俺は部屋の中を見回す。


「この部屋他に出口は?」


聞くと、リナは小さく首を振った。


廊下を突っ切っていくしかないのか……。


汗の滲む手で、ギュッとリナの手を握り締める。


フェンス越しじゃない、彼女の手を。


「リナ、行けるか?」


「……はい」


少しとまどった表情を見せた後、リナは強く頷いた。


それと同時に、「ナオキィ!!!」と、叫ぶヒロシの声。


よし、行ける。


行くぞ。
俺は大きく扉を開けて、走りだした。


数人の男がヒロシに殴られて廊下で気絶しているのが見える。


ヒロシが3人の男に囲まれ、その中で必死に抵抗しているのが見える。


……一瞬、足が緩んだ。


顔に血が滲んでいる。


3人が同時にかかってきたら、ヒロシだってかなわない。


「ヒロ――」


「行けぇぇぇ!!」


俺の言葉を遮って、ヒロシが叫んだ。


「行けぇぇ! ナオキィ!!」


もみくちゃにされながらの必死の叫びだ。


俺は止まりかけた足を無理矢理前へ押し出した。



「うあぁぁぁぁ!!」


自分でもよくわからない雄たけびを上げながら、俺はリナの手を強く強く、握り締めた――。
☆☆☆

警報音は建物を出てもしつこく鳴り響いていて、俺は振り返らずに全速力で走った。


道路に出てがむしゃらに走り、警報音と建物が後方の豆粒になっても足を止めなかった。


誰かが追ってきているかもしれない。


掴まってしまえばそこで終わりだ。


「ナオキ……!」


リナの苦しそうな声で、俺はようやく我に返り振り向いた。


そんなに走っていないと思っていたハズなのに、気づけばアパートの近くまで来ていた。


「ごめん……大丈夫?」


立ち止まると急に呼吸が苦しくなる。


どっと汗がふきだして、足がガクガクと震える。
「へい……き」


リナは頷き、肩で呼吸を繰り返す。


俺は警戒しながら周囲を見回し、「ここにいたら危ないかもしれない」と、言った。


もしヒロシがあのまま拘束されて俺の事を話してしまっていたら、アパートに押しかけてくる可能性が高い。


「電車で移動しよう」


行き場所なんてない。


どこへ行くのかを決める時間もない。


だけど、ここからどこか遠くへリナを連れて行かなきゃいけない。


「行こう」


俺は再びリナの手をしっかりと握り締めて、歩き出した――。
☆☆☆

最寄の駅でちょうど到着した電車に乗り、客の少ない車内で身を寄せ合うようにして座る。


「平気?」


「大丈夫」


意外な事に、俺よりもリナの方がしっかりと前を見据えていて、体も震えていなかった。


フェンス越しでは見えなかったリナの強さだと、俺は思った。


「ねぇ、ナオキ君」


そっとリナが俺の肩に頭をもたげて言う。


俺は、その肩を抱いた。


「あと2時間なの」


「……2時間?」
「クスリを飲む時間よ」


その言葉に、わかっていたハズなのに動揺した。


リナを連れ出すという事は、リナが死ぬという事。


「クスリの効き目はあと2時間か……」


できるだけ冷静なフリをして言う。


2時間後、リナはこの世からいなくなる――。
俺たちが電車から降りたのは、聞きなれない地名での事だった。


「おりようよ」


黙ったままずっとよりそっていたリナが小さくそう言ったのだ。


「このまま電車に揺られてたら少しだけ後悔しそうだから」


はにかんだ笑顔でそう言った彼女。


その言葉の意味を無駄に時間を費やしたくないんだろうと解釈して、俺は次の駅で下車した。


「すごぉい、綺麗」


下車してすぐに潮の香りがして、俺たちはそれに導かれるように砂浜へ出てきた。


海の中に噴水を沈めているらしく、ライトによって七色に光る水が吹き上がっている。


「すごいな……」
その光景に、俺は素直に言った。


「適当に下りて歩いてただけなのに、こんなのが見えるなんて……」


感動したように目を輝かせ、ピッタリと俺に寄り添ってくるリナ。


今更ながら、このリナが本物の歌姫リナなんだと思って緊張してしまう。


心臓がドキドキとうるさくて、リナにキスをしてしまった自分を思い出して赤面した。


「ねぇ、ナオキ君」


「な、なに?」


「約束……」


「約束?」


忘れたフリをして聞きかえしたけど、本当はシッカリと覚えていた。


忘れるワケがない。
「抱きしめて、いいよ?」


見上げるようにしてみてくる彼女。


可愛くて、綺麗で、消えてしまいそうなのに、強くそこに存在する。


「リナ……」


俺は震える腕をリナの背中に回した。


想像以上に華奢な体。


ギュッと両手で強く抱きしめると、女性的な柔らかさと細さの矛盾に戸惑った。


「あったかいんだね、ナオキ君」


「リナも、あったかいよ」


随分汗をかいてしまったから匂いが気になったけど、リナは俺の腕の中で心地よさそうに目を閉じた。