白いベッドの上で毎日を過ごしていたからか、時間の感覚が全くなくなっている。


死ぬほど暇だった入院生活が、ここリナの登場で数日ほどあっという間だったし。


「なんてタイミングなんだよ……」


俺は呟き、頭を抱える。


せっかくリナと出会って楽しくなってきたところだったのに……。


じゃなくて、霧夜さんと約束しちまったじゃないかよ!


リナを助けるって!


このまま退院したんじゃリナは確実に助けられない。


『時間が……ない』


そうだ、時間がないんだ――。
☆☆☆

退院という時間制限を聞いて行動力のスイッチが入った俺は、ナースステーションでさっきの鳥越ナースと話をしていた。


ここに入社して3年目だという鳥越ナース。


恋人はいなくて、今は仕事が楽しくて仕方ないんだそう。


仕事柄爪は短く切っているけれど本当はネイルアートが得意で、休日は派手なネイルチップを付けて出歩くらしい。


「へぇ~手先が器用そうだもんなぁ~」


俺はナースステーションの隅っこで興味津々といった感じで鳥越ナースの指先を見る。


「器用ってほどじゃないですよ」


恥ずかしそうに言って、小さく笑う鳥越ナース。


よく見ればこの人もなかなか可愛らしい顔をしていて、ヒロシの好みそうな雰囲気だった。


「残念だなぁ~俺退院したら鳥越さんともう会えないんだぁ」


「な、なに言ってるんですかっ!」


素直に照れちゃって、可愛い。
「っていうかさぁ、ちょっと小耳に挟んだんだけどぉ」


俺は上半身を鳥越さんに近づけて小声で言った。


女ってなんで噂話しとか、ここだけの話しとか好きなんだろうな?


まぁ、俺は退院が決まってる患者だから、鳥越さんもつい気が緩んで口も緩んじゃったんだろうけど。


「この病院、あの歌姫リナの父親の病院だって聞いたんだけどさぁ……」


「ど、ど、どこでそれを!?」


明らかに挙動不審になる鳥越ナース。


霧夜さんの言ってた事は本当か……。


「噂だよ噂。別に信じてないって」


そう言って笑い声を上げると、鳥越ナースはチラリと意味ありげな視線を投げてきた。


『話したい』


顔にそう書いてある。
「え? なになに? もしかして鳥越さん何か知ってたりする?」


「ここだけの秘密ですよ?」


「もちろん」


「実はこの病院、リナさんのお父さんの買い取られたんです」


「うっそ!!」


「シッ! 声が大きいですよ」


「あぁ、ごめんごめん。買い取られたって、なんで?」


「原因はこの病院の経営状態の悪化です。潰れる寸前に買い取ってもらってなんとか立ちなおす事ができたんです」


「へぇ~? でもそれじゃぁ病院のお偉いさんは大変なんじゃないの? 自分らの病院を乗っ取られたって感じなんじゃないの?」


「それが、元々ここの委員長とリナさんの父親が親友で、委員長の方が買い取ってくれって頼んだらしいんですよ」


ここまでは霧夜さんの話しと一致している。


問題は、ここからだ。
「歌姫リナの父親と親友だなんて、委員長って人すっごいじゃん」


「まぁそうなんですけどねぇ……」


そう言って、口を閉じてしまう鳥越ナース。


「なんか、問題でもあったの?」


「問題というか……」


言葉を濁らせて、チラチラと患者の行き来を気にし始める。


おい、俺は委員長の事を聞きだしたいんだよ!


ここで止まるんじゃねぇよ!


「実は委員長……」


「うんうん?」


「娘さんが亡くなってからやる気をなくしてしまって、それが原因で病院も傾いたんです」


娘が――?
「で、同じ娘を持つ物同士が寄り添ったというか……。そんな感じじゃないですか?」


「へぇ~……なるほど……」


「皮肉ですよね、親友同士が寄り添って、2人とも娘さんを亡くすなんて」


「あぁ……」


……え?

慌てて呼び止めようとしたけれど、逃げるようにして姿を消したのだった……。


「今、なんて?」


「え?」


「今、なんて言った?」


『2人とも娘さんを亡くすなんて』


そう聞こえたのは、俺だけか?


「あ……すみません、なんでもないです」


突然青くなり、ナースステーションの奥へ戻ろうとする鳥越ナース。


「あ、ちょっと!!」
「昨日はこれなくてゴメンね」


フェンスを隔てて、俯き下限な彼女の顔を覗きこむ。


「ずっと待ってました……」


小さく言うのは批判の声。


やっぱり、待ってたんだ。


「ごめんね。俺寝ちゃってて」


そう言って頭をかく。


「いいんです。患者さんは、寝るのも仕事だから……」


『いいんです』


といいながらも、リナのふくれっ面は直らない。


これじゃまるでデートをすっぽかして怒られる彼氏みたいだ。


や、でもそれが嫌というワケではなくて。


むしろそうなれたらどれだけ嬉しいか。
「ほんと、ごめんね」


機嫌の直らないお姫様に、どうしたものかと窓の外の月を見る。


すると。


俺の指先にちょんと触れる感覚があった。


見ると、フェンスの間から中指と人差し指だけ出して、俺の小指を可愛らしくつまんでいる。


「私こそ……ごめんなさい」


勝手に、あなたが来るって思い込んで待ってるなんて……。


そう言って、彼女は少し悲しそうに微笑んだ。


そんな表情には華があって、俺は彼女の手を握り締めた。


「俺も、本当はすごくここに来たかったんだ」


「本当ですか?」


「嘘ついてどうするの?」
そう言うと、リナは見る見るうちに笑顔へと変わっていく。


「リナちゃんってさ」


「はい?」


「相当分かりやすいよね」


笑いをかみ殺して言うと、彼女は一瞬何の事かとキョトンとしていたけれど、すぐにバカにされたと気づいたらしく、頬を目一杯ふくらませた。


「そういう素直なところが可愛いって事」


俺はそう言って、あろうことか歌姫リナに2度目にキスをしたんだ――。