中学校の手芸部顧問の先生から七夕(たなばた)についての話を聞いたのは、今日の部活を終えてみんなで帰り支度をしているときのことだった。七夕と言われても織姫さまと彦星さま、あと笹の葉サラサラの歌と、短冊に願い事を書く、くらいのイメージしか持っていなかった私は、先生に説明されて初めて、なんで「七夕」と書いて「たなばた」と読むのか疑問にも思っていなかったことに気がついた。

 「たなばた」は「棚機」。それが「七夕」、つまり「七月七日の夕べ」とくっついて「七夕(たなばた)」となったという説明だった。そっかなるほど、言われてみれば織姫って、名前からして機織りのお姫様だもんね。

 だからこの日は針仕事の上達を願う日でもあるんだそうだ。


 針仕事の上達かぁ……。私は今日の部活での出来事を思い出して少し憂鬱だった。私が手芸部に入部する、と宣言したとき、私のことを良く知っている友達はみんなびっくりしていた。それはそうだと思う。だって私は制服のネクタイもいまだに上手く結べなくてお母さんにやってもらっているし、靴ひもを結ぶのだってもたもたと十五分以上もかけてしまうくらいには手先が不器用なのだ。だから私も自分が手芸に向いていないことは身に染みて分かっていたけれど、それでも中学に入ってすぐの部活紹介の時に見た先輩たちの作品はどれもがとても可愛くて、私もこんなものが作りたい、と本気で思ったのだ。

 でも今日の部活で発表された手芸コンクールの入賞作品は、普段あんまり部活には来なくて、手芸部に入った理由も「なんか楽そうだったから」なんてこっそり言っていた沙織ちゃんの作品だった。

 確かに沙織ちゃんは手先がとても器用だった。ひとつひとつの作業の飲み込みも早いから作品を作るスピードもすごく早くて、だからさっさと課題の作品を仕上げてすぐに帰ってしまう。一方の私は一つ作品を仕上げるのに何度も何度もやり直しをしなくてはならず、針を刺しすぎてしまってぼろぼろになった布を仕方なく取り替えたこともあるくらいだった。
 そんな私に対しても、先輩たちは苛立つこともなく優しく丁寧に作業を教えてくれた。すごく時間はかかってしまったし、良い出来だなんて言えないけれど、しょっちゅう指に針を刺しちゃって絆創膏だらけの手で初めて作品を作り上げた時、私はとても嬉しかったのだ。

 ……でも、結果は全然ダメだった。


 期待はしていないつもりだった。それなのに心がこんなにも重く感じるのは、やっぱりどこかで少し夢を見てしまっていたのかもしれない。ショックを引きずったまま、私は一人とぼとぼと夕暮れの帰り道を歩いていた。目の前に伸びている私の影も、こころなしかぼんやりと薄くなっているように感じられた。

「あ、萩原さん、いたいた」

 後ろの方から私を呼ぶ声がする。ちょっと呼吸の乱れたその声に振り向くと、手芸部の吉田先輩がこちらに小走りで向かってきていた。
 実は私の憧れの先輩、でもある。
 吉田先輩が作り上げる手芸作品は、どれも仕上げも奇麗だし見た目やデザインも凝っていて、部活紹介の時に見た作品の中で私が直感で一番好きだと思ったのも吉田先輩が作ったものだった。吉田先輩は先を行っていた私に追いつくと、横に並んで歩き出す。視線は前に向けたまま、こちらに話しかけてくる。

「手芸コンクール、残念だったね」
「……はい、でも自分でも下手だって分かっていたので、いいんです」

 自分の足元をしょんぼりと見つめながら私は答える。先輩は励ますように声のトーンを少し上げて続けてきた。

「最初は誰でもそうだと思うよ。気にすることないって」
「でも、今回コンクールに入賞したのは同じ一年の沙織ちゃんの作品だったし……」
「一年生だとどうしても手先の器用な人が有利になっちゃうからね。私も最初は全然ダメだったもん」
「そうなんですか?」

