布団にもぐりこみ、ガタガタと震える俺の肩を誰かが叩いた。


「うわぁーっ!!」


あの女の顔を思い出して叫び声を上げて、「なんだよナオキ。どうしたんだよ」と、聞き慣れた声にハッと我に返った。


あ……れ?


布団から顔を出してみれば、いつの間にか太陽の光が病室を照らし出し、ヒロシがトレイに乗った朝ご飯を持ってきてくれたところだった。


「朝……?」


「どう考えても朝。で、早く食ってくれって看護士さんに渡されて持ってきた」


ヒロに言われて時計を見れば、もうとっくの前に朝食時間を過ぎている。


いつの間に?


起床の音楽も耳に入らなかったぞ。


「ってか、お前ひでぇ顔」


そう言って、ヒロシは俺を指差して笑い始めた。
「なんだよ」


「目の下どうしたんだよ? クマで真っ黒だぞ」


という事は、やっぱり一睡もできなかったんだ。


「ちょっとな」


ヒロシを適当にあしらって病院食をかきこむ。


でも――。


あの女――。


思い出して、背筋が冷たくなる。


確かに見た。


この目でバッチリ。


「な……なぁヒロシ」


「なんだよ」


パイプ椅子に座って昨日のエロ本を広げるヒロシ。


「お前、幽霊とか信じるか?」


「は……?」
雑誌のおまけのDVDをみつけて「ラッキー」と言おうとした口が、「は……?」と疑問系に切り替わった。


「幽霊?」


そう聞き返してくるヒロシに、俺は大きく頷いた。


脳裏には昨日の少女がちらついている。


恐怖でその顔をハッキリと見る事はできなかったけど、あれはまさしく――…。


「いるわきゃねぇだろぉ?」


ヒロシの笑い声が病室内に響き渡った。


俺を指差して大口を開けて容赦なく笑うヒロシ。


ここは個室じゃねぇんだっつぅの。


そう思いながらも、そこまで笑われたらだんだんと恥ずかしくなってくる。


「もしかしてお前、幽霊みちゃったとか言っちゃうぅ?」


時折笑い声を織り交ぜつつ、そう聞いてくるヒロシ。
「別に、『見た』なんて言ってねぇだろ」


必死で冷静さを装ってみても、その笑顔が逆にぎこちなかったみたいで、更にヒロシの笑いの坪にはまってしまった。


体をくの字にまげてヒーヒー言っているヒロシをぶん殴ってやろうかと思った時――。


「いると思うよ、幽霊」


と、突然顔を上げて真剣な表情をして言った。


「え……?」


「特に、ここって病院じゃん? 夜中になると霊安室から誰かがスーッと壁をすりぬけて出てきたり――」


「や、やっぱり、そういう事ってあると思うか?」


食いついて聞くと、ヒロシは二度、大きく頷いた。


俺はゴクリと唾を飲み込む。


「じ……実はな、俺昨日見たんだ!」


「み……見た?」


「あぁ、白いワンピース着た女がさ渡り廊下の向こうにいたんだよ」
「で、その女可愛かったか?」


「そんなのわかんねぇよ! とにかく、普通の雰囲気じゃなかった。渡り廊下の金網の向こうにさ、ボヤーッと立っててさ!!」


昨日の出来事を鮮明に思い出して鳥肌が全身を覆った時――。


ブーッ!!


と、ヒロシが吹き出した。


「マ、マジかよお前! やっぱり『見ちゃった』んじゃねぇかよ」


アハハハハッ!!


こらえきれなくなって大爆笑中のヒロシ。


俺は一瞬キョトンとしていたが、だんだんと怒りのボルテージが上がっていく。


「だいたいさ、渡り廊下に金網なんかあるワケねぇじゃん? それじゃ渡り廊下、渡れねぇじゃん!!」


アハハハハッ!!


その笑い声とほぼ同時に、俺はキレた。


「うるせぇなっ! とっとと帰れ!!」


……だからさ、ここ個室じゃねぇんだってば……。
☆☆☆

ヒロシに散々笑われた俺はなんとしてでも、あの少女の正体を暴いてやろうという気持ちで燃えたぎっていた。


あれだけ笑われといて『そうだね。見間違いだったみたいだよ』なんて言えるかっつぅの!!


ってか、マジで見たんだからなっ!


それが原因で俺は一睡もできなかったんだからな!


自分自身にそう言い聞かすそうに心の中で叫び、ふんっ! と鼻息を荒くしてベッドを降りた。


昨日と同じように松葉杖をついて廊下へ出る。


そして、廊下の突き当たりにある非常階段を見つめた。


あそこだ……。


あそこを3階まで降りたところに渡り廊下があって、そこに幽霊の女がいた。


うん。


間違いない。


暗闇の中夢を見ていたのかと一瞬思ったけど、あれは絶対に夢じゃない。
どうする?


行ってみるか?


こんな昼間なのに思い出すと鳥肌が立って、ゴクンと生唾を飲み込む。


行かなきゃ証明もできない。


あの、人を小ばかにしたような笑い方をしたヒロシを思い出す。


「よし」


行ってやる。
☆☆☆

非常口の扉を開けると、昨日見たのと同じラセン階段が広がった。


病院の非常階段なのに、なんでラセンなんだろうな。


俺みたいに足の悪い奴なんかは降りにくくて仕方ないのに。


なんて思いながら、一段づつ降りていく。


昨日は夜中だったから気づかなかったけど、この非常階段はクリーム色のペンキで塗られていて全く禿げていない。


塗ったばかり?


それとも、誰もここを使ってないって事か?


非常時なんか滅多に無いから後者の方が正しいような気もするけど……。


なんとなく、違和感が喉につっかえる。


そして、お目当ての三階まで下りてきた。


半分は夢であってほしいと願っていたけれど、そこには俺の見た渡り廊下への扉がそびえ立っていた。


ここだ……。


立ち止まり、汗のにじむ手でノブに手をかける。
この扉の向こうに、なにかがいる。


その心構えをして、ノブを回した――。


「あ……れ?」


コンクリートの渡り廊下。


廊下の途中に人の侵入を防ぐようにして存在する金網。


しかし……その向こうには誰の姿も無かった。


「なんで……?」


昨日はたしかにいたよな?


向こうに立って、『誰?』って、そう言ってたんだ。


「あ」


そうか。


相手は幽霊だった。


ってことは昼間の今はいないんだな。