☆☆☆

1人で病室に戻ってからも、霧夜さんの言葉が頭から離れなかった。


実験ってなんだ?


時間がない?


『かいか』って……?


疑問ばかりが頭の中を渦巻いている。


リナに直接会って聞きたいという気持ちもあったが、足はあの非常階段へ向かわなかった。


真っ暗な病室の中、天井を睨みつけながら考える。


『俺はお前に道をあけてやった、後は任せたからな』


「あ……」


そこで、俺は気づいた。


『道をあけてやった』


って……。
もしかして、非常階段のことか?


《立ち入り禁止》の扉が開いていた事が、ずっと気にかかっていた。


霧夜さんは俺が、もしくは誰かがあそこに行く事に期待を託して、扉の鍵を開けていた――?


「でも、なんで霧夜さんが鍵を持ってたんだ……?」


その謎は簡単なものだった。


霧夜さんは、リナが実験台にされていると知っている身内の1人なのだ。


信用している人物が鍵のある場所を知っていてもおかしくない。


そして、まんまと俺があの扉を開けた――って事か。


今までのつじつまがすべて合って、少しだけモヤモヤが取れた気がする。


けれど……。


「任せたって言われてもなぁ~」


探偵でも警察でもない俺はため息混じりにそう呟いた……。
結局、俺はその夜リナに会わずじまいだった。


リナはまたあの場所で待ってるかもしれないと思ったが、色々と考えすぎて気がつけば朝になっていた。


起床時間を知らせる音楽が鳴り始めて、やっと俺の果てしない妄想世界の思考回路は止まった。


「退院の日程が決まりましたよ」


俺を担当してくれているナース、鳥越さんがそう言って来たのは昼前のことだった。


「退院……?」


相当なアホ面をして聞き返してしまったらしい、鳥越ナースは俺の顔を見て必死で笑いをかみ殺している。


「はい。リハビリも順調ですし、もう日常生活に支障はないようですよ。よかったですね」


そう言って、今まで見せたことのない笑顔を見せる。


しかし、俺はその言葉をうまく噛み砕いて行くことができない。


相変わらず足は吊るされているし、動かない。


リハビリも、毎日同じような事を繰り返しているだけだった。
「あの……本当に、退院?」


「はい。退院です」


大きく頷く鳥越ナース。


「どうして?」


「は……?」


退院と聞いて『どうして?』と聞き返す患者なんて滅多にいないのだろう、鳥越ナースは眉間にシワを寄せて怪訝そうな顔をしている。


「あ、いや……。わかった、ありがとう」


俺は曖昧な笑顔を見せて、用事を終えた鳥越ナースをさっさと退室させた。


退院……。


こんなに早く?


カレンダーに目をやると、車に大きく跳ね上げられた時から約一ヶ月が経過していた。


もう、そんなに……?
白いベッドの上で毎日を過ごしていたからか、時間の感覚が全くなくなっている。


死ぬほど暇だった入院生活が、ここリナの登場で数日ほどあっという間だったし。


「なんてタイミングなんだよ……」


俺は呟き、頭を抱える。


せっかくリナと出会って楽しくなってきたところだったのに……。


じゃなくて、霧夜さんと約束しちまったじゃないかよ!


リナを助けるって!


このまま退院したんじゃリナは確実に助けられない。


『時間が……ない』


そうだ、時間がないんだ――。
☆☆☆

退院という時間制限を聞いて行動力のスイッチが入った俺は、ナースステーションでさっきの鳥越ナースと話をしていた。


ここに入社して3年目だという鳥越ナース。


恋人はいなくて、今は仕事が楽しくて仕方ないんだそう。


仕事柄爪は短く切っているけれど本当はネイルアートが得意で、休日は派手なネイルチップを付けて出歩くらしい。


「へぇ~手先が器用そうだもんなぁ~」


俺はナースステーションの隅っこで興味津々といった感じで鳥越ナースの指先を見る。


「器用ってほどじゃないですよ」


恥ずかしそうに言って、小さく笑う鳥越ナース。


よく見ればこの人もなかなか可愛らしい顔をしていて、ヒロシの好みそうな雰囲気だった。


「残念だなぁ~俺退院したら鳥越さんともう会えないんだぁ」


「な、なに言ってるんですかっ!」


素直に照れちゃって、可愛い。
「っていうかさぁ、ちょっと小耳に挟んだんだけどぉ」


俺は上半身を鳥越さんに近づけて小声で言った。


女ってなんで噂話しとか、ここだけの話しとか好きなんだろうな?


まぁ、俺は退院が決まってる患者だから、鳥越さんもつい気が緩んで口も緩んじゃったんだろうけど。


「この病院、あの歌姫リナの父親の病院だって聞いたんだけどさぁ……」


「ど、ど、どこでそれを!?」


明らかに挙動不審になる鳥越ナース。


霧夜さんの言ってた事は本当か……。


「噂だよ噂。別に信じてないって」


そう言って笑い声を上げると、鳥越ナースはチラリと意味ありげな視線を投げてきた。


『話したい』


顔にそう書いてある。
「え? なになに? もしかして鳥越さん何か知ってたりする?」


「ここだけの秘密ですよ?」


「もちろん」


「実はこの病院、リナさんのお父さんの買い取られたんです」


「うっそ!!」


「シッ! 声が大きいですよ」


「あぁ、ごめんごめん。買い取られたって、なんで?」


「原因はこの病院の経営状態の悪化です。潰れる寸前に買い取ってもらってなんとか立ちなおす事ができたんです」


「へぇ~? でもそれじゃぁ病院のお偉いさんは大変なんじゃないの? 自分らの病院を乗っ取られたって感じなんじゃないの?」


「それが、元々ここの委員長とリナさんの父親が親友で、委員長の方が買い取ってくれって頼んだらしいんですよ」


ここまでは霧夜さんの話しと一致している。


問題は、ここからだ。
「歌姫リナの父親と親友だなんて、委員長って人すっごいじゃん」


「まぁそうなんですけどねぇ……」


そう言って、口を閉じてしまう鳥越ナース。


「なんか、問題でもあったの?」


「問題というか……」


言葉を濁らせて、チラチラと患者の行き来を気にし始める。


おい、俺は委員長の事を聞きだしたいんだよ!


ここで止まるんじゃねぇよ!


「実は委員長……」


「うんうん?」


「娘さんが亡くなってからやる気をなくしてしまって、それが原因で病院も傾いたんです」


娘が――?