕にとって彼女のその言葉は理解が出来ないものだった。

「私はね、今夜、成仏するんだ」
「え・・・・」
「地縛霊はその未練からこの世に残る。でもね、死んだ人間がこの世に残るのは本来は許されないんだよ。だから、未練が無くなったらこの世を去らなくちゃいけない」
「・・・・」
「私の未練は何だと思う?」

 そう言って彼女は無理矢理笑う。
 
「・・世界をみること」

 僕は泣きそうなのを我慢して彼女が僕にお願いした内容を答える。
 彼女が泣かないように笑っているのに僕だけが泣くことは許されない。
 

「ぶっぶ~!」
「・・違うの?」
「うん。違うんだ」

 彼女は少し明るく言う。先ほどより自然に笑っているように感じた。

「私の未練、それはね、恋をしたことがないこと。だよ」
「恋?」
「うん。恋をしたことがないから恋をしてみた~い! って思ってたらそれが未練になっちゃった」
「・・じゃあ」
「うん。私が恋をしたのは君だよ。柊弘己くん。君が私の想い人。君と過ごした日々が、君の優しさが私の未練を払ってくれた」

 彼女は泣いていないから僕が泣くことは許されない。泣くわけにはいかない。そう思っているのに体は僕の言うことを聞かずに目からはドバドバと涙があふれ出す。

「君と出会った日も今日みたいに満月が輝いていたね。君・・が、・・くれた・・」

 僕が泣くのを見て感化されたのか彼女の綺麗な瞳からも大粒の涙があふれ出す。

「もうっ・・! 最後は・・笑って・・逝きたかったの・・に!」
「・・ごめん・・。でも・・とまらない・・んだ」
「・・ほんとだね・・。とま・・らないや。・・ふふっ」

 彼女は笑い声を漏らす。泣きながら笑っている。

「おかしいね・・。泣いてるのに・・笑えちゃう・・」
「そう・・だね。ふふっ」

 思わず僕も笑ってしまう。

「「あははははは・・!」」

 僕と彼女の笑い声が美術室の中にこだまする。
 二人してなぜ笑っているのか分からないまま笑い合う。その間も目からは涙があふれている。

「やっぱり、君といると楽しいや!」

 彼女がいつもの明るい声で言う。

「そうだね」

 僕も穏やかな声でそれに応える。

「君は私との日々を覚えておいてくれますか?」
「もちろん」
「君は私無しでも生きていけますか?」
「何さその質問・・」
「いいから、答えて」
「たぶん、何とかやっていくよ」
「うん・・」

 彼女が頷くと彼女の体は徐々に薄く、消えていく。

「君がくれた日々は輝いてたよ」
「僕もそうさ、君が居てくれたから僕の世界は輝き始めた」
「私の話し相手になってくれてありがとう。本当にありがとう」
「うん」
「最後になったけど、君の事が好きだよ、柊弘己くん」
「う・・ん。僕も・・好きだ」
「・・ありがとう。愛してる・・」

 その言葉を最後に彼女は消えた。

「うっ、くっ・・」

 月の光が差し込む教室にはもう彼女はおらず、僕の嗚咽だけが響いていた。