吉瀬にこんな話を聞かされたくない。こんな話に引きずり込みたくない。吉瀬に汚いものを見せたくない。
高岡にだって、こんな弱いところなんて見られたくなんてなかった。
なんでよりによってこの二人が揃ったときに柳瀬と遭遇してしまったのだろう。
卒業しても、離れても、それでもなお、柳瀬に苦しめられなければいけないのだろう。
幸せになりたいと願っていたわけではない。そんな大きなものを望んだりはしない。
でも、出来ることなら普通になりたかった。普通の人間になってみたかった。
そう望んだことは、幸せと同じぐらい、大きなものだったんだろうか。
「そうだ、しかもさ、席替えしたときとか、こいつの席の場所になった奴が急に転校決まったり――」
「――それ、なんの話してんの?」
次々に繰り出されるそれらを、容赦なくぶった切ったのは高岡だった。
「……え、なんのって、だから呉野の話で――」
「いや、お前が今話してること、全部呉野関係あんの?」
あまりにも冷静で、ひどく淡々とした口調だった。
普段の高岡からは決して想像出来ないその姿は、どう考えても俺が知っている高岡じゃない。
「なんか、無理矢理呉野に繋げているようにしか聞こえないんだけど」
「……いや、だって、お前同じ場所にいねえからさ、わからねえんだよ。こいつのやばさとか」
「いたとしても、俺は吉瀬がしてる顔と同じ顔になると思うよ」
え……、と漏れたのは柳瀬と俺の声。
高岡の声につられるようにして辿っていけば、吉瀬が眉間にしわを寄せ、まさにドン引きしているような顔で。
「……それ、話してて恥ずかしくないの?」
その顔で、柳瀬に問いかける吉瀬は、高岡以上に冷え切った目で見ている。
てっきり俺の印象がだだ下がりするというよりは、柳瀬の印象がひどく落胆していくようで。
「俺、柳瀬とは話が合うなって思ってたけど、なんか根本から合わねえわ」
そう切り離した高岡に「はあ? お前俺のコネでバイト紹介してやった恩を忘れたのかよ」といまだ最低な男を披露してくれる。
それに対しても高岡は「いや、もういいし。ばっくれるし。つーかティッシュ配りのバイトぐらいでそんなしゃしゃんなよ」とさらに突っぱねて返す。
「……」
まるで自分が除け者にされていると感じた柳瀬の怒りは、当然ながら俺へと向かう。
「……お前、そんな病気持ってて、自分が普通だと思ってんの?」
ぐさり、刺さった矢が抜けなかった。
「なんか普通っぽくなってるけど、全然普通じゃねえから。友達とか彼女とか、んなもん作れるような人間じゃねえから」
心臓に次々に刺さっていく言葉は、どこまでも深く刺さり続けていく。長い長い矢。
「おい柳瀬! お前いい加減にしろよ!」
「最低! 男としてどうかと思う」
高岡と吉瀬が、それぞれ俺のかわりに口をひらいてくれた。なのに、あまりにも深く刺さった矢のせいで上手く呼吸が出来なくて、世界がぐらりと傾いたみたいで、苦しかった。
……普通じゃない、そんなことは俺が誰よりもわかってるよ。
そんな反論すら言えない俺は、どこまでも価値がないような人間だった。
*
柳瀬が逃げるようにあの場を立ち去って、三人で路上に突っ立っていると、高岡が「この裏に公園がある」とその場から引き剥がしてくれた。きっと俺ひとりだったら、あの場所から逃げられなかったと思う。過去に囚われたように、あの場所に囚われてしまっていたと思う。
「はあああ、むかつく! あいつあんな男だって知ってたら付き合わなかったし」
まるで今まで彼氏彼女として付き合ってたかのような高岡の言い回しに、吉瀬は「落ち着いて」と冷静になだめる。
「ひっさびさに腹たったわ。俺の母親と同じぐらいクソだったわ」
なぜかその怒りは、高岡の母親へと飛び火する。苛立ちを表すかのように貧乏揺すりがひどくなっているのに気づき「なんで母親なんだよ」と、仕方なく口を開く。