 その言葉は私にとってとても意外なものだった。なんとなくの勝手な思い込みで、吉田先輩は最初から手芸が上手かったものだと思っていた。先輩はくすりと笑みを作って言う。

「いいもの見せてあげる。私が最初に作った作品」

 先輩がごそごそと鞄を探って取り出したのは、端がほつれてしまってぼろぼろの手芸作品だった。私が初めて作り上げて手芸コンクールに出した作品と、出来は似たり寄ったりだった。私は先輩の言葉をまだ信じられずに問いかける。

「ほんとにこれ、先輩が作ったものなんですか?」
「そうだよ。すごくへたっぴでしょ。でも私、この作品が大好きなんだ」

 そう言いながら、先輩は手に持った作品をわずかに目を細めて愛おしそうに見つめる。それはまるで子どもを見つめるお母さんのような目だった。その目のままに、私の方をまっすぐ見つめて先輩は言う。

「私は萩原さんの作品好きだよ。見ていると手芸が好きって気持ちがすごく伝わってくる。それにね、絆創膏だらけの萩原さんのその手を見ていると、私も一年生の時はそうだったなって思い出して、一緒だなって思ったの」

 ……そうなのだろうか。私も吉田先輩みたいになれるかな。そんな思いは知らず口からつぶやきとして漏れ出していた。先輩は深くうなずきながら私に向かって言う。

「大丈夫。好きって凄いよ。不器用かどうかなんて関係ない。その気持ちがあれば絶対に上手くなれる」
「でも、やっぱり私、自信がないです……」

 それでもまったく上手くなれる気がせずに思わず俯いた私を見て、吉田先輩は手に持っていた作品を私に向かって差し出した。

「じゃあさ、これは萩原さんが持っていて」
「え?」
「あげるんじゃないよ。貸すだけ。それを見て、こんなに下手だった先輩がいるんだって、自信をつけてよ」

 吉田先輩はにこりと笑う。私は吉田先輩の笑顔と差し出された作品の間で何度か視線を往復させる。ほんとうにいいんですかと問いかける私の視線に、先輩は笑顔のまま、いいんだよと頷いた。私はおそるおそる手を伸ばし、きっと吉田先輩にとっては宝物であるはずのその作品を、そっと受け取った。
「ありがとうございます」と言いながら私は頷いて、その作品をゆっくりと鞄に仕舞った。

「それと、もう一個、忘れ物だよ」

 そう言って吉田先輩がスカートのポケットから取り出して差し出してきたのは、一枚の短冊だった。そういえば今日、手芸部のみんなで願い事を書こうと言って、先生が手作りの短冊をそれぞれに渡してくれたのだった。手芸コンクールのことがショックで、一度もらったそれを私はすっかり忘れて家に向かっていたのだった。
 私がお礼を告げる前に、吉田先輩は「じゃあ、私こっちだから」と言って元来た道を走って戻っていった。
 ……もしかして、わざわざ私のために追いかけてきてくれたのだろうか。私は零れそうになる涙をぎゅっとこらえて、家に帰った。


 顧問の先生から聞いた風習に従って、「七月七日の夜明けの晩」に間にあうように、つまり七月六日の夜に私はこっそりと自分の部屋のベランダに短冊を飾った。
 ベランダから見上げた空は、運よく雲もなく星が一面に光る奇麗な夜空だった。このたくさんの星の中で天の川はいったいどのあたりにあるのだろうか。普段はあんまり星空なんて見上げないからよく分からなかった。わずかに夜風が吹き抜けて、吊るした短冊をゆらゆらと揺らしている。短冊に書いた願い事は「どうか手芸が上手くなりますように」だった。

 ……うん。どれだけ落ち込んでも、これを願えるくらいには、どうやら私は手芸が好きらしい。

 もうちょっとだけ、頑張ってみようかな。鞄からそっと取り出した吉田先輩の手芸作品(たからもの)を見つめて、私はそう決意した。


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