「そうだ。ただ、こっちは少し前に買い取ったんだ」
「買い取った……?」
俺は首をかしげて聞き返した。
こんな小さな病院を買い取る理由がよくわからない。
「そう。実験のためにな」
「実験って……リナちゃんの……?」
「あぁ。その為に新しい建物を隣接して作ったんだ」
「待ってください。実験のために病院を買い取るって、どういう事ですか? わざわざそんな事しなくても自宅の近くに実験用の建物を作ればいいじゃないですか」
そっちの方が、病院を買い取って更に建物を増やすよりも簡単な気がする。
「この病院長とオヤジは昔からの親友なんだ。けど、最近は経営が傾いてる。
オヤジがでっかな病院を建てたせいで患者を持ってかれちまったんだ。だから、オヤジにこの病院が潰れないように買取ってもらって、その代わり病院長は実験を許可した」
そんな……。
じゃぁリナちゃんはここに無理矢理閉じ込められてるんじゃないか!!
「その、実験ってちゃんとしたものなんですか?」
「法に触れるかどうかはわからない……。が、まともなものだったら俺がこうしてお前に頭を下げになんか来るものか」
そうだ。
そうだよ。
これはリナちゃんのピンチなんだ!
俺はすがるように霧夜さんの腕を掴み、「実験って? 実験ってどんな実験なんです? そんなに危険なものなんですか?」と、聞いた。
その質問に俯き、眉間に深いシワを刻ませる霧夜さん。
言いにくそうに何度もうなり声を上げるその姿から、なんとなく想像がついてしまった。
「危険……なんですね……?」
呟くように言って、気持ちよさそうに歌っていたリナちゃんの姿を思い出す。
「時間が……ない」
質問には答えず、うなり声を上げるように霧夜は言った。
「かいかまで、時間がない……」
かい……か?
「なんですかそれ? 『かいか』って、何の事ですか?」
「俺には何も言えない。俺はお前に道をあけてやった、後は任せたからな」
そう言うと、霧夜さんは俺を残して行ってしまった。
「霧夜さん!!」
最後にそう呼んでも、振り向いてはくれなかった――。
☆☆☆
1人で病室に戻ってからも、霧夜さんの言葉が頭から離れなかった。
実験ってなんだ?
時間がない?
『かいか』って……?
疑問ばかりが頭の中を渦巻いている。
リナに直接会って聞きたいという気持ちもあったが、足はあの非常階段へ向かわなかった。
真っ暗な病室の中、天井を睨みつけながら考える。
『俺はお前に道をあけてやった、後は任せたからな』
「あ……」
そこで、俺は気づいた。
『道をあけてやった』
って……。
もしかして、非常階段のことか?
《立ち入り禁止》の扉が開いていた事が、ずっと気にかかっていた。
霧夜さんは俺が、もしくは誰かがあそこに行く事に期待を託して、扉の鍵を開けていた――?
「でも、なんで霧夜さんが鍵を持ってたんだ……?」
その謎は簡単なものだった。
霧夜さんは、リナが実験台にされていると知っている身内の1人なのだ。
信用している人物が鍵のある場所を知っていてもおかしくない。
そして、まんまと俺があの扉を開けた――って事か。
今までのつじつまがすべて合って、少しだけモヤモヤが取れた気がする。
けれど……。
「任せたって言われてもなぁ~」
探偵でも警察でもない俺はため息混じりにそう呟いた……。
結局、俺はその夜リナに会わずじまいだった。
リナはまたあの場所で待ってるかもしれないと思ったが、色々と考えすぎて気がつけば朝になっていた。
起床時間を知らせる音楽が鳴り始めて、やっと俺の果てしない妄想世界の思考回路は止まった。
「退院の日程が決まりましたよ」
俺を担当してくれているナース、鳥越さんがそう言って来たのは昼前のことだった。
「退院……?」
相当なアホ面をして聞き返してしまったらしい、鳥越ナースは俺の顔を見て必死で笑いをかみ殺している。
「はい。リハビリも順調ですし、もう日常生活に支障はないようですよ。よかったですね」
そう言って、今まで見せたことのない笑顔を見せる。
しかし、俺はその言葉をうまく噛み砕いて行くことができない。
相変わらず足は吊るされているし、動かない。
リハビリも、毎日同じような事を繰り返しているだけだった。
「あの……本当に、退院?」
「はい。退院です」
大きく頷く鳥越ナース。
「どうして?」
「は……?」
退院と聞いて『どうして?』と聞き返す患者なんて滅多にいないのだろう、鳥越ナースは眉間にシワを寄せて怪訝そうな顔をしている。
「あ、いや……。わかった、ありがとう」
俺は曖昧な笑顔を見せて、用事を終えた鳥越ナースをさっさと退室させた。
退院……。
こんなに早く?
カレンダーに目をやると、車に大きく跳ね上げられた時から約一ヶ月が経過していた。
もう、そんなに……?
白いベッドの上で毎日を過ごしていたからか、時間の感覚が全くなくなっている。
死ぬほど暇だった入院生活が、ここリナの登場で数日ほどあっという間だったし。
「なんてタイミングなんだよ……」
俺は呟き、頭を抱える。
せっかくリナと出会って楽しくなってきたところだったのに……。
じゃなくて、霧夜さんと約束しちまったじゃないかよ!
リナを助けるって!
このまま退院したんじゃリナは確実に助けられない。
『時間が……ない』
そうだ、時間がないんだ――。
☆☆☆
退院という時間制限を聞いて行動力のスイッチが入った俺は、ナースステーションでさっきの鳥越ナースと話をしていた。
ここに入社して3年目だという鳥越ナース。
恋人はいなくて、今は仕事が楽しくて仕方ないんだそう。
仕事柄爪は短く切っているけれど本当はネイルアートが得意で、休日は派手なネイルチップを付けて出歩くらしい。
「へぇ~手先が器用そうだもんなぁ~」
俺はナースステーションの隅っこで興味津々といった感じで鳥越ナースの指先を見る。
「器用ってほどじゃないですよ」
恥ずかしそうに言って、小さく笑う鳥越ナース。
よく見ればこの人もなかなか可愛らしい顔をしていて、ヒロシの好みそうな雰囲気だった。
「残念だなぁ~俺退院したら鳥越さんともう会えないんだぁ」
「な、なに言ってるんですかっ!」
素直に照れちゃって、可愛い。