「いやさ、俺の母親、わりと結構ひどい女で。平気でよその旦那と浮気できるんだよ。まじで引くよな? それ発覚したの結婚したあとでさ、父親とは金目当てで結婚したんだって。あ、今はちゃんと離婚してっから安心して。でもさ、んなもん結婚してから発覚しても困るじゃん? 結婚ってそんな簡単なもんじゃねえだろって」
どこか聞き覚えのある話だなと思っていれば、〝ああ、こいつと初めて話したときに言われたっけ〟と漠然と思い出した。
太陽と相性が悪いことを、なぜか結婚にたとえていたが、まさか実話を話していたとは。
「その話聞いたとき以来だわ、こんなにむかついたの。離婚して母親いなくなって、父親はすっげえ厳しくなって。なんかめんどくせーって思ったら、全部あの女のせいだって思うようになって。まあ実際そうなんだろうけどさ、でも、なんかあの女に囚われてるみたいですっげえ気に食わなくて。だから、俺は自由に生きるって決めたんだよ。自由に生きて、好きなことしてやるって。教育なんてくそくらえって。母親はむかつけどな」
なんて言いながら、今ではすっかり笑っている。からっと。雲一つないようなすっきりとした笑みに「お前がよくわからねえわ」と、こっちまでつられて笑えてくる。
「あ、そうそう。笑ってればいいんだよ、呉野。お前はイケメンなんだから。あんな男忘れて、新しい男で癒されろ、な? 自由に生きろ」
「新しい男ってまさかお前?」
「あ? ほかに男がいんのか? あ?」
「いや、なんでさっきからそういう設定でくんの? 誤解されるような言い方はこの前で懲りたんじゃないのかよ」
また男好きだと噂流されるぞ。そうつけくわえると、隣で吉瀬がくつくつと笑っていた。
「本当二人って仲がいいよね」
「違う」「でしょ?」
相対する返しに、また吉瀬が笑うものだから、むっと高岡を睨む。
「認めるなよ」
「認めろよ! 俺ら友達だろ?」
友達なんてワードを出してくるものだから思わず目を見開いてしまった。
「……ちげえし」
「だから認めろって言ってんだろうがああああ!」
両手で首をしめられ、ぐわんぐわん揺らされる。無茶苦茶だ。この男。それなのに、その無茶苦茶に救われている自分がいる。このいい加減さに救われている自分がいる。
「はなせ……くる、しい、しぬ」
「もういっそ心中しようぜ俺ら」
「ふざ……け、んな」
そんな俺らを見て、吉瀬は笑っていた。目を細めて、楽しそうに、笑ってくれていた。
トラウマは、簡単には消えていかないんだと知った。
高岡と別れ、吉瀬を送り届け、自宅に着くと、へなへなと崩れ落ちる。
時間が経って、きっとまた同じ場所に立ったとき、自分はもうすこし強い人間でいられると思っていた。あの頃の自分は弱くて、惨めで、戦うことを恐れ、逃げていたのかもしれない。けれど、今はあのときと状況が違う。自分のことを病原菌扱いする人間はいなくなったし、周囲と溶け込めているわけではないけれど、それなりに平穏な日々を過ごしていると思っていた。それが、勘違いをしてしまう原因だったのしれない。
──人は、簡単には変わらない。変われるわけがない。
柳瀬と再会して、それを痛いほど痛感してしまった。俺は強くなれたわけでもないし、あの頃の自分となにかが変わったわけでもない。
ただ環境に甘えていただけで、俺はなにも変わっていない。
病原扱いされていた頃と、俺はなにも変わっていないじゃないか。ましてやふたりに守ってもらって、吉瀬にまで言葉を使わせて、俺はなにをやっていたんだ。なにをしていたんだ。
──だから、またこうして、罰がくだったのかもしれない。
「……っ」
