大きな橋が折れ、車が川に浮いている様子がテレビに映し出されていた事を思い出す。
あの中に、2人がいたんだ――。
そう思うと急にその光景にリアリティが増して、俺は震えた。
あの時2人の命は消えた――。
☆☆☆
リナの話を聞き終わると、俺は大きく空気を吸い込んだ。
まるでここだけ酸素が薄いみたいに呼吸が荒くなる。
信じられない。
信じたくない。
けれど、目の前にいるリナがここまで膨大な嘘をつくなんて考えられなかった。
「実は霧夜さんが、俺のところに来たんだ」
「お兄ちゃんが?」
驚いたように目を丸くするリナ。
「リナちゃんを助け出してくれって、そう言ってた。けど、君を助けるっていうことはつまり……」
その後の言葉を口に出すことができずに俯くと、「死ぬわ」と、冷静な声が帰ってきた。
「だけど、それがもとある私の姿なの。生きていても、研究を続けている以上はここから出る事は出来ない」
「研究は、失敗したんだろう?」
「えぇ。ただ、クウナは私よりも一週間早く人体実験をしてたの。その間、私は冷凍保存されてた」
一週間早く?
じゃぁ、クウナちゃんとリナに多少の差があるワケだ。
「お父さんは、まずはクウナで実験したのよ。失敗する恐れが大きかったから」
「そんな……」
「そして、強すぎる花の力がある程度制御できるようになってから、私の実験を開始した」
「じゃぁ、リナちゃんの実験は成功するかもしれないじゃないか」
気分が高ぶり、声が大きくなる。
リナは死なない。
そんな期待をしてしまったんだ。
「成功なんてしてほしくないの……。さっきも言ったとおり、実験が続く限り私はここから出られない。そんなの、生きてても意味がないわ」
「でも……っ!!」
「後悔なんてしてないの」
俺の言葉を遮るように、鈴の音が言った。
「私の人生、やり残した事なんてない。ただ1つだけ言うのなら……」
お父さんの間違った実験を、今すぐやめさせたい。
彼女はそう言って、少し潤んだ瞳で俺を見た。
☆☆☆
それからもしばらくリナと話をして、俺は実験について出来る限りの事を聞き出した。
リナは三時間おきに花の力を弱める薬を飲んでいる事。
三時間以上経過するとクスリの効き目はなくなり、花が開花してしまう事。
病棟の中ではいつでも自由に動き回ることができるけど、外へ出る道は警備員によってふさがれている事。
そして……俺たちが出会った渡り廊下は霧夜さんの提案でつけられたものだという事。
霧夜さんは本館にいてもすぐに駆けつけられるようにと説明したらしいが、実際は誰かに特別病棟の存在を知らせるためだったのだと、俺はすぐに理解した。
「俺は……リナちゃんをそこから出してもいいの?」
そう訊ねると、リナは期待に満ちた表情で大きく頷いた。
だから俺は「わかった」と、小さく返事をしたのだ。
リナをあそこから出すという事は、リナを殺すという事。
だけど人は神にはなれない。
一度完全に死んだ人間を一週間冷凍保存した後蘇らせるなんて、神ではなく悪魔のような行為だ。
もしこの実験が成功して世に出てしまったらどうするんだ?
誰も死なない世界。
誰も死ねない恐怖。
人は新たな生を産み落とす事をやめるだろう。
同じ人間が、同じように暮らすしかない世界。
「悪夢だ……」
俺は今の自分の境遇を思うと共にそう吐き出した。
現実になりかけている悪夢を消し去るのがリナの願い……。
どうやら俺はコスプレというものに縁があるらしく、またも怪しげな雑貨屋へと出向いていた。
まさかこの年齢で二度も来る事になるなんて思ってもいなかった。
しかも、男1人で。
「あら、君また来たのぉ?」
甘ったるい声で話しかけてきたのは前回の時にレジを売ってくれたオカマ店員だった。
テレビ出演しているような綺麗なオカマではなく、ヒゲが生えていて男らしい声色を持つオカマだ。
俺はその容姿にたじろきつつも「えぇ、まぁ」と返事をする。
「今日は何を探してるのぉ?」
どう見てもメタボリックな腰をくねらせながら、必要以上に近づいてくる。
「あの……警備員風の服がほしくて……」
「あらぁ今日は警備員プレイなのぉ? あなたきっととってもよく似合うわよぉ」
プレイもくそもないのだが、ニヤニヤしながら言われて鳥肌が立ち、言い返す気力も失う。
そして、オカマ店員が持っていたのは数種類の本格的な警備服だった。
その1つを手にとってみると、肩の部分に知っている警備会社の名前がプリントされていた。
「これ、本物?」
「そうよぉ~? 警備員のコスプレ服なんて滅多に見かけないから、知り合いから譲ってもらったり定年を迎えた人から頂いてくるのよ」
なるほど、これならバレにくいかもしれない。
警備員に知り合いがいるという事は……。
試しに俺はあの病院が雇っている警備会社を知っているかと聞いてみると、オカマ店員は2つ返事で大きく頷き、そこの制服を差し出してくれた。
「定年退職したオジサマのだからちょっと古くさいけど、いい香りがするのよぉ」
そう言われて少しだけにおいをかいでみると、オヤジ臭が鼻をついて顔をしかめた。
「ね? ダンディなオジサマの香りでしょ?」
目をギョロッと見開き舌なめずりをする店員。
俺はそれを見ないフリして「これいくら?」と、聞いた。
「あらぁ~それは頂き物だからお金はいいのよぅ? それよりもその服着て今夜はアタシといい事しちゃう?」
クネクネと再び腰をくねらせてくる店員に「ありがとう!」と一言残し、俺は大慌てで店を出たのだった――。