「もうすぐ花が咲くって知ってから、クウナは毎日泣いてたわ」


2人で海を大きく見渡せる階段に座り、静かな時を過ごしていた。


「『死にたくない、死にたくない』って。それを知ってても、お父さんはクウナに薬を飲ませようとはしなかった……」


「どうして?」


「薬はとても貴重な薬品を使うから、一回に作れる量にも限りがあったの。それを私が3時間おきに飲んでたら、クウナの分はなくなっちゃうのよ。お父さんはクウナにただの風邪薬を飲ませて、医院長を騙してたの」


自分の薬とリナの薬を見比べておかしいと感じたクウナちゃんは、それに気づいていたらしい。


死にたくない。


だけどリナから薬を奪うことはできない。


父親にその事実を話すとリナも薬を飲めなくなってしまうかもしれない。


深い友情と死の間で彼女はどれだけ苦しみ、どれだけ心が揺れ動いたんだろう。


「最後に、クウナは死の恐怖で病棟を飛び出して――そのまま開花したの」
リナの小さな声が波の音にとけていく。


「そうかな……」


確信はなかったけれど、自分の父親が親友を死に追いやった事への罪悪感にまみれているリナを見て、俺は別の見方をした。


「死の恐怖じゃなくて、リナに希望を与えるために病棟を出たんじゃない?」


「私に……希望……?」


「そう。クウナちゃんはリナが外に出たいと願って、それでも出れない事を知ってた。だから、自分が先に病院から逃げて見せたんじゃないか?」


クウナちゃんの最後の優しさ。


外へ出れば自分が開花したかどうかなんて、人づてに聞くしかわからない。


もしかしたらクウナは逃げ切ったんじゃないか?


開花もしてないんじゃないか?
そんな思いがリナにも少しはあったはずだ。


「そうかも……しれないね」


リナは潤んだ瞳でそう言って、笑顔を見せた。


そう思う方がずっといい。


ずっとずっと幸せだ。


俺は携帯電話を取り出して時刻を確認した。


リナの開花まで、あと5分を切っている。


「もうすぐだね……」


そう言って俺は少し汗ばんだ手でリナの手を握り締めた。


「うん」


リナはごく当たり前のように頷く。
当たり前……。


リナがいなくなる事の方が当たり前で、こうして一緒にいる事の方が異常。


頭では理解していても、なかなか納得する事はできない現実だった。


「ねぇ、1つお願いがあるの」


「なに?」


俺は極力リナを見ずに、遠くの噴水を見ていた。


「私が、開花したら――」


そこまで言いかけて、リナが口を閉じた。


ジッと遠くを見ている。


え……?


その目の先には、数十人の男たち。
「お父さんたちだわ……」


リナの声が強く震えた。


嘘だろ……?


その時だった「いました!!」と、その中の1人がこちらに気づいて叫んだのだ。


背中に汗が流れ落ちる。


叫び声とほぼ同時に全員がこちらへむけて走り出す。


俺は自然とリナの手を強く握り締め、時刻を確認していた。


残り2分。


「リナ、2分間走れるか?」


「……うん」


驚いた顔をした後、リナは嬉しそうに微笑んだ。


ここであいつらにリナを渡すワケにはいなかい。


リナは、ここにいちゃいけないんだ。


自分自身に強く言い聞かせる。


あいつらは薬を持ってる。


リナに飲ませればまた一緒に話せるときがくるかもしれない。


でも、ダメなんだ。


できないんだ。
下唇を血が滲むほど強く噛む。


「行こう、リナ」


「うん!」


最後なのに、追われているのに、楽しかった。


まるで砂浜でじゃれあう恋人みたいに笑って走った。


おかげで涙も引っ込んでしまって――。


『私が、開花したら――』


その続きを聞こうとしたとき、追っての手が俺のリナの背中へ伸びてきた。


俺は一瞬ヒヤリとして、咄嗟に掴んでいるリナの手を強く引っ張った。


そのまま腕の中に抱きしめて……。


時刻が、2人のタイムリミットを刻んだ。


眩しい光がリナの体を包み込み、リナが痛みに耐えるように眉をよせる。


「リナ……」


「ありがとう、ナオキ君」


リナ……待って。


お願いって、なんだよ。
眩しくて、リナを直視することができない。


ギュッと目をつむり、光が和らいだ時――。


俺を含め、追っての時間も止まった。


つい数秒前までリナがいたその場所に、今は大きな花が咲いている。


白くて、綺麗な花。


「リ……ナ?」


声を出したのは俺じゃなかった。


白髪まじりの中年男性が、砂浜に膝をつく。


きっと、リナの父親だ。


リナ……。


リナ、リナ、リナ!!


悲しみを思い出したように、次から次へと涙が溢れ出してきた。


リナ?


お願いってなんだよ。


言いかけといて途中でやめるなんて、卑怯だぞ。


『私が開花したら――』


お願いだよ、次の言葉を教えてくれ。


なぁ、リナ――!?
あっちぃ~。


昨日も快晴今日も快晴、ちなみに明日も快晴だってよ。


「いい加減曇れっつぅの」


俺は大量の汗をかきながら店頭の花に水をやる。


「ナオキィこっちしおれてんぞぉ」


「お前自分で水やれよ!!」


俺は従業員であるヒロを怒鳴りながら、水やりを続ける。


リナがいなくなって、1年が過ぎる。


時々夢に出て来ては微笑みかけてくれる俺の歌姫。


世間ではリナの死は報道されず終いで、今でも適当な噂が掲示板に書き込まれ続けているが、その数も見る見る少なくなっている。


で、俺とヒロはというと、先週から花屋を開業している。
どうして急に花屋かって?


まぁ、聞けよ。


聞いても驚くなよ?


「っし、終わり」


水やりを終えてそそくさと店内に入る。


今日は特別な日なんだ。


リナの、あの最後の約束を果たす日。


俺は店の奥に届いている大きなダンボールを1つ取り出して、ヒロを呼んだ。


「これが完成品なんだ」


そう言って、箱を開けると――ピンクと白の、背の高い花が鉢植えにズラリと並んでいる。


「へぇいいじゃん」


気のない返事をしながらも、ヒロの目には涙が浮かび、鼻水をすすりあげた。


同じ品種だけどそれぞれの名前と花言葉を持つ花。


これを開発したのは、俺とリナとクウナちゃんの父親ってところか。


「で? 花の名前は?」


そんなの、決まってるよな。


「ピンクがku-na花言葉は『友情』」


言いながら、俺は最後のリナの言葉を思い出す。