目を開けて、すぐに違和感を覚えた。肌寒さを覚え、かけなおそうとして薄いシーツに、手が届かなかった。体が硬直してしまったかのように、ぴくりとも動かない。唯一、瞼だけ持ち上げる動作ができるだけで、手足を自由に動かすことができなかった。視線が泳ぐ。びくびくと、左右、上下に動いては、体が動かないことを痛感する。
喉の奥から声が出ない。ふり絞ってみせても、声が出ていかない。
──初めて、怖いと思った。自分の体が自分の体じゃないみたいで、凄まじい恐怖に襲われた。
意識だけを残して、さらさらと、白い陽の光が部屋を明るくしていく様をじっと見ていた。
ピピピとスマホからアラームが鳴り、視線だけを動かすものの、指一本動くことができない。しばらくその音を聞いていると、勝手に目覚ましの音が止まった。そうか、とめなくてもある程度の時間が経てば止まるのかと、このときはすでに恐怖よりも冷静さを取り戻していたように思う。けれど、アラームは定期的に鳴り続ける。まるで、止めてもらえなかったことへの腹いせのように思えて仕方がない。
どたどたと、部屋の外で聞こえたかと思えば、乱暴なノックが数回響いた。
「ちょっと! 幸人? 起きてるの? アラームの音がこっちまで響いてうるさいんだけど」
夜勤だったのか、その声はずいぶんと機嫌が悪そうだ。あ、という口の動きを作るものの、やはり音が出ていくことはない。
「もう! 起きてるの? あけるわよ」
そう言って、不機嫌そうな顔が扉の向こうから現れては、かちりと目が合う。
「なによ、起きてるじゃない。どうして返事を……」
みるみるうちに、その表情が一変していく。目をこじ開け、怒りから驚きへと急激に感情を移動させては、あわただしく駆け寄ってきた。
あ、あ、と何度も繰り返す姿が異常だと、このときようやく母親は気づいたのだろう。血相を変え、「どうしたの!?」と驚きに満ちた顔へと変化した。
「動けないの? 声は? しゃべれないの? いつから? ねえ、幸人──!」
救急車に運ばれるのは、初めてのことだったなと、どこかぼんやりと考えていた。
白い壁で囲われ、病院独特の匂いが鼻をいやに刺激する。どうもこの匂いは好きになれないなと考えていれば、やわらかな雰囲気をまとった鈴川先生が「やあ」と入ってきた。
「具合は?」
「平気です。声も出ますし」
「そう、それはよかった」
病院とは、どうしてこうも白で支配されているのだろうかと、ここを訪れるたびに思っていた。鈴川先生が羽織っている白衣だって、純白そのもので、それがいやに似合っている。
「あまり食べれていなかったみたいだね、最近」
この人のしゃべり方はいつだってゆったりとした、穏やかなテンポで、聞く人を安心させる。
「……そうですね、食欲はなかったです」
ほんとうは、食べれていないことを、鈴川先生には伝えなかった。
いつだって、「変わらないです」「前と同じです」などと答えてばかりで、食欲はここ最近めっきりと減っていた。
「ごめんね、僕が気づいてあげるべきだったのに。体重に大きな変化はなかったから、見逃してしまっていたんだ」
「いや、俺が言ってなかったので」
謝ることではないですよ、と続けたかった俺の言葉は、鈴川先生の声によって遮られる。
「ううん、僕の責任だよ。患者のささいな変化は、医師として気づかなければいけないんだ。その変化は、命に繋がることだから。ささいなものでも、それは気づかなかったでは済まされないんだよ」
まっすぐで、意志の強い瞳。この人はしゃべり方さえおっとりとしているのに、その唇から放たれる言葉はいつだって厳しく、それでいて自分にどこまでも厳しい。
「……そんなこと、ないです」
俺の小さな否定も、先生はやんわりと笑うだけで、心に届いているものではないんだと察する。
「だから、医師として、君に伝えておきたいことがある」
ざわざわと、葉がこすれる音が聞こえていたが、それがぱたりと聞こえなくなった。
