夏、真っ盛り。
 私は数少ない夏休みを満喫していた。
 家でだらだらし、気が向いたら外に出る。
 普段は仕事に追われてパワハラ上司にもまれていたけど、何にも追われていない時間があるのはとてもうれしいことだ。

 連絡先を交換した原田さんとは、あれから二、三回ほどご飯に行ったりした。
 連絡先を交換して分かったことは、彼は夜行性ではないということ。
 夜になるとぱったりと、連絡が取れなくなるのだ。
 もしかして、家に帰ったら携帯の電源落としちゃうタイプ?と、わけもわからないことを考えていると普段はかかってこない、気の重たい番号から電話がかかってきた。

 「…はい。もしもし。」
 「何その気だるげな返事は。まあいいわ。この間お父さんが出張かなんかで九州言ったんだけど、そのお土産でお菓子買ってきたのよ。そのお菓子がね、ほんとおいしくて、だれの差し金で買ったのかは知らないけれどもよかったのよ!それでね、お母さんもこの間一人旅行行ってきたんだけど―」

 お父さんの出張も、お母さんの一人旅行も嘘だ。
 お母さんがお父さんの嫌味を言うときは、たいてい女の影があるとき。
 お母さんが一人旅行に行くときは、お父さんへの復讐の一環だ。
 私の両親は、いわゆるダブル不倫なるものをしている。

 私がこのことに気が付いたのは、小学四年生のころだった。
 小さいころからお父さんの出張が多いなと思っていたけど、お父さんが単身赴任で家にいない家もあったし、特段不思議に思ったことはなかった。
 でも、小学四年生の冬。
 学校から家に帰ってきたとき、珍しくお父さんの靴があった。
 こんなに早い時間に、お父さんが帰ってくるなんて今までなかったからとてもうれしかったのを覚えている。
 でも、リビングから漏れ聞こえる両親の怒鳴り声は、私を闇のどん底へと導いた。

 「ねえ、瑠璃、ねえってば。もう、瑠璃ってば聞いてるの?」
 「ごめん。なんて?」
 「だから、今年はこっち帰ってくるの?」
 「ああ、いや、帰らないけど。」
 「そう!今年もお父さんとお母さん、旅行行ってくるから家にいないわっていうところだったの!じゃあちょうどいいわね、お正月予定があったら会いましょう!」

 切れた電話の音とため息が混ざって、私の部屋に響いた。



 「なんでこんなしょうもないことでミスしてんだ、お前は。」
 「…申し訳ございません。」
 「なんでそんなに不満そうなんだよ。だいたいなあ、俺がお前にこんなこと言ってるのだって、お前ならできると思っているからだぞ。この仕事だって、お前にぴったりだと思ってな、仕事を回してやってんだ。」
 「はい。以後気を付けます。」
 「俺はもう帰るが、明日までにその資料直しとけよ。」

 夏休み明け早々上司からの説教だ。
 結局お母さんとの電話の後、何も楽しむ気になれなかった私は、とてつもなくつまらない夏休みを過ごしてしまった。
 ろくにリフレッシュもできないまま過ごしてしまったせいか、仕事に身が入らない。
 みんなそれぞれ夏休みをとっているからか、オフィスも人がまばらになっている。
 周りに気が散るのを抑えながら、私は必死に資料を作り続けた。

 お決まりの残業のあと、最寄から一人でとぼとぼ帰っていると、急に後ろから名前を呼ばれた。

 「大神さんじゃないですか!」
 「うわあ!原田さんじゃないですか!」
 「初めて会いましたね、帰り道で。」

 久しぶりの原田さんに、少しうれしい自分がいた。
 それと同時に、あっていなかった期間にあったことまで思い出した。

 「…そうですね。いつもこの時間なんですか?」
 「僕は日によってさまざまです。遅い日もあれば早い日もありますよ。大神さんは…大神さん?どうしたんですか?」

 少しぼうっとしてしまった私は、原田さんに呼ばれるまで立ち止まってしまっていた。

 「ああ、すみません。どうもしてないです。大丈夫。」
 「…大神さん。」
 「はい?」
 「今からお時間ありますか?」