ゆったりとした雰囲気が消えた鈴川先生は、ぴりついた空気をまとっているようで、その顔でなんとなく、ほんとうになんとなく、その先の言葉を察してしまった。
「俺の、余命ですか?」
静かに唇の隙間から出ていったその一言に、鈴川先生は一瞬目を見開いた。真っ直ぐにぶつけられるとは思ってもいなかったのかもしれない。少し時間を空け、鈴川先生が小さく頷いた。
「そう、君の残り時間」
真っ直ぐ、嘘偽りないような鋭い矢。もう抜けないその矢が、ずぶりと差し込まれていくような感覚。
覚悟をしてきたはずだった。いつでも宣告されていいように、しっかりとその覚悟だけはどこかに置いていたはずだったのに。
心が、心臓が、あまりにもひどく動揺しているのがわかった。まるで、予期していなかったかのような反応だ。あれだけ覚悟をしていたのに。
「……いつまで、いつまで生きられますか?」
声が震えてしまう。
「……冬を迎えることはできないと思ってほしい」
──冬。頭の中で浮かんだそれを、復唱するかのように口にした。
「冬……冬って、この秋で終わりってことですか?」
終わり。この秋で、俺の命が尽きていく。その事実が、かちっと頭の中ではまっていかない。
信じられないという方が大きかったのだと思う。そんなにも早く終わるわけがないと。
それでも、鈴川先生はまっすぐに俺を見ていた。視線を揺らすことなく、あの意志の強い眼差しで俺を見ている。
「もって、この秋だと思う」
その言葉が、思った以上に俺の心をえぐっていった。
「……約束、でしたもんね。教えてもらうの」
余命が分かったら俺に伝えてと、以前言ったことがあった。
知らないまま呆気なく死んでいくよりは、やり残したことを片付けておきたいという心構えのようなものがしたかった。
鈴川先生はその約束をきちんと果たしてくれてたのだ。
わかっていたはずだった。わかっていたはずなのにーーどこかで、〝俺は助かるんじゃないか〟と思ってしまっていた。
病気の進行も遅く、拓哉と違って肌もきれいな方だった。食欲はなくなっていったけど、それでもまだ生きていけると思っていた。拓哉と話せなかったのは、拓哉を前にしてしまうと、自分を比べてしまうから、そんな自分が心底嫌いで嫌いで嫌いでしょうがなかった。あんな小さな男の子を前にして、〝俺はこの子よりは大丈夫なんだ〟と思ってしまっていたから。そんな醜い感情が渦をまくようにして俺を支配していった。
俺に死が訪れるのはもっともっと先の話で、建前として余命宣告されても平気なように覚悟だけして──けれど、その覚悟は、本当の覚悟なんかじゃなかった。みっともないプライドと、あまりにも汚れた感情でできていると認めてしまうのが嫌だった。そんなものが自分に存在することが嫌だった。俺は、せめて心だけは綺麗でありたいと思っていたのに。人に迷惑をかけてしまうのだから、人に見えない心だけは綺麗でいれば、自分はまだ生きていていい存在だと思えたのに。
視界が、世界が真っ暗になった。突然突きつけられた現実を受け止めきれていない証拠だったのだと思う。
心が空っぽになっていくような感覚だった。
やるせなくて、あがいてももうどうすることも出来なくて、何度も何度もベッドの上で拳を振り落とした。
シーツの上に手を突き落としていくことしか出来ない自分の運命を呪った。
〝ああ、そうか、俺は全然覚悟なんて出来ていなかったんだ〟
そう気づいたって、今更どうすることも出来ない。気づいたところで運命が変わることもなければ寿命が伸びることもない。俺はなにも出来ない。
「カーテン開けないで言ったじゃない」
入院して一週間。母親が病室に入ってくるなり、慌てて窓の向こうの世界を奪っていった。
「カーテンしてても紫外線が入ってくるっていうし……あ、着替え、持ってきたから着替えなさいね」
空っぽになった心に、母親の声は煩わしくて仕方がなかった。消せるものなら消したかった。
「そうそう、学校から連絡あってね、クラスの子がお見舞いにきたいって」
「え……」
途端に浮かんだのは吉瀬の顔だった。
「幸人に会いたいって言ってくれてるみたいでね。あんた友達いたのね。全然家に連れてこないから心配してたのよ。担任の先生から聞いてお母さんうれしかったんだから」
「お見舞いの話は?」
「え? ああ、大丈夫よ。ちゃんと断っておいたから」
「…………は?」
引き出しに部屋着をしまっていく母親の背中に思わず、抜けていった自分の怒り。
「なにが大丈夫なんだよ」
「だって、お見舞いに来られたら困るでしょう? 安静にしてるように鈴川先生からも言われてるんだから。学校の子たちなんて来てもらっても迷惑じゃない」
ありえなかった。そんな発想になることが心底理解出来なくて、一瞬にして怒りが頂点に達した。
「迷惑って、それ母さんが一人で思ってることだろ? そもそもなんで俺に聞かないで断ってんだよ」
「な、なに言ってるのよ! お母さんはね、幸人のことを思って──!」
「そういうのが昔から嫌いなんだよ!」
いつだって、俺の人生を勝手に決められていた。窓の外の景色を奪うだけでなく、俺の人生をまるっと奪っていくみたいで、それが嫌だった。
「なんで勝手に人の人生奪っていくんだよ! 俺の人生だろ? 俺の人生をなんでそう勝手に全部決めていくんだよ!」
ふと、これは俺の人生なのだろうかとわからなくなることがある。俺は、俺の人生を歩んでいるはずなのに、勝手に敷かれていくレールを歩かされているようで、そこを踏み外すことを許されていないようで苦しくなって。
「学校だって俺がいじめられてたの知ってたかよ。楽しそうに行ってたことあるかよ! 学校に抗議の電話入れて、俺がどれだけ肩身の狭い毎日を送ってたか……そういうの一度だって考えたことあんのかよ!」
耐えられなかった。もう、心が限界だった。
「もう死ぬんだから好き勝手させろよ!」
これは決して口にしてはいけない言葉だと、わかっていたはずだった。そんな言葉を感情に任せて言うべきではないと、わかっていたはずだったのに。
今、自分に出来ることは、ただ自分の運命を呪うということぐらいで。残りの寿命を当てつけのようにして怒れたのは、この感情をどこにぶつけたらいいかわからなくなったから。
「……頼むから、消えてくれ」
絞りだすように出ていった言葉に、責任は持てなかった。まき散らした言葉が、どれだけ母さんの心を抉るのか考えられるほど余裕もない。ただ、このどす黒い感情に呑まれていくだけ。沈んでいくだけ。
これはあくまでも、八つ当たりでしかなかった。
拓哉の死、柳瀬との再会、高岡への嫉妬、吉瀬への想い。そのどうしようもない思いたちがぐるぐると渦を巻いて大きくなっていた。
いろいろ、積み重なったものが、まるで導火線だったかのように、火がちりちりと辿ってしまって、爆発してしまう決定的な場所に、いよいよ到達してしまった。
母さんはなにも言わなかった。なにも言わず、ただ静かに、病室から出ていって。
扉がしまったとき、体の底から湧き上がるように涙が出て止まらなかった。
──わかってるんだ、本当は。
息子に先立たれる母親の気持ちを、考えないわけじゃない。母さんなりに、俺を守ってきてくれたこともわかっている。親父と離婚して、ずっと一人で俺を育ててくれて。そんな俺が、もう残り少ない命だなんて、母さんだって辛いに決まっている。
それでも、もう、どうしたらいいのかわからなかった。どうすればこの感情から救われるのか、どうやってもわからなかった。
「……わかんないだよ」
こんな人生なら、生まれてこなければよかった。母さんにさえあんな言葉を吐くぐらいなら、俺なんて、本当に生きている価値がない。どこまでも、俺は最低だ。